ちょうど正午
どんなに眠くても起きるようにしている。
昨夜のうちにデスクチェアに引っ掛けておいたモモヒキと長袖のヒートテック、セーター、アディダスの裏起毛ジャージを纏ったら無印のチョッキを来て更にシャカシャカのパーカーで寒さから完全防備。
お湯を沸かしながら歯を磨いて、台所横にある70センチ×70センチの窓を開放すると秋晴れが広がり、麓には市が定めた生産緑地があり、一人の老人が楽しそうにそれらの世話をしている。
そこが紅葉し始めているのを楽しみながら珈琲を一杯頂くのが、朝のルーティングという訳だ。
この時間に、図書館から借りて来た本を50ページだけ読む。読んでいるうちに思いついたことを、極太横罫のキャンパスノートに書き込む。
思いついたこと以外に、昨日の店の売り上げだったり、どういう気持ちで店を営業したかなど、色々書き込んでゆく。
でも、書いたら書かなかったりが多くて、このキャンパスノートを一冊書くのに約3年間かかった。というよりも、あちこちに書く性格なのだから、まとめると膨大なんだろうけど、このノートにはコレだけだ。
なるべくこのノートだけに絞ろうかと思うんだけどね。
このブログも書いたり書かなかったりなんだけど、書くってことは、その他に何か読んでいて、心が落ち着いているってコトだ。
このブログは、常に誰かに見られていることを意識して書いているんだけど、昔から「誰かに見られていることを意識」して書いているので、その癖が抜けなくて、自分一人だけしか見なく、そっと机の引き出しの鍵の付いた所に伏せておく日記…と言うものが書けない。
俺の中での日記は誰かに見てもらうための日記だ。
誰かへの手紙だ。
若い頃は、気が付かなかったけど、自分への手紙として書いていたのかもしれない。
なんか矢沢永吉みたいでかっくいいね。
今は、きっと父と母に向けて書いているんだろう。
東京は紅葉しているよ。
お昼は17度の気温だったよ。
息子はこんなに大きくなったよ。
息子はこんな事が出来るようになったよ。
仕事は厳しくも家族が食べられているよ。
冬は暖かい東京に遊びに来ないかい?
俺も、あと3ヶ月で46歳になるんだよ。46歳って、こんなに大変だし、こんなに楽しいんだね。
この文書いていて思い出したんだけど、昨日、店の開店前にギターを弾きながら、さだまさしさんの「案山子」を弾き語っていた。
あれいい曲だね。