前回の国語改善戦略記事を書いたときに、
国語について色々調べたら、
今年の4月から高校国語の学習指導要領が改定される記事を見ました。
改定の内容は下記をご参照ください:
この改革に一番議論されているのは、「論理国語」が新設されて、
特に大学入試のことを考えたら、
「論理国語」以外の選択が実質選ばれなくなるではないかと危惧されています。
かなり賛否両論の改革のようですが、
理系出身の私にとって、国語の教育に「論理的な思考・記述」の比重を増やす方針に賛同しています。
大げさに言うと、
人類社会の生活水準を石器・農業時代から現在のデータ・デジタル時代に進められてきたのは、
「論理的思考・記述」を基にしたコミュニケーションです。
すべての科学技術進展の背後には、無数の文学価値一切ない科学論文があります。
「言語が文化の象徴」というのならば、
「論理的思考・記述」は人類文明を切り開く武器といえるでしょう。
国語に限らず、いかなる科目でも、
「論理的思考・記述」を養う必要があると私は考えています。
しかし、今回の改革について少し心配しているのは、
新しい学習指導要領の「論理国語」では、
契約文や法令文などの「実用文」も盛り込まれているそうです。
「実用文を読める」と「論理的思考・記述」はあまり関係ないと私は思います。
特に「契約や法律文書」は権威性の高い文書であり、
これからの社会に必要とする「論理的思考・記述」と相容れぬ気がします。
「こちらの法律条文を基に、完全犯罪のスキームを考えよう」みたいな問題を出せれば、
話がまだ変わると思いますがw
そういえば、日本の教育現場では、大学入試を見据えて教育を進める場合が多いですね。
中学受験も「いい大学に入る」視点から挑戦する親御さんが多いようです。
今回の争論の中心も、大学入試のことを考えたら、「論理国語」以外がの選択が疎遠になれるかです。
そもそも「試験」という方法で人材を選抜すること自体が、
これから来る AI の時代に相応しくないと思います。
これについて深く議論するとまた長くなるので、今度また記事にしたいと思います。