保立さんの「現代語訳 老子」を少しずつ読んでいる。
※本の概略についてはこちらを参照
■第2部 星空と神話と「士」の実践哲学
第一課 宇宙の生成と「道」
いよいよ第2部である。
神話と実践哲学である。
この取り合わせにまず驚きがある。
第2部の第一課は「宇宙の生成と道」である。
まず取り上げられるのは、宇宙を述べていると思われる原典25章である。
【現代語訳】
物が混沌とした渦のように天地より先に生じていた。周囲はまったくの寂寥である。独立して他に依存せず、ゆったりと周って危なげがない。それは天地を生む巨大な母のようである。私は、この原初の混沌たる物を正しく名づけることはできないので「道(みち)」と呼ことにする。強いて名をあたえれば「大(無限)」であろうか。この「大」が筮(きざし・兆)によって軌道を描きはじめ、遠くまで逝き、遠くから反ってくる。つまり「道」は「大(無限)」であり、それが描き出した天も無限大であり、地も無限大であって、それを一望の下にする王も、やはり無限大である。私たちの棲むこの宙域は、この四つの無限大からなっており、王はその一極を占めるのである。人はみな王であるから地を法とし、地は天を法とし、天は道を法とする。そして道は自然の運命の法である。
【書き下し文】
物有り混成し、天地に先だちて生ず。寂たり寥たり、独立して依らず、周行して殆(あやう)からず。以って天下の母たるべし。吾れ其の名を知らざるも、之に字(あざな)して道と曰う。強(あなが)ちに名を付さば大と曰うべきか。大はここに筮(きざ)し、逝きてここに遠く、遠くしてここに反(かえ)る。故に道は大、天も大、地も大、王も亦た大。域中に四大有りて、王、その一に居る。人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。
※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p157-158
保立さんはこれを宇宙論だとして、回る星雲から星が生まれるというラプラスの星雲説との共通性を指摘している。
この時代に宇宙そのものに運動を見るというのは驚き以外の何物でもない。
次に「原初の混沌」に名がないという点に注目している。
名を付けて知ったとする在り方をよしとしない老子としてはもっともである。
そして「四つの無限大」とは「人・地・天・道」であり、「王」というのは人の代表としての意味であるという。
この王の意味として保立さんは、老子の考えでは人は「万物の王」ではなくその一部に過ぎないはずであるという点を指摘している。
書き下し文の「王も亦た大」は、「それを一望の下にする王も、やはり無限大である」と訳されているがこれについての説明はなかった。
個人的にはこの四大の一つとしての王は、「認識」であると読んだ。
現代の量子力学では量子の状態は測定されないと定まらないと言われている。
老子が、「認識が世界を世界たらしめている」と考えていたということはあり得ないだろうか?
そして話は「和光同塵」の世界へと進んでいくので、以降は次の記事とする。
▼保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書2018
【目次】
序 老子と『老子』について
第1部 「運・鈍・根」で生きる第一課 じょうぶな頭とかしこい体になるために
第二課 「善」と「信」の哲学
第三課 女と男が身体を知り、身体を守る
第四課 老年と人生の諦観
第2部 星空と神話と「士」の実践哲学第一課 宇宙の生成と「道」
第二課 女神と鬼神の神話、その行方
第三課 「士」の矜持と道と徳の哲学
第四課 「士」と民衆、その周辺
第3部 王と平和と世直しと第一課 王権を補佐する
第二課 「世直し」の思想
第三課 平和主義と「やむを得ざる」戦争
第四課 帝国と連邦制の理想