本日の「呼吸法から瞑想へ」 ~ 恐怖 ~
本日の「呼吸法から瞑想へ」は、
‘恐怖’ということについてお話をしました。
私達の人生は、比較、執着から常に恐怖と隣り合わせに生きているようです。
他人が恐怖を引き起こすのではなく、自分自身で恐怖を引き起こしているのです。
この恐怖とヨーガの実践はどう結びつくのか、
アーサナ、プラーナヤーマ、メディテーションの実践は何を意味するのかを話し合いました。
この世で一番裕福な人は、何も所有しない人であるという言葉は、
単に無所有を奨励するということではなく、
この言葉の本当の姿は?
を考える時間であったならばと思います。
「呼吸法から瞑想へ」は、毎週日曜日午前9時~10時半
ご興味ある方は是非ご参加ください。
*レッスン・スケジュール、クラス、料金、お問い合わせはこちら
自然の流れに身を任せる
本日の「呼吸法から瞑想へ」のクラスでは、
‘自然の流れに身を任せる’ということについて話し合いました。
‘Flow with it, Be part of it’(自然の流れに身を任せて。そしてその一部になりなさい)
私の大好きなジェリー・ロペスの言葉です。
さて自然の流れとは何だろうか?
これは自然のエネルギーの流れという漠然としたものとは異なり、
もっと実生活に当てはまるものとして論じていきました。
人生、常に何かがふりかかってきます。
それは自分から何かを起こさなくても、周りから起き、そしてやってきます。
その流れを止めようとすることは、自然の流れに逆らうことです。
そこにはエネルギーが消費され、ストレスが生じます。
やってきた流れを受け入れる、
そしてそれを負のエネルギーを残さず流していく、
これが自然の流れに身を任せるということではないかと思うのです。
大波に巻き込まれると、水中でどっちが水面か分からなくなるといいます。
そこで身に降りかかる波のエネルギーに逆らい、
懸命に水面に上がろうと、もがけばもがくほど、延命の可能性が少なくなるといいます。
ならばどうすればいいのか?
波に巻き込まれたら、全身の力を抜き、波のエネルギーが落ち着くのを待つのがベストだそうです。
次第に静まってきたら、水砲が上がっていく方を確認し、
その方に身を進めていけば水面に上がれるというのです。
これが‘自然の流れに身を任せる’ということなのではないでしょうか。
負のエネルギーを残さないことを、
囚われのない心というのだと思います。
そしてそこには、許す心と感謝する心が現れてくる、
これが自然の流れに身を任せるということであり、
そしてこれがヨーガとどうつながるのか
ということをじっくりと話し合いました。
「呼吸法から瞑想へ」は、単なる実技だけでなく、
このようなことを時間をかけて話し合い、ヨーガと結び付けていきます。
毎週日曜日午前9時~10時半
ご興味ある方は是非ご参加ください。
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新クラス(男性専用レギュラークラス)のお知らせ
これまで
ヨーガに興味はあるのだけれども、
ヨーガのクラスは女性が多いイメージがあり、
男性は自分ひとりだったらどうしようと思い、
中々ヨーガのレッスンに足を運べなかったという声を幾度と聞いてきました。
そこで男性専用のクラスを設けることにしました。
私の知るところでは、女性専用のクラスはあっても、
男性専用のヨーガ・クラスは聞いたことがありません。
精神的にヨーガに興味のある方
ストレスを溜め心身の疲れを感じ、何も考えずにリラックスしたいと思う方
運動不足で何か身体を動かさなくてはと感じている方
等など、ヨーガに興味のある方、是非一度足を運んでみてください。
男性専用クラスは、「水曜日 午前10時~11時半」のレギュラークラスになります。
ヨーガの経験、身体の柔軟性は問いません。
どうぞお気軽お問い合わせ下さい。
お問い合わせお待ちしております。
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シンプル
先日、飲食店で食事をしていると隣の席に一人のサングラスを中年の男性が座りました。
昼間からお酒を飲み、一人で何かぶつぶつ言っています。
食事も終わり、上着を着て立とうとすると、
‘おー、パタゴニアか、僕、パタゴニア大好き、
昔、ロッククライミングをやっていたから知っているよ。
パタゴニアは命がけのメーカーなんだよな’
と私の上着をみて隣の男性が言いました。
少しだけその方とお話をして出たのですが、
改めてパタゴニアはたしかに命がけのウェアだよなと思いました。
様々なアウトドア・スポーツで限界に挑む人の為に、
そのシーンで生き残れるよう、自らの経験を盛り込み作られたウェアだからです。
そんなパタゴニアのある製品の説明にこんな言葉があります。
「『完全』とは取り去るものがなくなったときに達成される」
そして以前にも書きましたが、
パタゴニアのイヴォン・シュイナード氏の著書にも下記のお話が紹介されています。
「敷き砂利の美しい庭に対して
‘粗粒の砂を敷きつめた一角に、近くの小川で拾った石が三つ捉えられて
『心を揺さぶる力強い印象と調和』を醸し出していますね’
と賛辞を送ったところ
‘庭は未完成です。
三つではなく、ただ一つの石だけで同じ印象を与えられるようになってはじめて完成するのです’
と答えた。」
この『完全』『完成』の理念は、ヨーガと全く共通すると感じるのです。
取り除くものがなくなったところが最終境地であると。
下記はあるドラマで作られた銀行の頭取と政治家のやり取りのシーンです。
「頭取が庭を観ながら
‘大臣、あそこに置かれている石は見事な石でございますね。
この庭を引き立てる何とも云えぬ印象を残します’
それに対し大臣は
‘いやまだあと大きな石が2つ足らん’
それに対し頭取は
‘大きな石が二つでございますか、なるほど’」
利益が絡んでしまうとつい余計な贅肉が付いてしまう面白いお話です。
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自由
利休とはもちろん茶人‘千利休’。
「わび茶」を完成させた茶人として歴史上に名を残した人物です。
「わび茶」とは、書院などで行われた豪華な茶の湯に対し、
四畳半以下の茶室を用いた簡素な茶の湯のことを指すそうです。
利休が用いた茶の道具も、自らがデザインした粗末な茶碗だったり、
簡易なものだったりもしたそうです。
そんな利休に時の天下人‘豊臣秀吉’は派手好みの性から、
黄金の茶室を作るよう利休に命じました。
その命に逆らうことなく利休は黄金の茶室を完成させました。
その仕事をみた利休の弟子は、師の利休に不服を申し出ました。
「なぜあの黄金の茶室を造られたのでしょうか?
あの豪華絢爛な茶室は、師の茶道とは正反対のものなのではないでしょうか?」
そんな弟子の非難に対する師の返答は、
「私は、あの黄金の茶室も他の茶室もどうしても異なったようには見えないのだよ。
あの黄金の茶室に入るとこれもまたとても心地の良い空気が流れているのだよ。」
だったそうです。
私は、この利休の言葉に本当の「自由」をみた気がしました。
聖典『バガヴァット・ギーター』でもクリシュナはこう教えを説いています。
「黄金も土塊も等しくみなさい」
こう聞くと通常は、土塊を黄金と同じくみようと努めがちです。
しかし本質は、「黄金も土塊も同じくみえる」なのです。
弟子は、土塊を道の完成としてみていたところ、
利休は、道の完成を黄金や土塊にはみていなかったのです。
自由とは、外から何も制限、強制されないことではなく、
自身の心に制限、際限なく、
そして比較なくものごとを受け入れることをいうのではないかと感じました。
自由を得て初めてヨーガは完成すると言います。
この映画を観ていて、
利休の姿にヨーガとの共通をみた気がしました。
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