
監督 : 横浜聡子
出演 : 野嵜好美 、 藤岡涼音 、 ペーター・ハイマン 、 ひさうちみちお
2007年/日本
公開当時は観に行きたかったが観に行けず。
しかし、あまりの評判の良さにいつか観たいと思っていた作品。
レイトショーでやっと観れることに。
終わったあと、いい映画なんだけど一体何がいいのか分からなかった。
でも、引っかかるものがあってそれが何なのか。
明日もまた観に来よう。
そうすればきっと分かる。
絶対に観に行きたい。
そんなことを考えながら家に帰り、
次の日は時間に隙間が空くとこの映画は何が良かったのかを考えていた。
「男らしさ」「女らしさ」の全く存在しないドイツに住んで、
本当に「自分らしさ」で生きていけた。
これは、本当に楽で自由だった。
時々日本に戻ってくると、
日本の女の子の女らしいこと。
それはとても可愛らしいと思う反面、
男や社会が女に女らしさを求めている事を強く感じた。
「こういう時はこうしてはいけない」「こう言ってはいけない」が多過ぎる。
自分の感情を出す前にどう思われるかが先行しすぎる。
おかしな世界だ。
よし子は、そんな日本において全く自由。
女らしさとかこうすべき、こう言うべきは全く関係ない。
よし子らしさと本当に思う事でしか生きていない。
よし子に憧れる女の子の視線は、
男や社会に女らしさを期待され期待に応え女らしくしている、そこからの完全な自由さに注がれる。
余りにも繊細過ぎる日本人は、
後生大事にトラウマを引きづり、トラウマ自慢をしたがる。
病気自慢。働き自慢。トラウマ自慢。不幸自慢。
よし子は、そういった空気をバカにしている。
監督は本当の意味での自由を描いている。
やりたい事やればいいってそんな自由のもっと前提にある自由。
っていうか当然なのに当然でないこと。
だから、よし子は強い真実を知ってる。
トラウマを語る人に対する質問は鮮明で端的。
お金によって人が生かされていない事も知っている。
そして最後には、本能で知っている真実と自分のトラウマに向き合うことで、
最強になる。
彼女は、
日本的に言えば醜い性格悪い女の子だけど、
宇宙的に言えば絶対の存在。
あ~、よし子ちゃんに会いたい。
今日は何度よし子ちゃんについて考えただろう。








