私達の作業は一見はかどっているように思えた。


 事実、ゴミ袋の数は着実に増えていっていた。




 しかしその反面、私は一瞥の不安を拭い去る事が出来ずにいた。




 「果たしてこのまま順調に終わるのだろうか・・・? 

     まだ “何か” 見落としている事がある気がする・・・」




 この時私達は、静かに忍び寄る 『本当の敵』 にまだ気付いていなかったのだ・・・。






 「少し休憩しよう」



 そう切り出すと私達は一度手を止め、タバコを吸った。





 そして、気付いた時にはもう遅かったのだ・・・。





 “悪魔” は・・・


 巧妙かつ大胆に私達に近づき・・・


 甘い香りを放ちながら・・・




 ・・・・・ 私達を飲み込んだ ・・・・・






 私達の手にはコントローラーが握られていた。


 テレビの画面には 「ウイニングイレブン」 が映し出されていた。




 な・・・なにぃいい!!?



 ・・・い、いつの間に!?




 「誘惑」 という名の悪魔が、私達に 「ウイイレ」 という禁断の果実を口にさせた。





 もう戻ることは出来ないだろう・・・・。



 私は覚悟を決めた。


 誰を責めることも出来ない・・・。


 責めるべきは自分の弱い心だ。



 掃除はまたいつだって出来る・・・。


 今は・・・、今はただ、「ウイイレ」 を楽しもう・・・!



 私の心が、掃除からウイイレに移り変わろうとしたその時だった。






   「 1時間だ 」




 ・・・っ!!



 まだ、この状況でもまだ、まだ彼は諦めないのか・・・!!



 ラツィオ・・・お前はまだ諦めないのかっ!!?





 『 熱いストーヴの上に1分間 手を乗せてみてください、それは1時間くらいに感じられるでしょう。

 かわいい女の子と1時間 座ってみてください、それは1分くらいにしか感じられないでしょう。

 それが相対性理論です。 』




 アインシュタインの言葉が思い出された。





 私達は1時間後にウイイレを止めた。



 いや、もしかしたら本当は1分間だったのかもしれない・・・。




 そしてまた掃除を始めた。




 いつの間にか部屋はキレイになっていた。





 孔子は言う・・・



 『 どれだけゆっくり進もうと問題ではない、 あなたが立ち止まらない限りは・・・ 』








 私達の作業は、始めから困難を極めた。



 まずはじめに私達の前に立ちはだかったのは、やはり 「自然」 であった。



 『 ホコリ 』



 空気中のチリやクズ、毛髪やダニなどが集まって溜まったものである。


 それが私達2人の前に悠然とその姿を現したのだ。




 私は愕然とした。



 ・・・くそ!  やはり無理なのか!?


 やはりこの挑戦はあまりにも無謀だったのか・・・!!?




 なかば諦めかけたその時、ラツィオがまたも画期的なアイデアを出す。




   「 掃除機だ 」




 私は驚いた。



 この若干28歳の若者の発想力に無限の可能性を感じたのだ。




 彼がここで用いたのは、モーペルトゥイの 『最小作用の原理』 だった。 

 その意味で言えば、「掃除機」 という選択肢はこれ以上に無い最良の選択と言えよう。



 何よりも恐ろしいのは、彼がその事を 「理論」 ではなく 「本能」 で理解していることであった。




   ・・・・ 天才 ・・・・




 従来の考えに支配されない自由な発想・・・そして機転!!



 私は震える手を押さえつつ、この先、物理学会に大きな衝撃を与えるであろうこの “怪物” の誕生に、興奮と少しの嫉妬を覚えながら作業を進めた・・・。






         つづく



  
 世の中には、「理論上では可能だが、実現するのは不可能だ」 というような事が結構ある。


 例えば、タイムマシーンとか、光速宇宙船とか。





 そして、「私の部屋の片付け」 もそんな夢物語の一つと言えるだろう。



 これは、そんな夢物語に挑んだ男達の闘いの物語である。。。






 ある日、友人のラツィオ(仮)が私に言った。


 「バップの部屋を片付けよう!」


 私は、彼の言葉に耳を疑った。


 バカな! そんな事が出来るものかっ!!

 一体、何年・・・いや、何十年かかると思ってるんだ!?


 いやいや、いくら時間をかけたところで実現できるような問題じゃない!!



 そんな 「雲を掴むような話」 が本当に可能だと思うのか?

 それは 「机上の空論」 にすぎない!!




 そう誰もが考える程、当時の私の部屋は汚く、部屋の容積とそこに収めるべき物質の体積の割合のバランスが全く取れていない状況であった。




 しかし、そこでラツィオの出した提案は驚くべきものであった。




   「 物を捨てる 」



 これは、当時の学者達の誰もが考え付かないような大胆な作戦であった。


 この作戦を簡単に説明するのであれば、


 まず、現在、物で埋まっているこの部屋の元々の収納スペース(e)(押入れ) に、現在収められている物質(i) を、 「ゴミ」 として処理する。


 そして、その空間をもう一度フリースペースとする。


 それによって生み出されたフリースペースに現在私の部屋を占拠している有り余る物質を収めることによって、私の部屋のスペースを (0) にする。


 という、オイラーの公式  『 e^iπ+1=0 』  を使った斬新な考えであった。




 「イケるかもしれない・・・!」



 そう思った私は、彼と共に私の部屋を片付ける決心をした。




 2009年、4月の終わりの事であった・・・。





             つづく



 
 最近、ちょっと読書熱が上がってきている。


 そこで古本屋へ行った。


 いつもはほとんどマンガしか買わないが、今日はマンガ無しの方向で行くことにする。


 特に読みたい本があるワケでも、好きな作家がいるワケでもない僕は、100円コーナーで良さそうなのを物色。


 僕は基本的に小説は読まなくてエッセイが好きなので、それっぽいのを5冊選んだ。




 『ああ、恥ずかし』  阿川佐和子ほか

 (女性著名人70人の恥ずかし体験談。  目次を見てみると本当に著名人ばかり。 なんと! あのベルバラの作者 池田理代子まで!)


 『美女と野球』  リリー・フランキー

 (たぶん普通に面白いと思って)


 『おやじの値段』  日本エッセイストクラブ編

 ('87年版ベストエッセイ集。 80年代後半のエッセイとか一番好きだなぁ。 時代の空気が伝わって。)


 『生きるヒント』  五木寛之

 (最近、生きることに行き詰っているので・・・)


 『孤独を生ききる』  瀬戸内寂聴

 (最近、ホント、生きることに行き詰っているので・・・)




 ・・・さあ、こんなモンでいいか。と、レジに行こうとした僕の目に一冊の本が飛び込んできた。


 100円コーナーに並んだその一冊の本の背表紙には、本当に小さく 「サイン本」 と書かれたシールが貼ってあった。



 なぁぁにぃぃーーー!!?



 誰の!? 誰のっ!!?



 「サイン本」 なんて、著者によってはもしかしたらネットで4000円くらいになるのでは!?  それが100円!?  買いだ!   “誰だろうと買い” でもイイくらいなんじゃねーのかっ!?



 僕は興奮を抑えつつ、その本を手に取り、表紙を開いた。


 確かにそこには 「直筆間違いなし」 のサインが流暢に書かれていた。



 そして僕は著者を確認した。





 『  京子・スペクター  』





 ・・・そう、デーブの嫁さんだ。




 うぅ~~~~~~~~~~~むぅぅ~~~~~~・・・・・・・




 さっきはああ言ったが、正直・・・  悩む。


 『京子・スペクターのアメリカ日記』 ? 

 京子・スペクターってファンとかいるの?

 そもそも京子・スペクターって何なの? 

 “ファン” になったりする対象なの?


 僕の無知ゆえ “京子・スペクター” なる人物が全くもって測れない。



 どうしよう・・・。


 もはや間違いなく 「ネットで4000円」 の夢は無くなったので、とりあえず僕は中身を少し覗いてみた。  面白そうなら自分用に普通に買おうと。





 ・・・うぅ~~~~~むぅぅ~~~~~・・・・







   やめた。





 家に帰り、ネットオークションで調べてみる。


 一冊だけ出品されていた。


 800円。  残り3日  入札0  サイン本ではない。



 まだ分からない・・・。



 結果次第では僕は古本屋へ走ることになるであろう。。。





 
  
 

 

 オーストラリア人の胸板がとても厚いので、ユニフォームがワンサイズ小さいのではないか? という疑問を持った。



 現に、どの選手を見ても胸と腕がピッチピチになっており、日本の選手と比べるとその差は歴然だ。


 これでは競り合いの時などにユニフォームを掴まれたら破れてしまうのではないか? また場合によっては首が絞まってしまうのでは? いや、もしかすると掴まれるのを防ぐ為にわざとピチピチにしているのではないか? 


 などと考えを巡らしていると、オーストラリアがロングスローをした。


 私はその光景を見て気が付いた。



 そうだ、ラグビーだ。



 オーストラリア選手は皆 「ラガーマン」 のような体躯をしているのだ。



 そういえば、オーストラリアはラグビーが盛んだったような記憶がある。



 そこで私は少し調べてみることにした。





 ・・・・




 やはりオーストラリアは、ラグビーW杯で唯一2回優勝している程の強豪であった。


 オーストラリアにおいてラグビーはサッカーよりも人気のスポーツのようだ。

 これはあくまで推測だが、小学校の体育でもやる程であろう。



 という事は、当然サッカー代表の彼らも幼い頃からラグビーをやっており、サッカー代表になる程だから身体能力も高く、


 「なあ、ケーヒル、お前本当にサッカーに行っちゃうのかよ?  もったいないよ。  俺らと一緒にいつかエリスカップ(ラグビーのW杯優勝トロフィー) を取ろうぜ!!」


 
 「・・・ごめん。  オレ、どっちかと言うと “手” より “足” を使いたいんだ・・・ だから、ごめん・・・」


 「ケーヒル・・・・。    シュワルツァーお前もなのか?」



 「いや、俺はキーパーだからアレなんだけど・・・。  その、俺、あんま筋肉が無いから・・・ラグビーはちょっと・・・」


 「シュワルツァー・・・・」 




 みたいな事があったとか無かったとか無かったとか・・・。




 少し話がズレてしまったが、オーストラリア人の筋肉質が目に付いた試合だった。


 目に付き過ぎてあまり試合に集中できない試合だった。