39回目の結婚記念日を迎えた。結婚式は同志社高校のチャペルで挙げ、牧師でもあった高校ラグビー部の顧問、田中先生が司式を務めて下さった。「愛という字は心を受けると書きます。互いに相手の心を受け、愛を育んで下さい」という祝辞を頂いた。

披露宴は京都ホテルで開いた。ラグビー部を中心とする運動部の同級生たちが準備に準備を重ね、讃美歌の合唱、ピアノの弾き語り、コント、そして手品までが飛び出す盛り沢山の芸に笑いと拍手が絶えない賑やかな宴になった。

お仲人は大学ラグビー部の岡先生ご夫妻にお願いしていたが、岡先生も司会のマイクを奪い、「こいつらの学年が弱かった理由が今になって分かりました。お前ら、ラグビーでなはなく、芸の練習ばっかりしとったんやな」と上機嫌だった。


それから39年、岡先生も田中先生も亡くなってしまわれたが、もし目の前に出てこられたら何とおっしゃるかなと考えた。多分、こうだ。「もっと楽しめ。ノーサイドの笛のときに止まっているような選手にだけはなるな!」もちろん「はいっ!」です。
「新小岩」と聞くと、頭と心の一部が反応する。結婚して最初に住んだ町で、三人の娘が生まれ、五人家族になるまでの七年間を過ごした。いろんな懐かしい思い出のある場所だ。その新小岩にある葛飾区の施設で同志社混声合唱団の練習が行われたので、ちょっとドキドキしながら新小岩駅で降りた。

南口にルミエールというアーケード商店街がある。そこを五分ほど行ったところに小さなマンションがあり、そこに住んでいた。元は銭湯があった場所だと聞いたが、雨でも傘は要らないし、いろんなお店はあるし、皆さん庶民的で幼い娘たちに声を掛けて下さるし、とても便利で過ごしやすい町だった。


そのアーケード商店街を歩き始めたが、記憶にあるお煎餅屋さん、カメラ屋さん、バッグ屋さん、靴屋さん、金物屋さん、お肉屋さん、パン屋さん、トンカツ屋さんがなくなっている。魚屋さんとお米屋さんは残っていたが、当時の面影が感じられないほど大きく変わっていた。それを淋しく思ったが、住んでいたのは30年以上も前のことだから、当然と言えば当然だろう。

それでも「変わり過ぎや」という思いで歩いていたが、かく言う私も当時はラグビーの現役選手だったのが、今やバイオリンを背負い、ヘンデル「メサイア」の重い楽譜を持って現れたのだから、もし、ルミエール商店街に目と口があるなら、「ボルさんだって変わり過ぎでしょう」と言われたかも(笑) お互い、これからも変化を続けましょう。
テレビ放送だが、初めてちゃんと観戦した。世界ランキング3位の日本、一方のフランスは6位だから、これは楽勝だと勝手に決め込んで見始めたら、なんと第一クォーターから1~2点ビハインドのままゲームは進み、フランスがミスをしなければ勝ちそうな展開となった。

「あぁ、これは心臓に悪い」とチャンネルを変えてニュースを見ようとしたら菅首相の記者会見が始まるところで、「これはもっと心臓に悪い」とチャンネルを戻したら、フランスのミスから日本が追い付き、逆転する場面をみることができた。菅首相、ありがとうございます(笑)

それからは立って応援し、「コイツ(フランス21番の名選手)を囲め!」、「パスできるのはコイツだけや!」、「迷うな!止まるな!当たれ!」と叫んでしまったから、もし現地で生観戦していたら、私が退場処分になるところだった(笑)

(パラリンピックサポートセンターのHPからお借りしました)

ラグビーとは大きく異なる競技だが、攻守共にボールを持たない選手の動きが極めて重要だと思った。又、ローポインターと呼ばれる重い障害を持った選手がハイポインターと呼ばれる運動量の豊富な相手選手を上手く抑え込めれば、オフェンス時には味方のハイポインターがチャンスを作り易くなるし、ディフェンス時には味方のハイポインターがピンチを救い易くなるから、ローポインターが重要な役割を負っていることも分かった。なかなか奥の深い競技だ。