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徒然草子

様々なテーマに関する雑感を気ままに綴ったブログです。

シリアの方はまだアサド政権が存立しているが、昨今のシリアをはじめ、イラク等の情勢を概観すると、結局の所、少なくともこれらの地域において平和を齎す者は、古典的イスラーム政治理論が言う様に、自由ではなく、統治である事を痛感させられる。
これらの地域の嘗ての統治者達は西側諸国の価値観とは合わなかったかも知れないが、少なくとも、統治地域における平和は齎していたと考えられるが、これらの統治者が強制的に退陣させられた結果、其処にはカオスが齎され、又、我が国との関連で言えば、化石燃料の地政学的リスクが徒に高まったと言える。

イブン・ジャマーア(14世紀のシャーフィー派の法学者)
「スルタンによる40年の専制は1時間の無政府状態より良い。」

以下は備忘録的なものである。
日本の第二次世界大戦中の戦車と言えば、97式チハのイメージが強い。事実、当タイプの戦車は大戦中における日本の主力戦車だったからである。
とは言え、日本軍において戦車に期待された主たる役割が歩兵の援護であった為か、97式チハは大戦中を通じて活躍した連合国軍やドイツ軍の戦車に比べて見た目においても著しく見劣りし、又、実際の機甲戦においても不向きだった様である。
尤も日本軍側も上述の様な認識はあった様であり、機甲戦においても十分に対応できる戦車の研究設計が行われていた。そして、その成果の一つが重戦車であるオイ車である。
オイ車と呼ばれる重戦車には二種類あった様で、一つが1940年にノモンハン事変の教訓を基に設計開発されたものであり、今一つが1944年にドイツのマウス戦車に影響されて設計開発されたものである。
前者のオイ車は重量100tで、105㎜の主砲と75㎜の副砲、そして、7.7㎜の重機関銃も装備した最大装甲75㎜の重戦車で、一応、試作車が1両開発された様である。しかしながら、インフラが不十分な当時の日本の舗装道路ではその重量を支える事ができず、又、戦車の試走路においてもキャタピラが地面にのめり込んで走行できなかったと言う。結局、当該戦車は解体され、更に図面等の資料類は焼却処分されてしまったと言う。
後者のオイ車は重量120t又は140tで、105㎜の主砲と47㎜の副砲、そして、7.7㎜の重機関銃を3丁装備した最大装甲200㎜の重戦車で、こちらも試作車が1両開発された。終戦直前に試作車が完成し、又、分解されて満州行きを待っていた状態であったと言う。こちらの戦車も殆ど資料が残っておらず、前者のオイ車と同様、幻の旧日本軍の戦車とも言うべき存在である。
3 ヒンドゥー教におけるサラスヴァティーの伝承

前述した通り、河川や水の女神として出発したサラスヴァティーは時代が下ると、その性格が抽象化されて祭儀の神、恩恵の神となり、更に言語の女神ヴァーチュと習合する事で言語の神、弁説の神となり、更には聖典『ヴェーダ』の保持者、智慧の神、学芸の神としての性格を獲得していった。
今日、サラスヴァティーは創造主ブラフマーの妃としても知られているが、サラスヴァティーの夫であるブラフマーは宇宙の根本原理であるブラフマンの神格化である。
元来、ブラフマンはヴェーダ祭儀において唱えられる讃歌や呪文に内在する呪力を意味し、ブラーフマナ文献において神々を動かす力と看做されていたが、その後のウパニシャッド哲学において宇宙の根本原理とされるに至った。
かかるブラフマンは本来的には中性原理であったが、今日のヒンドゥー教の基になっているプラーナ群が編纂される時代に至ると、男性神ブラフマーとして神格化されたが、かかるブラフマーは聖典『ヴェーダ』の管理者と看做され、同じく『ヴェーダ』の保持者であるサラスヴァティーとも結びつく事になった。

サラスヴァティーがブラフマーの妃になるに至った経緯に関しては、以前、パールヴァティーの項でも触れた様に、ヴィシュヌ派系の伝承として、元来、パールヴァティー、ラクシュミーらとともにヴィシュヌの妃であったが、彼女達の間で争いが絶えなかったので、ヴィシュヌはパールヴァティーをシヴァに、サラスヴァティーをブラフマーに与えたというものがあるが、一般的には次の伝承が知られている様である。
ブラフマーは自身の内から女神を作り出したが、その女神があまりにも美しかったから、ブラフマーは見とれてしまった。見つめられる恥ずかしさから逃れる為にサラスヴァティーはブラフマーの背後に逃れようとしたが、その都度、ブラフマーに顔が生じ、ブラフマーは四面となった。其処でサラスヴァティーはその空中に逃れたが、すると、ブラフマーの頭上に第五の面が生じた。遂にブラフマーからは逃れられないと諦めたサラスヴァティーはその妃となり、ブラフマーとサラスヴァティーの間に人類の祖先であるマヌが生まれたとされる。
尚、上述の伝承によれば、ブラフマーは五面神になったとされているが、ブラフマーの頭上に生じた第五面は後にブラフマーの傲岸さに激怒したシヴァによってその首を刎ねられ、結局、今日、見られる四面神になったとされている。
さて、上述のサラスヴァティーは、ブラフマーと女神ガーヤトリーとの結婚譚でもある別の伝承によれば、その性格はプライドが高く、高慢とされている。
ある時、ブラフマーは神々を集めて祭儀を執り行ったが、定刻になってもサラスヴァティーは祭儀の場に来なかった。其処で使者を派遣して彼女を呼んだが、サラスヴァティーは化粧中なので、待って欲しいと返事した。
かかる返事に激怒したブラフマーは神々に別の妃が欲しいと乞うた所、神々はブラフマーにガーヤトリーを紹介した。ブラフマーは直ちに彼女と結婚して妃とし、祭儀を執り行った。
その後、漸くサラスヴァティーが到着したが、ブラフマーがガーヤトリーを妃に迎えて祭儀を行った事に彼女は激怒し、ブラフマーに祭儀は1年に1度しかできないという呪いをかけた。一方、ガーヤトリーに対しては、彼女が自身の位置に関してサラスヴァティーの次席である事を必ず守るという約束を行ったから、サラスヴァティーの怒りは治まり、又、ガーヤトリーの存在を認める事になったと言う。因みに、ガーヤトリーとは、元来、『ヴェーダ』の韻律の一種であり、今日のヒンドゥー教では『ヴェーダ』の母と称され、信仰されている。

4 図像
○標準的な図像

サラスヴァティーは一般的に一面二臂、又は一面四臂の美しい女神として表現されるが、特に一面四臂像が多い様である。

一面二臂像の場合、琵琶風の弦楽器ヴィーナを奏でているか、又は一方の手でヴィーナを持し、もう一方の手に数珠、又は聖典を持している図像が多い。
一面四臂像の場合、左右第一手でヴィーナを持しているか、奏でており、右第二手で数珠、左第二手で聖典を持している図像が最も多い様である。数珠などの他に蓮華、水瓶、槍などを持したり、或は施無畏印を結んでいたりするが、ヴィーナは必ず持しているから、持物のヴィーナはサラスヴァティーの最大の特徴と見てよい様である。


又、サラスヴァティーを画像で描く場合、一般的に河川とともに表現される事が多いが、それは彼女が、元来、河川の女神である事に由来するものである。
サラスヴァティーのヴァーハナ(乗物)はハンサ鳥、又は孔雀で、これらのいずれか、若しくは両者がサラスヴァティーの許に配されている図像がよく見られる。

○マハーサラスヴァティー

マハーサラスヴァティー(Mahasarasvati)はサラスヴァティーの尊称としての意味の他に一面八臂の特定の図像のサラスヴァティーを指す場合がある。本節では後者について触れる。
マハーサラスヴァティーはシャークタ派の聖典『デーヴィーマハートミヤ』において大女神(マハーデーヴィー)の力を具現化した女神としてマハーカーリーやマハーラクシュミーらとともに並ぶ存在であり、サラスヴァティーの戦闘的な相でもある。彼女はその八臂の手にヴィーナの他、弓矢、三叉戟、円盤、刃、杵、法螺貝などの様々な武器を持しているとされ、彼女は諸々のアスラなどの魔神を滅ぼすとされている。

○ニラサラスヴァティー

マハーデーヴィー(大女神)の十の智慧(ダーシャマハーヴィドゥヤ)を象徴する10尊の女神の一人であるターラー(Tara)がニラサラスヴァティー(Nilasarasvati)と呼ばれる事があるが、ターラーについては改めて別述する。

5 ヒンドゥー教におけるサラスヴァティー信仰

今日、サラスヴァティーは、既述の通り、ヒンドゥー教において智慧、学問、言語の女神として、又、様々な技芸を司る芸術神として広く信仰されている。
又、サラスヴァティーは蜂蜜を好むとされ、その供養(puja)に蜂蜜がしばしば捧げられるが、教義的に蜂蜜は知識の象徴と説明される事もある。

6 ジャイナ教におけるサラスヴァティー信仰

ジャイナ教においてもヒンドゥー教と同様にサラスヴァティーは人気のある女神であり、ジャイナ教においてサラスヴァティーは智慧や知識の女神として信仰を集めている。尚、ジャイナ教においてサラスヴァティーはスルタデーヴァタ(Srutadevata)、バラティシャーラダー(Bharati Sarada)などの別名で言及される事もある。
尚、図像の方はヒンドゥー教のものと変わらない。

1 概要
サラスヴァティー(Sarasvati)はヒンドゥー教の女神であり、今日、ヒンドゥー教において智慧、言語、学問、音楽の女神として信仰されており、又、ジャイナ教や仏教においても人気のある女神である。
以下、かかるサラスヴァティーやその信仰等に関して概観してゆくことにする。

2 ヴェーダ時代
サラスヴァティーは最古のヴェーダである『リグ・ヴェーダ』にも登場する起原の古い女神であるが、上述の通り、今日においてもヒンドゥー教をはじめ、ジャイナ教、仏教において根強く信仰されている。
ところで、サラスヴァティーとは水(saras)を持する者を意味し、元来はサラスヴァティー河と呼ばれる川を指していた様であり、その神格化が女神としてのサラスヴァティーであった。
古のアーリア人の原郷地は南ロシアのステップ地帯と考えられており、其処は水資源に乏しい乾燥した地域であった。恐らくは、かかる厳しい生存環境を背景にアーリア人は河川を特別視する様になった様で、後にアーリア人がイラン系とインド系に分裂すると、インド系アーリア人はサラスヴァティー河を神格化した女神サラスヴァティーを崇め、一方、イラン系アーリア人は水や河川の女神アナーヒターを崇め、かかるアナーヒター信仰はイラン系アーリア人が展開したエリアにおいて比較的後世まで根強く支持された。

サラスヴァティー河に関しては、『リグ・ヴェーダ』において次の様に述べられている。
「諸川の中にただ独り、サラスヴァティーはきわだち勝れり。山々より海へ清く流れつつ。広大なる世界の富を知りて、ナフスの族(人類)にグリダ(※バターの一種)と乳をいだしきたれり。」(辻直四朗訳)
この様に讃えられたサラスヴァティー河は、現在、その所在が分からくなっているが、ヴェーダ祭儀の注釈書であるブラーフマナ文献が編纂された頃には既にサラスヴァティー河の下流域の水が枯れていた様であり、更に大叙事詩『マハーバーラタ』が編纂された頃にはサラスヴァティー河は砂漠に埋もれていた様である。
かかるサラスヴァティー河の所在地については諸説があり、例えば、アフガニスタン南部のヘルマンド川とする説とか北西インドである現在のパキスタンのパンジャブ地方やインドのグジャラート州辺りを嘗て流れていたガッカル・ハークラー涸河床とする説があるが、周辺の遺跡、人工衛星の画像探査、その他文献の記述からガッカル・ハークラー涸河床とする説が有力の様である。
その起原において河川の神格化であったサラスヴァティーは時代が下るとともにその性格が抽象化されて、その出自地であるサラスヴァティー河から離れ、河川で行われる祭儀の守護者、更には祭儀自体の執行を成就させる神となり、祭儀の成功を齎す神としての性格から敷衍されて様々な恩恵を齎す神として崇められる様になった。
又、サラスヴァティーは、ブラーフマナ文献において彼女が成功を齎すヴェーダ祭儀における讃歌の重要性との関連から言語の力を神格化した女神ヴァーチュとも習合して学問、弁説の神ともなり、サラスヴァティーは言語により神々の王インドラの精気を回復させたとされ、又、後世のヒンドゥー教においては、今日、サンスクリット語やヒンディー語の記述に用いられているデーヴァナーガリー文字を発明したと信じられるに至っている。

予てから、宇宙の事象に関しては個人的に色々と関心があるが、クォーク星というものもその内の一つである。
クォーク星は、現在の所、飽く迄、理論上の仮説的な天体に過ぎず、クォーク自体も、通常、中性子や陽子などの粒子を構成していて、裸の状態では存在していないと考えられている。
しかしながら、クォーク星の場合、かかるクォークが裸の状態で存在していると考えられており、その重力は中性子星よりも強いと考えられている。
太陽の様な恒星はその質量によってその運命が定まってくると考えられているが、その時の物理的メカニズムはその星の内部の核融合反応の状況と重力との関係によって定まり、質量によって白色矮星になったり、或は中性子星になったり、若しくはブラックホールになったりすると考えられている。もう少し具体的に言うと、白色矮星の場合は電子の縮退圧と重力の均衡により、そして、中性子星の場合、中性子の縮退圧と重力の均衡によって天体として存在しているとされ、その均衡が崩れる時、重力崩壊の末、ブラックホールになると言われている。
クォークが裸の状態で存在するとされるクォーク星の場合はフェルミオンであるクォークの縮退圧と重力の均衡によると考えられているが(※周知の通り、フェルミオンの場合、パウリの排他律が作用する。)、クォーク自体の性質もまだまだ不明な所もあり、その上、想定されるクォークの縮退圧自体もその理論化が完成されていないし、分からない点も多い。ただ、クォークの縮退圧の上限は中性子の縮退圧の上限とされているトルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界を超過しているという認識は共有されている様である。
上記のクォーク星との関連で、中性子星からクォーク星に転換するに際して起こると考えられている爆発現象としてのクォーク新星も、やはり、現在の所、理論上の仮説に過ぎないが、クォーク星と同様、数は多くは無いが、幾つか候補はある様である。