「友情2- 平尾誠二を忘れない」を読んだ。山中伸弥先生が「はじめに」を記され、その後、平尾誠二と親交のあった11名の方々が平尾について語り、その早すぎる死を悼んでおられる。そして最後は、平尾の奥様とお嬢さん、息子さんがそれぞれ平尾がどのような夫であったか、父親であったかを書いておられる。合計すると15名の方が書いておられることに気付いたが、これはラグビーのフィフティーンに因んでのことか。山中先生の粋な配慮だとすれば、平尾も喜んでいることだろう。


寄稿された方々の思いが熱く、重く、真っ直ぐすぎて、何度かもらい泣きしそうになったが、中でも伏見工業高校、同志社大学、そして神戸製鋼で平尾とプレーした2年後輩の杉本慎二君の文章には在りし日の平尾が生々しく浮かび上がるようで感動した。

神戸製鋼で主将となった平尾の大胆な決断、大勝負を前にロッカールームで平尾が飛ばした檄、神戸を襲った大震災で平尾が被災者の方に見せた優しさ、杉本君との会話からうかがえる後輩へ愛情、等々、平尾に対する杉本君の熱い思いが平尾の姿や表情を生き生きと再現してくれたように思う。平尾は回りの方々から愛され、信頼され、尊敬もされているが、それは平尾がいつも回りの方々に愛情や敬意をもって接し、真摯に行動してきたことの証だろう。

平尾とは接点がなく、OB会報の編集担当だったときに一度だけ電話で話したきりだが、こちらの質問に対する平尾の回答をメモし、後でそれを見たら、メモをつなぐだけで立派な原稿になった。平尾は私がどうまとめたがっているかを理解し、私に配慮し、答えてくれたのだろう。しかし、それを山中先生や杉本君に話したところで、「それが平尾さんですが、どうかされましたか?」と驚きもせず言われるんだろうな。

改めて、合掌。
84才にして三遊亭遊三の落語教室で古典落語を学び始められたKさんが高座に上がられると知り、会場の東海道かわさき宿交流館へと向かった。Kさんは同じ勉強会で親しくお付き合い下さっている大学の先輩だが、溢れんばかりの好奇心と、こうと決めたら迷いのない行動力には頭が下がる。


Kさんの高座はなかなかのもので、先ずはその記憶力に感心した。物語の展開と登場人物の台詞、笑いを取る場面とその仕込みが始まるタイミング、そういうものを全て記憶していないと話にならない。更には、誰の助けも借りず、一人でその時間とお客さんをリードしていくのだから、心の余裕なしにはできない芸当だと思った。

以前、何かの記事で柳家小さん師匠が「落語も人間関係も間が大事。それが分からん奴を間抜けと言う」みたいなことをおっしゃっていたように思うが、それを改めて感じる時間にもなった。間があるから理解が追い付いたり、可笑しさが凝縮されたりするのだろう。

もう一つ、落語には複数の人物が登場するが、声音や向きを変えるというよりは、全く別の人格になれるかどうかが落語には大事な能力なのかなと思った。それができる人は、多分、感情の量が多く、又、その種類も豊富な人のように思う。
オスカー・ワイルドの言葉、「楽観主義者はドーナツを見る。悲観主義者はその穴を見る。」


現実主義者でありたい私は、迷うことなく味を見ました(笑) 美味しかった。健康に感謝。