●普段は書けないこと⑤-感情- | 日々是修行~人生の「道」を求めて

●普段は書けないこと⑤-感情-

「意識を変える」ために、「自分に関心」を持ち、

自分の「感情」に気づく。

 

前回はそう書きましたので、今回は更に、

「感情」に焦点を当ててみようと思います。

 

「感情」と言うと、一般的には何となく「理性」より下?

そんなイメージがあるのではないでしょうか。

 

「感情的になってはいけません」とよく言われますし、

社会人としては、何となく「未熟」なイメージもしますよね。

 

もちろん、感情をそのまま相手にぶつければ、

人間関係がギクシャクしたり、争いを産んだりします。

 

ただ余りに、そう言った縛り(刷り込み)が強いので、

感情を抑えようとしちゃいますよね。

 

小さい頃から、親や教師に「大人しくしなさい」

「言うことを聞きなさい」と言われて育ちますから、

 

当然と言えば当然です。人によっては、

「感情」は悪いものだと思っているかもしれません。

 

ですが「感情」は自然なものだと思います。

 

●脳の仕組みと仏教と言う記事を以前書きましたが、

 

外から情報が入ると、「A10神経群」というところに到達して、

「感情」を付加し、理解・判断する「前頭前野」に廻されるそうです。

 

つまりは「理性」よりタイミングが早いと言うか、

より動物的であり、根源的な反応な訳です。

 

「好ましいか好ましくないか」を判断する前に、

「快・不快」を瞬時に察知する脳の機能とも言えます。

 

生命維持には必要だからです。

 

匂いを嗅いで「これを食べて良いのか」と言う場面で、

いちいち判断していたら、間に合わない時もあります。

 

そう考えれば、「感情」は危険を察知するための機能で、

私達を苦しめるためではなく、むしろ守るためにあるとも言えます。

 

「ドキドキ」させたり、「ワクワク」させたり、

身体にダイレクトにサインを送ってくれている訳です。

 

もちろん私達は動物であると同時に、人間ですから、

「感情」と共に「理性」も使わなければなりませんが、

 

そうかと言って「感情」を無視して、一方的に

「抑え込む」と言うのも、おかしな話ですよね。

 

「理性」では、「感情など抑え込める」と思いますが、

「蓋をした」だけで、それが無くなった訳ではありませんし、

 

「感情」の方が強力ですから、無理に「抑え込む」と、

奥の方で疼いていて、いずれは爆発するのではないでしょうか。

 

「嫌い」も、多いよりは少ない方が好ましいとは思いますが、

「好き・嫌い」は感情の根源です。

 

「嫌いは駄目なんだ」と「嫌い」を気にし過ぎるのも、

「好き・嫌い」に執着しているという事ですよね。

 

生きている以上は、「好き」ばかりに出逢うなんて無理です。

誰でも「嫌い」に出逢うと思います。

 

世の中には、変な人だって、いっぱい居ます。

「誰も嫌いになってはいけない」と思うと苦しくなります。

 

「誰からも好かれたい」。それも無理です。

 

心理学的には、子供から大人になる過程において、

誰もが様々な「ペルソナ」を被ると言います。

 

一言で言えば「仮面」ですね。

「世間体」というやつでしょうか。

 

主婦としての私。母としての私。社会人としての私・・。

 

ところがそんな「仮面」が強ければ強い程、

「シャドー(影)」もまた強くなるのだそうです。

 

「こう在らねばならない」と「仮面」を付ける訳ですから、

それによって「抑圧された自己」とも言えます。

 

「いい人」の仮面を付ければ付けるほど、

自分がその陰に脅えて、苦しむ訳です。

 

「嫌い」が悪で、「好き」が善ではないですよね。

 

「感情」が私達にサインを投げ掛けてくれているとしたなら、

「嫌い」にもちゃんと意味はある訳で、

 

自分は「なぜ嫌いなのだろう」と考えてみることで、

自分と向き合い、自分に気づくことも出来ると思います。

 

それは自分を見つめるチャンスであり、

自分を成長させるチャンスですよね。

 

先ずは、自分の「嫌い」もちゃんと見つめて、

客観的に「自分を知る」ということでしょうか。

 

「自分が嫌い」という人も多いと思いますが、

「なぜ嫌いか」を分析しないと、ずっと変わらないですよね。

 

「良いところも悪いところもひっくるめて好きなんだよ」と、

恋人には言うし、また恋人には言って欲しいのに、

 

なぜ自分には、それをしないのでしょうかね。

 

「あるがまま」とは、嫌いも含めての事ですし、

それも認めるから、直して行こうとも思えます。

 

私は武術の稽古で思い知らされていますが、

自分の「癖」に気づかないと、ずっと直りません。

 

それに「嫌い」も大切に扱うことで、

「自己肯定感」も高まるのではないでしょうか。

 

自分を許せないから、他人も許せないのです。

 

先ずは「嫌っても良いのだ」と、

許可を与えるところから、縛りを緩めると良いと思います。

 

それでどう行動するのかは、別の話です。

 

また、「嫌いだから、自分はこう行動してしまう」のかと、

見えていれば、コントロールしやすいと思います。

 

「嫌い」と言う感情を抑えて、コントロールするのではなく、

「嫌い」を認めることで、振り回されないということです。

 

悪口を言われても、ガッカリする必要はありません。

「合わない人」とは、合わないのです。

 

それは自然なことですし、相手あっての事ですから、

どうこう出来る事ではありません。

 

美男美女だって嫌われるのです。

嫌われたら、距離を置けば良いだけです。

 

仕事上では、そうも言っていられませんが、

私生活で「嫌いな人」と無理に付き合う必要はないと思います。

 

「皆んなと仲良くしましょう!」と幼い頃に言われ、

「友達100人できるかな?」と言われて育ちますが、

 

それが「呪縛」になっていませんでしょうか?

 

「無理に付き合う」という事は「我慢する」という事で、

「我慢する」から喧嘩になるし、怒りにもなる訳ですよね?

 

そうすると今度は「怒り」をコントロールし始める。

「怒っては駄目なんだ」と、無理やり抑えようとする。

 

「堂々巡り」の悪循環ですよね。

 

「嫌いを知る」とは「己を知る」ということです。

 

そこと向き合わないから、自分が分かりませんし、

自分が分からないから、他者に「承認欲求」を求める。

 

他者の目線で生きてしまい、自分も出せない。

また、自分が分からないから、出しようもない。

 

人間関係が苦手。ますます自分を出せない。

それもまた「悪循環」です。

 

私が今まで出逢って来た素敵な人達の中に、

見た目から「いい人」って、逆に少ないかもしれません。

 

そういう人達は、自分もたくさん騙されて来ていますから、

パッと見は、取っ付きにくい人も多かったりします。

 

深く付き合ってみないと分からないですよね。

それは「自分も同じ」なのではないでしょうか。

 

いつだって、始めるのは自分からだろうと思います。

 

他人の事はひとまず置いて・・。

先ずは自分の気持と向き合ってみてください。

 

今はコロナで不安だと思います。

 

その不安は何処から来るのでしょう?

何に不安を感じているのでしょう?

 

ニュースを観て、外側に原因や理由を探すのではなく、

自分の中を覗いて見て下さい。

 

「私はこれが不安なんだ」とハッキリするだけでも、

「漠然とした不安」が少し消えて行くのではないでしょうか。

 

「じゃあ。どうしよう。」どう行動するかは、その後のお話です。

また自然に見えて来るのではないかと思います。

 

「皆んながそうするから」ではなくて、

自分の気持で動けると思うのですよね・・。

 

本日もお読みいただき、感謝です。