献食菜集 -173ページ目

肉体労働

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去年の今頃から梨状筋症候群になって
20歩以上歩けず30秒以上立っていられなくなる
状態が今年の5月くらいまで続いた。
すたすた歩ける人をとてもうらやましく思った。

発掘の仕事は行程により、土方仕事と大差ないときがある
今のところそれが多い
もともとそういう仕事は嫌いではないので
賃金とは関係なく頑張って働いてしまう
それで足腰の調子たいへん良い
ほぼ一年労働をさぼっていたので
思いきりからだを動かす事が出来て気持ちが良い

発掘は何も生産していないし
サービス業でもなく
一般的にそんなに必要とされていない行為だから
賃金はかなり安い

絵が売れないとはこういうことなんだな、と
よくしみて解る
自分が一番がんばっていることが
金銭に変わらないということは
資本主義の社会では「価値がない」
といわれていることになる

観に来てくださったかたが
感動したり、喜んでくれたり、
あの絵を観て発奮した、とか
聞いた時は非常に嬉しい。

しかし作品はどんどん溜る。

なにかずれている。
んだな。
たぶん。

kiiro




















渡り鳥

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11月11日。本日朝7時50分頃ベランダにでて洗濯物を干していたら上空に渡り鳥の編隊が
現れた。
南の方からあらわれて折からの北西の強風を利用して、我が家の上空でホバリングして待機している。
そうしているうちにあとからあとから別の編隊がおいついてきて上空は渡り鳥でいっぱいになった。
そしてすぐに鳥達は初冬の青い空を北にむかって飛んで行った。
壮観。

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縄文土器破片

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だいぶん寒くなりました。
発掘現場には自転車でむかいます。

その途中に浅川の川べりを少し走るのですが
澄んだ水が晩秋の日を反射してたいへんきれいです。

昨日はじめて縄文土器の破片を自分で見つけました。
生まれてはじめて見た縄目模様は
予想を裏切る上品なものでした。
もっと荒々しいものを想像していました。

しかしとっても嬉しいものです。

今日は集石がでてきました。
焼き石や炭なども埋まっています。
つらい2日間を過ぎやっと遺跡発掘らしい日々になっています。

karekusa


















疲労困ぱい

hanabikusa

久しぶりの労働でくたびれはてています。
遺跡発掘は想像以上にたいへんな作業です。

 hitukismusi

あと瞑想に関係のある情報を続け様にキャッチしました。
瞑想するとおもわぬアイデアがうかんだり、至福感にひたれたり
人生が好転したとか、本来の自己(神、仏、美の女神)に出会ったり
とか色々、本人にとって良い事づくしみたいです。
で、そういう人は偉かったり、導師だったり、本を書いていたり、
している人が多くて、瞑想を知らなかった時は
大した事のない頭脳で必死に考えた事に
しばられて自由でなかったり、したそうです。

だいたい無意識には驚くべきパワーがあるそうで、それに気付いた
ひとは何か非常に本人は幸福で、事業に成功したり、お金もどんどん
手に入ったり、とにかく願望が実現するそうです。

社会主義の国の腐った指導者やアメリカのはげたかファンドの人が
瞑想の技術を体得しないように祈ります。

hitukimusi2

初めてお目にかかります

awadatisou

中世ヨーロッパではキリスト教は宗教ではなかった
キリスト教が世界そのものだった。
つまりキリスト教の世界観のなかに
ひとびとが生きていたたからだ。

精神障害のひとつに誇大妄想があるが
中にはその妄想は
世界や日本を背景として非常に細かい所まで入り組んで
構築された世界を持つ人もいるそうだ。

自分が日常を生きる世界は主に人間が作り上げた世界だ。
人間が作り上げた世界に人間が住む。
人間の作ったものを着る、食べる、乗る、住む。
今や人間は人工物がなければ生きて行けない。

草木や土空やくも雨かぜなどの他の動物などの
自然もその人工世界の中に共存するが
それらは人間によって一旦意味付けられた自然だ。

日常世界で人間が意味付け出来ない自然とは
猛威をふるう台風暴風、嵐、地震、大雪や
暴れ出す動物たち、新種の病気、未知の人体。
その時に初めて遭遇する人間の手に余る状態にある自然だ。
そのようなものが訪れない限り、おとなしい自然は
人間からは忘れられがちだ。

hanabikusa

人びとは宗教改革や物理法則の発見を経て
固定されたキリスト教の世界観から 脱出した。
すべてのものの存在がさきにあり、人間の知恵は後追いで
それらを理解し意味付けをしていく。

意味付けはいくらでも変わる。
私達を取り囲む世界は人工であるがゆえにもろい。
私達を取り囲むさまざまな事象につけられた意味を
当然と思ってはならない。

drakusa