3 鎌倉時代・南北朝時代
中世に入り、大峯山系での抖擻が活発に行われる様になり、かつ山林における修行の集団化が進行すると、それらに伴って抖擻や峰中での修行や行事の次第の整理もより一層進んだ。
鎌倉時代においても大峯山系への峰入抖擻は熊野と吉野の両拠点から行なわれていたが、後に熊野から吉野に至る抖擻は順峰、吉野から熊野に至る抖擻は逆峰と呼ばれる様になった。
此処で、1328年に青笹(小笹)の宿で良弘が阿闍梨尭海から伝授され、その後、内山永久寺に伝来した『青笹秘要録』に従ってその当時の抖擻を概観しよう。
順峰の期間は100日、逆峰の期間は75日と言い、順峰の場合、吹越宿に27日、水飲宿に14日、深仙に17日留まるものとされ、一方、逆峰の場合、小笹に27日、脇宿に17日、深仙に17日留まるものとされた。
又、抖擻行の先達はその役割によって大先達、宿、閼伽、小木、採灯の五先達から成っていた。大先達は抖擻全体を総括し、宿の先達は宿の設営、閼伽の先達は閼伽の作法、小木の先達は小木作法、採灯の先達は護摩を各々取り仕切った。
閼伽の作法とは、Vam(金剛界・智・父)とA(胎蔵界・理・母)の二つの桶に閼伽水を入れて先達に納めるもので、父母の恩を報じ、悪業、煩悩を無垢にするものとされた。
小木の作法とは、約55cmの枝(小木)36本を楮で縛り、持ち帰って先達に納めるものである。
護摩の作法とは、他四先達の前で採灯先達が小木を焚いて祈念するもので、法華懺法と讃に合わせて小木を3本、6本、4本、6本ずつ火中に投じた。その際の護摩の火は自身の業を照らす鏡と解されていた。
ところで、『青笹秘要録』には1465年に乗円が小笹で伝授された切紙が付記されていて、これによると、入峰の日から7日間は断食で、その後も1日1合のみの食事が定められている。
南北朝時代の熊野三山検校である良瑜は5度の大峯入峰を行い、深仙、笙の窟、那智などで修行したが、1383年に深仙で深仙灌頂を行い、その後、葛城灌頂を行なっている。この時の灌頂次第として『大峯修行灌頂式』、『葛城修行灌頂式』が残っているが、その内、『大峯修行灌頂式』の中で大峯峰入について触れた「当峰制戒」によると、峰入修行は五智如来を象徴する五先達の許で木食草衣にて断食、懺悔し、護法童子の助けの許で捨身求菩提の修行を行い、深仙において灌頂により曼荼羅の中院に入り、即身成仏の覚位に入ると述べられている。又、同書には『青笹秘要録』と同じく、抖擻の日程に関して、順峰100日、逆峰75日とし、又、各宿での滞在期間についても触れている。尚、深仙は修験道の伝説的開祖である役行者常居の地とされ、大峯山系の中台と目された一大霊地であり、大峰修験の一大秘儀である深仙灌頂の道場でもあった。1503年に相模の盛厳が書写した『証菩提山等縁起』によると、深仙の北、経ヶ岳の西に7尺の岩の下から水が涌いている場所があり、其処は如法経書写の道場であったと言う。
4 室町時代
室町時代中期頃になると、吉野からの峰入作法を記した書籍類も編纂される様になった。
その一つである『峰中作法』によると、先ず、吉野山中の諸堂社を巡拝し、安禅にて入成の作法を行い、続いて山上ヶ岳で笈渡しを行なうとされ、その後、小笹の諸堂社を巡拝後、閼伽の作法、小木渡しを行なった上で、深仙において灌頂を行い、玉置山で出生の作法を行なうとされている。
又、その後に成立した『峰中作法次第』によると、安禅で入成、山上ヶ岳で笈渡しを行い、小笹の宿で水断、穀断、小木、閼伽、懺悔を行ない、深仙で正灌頂、玉置山で出生作法と柴灯護摩を行なうとされている。
一方、熊野修験系の資料で、室町時代中期成立と見られている『修験指南抄』によると、玉置山は熊野の奥の院、山上ヶ岳は吉野の奥の院であるとし、熊野から深仙は胎蔵界、釈迦ヶ岳から吉野は金剛界であるとしている。そして、釈迦ヶ岳などの高山で乳木を伐り、嶮難を凌ぎ、又、前鬼の三重の瀧で煩悩の垢を洗い、不動明王を念じ、『法華経』を読誦し、諸法実相の理を覚ることを勧めている。
又、室町時代後期成立の『三峯相承法則密記』にはこの時代の峯入抖擻の作法がより詳細に記されているが、その内容は以下の通りである。
○入峰に先立つ21日間、山内諸堂社を巡拝し、初夜、日中、後夜の三回、役行者像に香華、灯明を供え、読経する。尚、読経時には『錫杖経』、『般若心経』、金胎両部大日如来呪、不動明王の慈救呪、役行者と大峯八大童子の宝号を称える。
○入峰7日前に峯中正大先達の庵室に峯入2度目以上の度衆と初めて峯入りに参加する行者である新客が集まり、長床(長方形状の峯中の修行道場)の席次を決める。席次は道場奥正面に正先達、その左右に小木、柴灯、宿、閼伽、峯の五先達が座し、それに向かい合って左右に度衆と新客が座す。度衆中の席次は峯入の回数で、新客は年齢で定まる。又、この時に席次を記載した床座配帳、峯中の役務の割り当てを記した番帳、持物などが手配される。
○入峰当日、入峰者は正大先達の庵室で役行者像、手碑伝、笈、斧、閼伽桶の前に集まる。この時、錫杖経1巻、役行者と八大童子の真言を21遍称えて、着衣の八箇所の貫(くくり)を結び、法螺文を授かる。
○正先達の坊舎の入口の所で錫杖経を称え、山麓の行者堂に手碑伝を納める。この時、山内の修験者から峰入の先達に笈、班蓋、斧、閼伽桶などを受け取る(笈伝(おいわたし))。そして、現参(点呼役)の指示で斧、法螺、手碑伝、笈、正先達、閼伽桶、度衆、新客の順で隊列を組み、山内の堂社を参拝し、山へと入る。
○峰中の宿には閼伽を納める閼伽壇、小木を納める小木壇、結界の小柴が設けられている。一行は宿に近づくと、宿着の法螺(三音、三音、三音半)を吹き、宿の入口で錫杖経を1遍称える。そして、新客は慈救呪を称えながら、宿を行道し、宿の入口で宿先達に箱笈を納める。次いで正先達が新客に閼伽壇の前で閼伽文、閼伽札、閼伽桶を、小木壇の前で小木文、小木量(小木の長さを測る物差し)を授ける。尚、閼伽札、小木量には新客の名前が記されている。
○宿先達と度衆は長床で錫杖経、役行者と八大童子の宝号を称える入宿作法を行なう。
○宿先達が法螺を五音、三音吹いて新客を長床に集め、正先達より峰中の食事は1日手1合(※両掌1杯の米の意)である旨が新客に伝えられる。
○錫杖経1遍、役行者と八大童子の宝号を21遍称える施食作法を行ない、夕食を採る。
○翌午前3時30分、正先達が新客に「悪罵及捶打、皆悉当能忍、我今成仏身、瑞座思実相」という床(とこ)堅(がため)文を授け、十八条から成る峰中の掟を唱和する。次いで新客は正先達の前に進み、五体投地3礼後、峰中のことは口外しないとの誓誡をし、錫杖経、役行者と八大童子の宝号、本覚讃を称える。その後、法螺が三音吹かれ、一同長床に座し、点呼後、先達が度衆、新客の頭上で小打木(長さ5寸、周囲1尺の丸太)と肘比(長さ1尺2寸、周囲8尺の丸太)を打ち合わせる。
○次に床堅の作法に移る。新客各自の前に肘比(ひじころ)を横に、小打木をその前に縦に置く。次いで肘比(ひじころ)を左手で左腰に、小打木を右手で右腰に按じ、床堅文を称えて、自身の頭頂が空、額が風、心臓が火、腹が水、腰が地、そして全体として金剛界大日如来の種字Vam字であると観じ、即身即仏となることを期する。そして、本覚讃を称えて正面で肘比(ひじころ)と小打木を打ち合わせ、錫杖経、『般若心経』、両部大日呪、慈救呪、弁才天呪、 役行者と八大童子の宝号を称え、もう一度、 肘比(ひじころ)と小打木を打ち合わせる。
○次いで床定の作法に移る。虚心合掌印を結び、Vamと称えて、頭を北にして西向きに横臥してVam字を横にした姿を示す右横臥座を採り、「Vam字法界種、相形如円塔、以理智不二、是名法身体」と称える。尚、この右横臥座の姿勢は釈尊入定の姿であると言う。
○床堅、床定の作法が終わる午前4時頃から初夜勤行に入る。初夜勤行の次第は床堅観文、『般若心経』3巻、胎金大日呪100遍、慈救呪100編、行者童子宝号100遍、南無行者八大童子1遍、三条錫杖1遍、五輪観文1遍、八句文1遍である。この間、閼伽と小木の先達が二本の散杖と手続(短い縄)を操作する鎮魂の床精を行なう。
○日中(正午)の勤行の次第は九条錫杖、『般若心経』3巻、胎金大日呪100遍、慈救呪100編、行者童子宝号100遍、小木文1遍、五輪観文1遍、八句文1遍である。この時も床精があるが、この勤行では、大日呪の後に柴灯先達が二度腰を捻って三歩ずつ九歩進んでから炉壇に到って白小木(皮を剥いた小枝)を炉中に投じ、次いで宝号の後に同じ所作で炉壇に進み、黒小木(皮のついた小木)を炉中に投じる床柴灯が行われる。
○後夜勤行の次第は小木文を略する他は日中勤行と同じである。
○尚、峰中正灌頂を終えると、床精はなくなり、代わって当番衆による柱源護摩が行なわれる。
○山中の宿に滞在中における汲水の閼伽、採薪の小木、当番・助番交替の番渡などの作務に関するも定められていた。
上述の閼伽の作法とは、新客が毎日三荷の閼伽水を閼伽先達に納めるもので、先ず、新客は閼伽井に行き、井戸に向かって掌中に閼伽札を入れて虚心合掌を行い、「以Vam字浄水、洗浴煩悩身、五智徳顕現、心諸仏円満」という閼伽文を三度称えて閼伽水を汲み、閼伽桶を水で満たすと閼伽壇の当番衆に手渡す。かくして三荷の水を納め終わると、長床にいる閼伽先達に閼伽水の修行が終わった旨を伝え、閼伽札を渡す。其処で先達は閼伽行を終えた新客の名前を控え、翌朝、閼伽札を返すのである。
小木の作法とは、新客が毎日三荷の小木を集めて小木先達に納めるものである。先ず、小木の長さを測る小木量を両手の中指と人差指の間に挟んで、「四大和合身、骨肉及手足、如薪尽火滅、皆共入仏地」という小木文を称え、腰に差す。続いて小木を三本ずつ同様に挟んで小木文を称え、一荷ずつ小木壇に運んで小木先達に納める。次いで長床にいる小木先達に小木量を渡す。其処で先達は小木の行を終えた新客の名前を控え、翌朝、小木量を返すのである。
番渡とは、宿の当番の受け渡しのことで、正先達が当番衆に番渡を申し渡し、後番の者が「承う。」と三度応え、先番から松明と火縄を受ける。次いで、先番が引き渡す物を一つ一つ挙げてゆき、その都度、後番が「承う」と応えるのである。
○次の宿に移る時、先ず、宿で不動明王の慈救呪を称えて順の行道を三度行い、宿口にて錫杖経を称え、三音半、ニ音半、一音半の宿出の螺を合図にして出立する。
○山中の宿を移りながら、十界修行を行い、出生となる。出生の作法の方は山麓の宿口で出峰の山伏が待山伏に手碑伝、笈橛(笈の前に置く小鳥居)、閼伽桶、火のついた松明を渡し、正先達が笈を外して自分の被っている斑蓋を笈に被せて笈橛をたてかける。すると、待山伏の先達がその笈を背負い、斑蓋を被って退場する。一方、参加者は正先達から貫を解く様に言われると、貫を解き、宿に入る。その夜は宿で金剛贈と言われる直会が行なわれる。
以上が『三峯相承法則密記』に記された峯中抖擻の諸作法であるが、この時代になると、様々な作法の次第が整理され、又、抖擻以外にも併せて様々な修行が行なわれていた事が伺える。

























