藤沢周平「隠し剣 秋風抄」(新装版)文春文庫2004 | 日々是本日

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 木村拓哉主演映画「武士の一分」のテレビ放映を観てから、山田洋次監督による「時代劇三部作」の記事と原作である藤沢周平の隠し剣シリーズ「隠し剣 孤影抄」の記事まで書いてきた。

▼これまでの記事
映画「たそがれ清兵衛」

 今回は引き続き「隠し剣 孤影抄」の姉妹篇「隠し剣 秋風抄」の記事である。
 この隠し剣シリーズ全般の感想については前回の記事も参照されたい。

 

新装版 隠し剣秋風抄 (文春文庫)

    ※単行本は1981年出版

 

 前回の「隠し剣 孤影抄」の記事にも書いた通り、どの作品にも共通しているのは、主人公は下級藩士で一癖あるために周囲から軽んじられているが隠し剣を使うということである。

 

 そしてどの作品にも隠し剣は出てくるが、剣は添え物の印象ですらある。

 作品の核心は常に主人公の生き様であるが、この「隠し剣 秋風抄」では特にクセがスゴい男達の悲哀を描いた物語集となっている。

 

 所収作品と初出および主人公の特徴は下記の通りである。

酒乱剣石割り (「オール讀物」1978年7月) ※酒乱
汚名剣双燕 (「オール讀物」1978年9月) ※他人の妻を想い続ける男
女難剣雷切り (「オール讀物」1978年12月) ※醜男
陽狂剣かげろう (「オール讀物」1979年3月) ※嫁を奪われた男
偏屈剣蟇(ひき)ノ舌 (「オール讀物」1979年6月) ※偏屈者
好色剣流水 (「オール讀物」1979年9月) ※嫁に逃げられた男
暗黒剣千鳥 (「オール讀物」1979年12月) ※部屋住み
孤立剣残月 (「オール讀物」1980年3月) ※浮気者
盲目剣谺(こだま)返し (「オール讀物」1980年7月) ※盲目

 

 以下、各編短評へ進む。

 

 

---以下、ネタバレ注意!---



「酒乱剣石割り」 ※酒乱

 話の作りはドラマチック過ぎるように思われたが、酒飲みの生態の描き方が上手い。

 懐具合の厳しい酒乱の主人公・甚六の描写はこうである。

「すでに甚六の耳は、小路の奥の女たちの嬌声をとらえ、鼻はほどよく燗のついた酒の香を嗅ぎとっている。そこまで十歩の距離だった。酒を欲しがって、腸が焼ける。

 だが懐中一文なしでは、わずか十歩といえども、百里の道に異ならない。」

 

※藤沢周平「隠し剣 秋風抄」文春文庫p20 より引用

 酒乱の時の描写はこうである。

「笑わずにいられない幸せな酔いが頂点に達するころ、突然に怒りとも悲しみともつかないものがやってくる気配を感じることがある。なぜとも、またどこからくるともわからないが、そいつは命をゆるがす勢いでやってくる。その始末がどうなったかを、甚六はいまだかつて見とどけたことがないのである。」

 

※藤沢周平「隠し剣 秋風抄」文春文庫p21-22 より引用

 そして、快い酔いとともに甚六は秘剣石割りで相手を斬った。

「汚名剣双燕」 ※他人の妻を想い続ける男

 主人公の康之助と、同じ道場の三羽烏と言われた伝八郎、光弥は由利という美貌の少女を好きになる。

 その後、由利は伝八郎と結婚するが、伝八郎は出奔する事態となる。

 伝八郎は出奔する際に康之助と鉢合わせするが、由利の姿が浮かび康之助は伝八郎を斬れなかった。

 ここに康之助の汚名が生まれる。

 その三年後に、康之助は由利と光弥の不倫を知る。
 更に二年後に、康之助は役目で光弥を討つことになる。

 康之助は秘剣双燕で光弥を斬り汚名が晴れたのを感じる。

 因果の種は若かりし日の恋に始まり、汚名が生まれさらにそれを果たすのに数年を要している。

 叶わなかった思いの因果の中を生きざるを得なかった男の人生を長々と描いている訳である。

 秘剣を使い生き残ったのは悪い結末ではないが、苦い話だ。

「女難剣雷切り」 ※醜男

 主人公の惣六は醜男で、最初の妻は死別しその後の二人の妻には逃げられている。

 かつての道場の先輩である服部に紹介されて四人目の妻を迎えるえるが、実はその妻は服部の妾であった。

 惣六は服部を討つ。

 そして、不義により咎めはなく、惣六の屋敷には若い女中が残ったという結末である。

 若い女中と一緒になるオチでは出来すぎではあるが、かと言って若い女中と今後どうなるのだろうかと思わせるところで終わる結末も中途半端な感じが残った。

「陽狂剣かげろう」 ※嫁を奪われた男

 主人公の半之丞は、半年後に祝言を上げるはずだった婚約者・乙江を若殿に差し出せと言われる。
 仕方なく承諾し、乙江を納得させるために気が触れた振りをする。

 乙江が流産をした後、そのまま病死したという知らせをきいて半之丞は城中で刃傷沙汰を起こし斬られる。

 主人公の心理描写は冴えていたが、カタルシスが無かった。


「偏屈剣蟇(ひき)ノ舌」 ※偏屈者
 主人公は城中で偏屈者と言われる庄蔵である。

 そもそも偏屈者の心の動きに共感するということに難がある訳だが、敢えて書いたのは作者のチャレンジだろうか。
 偏屈者と見える者の言動にもその人なりの理はあるということは伝わってきたが、やはり、偏屈者の心の動きに共感しながら読み進めるのは難しかった。


「好色剣流水」 ※好色男
 己の好色を自覚している主人公・助十郎。

 想いを寄せる人妻の描写は冴えている。

「卑しくないほどに、しかしよく稔っている臀(しり)。小さく蹴る裾から、わずかにこぼれる白い足首。やわらかい撫で肩は、その陰に隠されている豊かな胸を思わせる。助十郎はそのうしろ姿を、息を殺して見つめながら歩いて行く。」

 

※藤沢周平「隠し剣 秋風抄」文春文庫p214 より引用

 己の好色を抑えることのできなかった男の末路はやはり良くない。
 斬られても潔くはあった結末に、幾ばくかの救いがあったか。
 主人公の心理描写に重きがある作品ではあった。

「暗黒剣千鳥」 ※部屋住み
 主人公は武家の三男・修助である。

 武家では家督を継ぐまでは「部屋住み」と呼ばれる。

 長男が家督を継いで安泰であれば、次男、三男は婿に行くか部屋住みのままかのどちらかである。

 部屋済みのままであれば、「実家に寄食する厄介叔父」(p254)とならざるを得ない。

 この事情が良く説明されている作品である。

 修助は婿の口を得るが、共に終生秘密を抱えていくことにもなる。
 部屋住みから抜けるというのは良いことばかりではない。
 所帯を持つことと勤めの上での秘密を担うことを掛けているように読んだ。
 嫁が救いになるというところで結末としたのは上手いが、秘密を担った方に重さが置かれていた分、カタルシスは少なかった。

「孤立剣残月」 ※浮気者

 主人公の七兵衛は、以前、上意討ちで功をあげたが、その後は落ちぶれて女遊びが露見する。

 夫婦仲は険悪なまま、七兵衛はかつて上意討ちで斬った男の弟と果し合いをしなければならなくなる。

 七兵衛も腕に覚えはあったが、今では鈍り衰えていた。

 妻は実家に帰っていった。

 最後の2ページのところである。 
 果たし合いの途中でいきなり実家に帰っていた妻が現れた。

 妻の心の動きが描かれていれば納得感があったかもしれないが、それもなかったのでかなり違和感があった。
 更に、そのおかげでなんとか勝てたというのは、上意討ちだったのに無理矢理に果し合いにもちこんだ相手の理不尽さとのバランスをとったのだろうか。
 いずれにせよ、予想外の出来事に主人公もあっけにとられていたが、読んでいる方もあっけにとられた感があった。

「盲目剣谺(こだま)返し」 ※盲目

 映画「武士の一分」の原作となった作品である。

 主人公の下級武士・新之丞は毒見役を務めていたが、食材の毒にあたり失明してしまう。
 映画では失明するまでの部分をかなり付け加えていて、この作品では失明してから一年半が経過したところから話が始まる。
 失明した現実を受け入れていく中で、新之丞は妻の加世に不義の疑いを持つと同時に、加世の優しさにも気づいていく。

「足もとに、お気をつけなさいまし」

加世は新之丞をみちびきながらそう言い、急に指をからめるような、強い握り方をした。小さく、しめっぽい掌だったが、握りしめて来た指には力がある。

 不意に激越な感情が新之丞の胸に波立った。

 ――この女を失っては生きていけまい。

 押寄せて来たのは、その思いだった。新之丞も、小さな掌をやわらかく握りかえした。

 

※藤沢周平「隠し剣 秋風抄」文春文庫p357 より引用

 そして遂に、新之丞は加世の不義の証拠を掴んでしまう。

 その相手はかつての上司・島村であった。
 不義について追及された妻の加世はこう説明した。
 失明によって本来ならお役御免となってもおかしくないところを、家禄はそのままで養生の身という沙汰になったのは上司・島村の口添えがあったからで、その見返りとして身体を要求された。
 そしてその後も関係を強要されたと。
 この部分については心理描写ではなく、「加世は地獄に落ちた」(p363)とその心理的な意味を簡潔かつ直接書いており心に刺さる。
 新之丞は離縁を告げて加世は出ていった。

あれはおれを欺き、裏切った女だと思おうとした。だが不思議に、加世を憎む気持ちは少しも湧かず、寂寞とした孤独な感じが胸をしめつけて来るばかりだった。

※藤沢周平「隠し剣 秋風抄」(文集文庫)p377 より引用

 新之丞の心境は少しずつ動いていた。

 その後、新之丞はかつての同僚のツテを使い、家禄はそのままで養生の身という沙汰になった経緯の真実を知る。
 上司・島村は新之丞の沙汰について口添えなどしていなかった。
 島村は妻の加世を謀って身体を弄んだのだった!
 いよいよ新之丞は、島村に果し合いを申し込む。
 負ければ死ぬかもしれないが、武士の一分を立てる為に。
 これは、武士道の故であれば武士の一分であるが、妻の恨みを果たすのであれば人の一分である。
 一分を立てるというのは、一般的には個人の面目を立てることだからである。
 この「人の一分」こそが、一人前の人間としてあろうとする我々を支えているものだと私は思う。
 盲目になることで一人前として扱われなくなった主人公は面目を失い、加世の件でもう一度面目を踏みにじられる。
 この面目を武士が立てるのだとすれば、それは命のやり取りになる。
 ここに、武士であることの意味合いと盲目であっても人としての面目を立てるということの凄味が現れる。
 老僕に果し合いの日時と場所を知らせにやる新之丞は、「盲人とみて侮るな」とも伝えさせる。

 果し合いの最中に島村が気配を消すと新之丞はこう決意した。

勝つことがすべてではなかった。武士の一分が立てばそれでよい。敵はいずれ仕かけて来るだろう。生死は問わず、そのときが勝負だった。

――来い、島村。

 

※藤沢周平「隠し剣 秋風抄」(文集文庫)p365 より引用

 そして、馬柵の上から仕かけてきた島村を一撃で斬った。

 止めは不要であった。

 島村の死は不審死のまま調べは終わった。

 加世が「ちよ」という名前で女中として戻ってきたのは、来春になってからのことだった。

 新之丞がちよは実は加世であることがわかっていることを告げると、加世はまずふりしぼるように泣いてから号泣した。
 喜びの故にではないように思われた。
 許された罪の故にであろうか……

 この短い話は、視力を失い、更に妻を失った者が最後に一分を全うしようとする話だが、そのこだわり、心境の変化、新之丞と加世の心のやりとりはなどはどれも案外わかり易くない。
 もっと新之丞と加世の心情が描かれた長編を読んでみたいと思った作品であった。

 山田洋次監督は、一分ということへのこだわりと夫婦のやりとりを丁寧に描いて映画にした。

 是非、映画の方もオススメしたい。