都会落伍者
角田光代
庭の桜、隣の犬
いわゆる無気力世代の30代夫婦が、夫が忙しいから会社の近くに安アパート借りるというところから話は始まります。
アパートの賃貸の話を思いついた夫は
「なんだか学生時代がまた始まったみたい」
と思い、妻は
「うらやましい」
と考えてしまいます。
実家で夕食をもらって帰ってくるような、家事手抜き妻。
できるだけ責任の少ない仕事につきたがる社会人未満の夫。
で、郊外の清潔で瀟洒な二人の3LDKマンションってなに?
とあらためて自問してしまうのですね。
そのあとは小説的イベントがあったりで読者を飽きさせず最後まで読ませるのですが、二人の結婚に対する問いに答えはでません。
二人はお互いの、欲求の少なさに共通点を感じて結婚したのですが、そんな二人に都会生活は合わないのかもしれません。
しがらみなく、自分の欲求を発散できる都会より、
地縁血縁にまみれた、自分の欲求より他のことが優先されやすい地元立脚型の生活のほうが似合うような気がします。
角田さんは、無気力世代のダメぶりの描き方に定評があるようですが、もう少し書き込んで欲しかったですね。
芥川賞を取った「対岸の彼女」のできが心配になってしまいます。
ぼんやりとして見えないもの
佐伯一麦
木の一族
結核を患う若い電気工が、妻と子供3人を養っていく。
激しい労働。緘黙症の長女。自殺を図ったことのある妻。
実家への金の無心。自分の不倫。
頼るものもなく、ただ重なっていくその苦闘をたんたんと描いていきます。
比較的最近の作家(昭和34年生まれ)としては珍しい私小説。
生活は暗く、視野は狭く、夢も見えません。
それが、まさにある生活の一形態なのでしょう。
生活の純粋な重さには何をもって立ち向かえばいいのでしょうか。
この本にはその答えはありません。
その苦闘がただ、描かれています。
背後にはぼんやりとした破滅と救済が見えるような気もしますが、永遠にそのままなのかもしれません。
佐伯一麦の文壇のポジショニングが珍しいのか、今読むと新鮮に読み進むことができますが、同じような作家が後二人いたらもうお腹いっぱいになってしまうかもしれません。
ぼんやりとしたものが何かわかるといいのですが・・・。
わからないのが生活、なのでしょうか。
いたねぇ、そういう人
川上弘美
センセイの鞄
いつも一人で飲んでいる居酒屋で、ふと昔の恩師に出会う。
なんとなく何度も飲んでいるうちに仲良くなって・・・、
という自分の世界と現実世界に半分ずつ足を突っ込んでいるようないつもの川上ワールドです。
他人からみるとぼんやりしているようで、でも自分に関わることだと急にしっかりする。
自分の世界に浸ったり、現実世界で楽しんだり、美味しいとこどりのようでもありますが
結構周りからは「何を考えているかわからない」「ずるい」なんて思われているタイプですね。
本人はそこまで思い至らないので、妙な疎外感だけ感じて、また自分の世界にこもったり。
でも、そんな人でも他人に理解されたい。
その理解してくれる・肌の会う人が「センセイ」で、そんなひとはなかなかいないので、年上でも好きになってしまう。
そんなお話でしょうか。
多かれ少なかれこの主人公に似ている人は、非常に共感を持って川上弘美の本を読むことができるのだと思います。
でもこんな人を理解しようとも思わない人は、こんな小説のある意味なんかまるで分からないのだと思います。
でも、今までずっと他人にたいして表現しようのない疎外感を感じていて、その原因がわからず、悶々としていた人は、この本を読んで、主人公のゆるぎない自分自身の生きている様子を読んで、非常に癒されるのではないでしょうか。
ある種の小説は、今まで理解されていなかった人を適切な言葉で表現して、「君のことは理解している。いまのままでもいいんだよ」といってあげるためにあるのではないでしょうか。
村上春樹の「友人が少なくても、社会になじめなくても、音楽と本さえあれば別にかまわない」と言っている部分に共感する人も多いはずです。
で、今ごろやっとコミケなどが非常に盛り上がるのも、自分の変わった性癖を理解してくれる人がリアルにいる貴重な場、ということに思い至りました。
なんにせよ、分かる人には分かる、いい人にはいい、そんな川上弘美だと思います。
しかしこの人の本を読んでいると、そういえばクラスにこんな女の子がいて、なんだか妙に気になったりしてたなぁ、なんてことを思い出しました。
人間通、だなんて
人間通
谷沢永一
「人間通」、だなんて随分不遜な人だなぁ、と思っていました。
私にとってのこの本の作者谷沢永一は、開高健の親友です。
高校時代は開高健のよきライバルであり、その後も旧交を温めつづけ、開高健がなくなったときには
「回想 開高健」という名著を書いています。これは心を打つ本です。
その後博覧強記の評論家として活躍するようになりますが、言っていることが難しく、著作には目を通していませんでした。
ですが「人間通」です。不遜なタイトルですが、どこかしら気になるところがあり、手に取ると
「私が40代、50代で得た若干の知見について、そのたびごとにもう少し早く知ることができれば、と思い、悔やんでいた。その内容を早くに読者に伝えたかったのが、本書執筆の動機」と書いてある。
これは自分自身をまな板の上に乗せている、それなりの率直さが感じられ、読み始めました。
内容は、思い至った言葉について、数ページをかけ、説明するもの。初めの4つについては、なんだか心に残る内容でした。
1、「人間通」人間は最終的に、何を欲しているか。それは、他人に理解されることである。
2、「吝嗇」吝嗇とは人の世が助け合いでできている事のわからない忘恩の徒であり、絶対に直すことのできない悪癖である。
3、「臆病」臆病もその本質は何かあれば一番に逃げ出す連帯感情の欠如であり、吝嗇とならぶ最悪の悪癖である。
4、「親友」それなりの人物が大成できないのは親友がいないせいであることが多い。お互いのことが腹蔵なく話し合える親友は大切なものであり、つくる努力を怠ってはいけない。また、長く続けるにはお互いを思いあう阿吽の呼吸が絶対に必要である。
と、この4つです。
一方的な部分もありますが、昭和4年生まれの実感ということであれば、何かしら本当の部分があるのではないかと思います。
最後には人間通になるための100冊が簡単な書評とともに選ばれています。
読んだことがある本は、開高健の「水の上を歩く?」でした。
たしかにこの本は今まで書かれたジョーク本の中で一番面白い。
しかしその他は難しそうで偏っているような気もしますが、書いている書評で面白そうなものもあるので、何冊か読んでみようと思います。
追記とメモ
しばらくたってから、思い出す言葉が出てきました。
「狐色」
「嫉妬は誰にでもあることであり、必ず心の中で疼いている。
だからといって嫉妬の炎に妬かれて黒焦げになってはいけない。
狐色程度に妬くのが、人間としての情も深くなり、ちょうどいい。」
なるほど、と思います。自分で自覚してコントロール。
私は嫉妬心はなるべく感じないようにしてきたのですが、そうすると情が薄くなんですよね。
松下幸之助の言葉だそうです。
メモ 読んでみたいと思った本
坂の上の雲 司馬遼太郎
海の都の物語 正続 塩野七生
斎藤秀三郎伝 大村喜吉
敦煌学50年 神田喜一郎
この世の果て サマセット・モーム
職人ワザ!
いとうせいこう
職人ワザ!
扇づくり、江戸文字、手ぬぐい、効果音、パイプ製造、鰻職人などなど、浅草に住み始めたいとうせいこう周辺の下町を中心とした職人達の紹介。
圧巻はスポーツ刈り専門の散髪屋。
理想の頭を作るためいまでも3時間しか眠らずに特訓しているそうです。
たしかに写真を見る限り、普通のスポーツ刈りだが、立体感が違う。
まるで工芸品をみているようです。
「ほんとにいい髪にするには技術だけではない“何か”が必要なんです」というのも分かる気がします。
パイプ職人も、好きでやっているうちにパイプ愛好家のなかでは世界中で知らない人がいないくらいの職人集団になっていたそうです。
効果音の人も、テレビの人ですが「広大な宇宙の音」とかを作っちゃうのがすごい。
いとうせいこうの「自分自分」がまた鼻につきますが、それでも十分面白い本でした。
職人が自分の技を語るときは、なんだかみんな気持ちいい。
再び、小林照幸
私的に発見となった小林照幸を読み進めています。
床山と横綱 -支度部屋での大相撲50年-
床山とはお相撲さんの髪の毛を整える人のことです。
前人未到の69連勝の記録を持つ双葉山の頭から
「巨人、大鵬、卵焼き」と子供に絶大な人気のあった最多優勝記録32回の記録を持つ大鵬の頭も
「江川、ピーマン、北の湖」と子供に嫌われるほど強かった北の湖の頭も
みんなこの本の主人公、床清さんに頭を結ってもらっていました。
ところでなんでお相撲さんは頭を結うか知っていますか。
あれはヘルメットがわりで、土俵にたたきつけられたり、土俵から落ちたりしたとき、頭を守るためにあるのだそうです。
相撲が好きで入った世界で、初めは上下関係が厳しかったり、過酷な労働条件だったり(朝は2時起き、巡業にもすべて参加で土日もなし、でも夜は早く帰れたみたいです)、相撲取りからはバカにされたり、給料が安かったり、と色々ありましたが、やっぱり相撲が好きなのと、多くの理解ある人にも恵まれ、定年まで勤めることができたそうです。
小林照幸の丁寧で先人への尊敬を忘れない筆致が心地よく、まだマスコミに公開されていないころの支度部屋の様子など、興味深く読むことができました。
僕が、落語を変える。
柳家花緑+小林照幸
小林照幸も、年を取った人ばかり相手にしていたのでは、筆が固まると考えたのでしょうか。
人間国宝の落語家、柳家小さんの孫、花緑(1971年生まれ)のお話です。
小さなときから落語家めざし、入門し、最年少で真打となった花緑ですが、決して順風満帆だった分けではありません。妬みや恨み、芸の壁、そして何よりも大きい落語の凋落。
それを正面から受けて、芸の肥やしとし、落語の再興を図ろうとする姿が清清しく書かれています。
また、孫から見た身内の小さんも、なかなか気難しい風で、興味深いものがありました。
が、なんていうのでしょうか、若い人の勢いのようなものがなく、そこをもっと突っ込んで欲しかったな、と思いました。花緑のがんばりは分かりましたが面白さは分かりませんでした。
小林照幸も柳家花緑もがんばれ、といった感じです。ハリガネムシの気持ち悪さ
ハリガネムシ
吉村萬壱
みなさん、ハリガネムシって知っていますか。
私は知らなかったのですが、この本の冒頭にも紹介されているように、昆虫(たとえばカマキリ)に寄生する線虫のことです。
本を読んでいるときは、体長2-3cmの白い虫を想像していたのですが、ブログを書こうと興味本位でネットで検索してみると・・・いやぁ、おそろしいものを見てしまいました。
体長は15cm以上ありそうで、直径も0.5-1mmぐらい、色は黒いんです、わぁぁぁ。
で、それを含めての書評です。
話は、ある教師があるソープ嬢といつのまにか会うようになり、女の身近にある暴力の匂いをかぎつけ、男が自己嫌悪に陥りながらだんだんと暴力的になっていく様子を描いたものです。
芥川賞受賞作なので、読みやすくはありますが、今更驚くような話ではありません。
芥川賞って、そういえば新人賞だったな、とあらためて思いました。
有望な新人を紹介する賞で、傑作を紹介する賞じゃないよな、と。
しかし、リアルなハリガネムシを見ると、自分の内側に潜む暴力性が「ハリガネムシ」としてイメージでき、読後気持ち悪さが拭えません。そういう意味では、力をもった小説です。
おすすめはしませんが、こちらが本物のハリガネムシの画像と説明です。
くれぐれも不用意にクリックなどしないようご注意ください。
私と同じ黒い目のひと
私と同じ黒い目の人-チベット旅の絵本-
渡辺一枝
チベットの写真・エッセイ集です。
チベットの豊かだけれども厳しい自然と、かわらしく、たくましく、けなげな子供の写真が胸を打ちます。
渡辺一枝は小さなころから「チベット」とあだ名されるぐらいチベットが好きで、何度も通ううちにますますチベットに魅了されていきます。
ときどき人と会っていて、「あ、この人はこのグループと合わないな」とか、「あ、私はこの人たちとはそんなにうまくやっていけなそう」、と思うときはありませんか。
本人が気付いていない場合もありますが、やっぱり同じような価値観を持っている人の集まりの方が、人はより自分を出せるしリラックスできるのだと思います。
渡辺一枝は、日本よりもチベットの方がよくあっているように思えますし、本人もそう思っているのでしょう。
でもやっぱり、チベット人になりきれない何かがあって、日本とチベットを行き来しているように思えます。
何らかの違和感を感じながら、ずっと自分と自分の周りのグループの関係に気付かない人もいると思います。そう考えると、たとえチベットでも自分の居場所を1つ見つけられたのは、幸せだったのかなと思います。
チベットの日常をつらつらと書きながら、日本のことや自分のことを考え、はつらつとした旅行記である「チベットを馬で行く」よりも、ずっと内省的な内容になっていて、妙な悲しさと透明感のある子供の笑顔の写真とそれを撮影する渡辺一枝のことを考えていると、そんなことを考えてしまいました。
パンク侍、技あり
パンク侍、斬られて候
町田康
いや、やっぱりすごいですね。
町田さん、凡人のことをよく理解してらっしゃる。
時代小説というオブラートに包んでやっと読むことができる凡人のくだらなさを、飄々としながらまとわりつくような筆致で書いています。
もともと、「くっすん大黒」などで社会人失格者の生態を書いていましたが、「実録・外道の条件」などで、以外に本人自身は常識人であることが分かります。
で、凡人を書くのに手に入れたのが時代小説。これならうんざりするほど世に溢れている内省的な凡人の戯言も、目新しく少し離れてみることができます。そして町田節と奇妙な妄想がブレンドされ「パンク侍、斬られて候」ができたわけですね。
すでに「告白」を読んでいて町田康+時代小説の免疫はあり、その目新しさより構成の知的さが目に付きました。「パンク侍、斬られて候」で凡人と狂気のブレンドを完全にコントロールしているワザは、知的所業以外なにものでもありません。さらにタイトルの妙は「蹴りたい背中」に匹敵するのではないでしょうか。
が、コントロールしすぎでしょうか。私自身は正気が残ったまま狂っていく「告白」のほうが面白かったです。
剣豪なのに口も達者で詐欺師のようなことをしている主人公。藩内の派閥争い。そこのからむ腹振り教の狂気。超能力もでてきて、もうやりたい放題です。
しかし中にでてくる幕暮孫兵衛の設定は見事ですね。自意識が傷つけられると(たとえば怒られたり責められたりすると)気絶してしまう良家の侍というのは、なんだか今の若者を見ている気分です。私はもちろん、若者ではないのですが他人事でもありません。
なんか、いずれはディケンズやバルザックみたいな全体小説を書いてくれるのか、期待してしまいます。
ニートも驚く
「世界で探す私の仕事」
篠田香子
すごいですこの人。
世界13カ国で15の職を1年半で体験してきています。
ちゃんと自分で履歴書送ったりして。
1、ニューヨーク/出版社広告部秘書
2、ミラノ/高級ブティック店
3、ドバイ(UAE)/女性専用カフェのウェートレス
4、モスクワ/個人貿易会社秘書
5、サンノゼ(アメリカ)/ソフト開発会社マーケティング
6、マウイ島ハナ(アメリカ)/有機フルーツ農園
7、メルボルン(オーストラリア)/州政府弁護士事務所研修生
8、プノンペン(カンボジア)/NGO組織、日刊紙記者&孤児院英語教師
9、カトマンズ(ネパール)/日本赤十字ネパール支局
10、コニャック(フランス)/シャトーレストランのコック手伝い
11、香港/香港ジョッキー・クラブ番組制作部
12、ムカヤ保護区(スワジランド(アフリカ))/野生保護区レンジャー隊
13、カリブ海/豪華客船スチュワーデス
14、ブエノスアイレス西800キロ/農園牧場カウガール
15、南極/オーストラリア観測隊に参加
職に関しても達観しています。
「・・・仕事というのは、誰がそれをこなすかより、どう成果をあげるのかが最終目的なのだから、自分の条件や目的に合った仕事が欲しい、というのは雇われる側の愚痴だ。自分の条件を満たす仕事を求めるのではなく、その仕事やプロジェクトに向いた力をつけて自分を売り込むのがプロだろう。慈善事業ではないのだから、自分で企業でもしない限り「自分にあった仕事」をオファーしてくれる事業家はいない。・・・」
まぁ、雇用者側から見れば、当然といえば当然の話です。
職場で隣に誰が座っているかも興味もないNY。
国際的な職としてNGOや赤十字に従事する日本人のプロ意識。
もやは人手なしには維持できないアフリカの野生の動物達。
アルゼンチンの富豪農家のセレブ経営からの脱却。
階層や地域差などによりバラエティさを増す職の内容は、それぞれの職の利点と欠点を見つめられ、日本で働くことが、選択肢の1つとしてみることができるようになります。
当然ビジネス界の話も多く、話題は「金」となり
「差別は人種ではなく金持ちか否かで行われる」
という事実も実感できます。
しかしこの人のバイタリティはなんなんでしょう。
どーもオーストラリア留学中に叩き込まれた「インディペンデンス魂」にあるみたいです。
たとえば荒野でも一人で暮らしていけるような、自立していることが何よりも価値のあり、しかし当たり前のこととして教育を受け、こんな女性が出来上がったようです。
今で言う「国籍のない旅人」的な人生(たとえば国籍を無税の国にして収入は世界中から)を行く彼女の自然なバイタリティは、ちょっとしばらく見守りたいと思います。






