同志社混声合唱団でアルヴォ・ペルトの作品を歌うことになった。初めて聞いた名前だから興味が湧き、どんな人かとWikipediaで調べてみたら、「エストニア生まれの作曲家でミニマリズム学派に属する」と書いてあった。が、不勉強な私にはこのミニマリズム学派が何のことやら分からない。そこで更に調べたら 音の動きを最小限に抑え、パターン化された音型を反復させる音楽」とあったから思わず膝を叩いた。11月2日(土)に予定されている同志社混声合唱団のコンサートで歌う彼の作品、「Which Was the Son of ...」がまさにそうだからだ。

英語の歌詞で「イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった」から始まり、その後、「イエスはヨセフの子、そのヨセフはイーライの子、イーライはマタトの子、マタトはリーバイの子・・・」と反復されるメロディに乗って先祖(父親)が辿られていく。


因みに、イエスから遡ってアダムに到達するまでが65代、神様に到達するまでが66代だから、実に壮大な家系図になる。又、父親こそ65人しか出てこないが、父親には父親と母親がいた筈だし、その父親と母親にもそれぞれ父親と母親がいた筈だから、それらを計算すると、5代遡るだけで2の5乗で32人のご先祖様が、10代遡ると1,024人のご先祖がいることになる。

アルヴォ・ペルトさんの話題から逸れてしまったが、私にも10代遡れば1,024人のご先祖様がいらっしゃることになり、その中の一人が欠けていても私は生まれて来なかったのだから、私が今、こうして生きているのは奇跡と言っても大袈裟ではない。そう考えると、愚痴など恥ずかしくて言えないし、居眠りなど勿体なくてできない。ハイッ、ご先祖様、しっかり生きます!
第3ステージは「Sea Shanties」と題し、男声合唱ならではの海の男の労働歌を5曲、披露された。一緒に演奏を聞いていた同級生のAさんは「Lowland」にしびれた、と言っていたが、私はその次に歌われた「Spanish Ladies」に心躍る思いがした。又、最後の曲「Shenandoah」には井上仁一郎さんのギター伴奏が付いたが、哀愁の漂う素敵な演奏で、目をつむってじっくり聴かせて頂いた。

第4ステージは北海道出身のシンガー・ソングライターの作品から「地上の星」(中島みゆき)、「青春時代」(森田公一)、「あの頃へ」(玉置浩二)、「季節の中で」(松山千春)、「麦の唄」(中島みゆき)の5曲が歌われた。いずれも素晴らしい演奏で、大人の自信や誇り、大人だからこそ分かる喜びや苦しさ、そういったものが見事に歌い上げられ、静かで深い感動に包まれた。特に「あの頃へ」はしみじみ語り掛けて来るような演奏で、閉ざされていた心や記憶の扉が開いて行くような感覚を覚えた。

一緒にいた同級生は「麦の唄」(中島みゆき)に感動し、「毎回、歌って欲しい」と言っていたが、曲の作り手と歌い手には北海道出身という共通のルーツがあり、それが自然に一体感を醸し出し、力強くも優しい演奏が実現したのかなと思う。もう一度聴いてみたいステージだった。

最後にアンコールで歌われた「この道」にもいろんな思いが込められているようで、聴いていて泣きそうになった。これも、大人にしか歌えない歌だと思う。会場が満員であったことが頷ける、素晴らしいコンサートだった。
クラーククラブは北大合唱団の東京OB会が組織された合唱団で、昨日、11回目のコンサートを催された。

第1ステージは「柳川風俗詩」という多田武彦作曲の合唱組曲で、詩は北原白秋の「思ひ出」という詩集から選ばれた4編とのこと。それぞれ趣の異なる4曲だったが、第4曲の「梅雨の晴れ間」は人々が足踏み式で廻す水車がテーマだったようで、リズムや音の強弱がどんどん変わり、各パートの歌声が様々に掛け合わさり、それらがいろんな水の形を表しているようで素晴らしい演奏だった。


第2ステージは「夢の手ざわり」という合唱組曲で、元々は早稲田大学グリークラブの委嘱により田中達也さんが作曲されたものとのこと。それを平均年齢70才のクラーククラブが歌われた訳だが、第3曲の「夏の手ざわり」など、リズムが変わったり、不協和音があったりして、如何にも難しそうな曲だったが、それを見事に歌い上げておられた。その後に続く第4曲の「ひかり」はアカペラで始まり、優しく豊かな歌声が大変良かったように思う。

(続く)