数年前に新聞の広告でよく見かけていた本。

BOOKOFFで一冊100円のセールになっていて、買っちゃった。

悪の経典とか、黒い家とか、ちょっとおどろおどろしい題名の(中身も)作品が多くて、近寄りがたい作家だけど、

防犯マニアの榎本君(大野智君主演ドラマ・鍵のかかった部屋)のシリーズも書いている。

分厚いし、時々グロいし、どうなることかと思ったけれど、結末が知りたくてどんどん読めた。

 

遠い未来、超能力を持ってしまった人間が、破壊願望や殺意をどうコントロールしていくかに苦慮している。

その人間の雑役をしているのが、ネズミのような人間のような醜い動物、通称バケネズミ。

彼らは蜂のような生態系を持ち、全ての子の母でもある女王を中心としたコロニーを形成している。

人間が彼らを殺そうと思えば、即、死に至らしめることができる。コロニーごとでも。

制御が難しい能力を持ったがために自らを縛り委縮して生きている人間のなかに、

無条件にその生き方を受け容れることに疑問を持つ子供たちが現れる。

そして崩壊が始まる・・・

 

いろいろ考えた。

この夏も私はクチナシの鉢に現れる青虫をいっぱい退治した。

見つけたら、駆除する。

彼らの生殺与奪権はわたしが握っていた。

道端できれいな蝶を見かけると、見とれてしまうのに、青虫は殺す。

殺さないと、クチナシ丸坊主になってしまうのだから。

なんだろう、この区分は。

殺す行為はワタシを蝕む。

 

今朝、義母の家の草を刈ってきた。

伸び放題のバラも、丈高く伸びたヒメジョオンみたいなのとか、葡萄のような赤い実をつけた多年草とかも。

とにかく刈って刈って、引っこ抜いて。

一生懸命に伸びているのに、たくさん切った。

これも生きているのになって思いながら。

 

この小説から、人間の矛盾点とか無慈悲さとか、色々感じた。

読み終わってからのほうが囚われている。

 

だからと言って、食を絶つわけでもビーガンになるわけでもなく、有難く食べてます。

大ぶりのマナガツオ(20㎝以上)の切り身をGETした日のメニュー。

(ムスメがほとんどを担当)

左からズッキーニ(これまた30㎝以上!)の丸ごと焼き

ピーマンの肉詰め・トマトソース

チーズフォカッチャ

キュウリのガスパッチョ

(アンダーラインを引いたものは、うちの農園から)

ズッキーニと皮付きニンニクを250度のオーブンで30分くらい焼いて、
オリーブオイルとパルメジャーノをすりおろしたものをたっぷりかけただけ・・・これが美味しい
こちらもある日の食卓
左から枝豆インゲンローズマリー煮、イカときゅうりと塩昆布、ポテトサラダ、鶏もも肉のトマトのせ。
自家栽培は美味しいけど、食材がいつも同じになってしまう。
 

 
昨日は乳癌の部分切除をして2年目の定期検査の日だった。
午前中にヨガのクラスに出て、その足で都心の病院に向かった。
 
到着したのが12:20。
検査の予約は13:00から。まだ時間はあるしおなかが空いた。
この病院の建物の前にはちいさな築山があって真ん中に桜の木が茂り、
そのまわりをぐるりと遊歩道とベンチが巻いている。
病院の入り口にはスタバがあるのでそこでチョコレートクリーム入りのチョコレートドーナッツとコーヒーを求め、
空いているベンチに腰かけてしばしのランチタイム。
ほとんどのベンチに誰かが腰かけて三々五々お弁当を食べたりスマホをいじったりして外気に触れながら時間をつぶしている。
 
食べ終わって12:45に受付をして、超音波診断・血液検査・マンモグラフィーと
ほとんど待たされることなく本日の任務終了。
昼下がりのあまり混んでいない電車に乗って最寄りの駅に到着。
駅からの途中、すれ違う人も少ないのでマスクを外してみた。
 
気持ちいい。
解放感と背徳感?
頬に触れるのは、梅雨時の優しい空気。
 
ときおりすれ違う人が来る時にはマスクをつけて、小学生の群れに遭遇してからは家に着くまで外すこともなく。
で、帰宅してマスクを棄てて手を洗って鏡を見たら・・・
 
口の周りがごんべえさん!
チョコレートが笑えるくらい付いていた!
え?私、至近距離でいろんな人と会った。でも誰もなんにも教えてくれなかった。
そうか!マスクしてたものね。
 
マスクをしていて、本当に良かった。
 
写真は先日いきつけの美容院GEKKOで、合間にいただいたカフェラテ。
この時は 目の前に鏡があったから口の周りも確認できた!

 

 

 

 フィンランドと言えばNATOへの加盟を表明していて、ロシアとの国境線は数千キロに及ぶという…いまかなりヒリヒリした国のひとつ。この本が書かれたのは2012年だから、フィンランドはまだ平和だったのね。


 アラフォーのフィンランド人独身女性、ミア・カンキマキさんが、広告代理店から長期休暇(一年も!)を取得して、心酔する枕草子の作者清少納言の実像を求めて京都に住む、しかも日本語は全くわからない。というはらはらのノンフィクション、結構分厚い。日本の古典を研究するのだから、きっとしちめんどくさいことがいっぱい書かれているのでは、と危惧したのだけれど、どちらかというとミアさんの心の揺らぎが書かれてあって、とても身近に感じられる。

 清少納言の印象は確かに良くない。高飛車で学識を鼻にかけた女官…と私は思っていた。でも、それは彼女の一面。なぜそう思うのか、いろいろ考察していくとミアさんが彼女の残したものに惹かれる気持ちがわかってくる。

 そして東日本大震災。その時の在日外国人たちの身の引き裂かれるような思い。ミアさんはタイに一時避難するけれど、やはりそこではない。清少納言の残り香のある場所に戻ってくる。場所が醸すもの。日本の桜。

終盤の目くるめくような表現・見解に息もつけないほど圧倒された。

 

上の写真の右の酒器は、数年前平安神宮の近くの陶器店で購入したもの。青鬼のユーモラスな表情とぽてっとしたフォルムが気に入っている。

 

 

 
最新の直木賞受賞作品
今村翔吾さんの作品は、『童の神』と『羽州ぼろ鳶組』を少し読んだきりだけど、時代物としのリズムの良さ、読者に納得してもらえる…というより幸福感を覚えるまでもっていく力技に、若さと巧みさを感じていた。
そしてこの本!
読み応えあった~満足満腹で読了。
話は盾と矛、どちらが平和をもたらすことができるかというせめぎ合いが軸となってすすむ。
矛は、核の抑止力のような理論で最強の飛び道具を作る。
一方盾は、ひたすら守るために石垣を組む。
クライマックスは、関ケ原の合戦直前、京極氏の居城・大津城が舞台となる。
そこでは、領民と君主、師弟、ライバル、思い合う人達が魅力的に動いていて、殺伐とした戦いに彩を添える。
闘いのシーンでの書き方も、ドラマのカット割りのようで解り易くテンポよかった。
うまいなぁ・・・
盾と矛、どちらに軍配が上がったかは明確には言えないが、守ることに徹するほうが心が荒まないのは確かだ。
 

壮絶な戦いのシーンでは、いまウクライナで起きていることを重ねて思ってしまう。

ウクライナは徹底して守っている。

一方ロシアは自国の領内で戦っているわけではない。攻撃あるのみだ。

核のボタンすら握って全世界を脅しにかかっている。

こういう時に一番大切なのはウクライナ国民の意志だ。

たくさんの犠牲には心が痛むが、どうか負けないでほしい。

平和を踏みにじることが罷り通る世界は、あってはならない。

 

飛田匡介、ウクライナに守りの石垣を築いてほしい!

 

 

 


 
すっかり春の陽気になりました。
うかうかしてるといろんなことを忘れそう・・・
いろいろあった3月。まさかの戦争勃発から世界市場の混迷。
私も、詩の会の同人誌の発送と京都旅行と太極拳の県大会のために張りつめていた。
そして気がつく!
本、読んだっけ?なにを?
 
まずは芥川賞作品
砂川文次「ブラックボックス」
身体で考える、決断する、そんなことの清々しさをまず感じた。
風を切って大型車両の間をすり抜けていく自転車・・・私が運転者の時は危険なものと感じていたけど、自転車に乗っている人には、快感があるのだ。そしてそのツールを自分でメンテナンスするという自己完結もある。
作家自身も自衛隊出身ということで、そういうことを経験してきたのかもしれない。
身体で考えることがちょっとわかってきた気がする。
そういうふうに意識しているわけでなく、いわゆる動物的感覚とか生存本能とかそういうものが人間の根底にあることに気づかされる時がある。
どうしても人間って〈考える葦〉だからって、思考し判断し、そう仕向けることが賢いように思ってしまうけど、賢いってなに?って思う時もある。
 
主人公サクマにこんなふうに言って過去の自分のつまずきから立ち直ろうとする人がいた。
「ほんの少しだけ違うことを認めるだけで同じような毎日が変わっていくのではないか。ずっと変わらない毎日を変わっちゃいけない毎日だと思い込もうとしていたから苦しかった」
生活のレベルを下げる、世間の期待に応えない、都会に住まない、などなど、その時その時で価値観を変えることが、心の安寧にもつながる、と。きっとサクマはもそういうことは知っていたようにも思うが、それを言葉にすることができなかった。
ちょっとだけ、(本人曰く)頭が悪いのだ。そのかわり身体で考えることができる。それが動物的過ぎて世間の枠からはみ出してしまった。
 
「刑務所は制度だ。」という一文がある。頭で考えてヒートアップしてしまう人には、解り易い仕組みの中で生きることのほうが楽なのかもしれない。その制度のなかで決められた時間を過ごすことで、開けた未来がある・・・というのも皮肉だ。開けた未来の制度に順応できるかどうか。考えすぎの社会に出て、サクマはどう生きていくのか、心配だ。
 
おなじ文春に「仁義なきヤクザ映画史」という記事があって、出所後のサクマがヤクザの手下に収まるような人生にならなければ良いけれど・・・と思ってしまった。
この記事の中で、『すばらしき世界』という2020年公開された映画(出所後の元ヤクザの話)を書いたなかに、元受刑者を支援する人たちについて、「様々な人たちが様々な都合や独りよがりを含みつつ支援している。支援される側も支援者を別に神様のように信奉もしていない。人と人のつながりなんて、本来そんなものでいいと思う」とあった。
 
わたしは重く考えすぎなのかも、いろんなことを。考えているだけで身体を使って何もできていない。だから妙なストレスが溜まるのかも。
笑って、せいぜい3日先のことぐらいしか考えずに生きられたら、楽かもしれない。
 
北の国の大統領も、先の先まで考えすぎて目の前の平和を壊している。
本来あなたは身体を使って考える人だったのでは?
世界は弱肉強食だと戦々恐々としているのは、あなた自身がそういう考えだからだよ。
身体で感じて行動していたときのほうが、あなたも幸せだっんじゃないかな。