伊集院静さんが先月亡くなられた。74歳、まだ若かったのに…

この本は若い妻を亡くして放縦な生活をしていた時に出会った色川武大またの名阿佐田哲也氏との交流と、そこから再生していく心の動きをサブローといねむり先生という名を使って描いている。



色川氏がどれだけチャーミングで不思議な人か、読んでいると気になって仕方がない。けれどそれは伊集院氏も同じ。平凡で熱量の余りかからない生き方をしているものからは、別次元のヒトのような気がする。


いねむり先生の語ったことば…
「猫というのは人間に添おうとしない分だけ、かたちがいいねえ」
きっと人も同じ。妙に合わせようとしない人は、かっこいい。自分がある、ということ。
いねむり先生の小説の一節…
「自分のどこかがこわれている、と思いだしたのはその頃からだった。漠然と感じる世間というものがそのとおりのものだとすれば、自分は普通ではない。他人もそうなのかどうかわからない。他人は他人で、ちがうこわれかたをしているのか、いないのか、それもよくわからない」
たぶん私はいねむり先生ほどは世間とズレがないはずだと思っている。けれどわからない。わからない恐怖を感じたくないから、自分は普通だと思いこもうとしているのかもしれない。人に合わせなくてはいられない。かっこ悪い私。
サブローといねむり先生が共に抱えている狂気が、この本に度々現れる。

程度の差はあるものの、生きていくうえで皆少しの狂気を抱えているのではないか。何かしらの呪縛から解き放たれたくて、皆もがいているのではないか。


この小説のなかには合法、非合法を問わず、ギャンブルの場面がたくさん出てくる。

このことについてサブローは…

世の中にはギャンブルをする人としない人がいる。それだけだ。といった内容のことを語る。ギャンブルは金儲けでも、遊びでも、人生でもない。ただ、するのだ。私にはわからない感覚。


サブローはこの本の中で何人もの人から幾度も再び小説を書くことを勧められる。そのたびに自分は書けない、そんな才能はないと最後まで断り続ける。しかし私達は知っている。その後伊集院静氏は、『乳房』『受け月』『機関車先生』と滋味溢れる名作を生み出していったことを。




誕生日前祝いで、恒例のシャトー・オー・ブリオンを開けてくれた。
あの芳醇な香り…と思っていたら、なんとカビ臭い。半端なくカビ臭い。
10年以上前に21000円で購入してワイン用のトランクルームで眠らせておいたもの。
え?トランクルーム全体がこうなってしまっている!?
なんだかもう、やるせない。私はぜんぜん飲めなかった。
夜中も気になって起き出しネットで調べてみたら、ブショネという状態だそうだ。天然コルクの消毒をする際に稀に発生する化学反応で、この一本に限った現象だと。他の冬眠中のワインには影響はない。ワイン自体は問題ないので飲めるらしいが、あの臭いでは美味しくなど感じられない。

今年のオー・ブリオンは残念な結果になってしまったが、こんな稀な一本を引き当ててしまったのだから、きっと別に良いことがあるはず…と思っておこう。