カズオ・イシグロ 2015年発行

(原題 The Buried Giant  埋葬された巨人)

 

本の最後に早川書房編集部の解説があり、そこにこんな一文があった。

イシグロが繰り返し述べているように、『忘れられた巨人』は「本質的にラブストーリー」であり、ある老夫婦の冒険と愛を描く普遍的な物語として受け入れられている。

しかし私の読後感は・・・

アーサー王が武力を持ってサクソン人を追い払いブリトン人の国を作ったその後の世界。

なぜか人々は過去に会ったことを忘れ(良いことも悪いことも)ぼんやりとその場の感情だけで動くようになっていた。

横穴式の住居に住む集落の、労わりあい愛し合う老夫婦は昔出奔していった息子の元へと旅立つ。

その世界には悪鬼や竜や巨人など、わけのわからない暴力や脅威があるが、道中、サクソン人の虐げられた少年や戦士と同行することになり、さらにアーサー王の騎士と出会い、山の上の修道院へ向かう。

この国は雌竜クエリグの吐く息で過去を忘れるという魔法にかけられていて、一行はその竜を倒して記憶を取り戻すか、このままの世界でいるかで意見が分かれる。

過去、この国ではたくさんの殺戮があったがいまは全て忘れ去って平和の裡にぼんやりと暮らしている。が、一方敗戦国は多くの犠牲を払わされたことに遺恨を持ち、復讐の機会をうかがっている。

 

これはメタファではないかと気づくと、壊滅的な暴力が横行する今の世界情勢が重なって見えてくる。

イスラエルからガザ地区への攻撃は、過去から続いていた復讐の応酬であり、たとえ停戦になったとしても、その後民族に残る記憶はどう歴史を動かしていくのか。

忘れられた巨人とは、過去の戦地に残る残酷な爪痕のことだろうか。

それは夫婦のあいだの過去の亀裂のことともとれる。

 

様々な冒険を経てついに息子の住む島対岸に辿りつく。もちろん高齢者の徒歩での旅、その困難だったこと。

そしてハッピーエンドかどうか、それは何とも言えない。

どう受け取るか、人それぞれだと思う。

私は、過去を思い出すことの恐ろしさに怯えた。

 

本の右には小物作りの得意な友人が作ってくれた今年の干支・竜。

手先が器用でこういう遊びができるのは、老後も楽しめるということ。

羨ましい。

 




伊集院静さんが先月亡くなられた。74歳、まだ若かったのに…

この本は若い妻を亡くして放縦な生活をしていた時に出会った色川武大またの名阿佐田哲也氏との交流と、そこから再生していく心の動きをサブローといねむり先生という名を使って描いている。



色川氏がどれだけチャーミングで不思議な人か、読んでいると気になって仕方がない。けれどそれは伊集院氏も同じ。平凡で熱量の余りかからない生き方をしているものからは、別次元のヒトのような気がする。


いねむり先生の語ったことば…
「猫というのは人間に添おうとしない分だけ、かたちがいいねえ」
きっと人も同じ。妙に合わせようとしない人は、かっこいい。自分がある、ということ。
いねむり先生の小説の一節…
「自分のどこかがこわれている、と思いだしたのはその頃からだった。漠然と感じる世間というものがそのとおりのものだとすれば、自分は普通ではない。他人もそうなのかどうかわからない。他人は他人で、ちがうこわれかたをしているのか、いないのか、それもよくわからない」
たぶん私はいねむり先生ほどは世間とズレがないはずだと思っている。けれどわからない。わからない恐怖を感じたくないから、自分は普通だと思いこもうとしているのかもしれない。人に合わせなくてはいられない。かっこ悪い私。
サブローといねむり先生が共に抱えている狂気が、この本に度々現れる。

程度の差はあるものの、生きていくうえで皆少しの狂気を抱えているのではないか。何かしらの呪縛から解き放たれたくて、皆もがいているのではないか。


この小説のなかには合法、非合法を問わず、ギャンブルの場面がたくさん出てくる。

このことについてサブローは…

世の中にはギャンブルをする人としない人がいる。それだけだ。といった内容のことを語る。ギャンブルは金儲けでも、遊びでも、人生でもない。ただ、するのだ。私にはわからない感覚。


サブローはこの本の中で何人もの人から幾度も再び小説を書くことを勧められる。そのたびに自分は書けない、そんな才能はないと最後まで断り続ける。しかし私達は知っている。その後伊集院静氏は、『乳房』『受け月』『機関車先生』と滋味溢れる名作を生み出していったことを。




誕生日前祝いで、恒例のシャトー・オー・ブリオンを開けてくれた。
あの芳醇な香り…と思っていたら、なんとカビ臭い。半端なくカビ臭い。
10年以上前に21000円で購入してワイン用のトランクルームで眠らせておいたもの。
え?トランクルーム全体がこうなってしまっている!?
なんだかもう、やるせない。私はぜんぜん飲めなかった。
夜中も気になって起き出しネットで調べてみたら、ブショネという状態だそうだ。天然コルクの消毒をする際に稀に発生する化学反応で、この一本に限った現象だと。他の冬眠中のワインには影響はない。ワイン自体は問題ないので飲めるらしいが、あの臭いでは美味しくなど感じられない。

今年のオー・ブリオンは残念な結果になってしまったが、こんな稀な一本を引き当ててしまったのだから、きっと別に良いことがあるはず…と思っておこう。
一昨日、帯状疱疹の予防接種2回目を受けた。
覚悟はしていたけど、昨日は朝から体中が痛い。節々はもちろん、腹筋も。いっそ熱でも出てくれたほうがスッキリするのに悪寒だけで体が冷えている感覚。
腰も痛くて軽い運動すらフラフラして出来ない。
そんな一日…
365ページのこの本を読み切った。
中国人現代アートの巨匠・蔡國強と、いわき市の事業家・志賀忠重の、出会いとその後の絆を描いている。
素晴らしいおっさん達。チームいわきのかっこよさ!
そもそも心に壁を持たない、純粋にやりたいことを追求する人達なのだ。
特に志賀さんの、経済と情熱のバランスがすごい。それは北極徒歩単独横断を決行する大場満郎のベースとなることでも発揮される。
日本に来たばかりの無名の蔡國強に協力した場合もそうだったが、滋賀さんの人をまるごと引き受ける。その懐の深さに感動する。
このふたりはそれぞれ時代の大波に襲われた。文化大革命、そして東日本大震災。
この本の中には、現代アートとは……の答えもあるような気がする。
本は2018年刊行だからコロナ禍での活動は記載されていない。
いま、どうしているのか知りたい。
いわき回廊美術館も、いわき万本桜も見たい。
年末になって、興味深い偶然がいくつかあって・・・これは今年私がやり残したことを誰かが清算してくれているのかなって有難くその啓示を受け取りました(啓示なんて言葉を使うと、神がかっているように受け取られるかもしれないけど、私は無宗教です)
 
『傲慢と善良』辻村深月  婚活の話。結局自分が何者で何を求めているのかがわかっている人が選択できる。でもこれ、婚活ばかりではないね。人生においての選択、生活のなかでの選択、みんな少し先のビジョンが見えていないとできない。周りのスピードや価値観に振り回され立ちすくんでしまう。自分を過大評価しそれに釣り合うものしか手に取れない…傲慢。周囲に気を使い良い子でいる…善良。相反する言葉のようだけど登場人物のなかでは共存している。物語の終盤、宮城のおばあちゃんに「あんだら、大恋愛なんだな。」と言われて気づく、相手のことを知ろうとする時間って、そういうことなんだ。

サルース(東急電鉄の無料月刊誌)今月の表紙の書店に行ってきた。サルースで知る前に、InstagramでフォローしているBOOKNERDさんの記事で、三軒茶屋の本屋トワイライライトで若い女の子二人が写真詩集「東京」の出版記念展示を催すことが告知されていたので。

BOOKNERDさんは盛岡の本屋さんで、(盛岡の本屋って言ったら私たちの年代なら「さわ屋書店」か「東山堂」だったけれど、今ではジュンク堂とか丸善が出店しているらしいけど)そのなかで奮闘している個人経営の厳選した本と雑貨と展示を行う本屋らしい。Instagramの記事に載っている本の紹介も、店主の知的で静謐なイメージの文章があって、それだけでも豊かな気持ちになれる。

若い子がどんな気持ちで詩を書き自己を表現しているのか興味が湧いて、年末の、普通主婦なら大掃除とかいろんな用事を済ませているような日に、同じ詩誌仲間を誘ってのこのこ出かけてきたというわけ。

トワイライライト、興味深い本屋さんだった。昔、本屋さんで背表紙だけでワクワクしていた気持ちが蘇らせてくれる。知っている本もちょこちょこ、読みたかった本も。また行こう。

作家さんご自身にも会えてよかった。そして彼女たちが何の気負いもなく純粋に伝えてくれていることが肌で感じられて清々しい思いになれた。

どうもね、私は詩仲間にどう受け取ってもらえるかばかりを考えているのではないかと、人の目…評価を気にしているのではないかと反省。

 

 

クリスマスのことをちょっと・・・
24日にムスコ家族とムスメと、総勢7人で食卓を囲む予定だったのに、なんと直前にムスコがコロナ感染!
当然その家族は濃厚接触者ということで自宅待機。会えません…。
当初の予定では大人数だったのでお料理は写真のほかに栗ご飯を詰めたローストチキンと、こども受けするサラダなどだったのにここに並べることもできず、チキンはムスコ宅へ届けた。今年のチキンはうまく焼けたので写真だけでも撮って置けばよかった。
メインは代官山パッションから取り寄せたカスレ4~5人前。(洗面器くらいの大きさの陶器に入ってきたのをオーブンで40分焼くだけ)当然食べきれない。フロマージュテッド、チーズ2種、適当アンティパストミストを並べて黒ゴマとエダムチーズのパン、クルミ入りカンパーニュ、ミニベーグル3種(ココアチョコ・プレーン・シナモンレーズン)も。
ケーキは近所のドゥースボアで。今年も予約なしの当日販売のみ。ムスコ宅に持って行くついでに自分たちの分も。売り切れ御免だから午前中に買いに行ったけど朝から行列で常時20人以上が並んでいる。昔ムスメがアルバイトしていたのでちょっと顔馴染みなので二言三言話をしたけど、シェフも奥さんも疲れ切っていて、きっと会話の内容なんで覚えていないだろうなぁ。
小さい子たちが来ないならクリスマスの飾りなんて出すつもりもなかったけど、出してしまったものは仕方ない。力なく立っている我が家のクリスマスツリー。今年の新顔は右上のカラフルなオーナメント・・・嵐からのクリスマスプレゼント♡
お人形はホビーラホビーレのニーナちゃん。お洋服と靴を作って着せてあげて、一番小さい子へのクリスマスプレゼントです。最近彼女がお気に入りの〈お人形さんを寝かせる行為〉のために、お布団も作って一緒にラッピングした。上の子には布絵本を作ってあげたけどもうそんな気力も視力もない・・・
元気に過ごせないとなんにもできない、できるうちにしたいことをしよう、と つくづく思う年末でした。
 
 
 
 
今回の芥川賞作品は高瀬隼子さんの「おいしいごはんが食べられますように
ラベル会社の支店のある部署の人間関係・・・
怖かった~。
仕事はいまいちできないし、自分の体調に甘くて頻繫に休む、でも気遣いとフェミニンなイメージで反感を持たれない女・芦川。
頭痛で早退しといて翌日お詫びにってお菓子を焼いてくる?
ホールのケーキを焼いてきて、「おやつですよ~」って配る?
こんな面倒な奴、私は苦手。
でも課長は絶賛するし、中途半端な男・二谷は取り込まれていくし、立場の違うおばさんたちは可愛がるし。
同じ正社員でちょっと年下なのにバリバリ仕事ができる押尾女史の心境がよくわかる。
ただ、芦川も強迫観念にとらわれているのかも。
そうあるべき自分の理想の姿を体現させるため、それこそ仕事は二の次に、お菓子を作り二谷の食事の用意をする。
人前では優雅に可愛く振るまっているのに、夜な夜な脂汗を流しながら粉を量りクリームを練る芦川の姿…想像するだに哀れだ。
ひとりでも、気兼ねなく食べることのできる環境がほしいよね、押尾さん。
表現は押尾と二谷のそれぞれの側からの二人称で構成され、物語に立体感が生まれる。二谷の存在もそれなりに重要になる。
食品ラベルの会社ってところも、暗に人の在り方への示唆があるようでおもしろい。
 
文芸春秋の他の記事は、旧統一教会と故安倍氏のことがたくさんあって、すでに新聞やテレビで見聞きしているので目新しいものではなかった。
それよりも倉本聰氏の「わたしの貧幸生活」に寄せられた読者のお便りがなかなか面白かった。
皆さんご高齢で、昔は工夫して暮らしていたとかそんなことをおっしゃっているが、環境に負荷を賭けながらも便利な世の中を作ってきたのは(望んできたのは)この方達じゃあないのかな。
後戻りするには、便利な世の中で育ってきた若い人達には相当難しいし説得力ないと思う。
高齢になり、生活の幅が狭まり緊急性もなくなってきたから究極の田舎暮らしを提唱できるけど、いままさに子育てをしながら世界を広げて働いている人たちには、なかなかできないことだと思う。
 
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2021年のこのミステリーがすごい!大賞・文庫グランプリ受賞作「暗黒自治区」亀野仁 にはショックを受けた。
物語の内容としてはそれほどトリッキーでもないがスピード感も続編を期待できる情感もあり、まずまずなのだが、それよりも舞台設定。
日本が隣国と国連に統治されたパラレルワールド。
その緻密な描写に引き込まれる。
隣国による理不尽な植民地化はきっと80年前は日本もこんなことをしていたんだと思わせる。
母国語が通用しなくなり、隣国からの役人にあらゆる役職を奪われていく。
息苦しくて恐ろしい。
現実にそうならないように、日本という国をしっかりさせてほしいけれど、円が力を失っていくと何に頼ればよいのかわからなくなる。
私の世代は、まだ良い。子は?孫は?
どんな世界で生きていくのだろう。