NHKスペシャルの「2030 未来への分岐点」は2021年の1月からスタートした新シリーズで、当時のNHK・SDGsキャンペーンと連動した企画番組である。
シリーズタイトルには、現在の大量消費社会の問題は2030年に限界に達するが、我々はそれまでに持続可能な社会を選択できるだろうか、というメッセージが込められている。
第1回~第3回が2021年1月から2月に放送され、第4回~第5回が2021年6月から7月に放送された。
第1回~第3回はそれぞれ、SDGsと関連が深い地球温暖化、食糧不足、プラスチック汚染の問題を取り上げている。
先週、再放送があったのでNHKプラスで配信中である。
▼2030 未来への分岐点 第1回「暴走する温暖化 “脱炭素”への挑戦」
▼2030 未来への分岐点 第2回「飽食の悪夢~水・食料クライシス~」
▼2030 未来への分岐点 第3回「プラスチック汚染の脅威 大量消費社会の限界」
過去にブログ記事で紹介していた番組なので見直したのだが、なんと過去の記事が第1回と第2回しかなかったために、今回、第3回の記事を追加した次第である。
▼第1回の過去の記事
▼第2回の過去の記事
ちなみに、第4回と第5回の内容はそれぞれゲノムテクノロジーとAI兵器を取り上げており、こちらはテクノロジー問題関連という括りのようである。
▼2030 未来への分岐点 第4回「“神の領域”への挑戦~ゲノムテクノロジーの光と影~」
▼2030 未来への分岐点 第5回「AI戦争 果てなき恐怖」
以下、本題
ということで、ここからが本題の第3回についての記事である。
▼2030 未来への分岐点 第3回「プラスチック汚染の脅威 大量消費社会の限界」
今回のテーマはプラスチックゴミによる環境汚染である。
まずは内容の概略を見ていこう。
プラスチックゴミの流出問題
番組はまず、海鳥がプラスチックを吐き出す映像で始まり、死んだ雛からは体重の一割を超えるプラスチックが見つかったという解説が入る。
まずは、インパクトのある映像を持ってきたように見えた。
しかし、大抵の人は海水浴に行って砂浜にプラスチックゴミが幾つもあっても驚かないことだろう。
この現状を思うと、過剰な演出的意図による作りである気はしなかった。
番組ではこの後、マレーシアで多発したプラスチックリサイクル工場の火災を取り上げる。
このマレーシアのプラスチックリサイクル工場は先進国から持ち込まれたプラスチックゴミをリサイクルしているが、安上がりに処理するためにリサイクル業者自身が放火しているの疑いがあるという。
この火災による大気汚染によって住民の呼吸器系疾患が増加したため工場に抗議活動起こり、放火は減ったが山奥に不法投棄されるようになった。
そして2021年1月に国際条約で、相手国の同意のないプラスチックゴミの輸出が禁止された。
現状のプラスチックゴミのリサイクル率は9%で、焼却が12%であるという。
残りは埋め立てや投棄で、その一割の3000万トンが海に流出しているという。
海に流出したプラスチックゴミは海流によって世界中に拡散していく。
対馬の地元NPOの人はインタビューでこう話していた。
対馬には韓国や中国のゴミが流れ着いて、日本のゴミはハワイなどの太平洋上に流れ着いている。誰もが被害者であり、誰もが加害者である問題。
マイクロプラスチック問題
次に、環境中に流れ出たプラスチックの生物への影響の話になる。
まず、5mm以下に砕けたマイクロプラスチックが取り上げられる。
魚や鳥などが誤って食べると成長を阻害し、生態系に悪影響を及ぼす。
また、マイクロプラスチックそのものは人体に害がなくても、プラスチックに含まれる添加剤には有害なものがある。
生態系では食物連鎖によって生物濃縮されるので、食物連鎖の上位にある人間への影響は当然の如く考えられる。
プラスチックに含まれる有害な添加物の一つである難燃剤は、2010年から国際条約で段階的に使用禁止となった。
別の添加物の紫外線吸収剤にも同様の議論が始められている。
番組で紹介している論文の試算では、このままだと2030年には海洋のプラスチックゴミは今の三倍の9000万トンになるという。
近年では更に0.001mm以下のナノプラスチックの人体への影響が懸念されている。
番組では、ナノプラスチックが胎盤組織に取り込まれるという研究結果、大気中に漂っていて 高山の樹氷から既に検出されているという調査結果が紹介されたが、人体への影響はまだわかっていない。
プラスチックゴミ問題への取り組み
後半は、それではできることは何かという話になる。
まず取り上げられたのは、バリ島では住民運動によって使い捨てプラスチック使用禁止の法律ができたという事例であった。
そして、環境への配慮の高まりについて、番組で紹介された11ヵ国6000人を対象とした調査では、環境に配慮した商品を5年前よりも多く買うようになったという人は72%であったという。
環境への配慮の高まりに対する企業側の対応として紹介されたのは、プラスチックの主要製品の一つである繊維製品についてファッション業界ではリサイクルが進んでいるという話、花王とライオンが共同して詰め替え容器のリサイクル事業を始めたという事例、ゴミという概念をなくすという使い捨てをしない物流システムへのベンチャー企業の挑戦である。
さて、最後のまとめで取り上げられた論文の内容はこうであった。
環境中に流出するプラスチックは現状維持をした場合、2020年の約4000万トンが2040年には約8000万トンになる。
可能な限りリサイクルすると2040年で-45%となり、約8000万トンの大体半分であるから現状維持の水準。
そして更に、以下を行えば2040年で-78%となり、2020年の約4000万トンから半分近くの2000万トン程度になる。
一人一人がマイボトルやマイバッグで使い捨てプラスチックを減らす。
世界中で適切なゴミ処理と回収を徹底し、川や海への流出を防ぐ。
地球の資源を循環させる社会システムを作ること。
こうした変化を積み重ねれば未来は変えられると言う。
番組の前半に提示された、2030年には海洋のプラスチックゴミは今の三倍の9000万トンになるという試算とは乖離があるが、ここでは気にしないことにしよう。
ということで、プラスチックゴミが世界的な問題なのはわかった。
現状がかなり危機的なのもわかった。
人体への影響が見過ごせないのもわかった。
一人一人の行動が使い捨てプラスチックを減らす行動が大切なのもわかった。
だから、自分も環境への配慮意識を持って、できることはやっていこうと思う。
こうは思ったが、こういうオチでいいんだろうか?
本当に見直さなくてはいけないのは何だろうか?
番組の制作意図からすれば、プラスチックゴミ問題の現状を知って、環境への配慮意識を持って、できることはやっていこうと思う人が増えれば、それなりに意味のある番組であったということにはなるのだと思うが、どうも釈然としない。
ということなので、以下ではこの釈然としない理由について考えていきたい。
問題の深刻さについて
まず、このプラスチックゴミ問題の特徴として、地球の気候変動のように自然の循環サイクルはない人為的問題であり、環境に残り続け、生態系と人体に悪影響を及ぼし続けるという点が挙げられる。
こうした特徴を持つプラスチックゴミ問題の影響は深刻で危機的状況にあるという内容に対して、2030年までにできそうなことの内容が陳腐すぎる。
問題が深刻だという一方で、どういう解決があり得るのかということとのバランスが全然取れていないように思われるのである。
社会全体での合意形成について
そもそもこの番組は大量消費社会によるプラスチック汚染を問題にしているのであって、この問題の解決には現状の社会の在り方を変えていく必要があって、その為には社会全体での合意形成が必要だという識者のインタビューも取り上げてはいるが、そのために何が必要かは提示されない。
大気汚染のように二酸化炭素の排出を減らせばいずれ自然の循環による回復が期待できるということはなく、どうしようもないものが今後も積上がっていくのに、一方ではリサイクルには限界があり根本的には社会全体での合意形成を待ちましょうと言っているように見える。
2030年までになんとかしなければならないと言うのであれば、このこと自体がそもそもおかしすぎる状況であることがもっと強調されるべきであろう。
日本の企業の対応について
とは言え、兎にも角にも目の前に問題はあるので、勿論、出来ることにも目を向けよう。
番組で取り上げられていた企業に限らず、リサイクルは進められているのだとは思う。
しかし、問題の深刻さに対してやはりアンバランスを感じる。
これが日本の企業の本気度なのだろうかと思うからである。
問題の深刻さに対して日本の企業の取り組みの真剣さにアンバランスを感じるのである。
日本の企業は本当にこの問題に真剣に取り組んでいるのか?
そうでないならば、これは何の問題だ?
という疑問が残った。
個人の対応について
そして個人についてである。
まず、リサイクルでは足りないというのは良い指摘であるように思う。
リサイクルしているからいいよね、というのは大衆の幻想にすぎないからである。
リサイクルにはコストがかかるし限度もあるのだから、そもそもの消費量を減らすという考えは常に必要である。
一人一人が使い捨てプラスチックの量を減らしましょうということに異論はないが、これを言うだけでは足りないだろう。
それでは、問題の深刻さについて知れば足りるのか、汚染の脅威を知れば足りるのか、自分自身もこの問題に加担していることを痛感すれば足りるのか。
足りると信じたくはあるが、自分の実感としてはまだ足りない気がしてしまう。
何故だろう、と考えてみた結果はこうであった。
海水浴に行って砂浜にプラスチックゴミが幾つもあっても驚かない自分の感性が鈍らすぎる!
実におかしい事だと憤慨しなければおかしいだろう!
自分の感性が鈍らなのは自己責任だという責めは甘んじて受けたいと思うが、これを大量消費社会に言われたくはないとも思う。
本当に見直さなくてはいけないのは何だろうか?
ここまで書いても、まだ釈然としないものが残っていたので、番組をもう一度見直してみた。
番組の最後で、現在の環境の問題を憂いながら街を歩く若者が、心の中でこう呟く。
わたしたちは未来の人たちに誇れる生き方ができるだろうか?
この言葉を聞いたところで、自分の違和感の核心にあるものがやっとわかった。
そうじゃぁないだろう!
未来の人たちに誇れる生き方の答えが、環境問題を解決していく選択をしていくということならば陳腐すぎるだろう。
我々は環境問題を解決するために生きているのか?
そうじゃぁないだろう!
環境問題が起こったから、じゃぁ自然保護について考えましょうということなのか?
そうじゃぁないだろう!
環境問題がなかったら、自然を守っていくことを考えなくていいのか?
そうじゃぁないだろう!
自然と文化をどう守って何を残していくかを常日頃から考えて実践していなければ、未来の人たちに生き方を誇ることなど、どうしてできようかと思う。
この日常の在り方と問題が起こったから考えましょうという時の温度差は何だ!
なぜ我々は、今こういう生活をしているのか、そして、これからどういう生活がしたいのか、そもそもこのことをよく考えるべきではないのか。
大量消費社会に限界が来るということは以前から言われていたのに、我々は未だに大量消費しない社会について、共有されたビジョンを持っていない。
これを実におかしいことだと思わないなんておかしいだろう!
本当に見直さなくてはいけないのは、この我々自身のおかしさだろう。
だから、「未来の人たちに誇れる生き方」なんて言い方をしてはいけないのだと思う。
できるのは、ただ淡々と自分たちがしてしまったことの後始末をしながら、これ以上は悪化しないようしていくことだけだろう。
だから、自分も環境への配慮意識を持って、できることはやっていこうと思う。
こういうオチになったが、これでいいんだと思う。