写真家の星野道夫さんの文章の中で、
「かつて、人間と動物が共存していた時代があった。
森の中を歩いていると、熊の存在を明確に感じる瞬間がある。
でもそこには秩序があって、何かをしないかぎり、熊が人を襲うことはない。
人の開発によって、その秩序が狂い、熊が人里におりてくるようになり、
事故が起きるようになった。
僕はこの共存関係をいつまで感じていたいとおもう・・・」
というようなものがあります。
(『平成狸合戦ぽんぽこ』の時にも引用しましたが・・)
かつては、広大なアメリカの大地では、確かに人間と動物の間に
秩序が保たれていたんだ・・
この映画の舞台となる時代は、
こんなつながりが確かに存在していた時代。
星野道夫をしってから
この映画をみると、彼の文章の端々があたまに浮かんでくるんですよね
『さまざまな生きもの、
一本の木、森、そして風さえも
魂をもって存在し、
人間を見すえている・・・・
いつか聞いたインディアンの神話は、
極北の太古の森の中で、
神話を超え、声低く語りかけてくる。
それは夜の闇からの呼びかけが、
生命のもつ漠然とした不思議さを、
まっすぐ伝えてくるからなのだろう。』
「森に還る日」
星野道夫 写真・文 PHP研究所より引用
『リペイトリエイション(帰還)とは、この世を心としてとらえるか、
それとも物としてとらえるか、その二つの世界の衝突のようにも思われた。
人類学者が、墓を 掘り返し、骨を収集し、その研究をするという行為を
クリンギット族の人々は おそらく理解できないだろう。そしてその逆に、
人類学者は霊的世界の存在 を本質的には信じることが出来ないのかもしれない。
10年という歳月をかけ、 見捨てられていた墓地をたった一人でコツコツと復元し、
約5000に近い墓 を救ったボブの無償の行為は、多くの人々に光を与えていた。
誰も寄りつ かなかった荒れ果てた墓地はすっかり見違え、今、そこでは子どもたちが
遊んでいる。
「ある時、母親の墓を50年以上も捜しているという老人がやって来た。
自分がその墓を見つけ、そこに連れて行ってあげた。老人はその
場で泣いていたが、しあわせそうだった。その一週間後に老人は死んで
いった」 そんなこともボブは言っていた。
そしてこの10年の間で、シトカの クリンギット族の社会も変わりつつあった。
若者たちが伝統的な文化に目覚 め始め、自らのアイデンティティを取り戻しつつある。
古老たちを敬い、彼らが消えてゆく前に多くのものを吸収しようとしている。
それはボブの無償の行為ときっと無縁ではない。
そこに目には見えない”たましい”の力を感じることはできないだろうか。
リペイトリエイションにより、遠い祖先のスピリットがこの土地に戻って来た時、
人々はさらに良い方向へ導かれてゆくだろう とボブは信じている。 』
「森と氷河と鯨」
ワタリガラスの伝説を求めて
星野道夫 文・写真 世界文化社より
こんな文章から感じる思いと
この映画を見たあとに感じる思いは少しにています・・