極私的映画と音楽のススメ -14ページ目

極私的映画と音楽のススメ

印象に残る映画には印象に残る音楽がある。
思い出の名場面に流れていた音楽、言葉などをご紹介


写真家の星野道夫さんの文章の中で、


「かつて、人間と動物が共存していた時代があった。

森の中を歩いていると、熊の存在を明確に感じる瞬間がある。

でもそこには秩序があって、何かをしないかぎり、熊が人を襲うことはない。

人の開発によって、その秩序が狂い、熊が人里におりてくるようになり、

事故が起きるようになった。

僕はこの共存関係をいつまで感じていたいとおもう・・・」


というようなものがあります。

(『平成狸合戦ぽんぽこ』の時にも引用しましたが・・)



かつては、広大なアメリカの大地では、確かに人間と動物の間に

秩序が保たれていたんだ・・



この映画の舞台となる時代は、

こんなつながりが確かに存在していた時代。



星野道夫をしってから

この映画をみると、彼の文章の端々があたまに浮かんでくるんですよね



『さまざまな生きもの、

一本の木、森、そして風さえも

魂をもって存在し、

人間を見すえている・・・・

いつか聞いたインディアンの神話は、

極北の太古の森の中で、

神話を超え、声低く語りかけてくる。

それは夜の闇からの呼びかけが、

生命のもつ漠然とした不思議さを、

まっすぐ伝えてくるからなのだろう。』


「森に還る日」

星野道夫 写真・文 PHP研究所より引用




『リペイトリエイション(帰還)とは、この世を心としてとらえるか、

それとも物としてとらえるか、その二つの世界の衝突のようにも思われた。


人類学者が、墓を 掘り返し、骨を収集し、その研究をするという行為を

クリンギット族の人々は おそらく理解できないだろう。そしてその逆に、

人類学者は霊的世界の存在 を本質的には信じることが出来ないのかもしれない。


10年という歳月をかけ、 見捨てられていた墓地をたった一人でコツコツと復元し、

約5000に近い墓 を救ったボブの無償の行為は、多くの人々に光を与えていた。

誰も寄りつ かなかった荒れ果てた墓地はすっかり見違え、今、そこでは子どもたちが

遊んでいる。


「ある時、母親の墓を50年以上も捜しているという老人がやって来た。

自分がその墓を見つけ、そこに連れて行ってあげた。老人はその

場で泣いていたが、しあわせそうだった。その一週間後に老人は死んで

いった」 そんなこともボブは言っていた。


そしてこの10年の間で、シトカの クリンギット族の社会も変わりつつあった。

若者たちが伝統的な文化に目覚 め始め、自らのアイデンティティを取り戻しつつある。

古老たちを敬い、彼らが消えてゆく前に多くのものを吸収しようとしている。


それはボブの無償の行為ときっと無縁ではない。

そこに目には見えない”たましい”の力を感じることはできないだろうか。


リペイトリエイションにより、遠い祖先のスピリットがこの土地に戻って来た時、

人々はさらに良い方向へ導かれてゆくだろう とボブは信じている。 』


「森と氷河と鯨」

ワタリガラスの伝説を求めて

星野道夫 文・写真 世界文化社より




こんな文章から感じる思いと

この映画を見たあとに感じる思いは少しにています・・




歴史には、まさかそんなことがあったわけがないと

思ってしまうようなことがたくさんありますよね。


とくにアメリカで20年代に施工されていた禁酒法。

これもまあ、ばかげたとしか言いようの無いものですよね。


アルコールは、労働意欲をそぐとかそういう理由だったと記憶していますが

おかしな法律があったものです。


日本でも生類憐れみの令なんてものがありましたし。



こんな風に、一般の娯楽を制限してしまうと

沸き起こってくるのが違法に酒を造る人々。


とくにこの時代はアル・カポネが多大な権力で君臨していました。


このアル・カポネに戦いを挑んでいったのが、

正義感熱い検事、エリオット・ネス。



彼の行動を、周囲の人はアル・カポネを恐れるあまり冷遇します。


でもこんな周囲の目や声をものともせず、

前へ前へと突き進んでいくその姿に、僕達はヒーローの姿を見てしまいます。


こんな歪んだ時代に、それが政府によって人為的にもたらされたものだとしても、

正義感のある若者が存在したことをしるだけでも、

まだまだこの世も捨てたもんじゃないと感じます。



だいぶ前にケヴィン・コスナー の紹介のところでも書きましたが

この映画の最大の見どころはラストの駅階段のシーンでしょう。


ゆっくりと階段をくだっていく乳母車

銃弾を浴びせようとする敵

階段の下で乳母車を受け止める見方の腕利きガンマン


あのスローモーションは、長く続いた攻防の幕が降りようとするのを

名残惜しげに暖かく見守っているかのようで衝撃すら覚える。



やがてアル・カポネはアルカトラズに送られ、禁酒法は廃止となる。

この映画のラスト、主人公のネスがつぶやく一言が粋ですよね~

「帰って、一杯やるよ」なんてね。



あ、余談ですが、海賊版のことをブートレッグというのですが、

この由来ってご存知でしたか?


禁酒法時代、闇酒を製造していた人たちが、長靴に酒を隠して運んでいたんだそうです。

それで正規に流通していない品をブートレッグと呼ぶようになったのだそうです。

雑学でした~(笑)





このブログは再録版です

ケビンコスナー出演作を紹介したく

再掲載しました。

(初投稿:2006/1/27、再掲載:2006/7/27)



夢ってなんだろう?

よくそんなことを考えます。


ここでいう夢は、寝ているときに見るものじゃなく、

希望と同意語の夢。


ふと思うのは、

きっとそれは生きる希望なのかもしれない。


かなうかなわないは別にして、

そうなった自分を想像することで、

それが目標にもなるだろうし、そのために、困難を乗り越えることが出来るのだと思う。


夢=希望



誰もが夢を持てるような

そんな日が来ること、それがすなわち平和ということなのかなあ・・

とも思ったりする。



一年の最後に、そんなことを考えながら。


今年がどんな年だったとしても、次の年には大いなる希望をもっていけるように。


そして世界が愛と平和で満たされることを願って。

今年最後はこの映画をご紹介いたします。







このブログは再録版です

ケビンコスナー出演作を紹介したく

再掲載しました。

(初投稿:2005/12/31、再掲載:2006/7/25)




ケネディ暗殺。


真犯人追求は語りつくされていますね。


でもよく映画の中でここまで検証しましたよね。

それはすごい。




きな臭いトミーリージョーンズを

相手に奮闘するケビン・コスナー


あ、これってアンタッチャブルの構図ににている・・




暗殺の内容とかは語られつくしているので

多くを語りませんが、

こういった瞬時に人の命を奪うようなことが

なくなることを願って・・


この映画の紹介といたします。




ケビンコスナーが一息入れたかったんだなあと

感じた作品。



異常気象で文字通り水の惑星と化した地球を舞台に

繰り広げられる主人公と海賊との戦い。



残念なのが舞台が近未来なのに、

内容はパイレーツオブカリビアンを薄めたようなものに

なってしまっている点。


海の上が

地球を多い尽くした海の上なのか

それとも既存の海の上なのか


そこに明確な線引きがあると面白かったと思うし


近未来ゆえに乗っている船も

もう少し工夫をこらしたものだったよかったな。



瓶にいれた手紙を海に投げ入れる


どこか遠い国の人がそれを拾い上げる



そんな夢のようなお話



これがこの物語の基盤となっています。




海にいくと必ずみてしまうのが

流れ着いている漂流物



ごみのようなものも多いのですが

中には外国製らしききれいな色のガラス瓶とか

きれいな貝殻とかがたどり着いています




世界の大陸は海でつながっていると

いえなくもありません。



海を漂う漂流物も

あちらとこちらをつなぐものに変わる瞬間が有ります。

それは瓶の中の手紙のように

送り手の意志がそれにこめられたとき。




ありがちなテーマ設定ですが

十分見ごたえのある映画になっております。



あと、この映画の主題歌がすごくよかったんですよね

だれかご存知の方いらっしゃいますか???






この映画はスウェーデンへと向かう飛行機の中で

見ました。



コペンハーゲンで乗り換えですので

性格にはデンマーク行きだったのですが、

なんせ北欧ははじめてでトランジットもはじめて


なのでちょっと緊張気味だったのを覚えています。


その前にスペインにいっていたんですけどね(笑)



そんな自分を大いに勇気付けてくれた映画ですね。

もう展開はある程度読めました。


でもこのラストにはただただ感動するしかなかった。



わいわいがやがや騒ぐような『メジャーリーグ』とは違い

年老いた選手の苦悩や、栄光の歴史を振り返りながら

進む構成に思わず感情移入してしまった。


そんな彼のラストゲーム

その歴史がこめられた一球一球。



ミットに収まるボールがたてる

あまりにも深いズシンという響き。




これまで積み上げてきた歴史の

集大成がこめられている


そんなことを考えるだけで涙がでそうになる。



ひさびさの海外でナーバスになっていた心を

ゆっくりと暖めてくれたこの映画。



2000年初頭のわすれられない思い出です。


この映画のタイトルをみただけで

ホイットニー・ヒューストンの歌が頭に思い浮かびます(笑)


すごいですよねえ

完全に刷り込まれています。



皆さんもそうなのでは?



もうこの歌の響きがこの映画の何たるかを物語っていますね・・・


and I will always love you・・・



どうもこのホイットニー演じる女性が好きになれないんですよね。

この性格どうにかならんかなあなんて思いながら

見ていたのを覚えています。


時はベトナム戦争末期。

70年代も後半に入ろうかという時期。



一人の男が復員してくる。

彼は戦場で心に大きな傷を負っていた。



そんなところから始まるこの映画。


まず目を引くのは舞台となる街。

なんとのどかなことか・・



大きくそびえる給水塔。

赤とんぼが舞う大草原

日本の里山の風景を思い出してしまうような彩り。



父親は、心の中に傷を抱え、


子供たちは近隣の子供との喧嘩に明け暮れる。




そんな毎日。

最初はすれ違う親子



しかし次第にうちとけていく。



心の傷と、喧嘩でやさぐれた心を

やんわりと癒しているもの


それこそがこの街の風景なんだろうな。

このあまりにも田舎然とした風景をみているだけで

見ているこちらも癒されそうになる。




両者の心の葛藤がとれていく過程を

丁寧に丁寧に描いている。



この作品自体はフィクションだろう


けれどこの心の葛藤がとれていくさまは

ノンフィクションであるに違いない。

きっと子を持つものならだれもが経験してきた

ものだろうから。



まだ子供のいない自分にとって

何か大切なものを思い出させてくれる映画です。



※なんと子役はイライジャ・ウッドなんですって!


ラストシーンがとても印象に残る映画ってありますよね。


第3の男もそうでしたし

ニューシネマパラダイスもそうでした。



この表題作も、ラストシーンが忘れられない名作です。


草原に横たわるケビンコスナー

彼の周りを紙幣が風に乗って舞い上がる

どこまでもどこまでも


まるで彼の魂を天へ誘うかのように・・・




刑務所を脱走した囚人を演じるのがケビンコスナー。

彼を追う警官役にクリント・イーストウッド。

名優達の競演です。



逃亡中に子供を誘拐するケビン。

逃避行を続けるうちに

いつしか不思議な感情が芽生え、実の親子のような

心のつながりを感じるようになっていく。



心のつながり

それは信頼とも結びつく



人間の最小単位である2人=少年と脱走犯

彼らの心につながりができ、信頼感が沸き起こったとき

それこそ血のつながりを超越した真の意味での家族の

誕生といえるのかもしれない。



もしかするとそれはとても完璧な世界なのかもしれません。



心の共有

気持ちの共有

から、夢の共有、空想の共有まで



心と心の間に壁がなくなることで

多くのことが可能になる。



そこに子供の空想力が加わることで

それは何重にも大きくなる。




しかしその結末は・・・


タイトルのパーフェクトワールド。

完璧な世界は、心のつながりによってもたらさせるが

それは実はひどくもろいもの


そんなことを示唆しているような気がした。



ラスト


草原に横たわるケビン。

彼の頭上で旋回するヘリコプター

舞い上がった紙幣が何十にも彼の周りを覆い、

調子はずれのダンスを踊っている。



実際の映画では音があったとおもうのですが

僕の記憶の中では音のない世界として

記憶されています。




心のつながりが希薄になっている今

再評価されてもよい映画ではないでしょうか?



監督はクリント・イーストウッド。

ぜひご覧になってください。