保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書2018/第2部・第二課 女神と鬼神の神話、その行方(3) | 日々是本日

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 保立さんの「現代語訳 老子」を少しずつ読んでいる。

 

※本の概略についてはこちらを参照

 

■第2部 星空と神話と「士」の実践哲学

   第二課 女神と鬼神の神話、その行方

 

 さて、第二課もいよいよ最後の話である。


 取り上げられるのは原典40章と42章である。

【現代語訳】
戻ってくるのが「道」の動き方であり、柔弱なのが「道」の用(はたら)き方である。天下の万物は「有」が形をとって生まれるが、その「有」は無」から生ずる。

【書き下し文】

反は道の動、弱は道の用(はたらき)なり。天下万物は有より生じ、有は無より生ず。

 

※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p220

【現代語訳】
道から原初の「一」なる「有」が生し、一は二になり、二が三になって万物が形をとる。万物は、日陰(「陰」)を背中に負い、日向(「陽」)を胸に抱いて立ち、重荷を負い暖かさを胸に抱いて、活発に動く気配によって声を和(あわ)せている。

【書き下し文】

道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。物は陰を負いて陽を抱き、沖気(ちゅうき)もって和を為す。

 

※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p220

 この陰陽の概念は「老子」ではここにしか書かれていないという。

 

 また、 「天下万物は有より生じ、有は無より生ず。」は老子の「無の思想」を述べたほぼ唯一の箇所であるという。

 

 そして、我々はどうあるかというと「一なる矛盾を胸に抱く」のである。

 

 取り上げられるのは、原典22章である。

 

 長いが全文引用する。

【現代語訳】
曲っている木は切られない。屈(かが)まれば前に伸びる力がたまる。窪みには水が盈(み)ちてくるし、古くなれば新しくなるものだ。少なければ増えていくし、多いのは迷いのもととなる。有道の士は、この矛盾を、そのまま「一」として胸に抱いて、世の中の牧師となる。自分の見解だけで見ないから明るく、自分の判断だけを是としないから彰(あきら)かである。また自分の戦術だけで闘わないから功を達成し、自分を過信しないから長けている。こうして争わないと悟れば、世界は争いではない姿をみせる。古い診には「曲なれば則ち全し」とある。これは嘘ではない。私たちは曲がっているからこそ、真当なエネルギーを得て世界に戻るのだ。

【書き下し文】

曲(きょく)なれば即ち全(まった)く、枉(かが)まれば即ち直し、窪(くぼ)めば即ち盈(み)たし、敝(やぶ)るれば即ち新たなり。少なければ即ち得、多なれば即ち惑う。ここを以て聖人は一を抱きて、天下の牧と為る。自見(じけん)せざる故に明、自是(じぜ)せざる故に彰(しょう)。自伐(じばつ)せざる故に功有り、自矜(じきん)せざる故に長し。夫れ唯だ争わず、故に天下能くこれと争う莫(な)し。古えの謂うところ、曲なれば即ち全しとは、豈(あ)に虚言ならんや。誠に全くして之に帰す。

 

※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p211-212

 保立さんはこの章の要諦を「その人の抱えている矛盾の全てを認めようという考え方」(p227)であるとしている。

 

 物事をよく見てありのままを理解するとはこういうことだと思う。

 

 私はここが一番好きかもしれない。

 

 もう一度、味読して終わりたい。

 

 

▼保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書2018

 

現代語訳 老子 (ちくま新書)

 

【目次】
序 老子と『老子』について
第1部 「運・鈍・根」で生きる

 第一課 じょうぶな頭とかしこい体になるために
 第二課 「善」と「信」の哲学
 第三課 女と男が身体を知り、身体を守る
 第四課 老年と人生の諦観
第2部 星空と神話と「士」の実践哲学

 第一課 宇宙の生成と「道」
 第二課 女神と鬼神の神話、その行方
 第三課 「士」の矜持と道と徳の哲学
 第四課 「士」と民衆、その周辺
第3部 王と平和と世直しと

 第一課 王権を補佐する
 第二課 「世直し」の思想
 第三課 平和主義と「やむを得ざる」戦争
 第四課 帝国と連邦制の理想