採用面接官
ワタシも最終の役員面接に参加している。
もちろん採用面接を受けているのではない。
面接官である。
面接官は誰にでもできる訳ではない。
エンジニアを採用するとは言え、近所のさくら幼稚園の園児にはまず無理だ。
それとうちの会社に所属している必要がある。
ワタシも面接官に声がかかった時は、ようやく社員として認められたと安心した。
面接の前にはマニュアルも配布される。
マニュアルによると、家族の話やセクシャルハラスメントになるような話題はNGだ。
ワイフのことを聞かれないで済むのは、独身のワタシにはありがたい。
面接が始まる前に会議室に行ってスタンバイする。
スタンバイといってもなかなか難しい。
威厳を持って椅子に座っている必要がある。
間違っても机の上に正座していたり、天井からぶらさがって遊んでいてはいけない。
学生から愛想をつかされないためだ。
普段からただでさえ部下に愛想をつかされ、威厳がないことには人後におちないワタシには難題である。
ネクタイが曲がっていないか、歯に海苔がついていないか、寝癖が見えない角度はどのくらいかを事前にトイレで確認する。
すれ違った後輩からは『自分のことを゙ボグと言ってはいけない』と注意された。
面接の時間は一人につき40分だ。
学生もたいへんだが、面接官もたいへんだ。
面接の間は、どんなことがあっても学生と真剣に相対するように言われている。
それでなくても、会議室は18Fにあって眺望がいい。
隅田川には船が行き来しているし、遠くには建設中のスカイツリーも見える。
普段、会議室では寝ることにしているので、改めて起きていると外が気になって仕方ない。
最終面接に来るぐらいだから、学生はしっかりしている。
たいていの学生は、自分の名前を間違えずに言える。
ワタシなどは何人も面接していると、最初に面接した学生の名前はすぐに間違えてしまうのだ。
また、電車の中や駅のホームにたむろする学生とは違う。
足を投げ出したり、歩きながらアイスを食べたりすることもないし、ましてや狂声をあげることは絶対にない。
静かにワタシの問いに答えることに集中している。
この姿勢を部下に見習わせたいところだ。
ただし、今の部下も採用するときには、そう思っていたことを思い出した。
油断してはいけない。
面接も学生によっていろいろ違う。
明るい面接の場合もあれば、静かで緊張感に包まれた面接の場合もあり、ワタシが睡魔に襲われている面接もある。
睡魔が襲ってくるのは、たいてい黙って学生の話を聞いているときだ。
どこかで聞いたような話だなぁと思った場合はかなり危険だ。
そうならないように、学生も寄席を一席とか軽い小話をすれば盛り上がることは間違いないのだが、不採用になることも間違いないのが残念だ。
なにはともあれ、氷河期と言われる中、就職活動をする学生もたいへんである。
不採用という結果に泣く学生も多いと思うが、就職しても上司や部下に泣かされるワタシのような会社員もいることは知っておいた方がよい。
京都の料亭にて(その2)
(前回の話から)
自称エリートサラリーマンのワタシと会社に忍ぶ定年間際のK先輩とオランダシシガシラは、京都の料亭で桜の湯を飲んだ。
桜の湯をたしなんだ三人の前に前菜が用意された。
前菜は、白魚(しらうお)が野菜とあえてあった。
気がついたのは、ワタシは山椒に弱いということだ。
白魚の白に緑の彩りを添えていた葉っぱは、鰻重の香りがした。
しかし、Y先輩に聞くと、その緑の葉っぱはうなぎではないらしい。
山椒の葉っぱだそうだ。
うなぎが植物でないことは知っていたが、山椒が鰻重くさいのは驚いた。
しかし鰻重と異なり、食べるととても苦かった。
『うなぎの寝床』だけにこのあたりには山椒が多いらしい。
以降、あらゆる食事に山椒の葉っぱがかけてあったが、毎回苦い刺激に苦しめられた。
ワタシはうなぎじゃないことを感謝した。
次の料理は、全体的に丸かったり(お皿が)、四角かったり(お盆が)していた。
ハマグリがはいった団子のお吸い物だ。
ハマグリはどこにでも隠れているんだな、と思った。
次はちらし寿司だ。
海老や貝柱が入っているが、中でも金糸卵がものすごく細かった。
それと、また山椒が入っていた。
■金糸卵が細かったちらし寿司
次から次と美味い料理が続く。
次の料理はいろいろな盛り合わせてある。
泳ぎを止めた鮭を焼いたり、『へしこ』という板(名前から推測するに女性か?)だったり、自家製の、卵白でふわっとしたかまぼこだったりした。
おしながきや映像が残っていたとしても、なにがなんだかわからないまま胃に消えていった。
あっ
幸い映像は残っていたが、いま見ても説明はできない。
■説明ができない美味しさ
次は箸休めだ。
アサリにレタスをあえてある。
写真は食べてしまってないが、山椒がてっぺんにあった。
本当にどこにでも入ってくるずうずうしいヤツだ。
■箸が休まらない『箸休め』
箸休めとはいうものの、箸と口は休まる気配がない。
ついでに言っておくが、既にビールは8本空いて、冷酒(既に四合)との合わせ技になった。
シュリョウ民族の面目躍如である。
ビールのグラスは、酒屋でもらったうちのグラス(キリンの刻印入り)とよく似ている(形やビールを入れられる点)が、ビールメーカーの代わりに店の屋号が掘ってある。
日本酒は切り子ガラスだ。
■うちの器とは違う切り子
そろそろ満腹感を感じ始める。
気がつくと既に二時間経過していた。
一分では120回を数えている。
会議にしては長いが、あっという間だった。
会社の会議も、このくらい美味しいといいのに。
箸休めの次は、鯛茶漬けだ。
ご飯はボール状に軽く握ってあり、少しずつ崩して食べられるようになっている。
薄いお茶に鯛の甘味がマッチしている。
その中で山椒だけが相変わらず苦味を発揮している。
■山椒入り鯛茶漬け
食べ終わったが女将さんが新たに『うなぎ茶漬けもできる』と言う。
断腸の思いでうなぎ茶漬けの代わりに日本酒とビールを二本追加した。
しばらく飲んでいると、お茶菓子がでた。
水ようかんに桜の花びらが入っている。
上品なワタシが食べるからか水ようかんも上品に見える。
■上品なワタシが食べた水ようかん
とうとう最後だ。
お金を払えば追加は可能だが、ワタシのお腹は限界だ。
元々パンパンだったが、よく入る余地があった。
しかし、自分の可能性を試しすぎたかもしれない。
人体の神秘を噛み締めつつ、石畳を踏みしめたが、かなり苦しい。
人生とは苦しいものだと清水寺のおみくじに書いてあった。
『ゆだんすれば甚だあやうし』
かなり油断してしまった。
■油断したおみくじ
京都の料亭にて
京都の一泊旅行は無事に終わり、昨晩、帰宅した。
今日は自宅で一日丸くなって(体型も猫型ロボット並だ)京都に想いを馳せていた。
土曜に京都で待ち合わせて、昼に先輩二人と食べた懐石料理は絶品だった。
一流の料亭は、入り口からして違う。
特に京都の料亭は石畳のアプローチを長くとってある。
『うなぎの寝床』と言われるらしい。
おそらくは誤って入った場合に後ずさりする時間と距離を与えているのだろう。
打ち水された石畳がわずかに登り坂になっている気がするのは、緊張からか。
しかし、進むに連れて視界いっぱいに石畳が飛び込んでくるので、ちょっと圧倒される。
うなぎになったらこんな気分なのか。
■緊張で手元がブレた『うなぎの寝床』そんな石畳をそろそろと進んでいくと、少しずつ祇園の賑やかな表通りの喧騒が遠ざかる。
30mほどいった先の突き当たりを右に折れるとようやく店の間口だ。
カラカラと軽い格子の扉を横にスライドする。
パッと視界が明るく開ける。
意外にも中はかなり広い。
かなり広いあがりの左手は厨房に通じる入口で、右手に一段あがったところの正面に二階への階段があり、一階には広いカウンターと板の間が二十畳はゆうにあるだろうか、広がっている。
くつろげるようにという配慮からか、フロアはかなりゆったり広くとってある。
これならば、カウンターの隣に座った先輩に間違ってワタシのビールを飲まれる心配はない。
会社の近所のラーメン屋のように故意にワタシの餃子を食べられる心配もない。
『予約したKですが』
K先輩(♂)が、カウンターに声をかける。
『おこしやす~』
すぐに笑顔の素敵な和装の女将さんに出迎えられる。
美人女将だ。
靴を脱いで右手の階段を二階に通される。
他の客と顔を会わせないような間取りになっているのも、料亭の処世術なのだろうか。
幕末に倒幕のために料亭に集まった志士になった気分だ。
ちなみに一緒にいるY先輩ば志士゙というより、゙二児゙の母だ。
まぁ貫禄でいえば、獅子並みというか、金魚でいえば、オランダシシガシラだ。
オランダシシガシラがわからない人は、ネットで調べるとよいが、決してワタシには連絡しないで欲しい。
この記事にコメントするのはもってのほかだ。
通された部屋は、京間とはいえ八畳の広いお座敷だった。
部屋はエアコンで程よく暖められている。
志士の気分にひたるためにエアコンを火鉢だと思うことにしたが、壁にくっついているため、丸く囲めないのが残念だ。
畳の上にあればいいのに。
この部屋に窓がないのは、おそらく今のワタシたちが世を忍ぶ仮の姿なのだと見破ったためか。
入口正面の壁に小さな横長の障子がはめられてはいるが、しまっているので外が見えない。
K先輩は世を忍ぶというより、定年間際で会社に忍んでいる。
そういうワタシは、学生時代から部活の顧問に『秘密兵器』と言われ、今なおその教えを守っている。そんな我々のことを一目で見破るとは、さすがの眼力である。
女将さんには油断できない。
ワタシが二日パンツであることも既にバレているに違いない。
床の間にはまだツボミの桜の枝がいけてあり、風情を感じる。
京都市内もまだ桜は七、八分咲きといったところだから、満開になるのは来週あたりだろう。
ただ春の早い高台寺のしだれ桜は満開だった。
人生ももう散るだけのK先輩(定年まで後一年)と来たのも、なにかの因縁か、執念か、どうなんか?
そんなつまらないことを考えたりする。
そうこうしていると女将さんが来て改めて丁寧に挨拶をされた。
『どちらからいらはられましたのか~』
『東山三条ホテルから』と答えようとしたら、Y先輩に先を越された。
『東京からです』
『そうですか~』
危ないところだった。
来た方向を聞かれたんじゃなかった。
昔から方角には自信がないのに無理してはいけない。
こういう時は、ワタシは黙っていた方がよい。
黙って女将さんに差し出されたおしぼりを受け取ったが、触れたらすぐにこのおしぼりが目が細かく丁寧に作られたものであることがわかった。
手触りがよく、よい香りがする。
『飲み物はいかがしまひょ』
『ビールを二本くらい』
『ではただいまお持ちします』
『いいタオルですね~。記念に欲しいな~』
女将さんが退席するのを見計らってK先輩に冗談ぽく話すと、
『俺の名前で予約したんだ。止めてくれ。そういや携帯電話の番号まで教えてるんや』と止められた。
黙って持って帰ればよかった。
女将さんがお盆を持って戻ってくる。
最初は振る舞い酒だそうだ。
ひとりずつ女将さんに酌をされる。
一気に飲み干すと、冷たい日本酒が身体をスッと通って行くのを感じる。
命の水と呼ばれる意味がわかったような気になる。
K先輩がむせているが、余命が少ないので、新しい命の水は刺激が強すぎるのだろう。
さらに桜の湯をだされる。

■桜の湯
二日パンツでいただくには申し訳ないほどに香りが上品である。
ビールをついでもらい、ちょっと雑談する。
『どちらへ行かれましたかぁ』
『清水寺から三年坂を下って高台寺に行ってきました』
『今日は天気もよくてよかったどす』
清水寺が外国人ばかりだったと話すと、ちょっと前までは韓国人が多く、さいきんは中国人に替わってきたそうだ。
ワタシは韓国語も中国語(北京語,広東語等)は、『愛してます』くらいしか話せないが、確かにたくさんアジア人がいた。
国はどこでもよいが、景気をよくするために是非外資を落としていただきたいところである。
ついでにワタシにも落としていただけると更にいい。
(続く)
京都への行き方、歩き方
京都まではいろいろな行き方がある。
自家用車やバスでも行けるし、お金と時間さえ許されれば、イスタンブールやケープタウンを経由することもできる。
そのうちのひとつは、東京の品川で山手線から乗り換え、ビールを二本買って、新幹線ホームに上がる方法だ。
この際、注意しなくてはいけないのは、切符がないと新幹線のホームに辿り着けないことだ。
もし三浦海岸に着いてしまったとしたら、京急線に乗ってしまったと思った方がよい。
ホームを間違えたのだ。
ただ着いたのが三浦海岸ならばまだ救いがある。
うっかりウラジオストクとかアンカレッジに着いた場合は、乗り継ぎにパスポートが必要だ。
新幹線に乗れさえすれば、京都に行くのは簡単である。
名古屋を過ぎたら、新大阪を目印にすればよい。
京都は新大阪のひとつ手前だからだ。
なので、もし新大阪まで行ってしまった場合は行き過ぎである。
幸いにして、ワタシはなんとか京都で降りることができた。
京都に着いてから、ホテルの場所を調べると三条京阪駅で降りなくてはいけないらしい。
東山三条ホテルというホテルだ。
駅の案内板を見る。
案内板には京都を中心とした電車の路線が書いてある。
案内板によると、地下鉄に乗り、途中で乗り換えが必要である。
しかし、油断してはならない。
案内板が正しいという保証はないし、なにより案内板を読んでいるワタシも信用できない。
この案内板ではグァムやハワイには辿り着けないし、ワタシの家も載っていない。
今日のところは、三条京阪駅に行けばよいので、こと足りそうではある。
切符を購入して改札をくぐる。
ホームに出ても危険は一杯だ。
このホームは両側に電車が停まるように設計されている。
うっかりすると、行きたい方向とまったく反対に行ってしまうタイプだ。
ワタシは初めての場所では慎重な性格なので、間違えたことはないが(京都駅の地下鉄はおそらく初めてだ)、慣れ親しんだ山手線ではしょっちゅう逆回りに乗ってしまっている。
幸い山手線は、一時間ほど我慢すれば元の場所まで戻れるが、京都の地下鉄はどこまで行くか検討もつかない。
ひょっとすると津軽半島に着いてしまうかもしれない。
ワタシがそそっかしい性格だったらと思うとホッとする。
ホームの乗る側がわかってもまだ油断は禁物だ。
運転席には乗り込めないし、線路の上を走っても行けない。
ましてや天井を走るのはもってのほかだ。
餅は餅やだ。
線路を走るのは地下鉄に任せた方がよい。
なんとか乗り換えも無事に過ごし、三条京阪駅に着いた。
駅からは東に二分だそうだ。
東というからには、東京の方角だ。
残念なことに駅前に掲げてある地図には東京が載っていない。
代わりに東山三条ホテルを見つけた。
確かに近い。
安心してホテルの方角に歩き始める。
22時もまわって既に真っ暗で、車や人通りも少ない。
しかし、東京と京都では時差があるのかなかなかホテルが見当たらない。
既に五分は歩いている。
初めての街でキョロキョロしているからか?
子供のころ、一日が長く感じたのは、初めての発見が多く、刺激が強かったからだという。
そうすると今のワタシも初めての発見が一杯なのかもしれない。
しかし、明らかに時間がかかり過ぎている。
聞こうにも人がいない。
仕方なく駅に戻る。
行きと比べるとちょっと遠く感じる。
やはり間違えていた。
現在地をよく見ていなかった。
ワタシが注意深くなければ、このまま岡山辺りまで歩いていたかもしれない。
なんとかホテルに着いてホッとする。
あやうく迷子になるところだった。
うれしさも格別である。
なにより受付の女性がかわいかったのがよかった。
旅にでた
強いて理由をつけろと言われれば2307個はあげられるが、今はあげない方がよいと思う。
なぜなら、『仕事に疲れた』『婚活に疲れた』『上司にどつかれた』『部下にミスをつかれた』『サボっていることを気づかれた』と、どうやっても疲れた理由しかでてこない。
そのくらい疲れていたからだ。
そんな人生に疲れたときはひとり静かに旅にでるのがよい。
木曜の夕方になって、そう思い立ったワタシは慌ててホテルを探し、予約した。
もちろんこっそりと(業務時間内だった)。
そのままわくわくしながら、営業に出かけた。
不思議なことにこういうときはなんでもスムーズにいってしまったりする。
営業もスムーズに断られた。
わくわく感で営業どころではなかった。
そんな興奮冷めやらぬまま、今日、出発の日を迎えた。
業後に出発するから、同僚には秘密だ。
プライベートな遊びで、仕事に穴を開ける訳でもない。
もともと仕事をしていないのだ。
穴が開くわけがない。
それでなくとも、ワタシの同僚は、ワタシをイジルことにかけて、命を燃やしているような輩(やから)ばかりなのだ。
バレた日には、なぜ行くのか、誰と行くのか、お土産を買え、カバンは持つな、だのうるさくて仕方ない。
ところが、今日に限って上司から仕事を言いつけられてしまった。
今日こそ外回り営業をして、そのまま静かに泊まりに出かけるにはぴったりの状況はないのに、仕事をしに本社に行く羽目になった。
気づかれないように、いつものように手ぶらで会社に行く。
下手にカバンを持っていくと、セキュリティ担当役員やら何やらに引っかかってしまう可能性がある。
そんなことになるくらいなら、二日パンツの方がまだマシだ。
会社に着くと、5分もせずにN先輩がワタシの席に寄ってきた。
『boke×2、京都に行くのか?なぜひとりでダブルの部屋なんだ?』
『えっ?なぜそれを?』
『予約した紙をCOPY機にだしたまま忘れてるよ、ホレッ』
しまった!!
昨日は、アポイントの時間に遅れそうだったので、予約してから慌てて出かけたのだ。
おかげでホテルの予約票を印刷したまま回収しそこねた!
うちの会社は、各フロアのCOPY機をプリンタ設定できる。
よりによって本社、総務のCOPY機に出力して、放置してしまったのだ。
幸いこのN先輩は口が固い方だ。
『ネットで安いホテルを探して予約したら、ダブルの部屋になっただけです。一人ですよ。でもみんなには内緒で…』
口止めをして、静かに仕事をする。
今日は、極力、気配を消しておく必要がある。
しかし、総務への噂の広まりは想像を超えていた。
営業担当のK役員は昼過ぎに帰社するなりフロア真ん中の自席に行く前にわざわざ窓際のワタシの席まで来て言った。
『boke×2は京都になにしにいくんだ?』。
また購買の女性スタッフYさんは、ワタシの隣の同僚を訪ねてきたついでに、ワタシに声をかけた。
『boke×2さん、京都行かれるんですかぁ?…ワタシは八ッ橋がいいな
』。このフロアでは、既に過半の同僚にバレたと腹をくくろう。
幸い、ワタシの直属の部下たちは、エレベータホールを挟んだ反対側のフロアに座っているから、まだ被害は小さい。
夕方に年度末の社長の訓示を聞いて、猛スピードで上司からの依頼仕事を片付けた。
そしてちょっとした用事で、帰る前に反対側のフロアにいる部下チームに顔を出した。
そこにいるワタシの先輩Tさんにちょっと用事があったのだ。
T先輩は顔を見るなり小声で聞いた。
『なんだ?おまえ京都に行くんだって?』
そう言ってニヤッとしている。
慌てて『内緒ですよ』と答えると隣にいた後輩Oちゃん(♀)に打ち消された。
『残念ながら、boke×2さんが京都に行くんだってこと、みんな知ってますよ。今朝から噂が流れてましたから。さらに年度末の全社会議で大勢帰社したから。』
…そう言われ、お土産を約束させられて、しょんぼりと新幹線に乗ったのだが、いまメールが来た。
客先にいる別のプロジェクトの部下(♀)である。
『boke×2さん、客先だからと遠慮なく、こっちにもお土産をお持ちください。』
ワタシの旅の情報は、すでに全世界に広まってしまったようだ。
パンデミックとはこういうモノか。
こうなると周りの誰もが信用できない。
新幹線の隣の女性さえ疑わしい。
なによりプリンタに印刷物を放置したワタシが一番信用できない。
営業指南
週明けからずっと傘をさしながら外をウロウロしているので、かなりうっとうしい。
普段はあてもなくウロウロしているのだが、今週のウロウロにはあてがあるので更にうっとうしい。
これというのも、ずっとひた隠しにしていた仕事をしていない事実を社内で明るみにだされてしまったからだ。
しかし明るくなかったのはワタシだけで、役員や社員はみな知っていたらしい。
ワタシにだけひた隠しにするなんてヒドイッ。
そんな訳で仕方なく外を営業して回っている。
営業は楽だ。
アポイントをとって先方に会いに行き、相手の話を聞いていればよい。
しかも、毎月の事業推進会議のように、資料を毎回新しくする必要がないのだ。
営業の資料は一回作れば使い回せるし、『先月と数字が変わっていない!こらっ』と怒る役員もいない。
気をつける点は、お客様から意見をもとめられればしっかり答える必要がある、ということだ。
ワタシはいつもお客様の話を聞き漏らすまいと努力し、お客様の要望があれば、意見をいうべく構えている。
残念なのは、なかなかワタシが自信のある意見を述べる機会に恵まれないことか。
『会議中睡眠必勝法』とか『サルでもわかる遅刻の言い訳』とかであれば、一過言持っているのに。
ワタシの仕事である技術職の営業は、カタカナの話ばかりだ。
カタカナばかりなのでまずは言葉を知っておく必要がある。
特にカタカナは読めて書けなくてはならない。
『ワ』と『フ』と『ク』、『テ』と『チ』などは形が似ているので注意が必要だ。
うっかり『チワワ』と『チクワ』を間違えると、犬小屋の代わりにおでんを納品しかねない。
幸いうちの会社の商品には犬小屋もおでんもないので、ワタシは安心だ。
応接室での振る舞いも重要だ。
相手はワタシの身だしなみから座った姿勢まで見ていると思った方がよい。
試しにパンツ一丁でアタマにリボンをつけてバグパイブを吹きながら応接室に入ろうモノなら、お笑い芸人かちんどんやの営業に間違われるはずだ。
そして退室の際も気を抜いてはいけない。
しっかり挨拶をして封筒を持ち(カバンはつねに持ち歩かない)、ゆっくり、しっかりとした足取りで応接室を後にする。
受付の女性にセキュリティカードを返却し、ゆっくりとロビーに出る。
今日も無事に営業をこなしたと確信しながらエレベータホールでエレベータに乗り込もうとすると、先方が口を開いた。
『あれっ、boke×2さん、傘は?』
『あっ、応接室にっ、ス、スミマセン』
…なかなか真の営業マンになるのはムズカシイ。
春休みのこどもたち
座っていると前に立っているこどもに傘でつかれそうにまでなった。
そうか、もう春休みか。
休みと言えば、その昔はワタシも毎日期待で胸を膨らましたモノだったが、最近は休みと言えば毎日奇態な姿勢で布団を膨らませている。
こどもらよ、いまのうちに目一杯遊ぶがいい。
そうしないとすぐにワタシみたいな趣味が寝ることと食べることというつまらないサラリーマンになってしまうぞ。
…それにしても傍若無人な騒ぎようだ。
隣ではこどもが二人なにかを取り合って揉めている。
さっきからなんどもワタシは脇をこづかれているのだが、謝るどころか益々エスカレートするばかりだ。
少年よ、いくらワタシが会社で毎日のように上司や部下にこづかれているからとはいえ、ワタシをこづくのはやめたまえ。
それとも、少年もワタシをこづく大多数の敵と少数の味方のうちの敵だというのか。
もしそうでないと言うなら、取り合いなどせずに、ワタシも含めて平等に分けたまえ。
なに?
取り合っているのは、ナミちゃんがくれたあめ玉だと…
それはいかん。
あめ玉を分けるのはいキャンディ。
……。
コホン。
男はときに、戦うことも必要だ。
ナミちゃんのあめ玉を得るために、ぜひ戦いなさい、隣の車輌で。
ただ、戦って勝者になっても、なみちゃんは、違うオトコと結婚しちゃうんだモンね。
なんで分かるのかって?
ワタシもその昔、勝者だった。
こらっ。
前の少年よ。
さっきから傘で叩いているのは、ワタシの足だ。
ゴルフボールじゃない。
それにしてもそんないい加減で中途半端なスイングでいいのか。
まるでなってない。
そんなことだから、近い将来、駅のホームで傘を使ってスイングチェックするようなしがないサラリーマンになるんだ。
そんなワタシみたいなサラリーマンになっていいのか。
このように、元気なこどもたちを心のなかで注意しながら、会社に向かった。
一仕事終えたと思えるほど、かなり疲れてしまった。
ワタシのこどもではなくて、よかった。
ワタシのこどもだったら、一緒に輪に入って遊んでいたかもしれない。
ようやく目的地でこどもに解放されたのは、日も高い11時だった。
イカン、今日も遅刻だッ。
当たった
普段は多少のことでは驚かないワタシも、驚いた。
本を開いたまま寝ていたからだ。
慌てて飛び起きたが、相変わらず電話は鳴り止まない。
家の電話が鳴るときはろくなことがない。
基本的にワタシの知人は携帯電話にしか連絡をしてこない。
しかし家の電話は、どういうわけか、ワタシは相手を知らないのに、相手がワタシを知っているのだ。
しかもよくよく聞くと、ワタシになにかを売り込もうとする要件ばかりである。
先方だけがワタシを知っている時点で不安を感じているのに、不安を解消するどころかかなり遠回しに何かを売り込んでくるのだ。
身内の不幸な話が、なぜ壺の値段の話になるのか。
こういうとき、ワタシは気が弱いので、なかなかはっきり断れない。
電話に出る前にシミュレーションする。
アンケートに答えてくれ?
いりません。粗品も質問も。
おめでとうございます?ワタシが当選した?
いりません。羽毛布団も壺も必要ないから。
住宅ローン見直し?
いりません。一緒に住む家族がいないから。
節税対策?
いりません。高収入じゃないから。
お墓が格安?
いりません。墓参りにくる家族がいないから。
違った!
お墓の断り方は、『まだ死にたくないから』だった。
でも、まぁ、このくらいバリエーションがあれば、多少のことでは動じることなく切り返せるだろう。
電話は相変わらず鳴っている。
警戒を緩めずに歩み寄ると、唐突に留守電になった。
ちょっと意表をつかれてしまい、取るタイミングを逸してしまった。
テープにあわせて、先方が話し始める。
『え~、●●急便ですけど、お届けモノです。ご在宅のお時間を教えていただきたく…』
こういう電話なら、話は別だ。
慌てて受話器を上げる。
ガチャッ
『スミ、ミマセン!!ボッ、boke×2です!!荷物は誰宛ですか?』
『アサヒビール様からboke×2様宛ですぅ』
ん?
アサヒビール?
心当たりはないが、ビールなら最悪、ワタシの不幸話と引き換えに売りつけられても構わない。
『ハイッ!!今なら居ます。というかお届けモノがくるならずっと居ます!!』
かくして届いたモノは、アサヒビール様からの麦絞り350ml24缶セット。
モニターに当選したらしい。
この不景気になんと太っ腹!
トン様へ!!
ありがたくありがたくいただきます。
グピグピ
旅の楽しみ
今ごろは銀世界の中、旅館のコタツで蜜柑を摘まみながら、テレビを観ているはずだった。
窓から白銀の山々を見ながら、あっちは日本アルプスか、そっちは富士山か、こっちはマッキンリーかと指差し、シュプールを描くスキーヤーを眺めていたはずであった。
会社の先輩三人、その子供が三人でスキーに行くからと、夜の宴会から参加するように誘われたのだ。
なぜスキー旅行なのに、スキーに誘われていないのか。
怪我をしている訳ではない。
ワタシが普段からスベリ慣れているから、とか、冬のスポーツはダメでスノー、とか、ダジャレもいらない。
学生の頃は、張り切ってスキーをしていたのだ。
あのまま続けていれば、オリンピックも夢ではなかったかもしれない。
少なくともあと二百年くらい練習すれば不可能ではなかったのではないか。
しかし、残念ながらスキーはやめてしまった。
今まで秘密にしていたが、ワタシには膝が硬いという弱点があるのだ。
この弱点さえなければ『白銀の貴公子』も夢ではなかった。
もっと膝が軟らかかったら、正座も苦にせず、プロ棋士にも、著名な茶の湯の師範になっていたかもしれない。
(ただ、プロ棋士になっても、『成金の貴公子』とは呼ばないで欲しい。)
かくして残念ながら、ワタシからスキーは断ったのだった。
しかしなぜ今、尾瀬岩倉にいないのか。
疑問は解決していない。
実は、ワタシはかなり懐深くおおらかな人間である。
スキーには行かないが、宴会から合流することには合意した。
その中で昨日は、早朝まで飲んだくれていた。
結果としてワタシは心身共に疲弊して帰宅した。
一度は目覚めたが(先日のブログ参照)気がついたときには、居間のサイドテーブルに寄りかかって眠っていた。
いつも気がつくときにはベッドにいた試しがない。
今回も同様だった。
ベッドとサイドテーブルの違いにはこだわりのないおおらかな性格が裏目にでた。
既に午後3時は回っている。
天井も床もサイドテーブルも回っている。
ワタシの頭も回っている。
回っていないのは、お金くらいだ(給料日前だ)。
とても旅行に行ける体調ではない。
かくして旅行自体もキャンセルする羽目になった。
楽しみにしていた旅行の話もできなくなった。
お土産を楽しみにしていた方はスミマセン。
先輩もドタキャンしてスミマセン。
これで今回の話もスミマセンか?











