同級生のA山さん所属のYMCAオラトリオ・ソサエティとカンタータ・ムジカ・Tokyoの合同演奏会が紀尾井ホールで催された。演目は J.S.バッハの「マタイ受難曲」で、イエス・キリストが十字架に架けられるまでの出来事が「マタイによる福音書」に基づいて描かれる78曲から成る大作だ。特に印象深かった曲について書いておこうと思う。



第1曲 合唱

イエスの受難を嘆く娘たち(信仰者の象徴とのこと)の合唱だが、低音を支えるコントラバスの重々しい響きと、児童合唱団の透明で清らかな歌声のコントラストが胸を打った。イエスの受難を嘆きながらも、どこかに希望がうかがえる曲のように思った。


第34曲 レチタティーヴォ

イエスが捕らえられ、イエスと共にいた者の一人が剣を抜いて大祭司の手下に打ちかかり、片方の耳を切り落とす。それを見たイエスが言われる。

「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」

この言葉を世界各国のリーダーに聞いて欲しいと思った。


第42曲、第43曲 レチタティーヴォ

第42曲では大祭司がイエスに「お前は神の子、メシアなのか?」と問う緊迫の場面が描かれるが、最後には群衆(合唱団)が「(イエスを)死刑にすべきだ」と叫び、第43曲ではイエスの顔に唾を吐きかけ、拳で殴りつけた群衆(合唱団)が「メシア、お前を殴ったのは誰か、言い当ててみろ」とまで罵倒する。


第44曲 コラール

そんなひどい群衆を演じた合唱団が、今度はイエスに「私の救い主よ、誰があなたを打ったのか、誰がこんなひどい目に遭わせたのか」と問い掛ける。ひどい仕打ちのできる粗暴な群衆と人の痛みが理解できる優しい群衆・・この落差を見事に演じた合唱団が素晴らしかった。


第47曲 アリア(アルト)

第1オーケストラのコンサートマスター、大西律子さんのヴァイオリンとアルト小川明子さんの歌声が清らかで美しく、とても感動した。


第72曲 コラール

「いつの日か私がこの世に別れを告げるとき、どうか私から離れないでください」という歌詞が自然に心に響く歌声で、とても平和な気持ちになった。


第78曲 合唱

イエスの受難を通して人間の弱さや醜さ、反面、正しくあろうとする良心が描かれた大曲の最後に相応しい終曲で、イエスへの感謝と、それを忘れずに力強く生きようという決意がうかがわれる感動的な曲だった。


A山さん、素晴らしい演奏会でした。ありがとうございました!

40代、50代の男性とランチした。いずれも年長者を敬い、聞き役に徹する礼儀正しいビジネスマンだったから、ついつい私が喋りすぎてしまったが、短い会話の中で、「やっぱり最近の若者は(私からすると彼らは成年ではなく青年)違うなぁ」と感じることがあった。


それは、今の勤務先を「通過点」と捉えていることだ。我々の年代は終身雇用や年功序列を前提に就職先を考えたり、就職先に忠節を尽くしてきたように思うが、彼らは既に転職を経験していたり考えたりしている。「学べることがなくなれば転職を・・」ということらしい。我々の年代とは異なる姿勢だ。


AIはジェネレーション・ギャップを「世代や年齢の違いによって価値観や考え方、文化、行動様式などにズレが生じること」と解説しているが、これだけ大きく世の中が変化したら、価値観が変わるのは当たり前だし、もっと言えば、我々の世代とは異なる考え方をしないと幸せな人生にはならないようにも思う。


私が社会に出たのは47年前だが、三井と住友が同じ銀行になるとは想像もしなかったし、東芝はずっと「サザエさん」のスポンサーをやるものと信じて疑わなかった。こうなると「社訓」も「家訓」も下手に残せなくなるし、可愛い孫たちに望むことがあるとすれば、「健康であれ」と「好奇心を失うな」だろうか。

NHKの朝ドラ「あんぱん」を欠かさず見ているが、このところ、時代背景が戦時下となったため、どうか皆さんご無事でと祈るような気持ちで見ている。


さて、のぶさんや崇のふるさと、御免与町は南国市の後免町をモデルにしているとのこと。その後免町という地名を生かし、南国市が毎年「ハガキでごめんなさい」というコンクールを催しておられるが、なんと第21回を数えたようだ。HPを見たら、次のようなメッセージで応募を呼び掛けておられた。


人には誰にも、言いそびれた「ごめんなさい」があるものです。そんな「ごめんなさい」を、素直な気持ちで、1枚のハガキに託して、私たちの町『ごめん』に送ってください。


はい、その通りで、実は私にも言いそびれた「ごめんなさい」があったので、第3回「ハガキでごめんなさい」コンクールに応募し、運良く入選して南国郵便局局長賞まで頂いた。次の「ごめんなさい」だ。



案外「ごめんなさい」は言い辛い。このコンクールがなければ、未だに言えていなかったように思う。後免町に感謝。