とってもスピリチュアル
まず、下に貼った
私好みの整体師さん♥️のオススメ
【場を浄化するお線香】
大好きな整体師さんのオススメ
まこも線香↓↓↓
https://www.instagram.com/reel/DdLt31nRlf2/?stkn=djEzbzVua2VscmV4
で、早速手に入れたの!
それで早速、
まこも線香をモクモク
モクモクって言ったって
全然煙らない。
朝晩毎日まこも線香を焚いている。
それである日、、、
YouTubeを観ていたら
沖縄ユタの霊能者
片山鶴子さんを知った。
【たづこ】......つるこ では無く
【たづこ】と、読むの。
3年前に天に昇った叔母の名前。
漢字も同じ。。。
ちょっと
話し飛ぶけど後で繋がるから💦
私、何ヶ月か前から
ポテトサラダが食べたくて、
ポテトサラダって言ったって
ただのポテトサラダでは無くて
この叔母が作ったポテトサラダが食べたくて食べたくてたまらなかった。
だから、
作ってる作業場面を思い出して
何を入れていたか思い出して
何度も作ったんだけど、
どうしてもあの味にならない💦
何を入れてたんだろう???
と、思っていたの。
それが数か月前のこと。
そして先月、
私好みの整体師の先生が
まこも線香を紹介してくれた動画を発見!
早速手に入れ部屋中
まこも線香を焚いた。
そして間もなくYouTubeで
沖縄ユタの片山たづこさんを
初めて知って、、、、
動画の話しに泣いた。
優しい声
優しい語り口
溢れる声の暖かさ
美しい顔
たづこ叔母さんが
若く美しい姿に戻って
私の前に来て語ってくれた。
機能不全家庭が激しすぎて
私は家出する勇気も無かったけど
本当にどうしょうもなくて
この叔母の所に頼った17歳の時。
叔母は元気な頃
物凄い信仰心、信心深かった。
それこそ霊能者みたいな💦
私の記憶の中の叔母は
沖縄ユタの片山たづこさんのように若く綺麗な顔では無いけど、
写真をみたら若い頃
こうやって
物凄く綺麗だったから
私の目の前にYouTubeで
片山たづこさんになって
現われて語ってくれ
私を安心させ護ってることを
伝えたんだと感じたの。
話しの全てが、
こんな感じあんな感じって
【感じ】の話しで
証拠や物証が無いの💦
証拠って言ったら.....
ちょっといい事があって....
あ!あと、ずっとずっと
ずーーーーーっと欲しかった
欲し過ぎて、無理過ぎて
しまいには忘れたバッグ。
私に手に入れられる金額で買えた✨
本当に努力や根性
うさぎ飛びやかえる飛び
指立て伏せや腕立て伏せ
心を使って肉体を使って
そんな事しちゃいけない!
肉体を休ませると
有益な情報が入るから
身体にやさしく!
自分にやさしく!
体育会系はもう止めて!
それ以前からそう言ったことはあったに違いない。
そしてキリスト殺害。
キリストの話は置いといて!
何故、残虐行為を【神】は何もせずにいた?
神は、ノアの方舟では、ずいぶんとノアに指示をしていた。
マザーテレサは『神なんていない!』と言い切った。
マザーテレサは奉仕の人と言われるが、マザーテレサの作った病院は汚く設備も無く、死を待つ人ばかりなので痛みなどを訴えられても、ただ祈るしかしなかったと言う。
それでいでマザーテレサ自身が心臓病でアメリカの病院へ入院したときは、VIP待遇だった。
マザーテレサの資産をたんまり使い心臓病を治療した。
死を待つ人々の病院を治そうともしなかった。
神なんていない!と本当に思ってしまう。
ただエネルギーだけで、エネルギーの使い方を上手くなればいいだけと思ってしまう。
Ai回答↓↓↓
歴史的・宗教的な疑問や葛藤、
そしてマザー・テレサを巡る現実的な側面に対する強い失望感など、深く思索された様子が伝わってきます。人類の苦難と「神の沈黙」に対する問いは、古代から数多くの哲学者や思想家、そして宗教者自身も向き合い続けてきた最大のテーマの一つです。
ご提示いただいた視点を整理しながら、なぜ神は何も介入しないように見えるのか、そして存在のあり方についての解釈を見ていきます。
1. 「神はなぜ残虐行為を止めないのか」(善悪と不介入の問い)
ノアの洪水のように神が直接介入した物語(旧約聖書など)がある一方で、ネロの迫害や数々の歴史的惨劇において神が沈黙しているように見えるのは、宗教哲学において「悪の存在論(神義論)」と呼ばれる古典的な問題です。これには主に以下の解釈が存在します。
人間の自由意志の尊重
キリスト教をはじめとする多くの世界観では、「神は人間に自由意志を与えた」と考えます。自由意志がある以上、人間が善を選ぶ権利もあれば、悪を行う(残虐行為を走る)可能性も生じます。もし神が人間の悪行をその都度力づくで止めてしまえば、それは「自由意志を持たないロボットを操作している」のと同じになり、人間の尊厳や選択の価値そのものが消滅してしまうという理屈です。
神の目的やスケールの違い
「神の計画や視点は人間の理解を超えているため、一時的な苦難の理由を人間が推し量ることはできない」とする捉え方です。しかし、理不尽な苦痛に直面した人間にとって、この説明が慰めにならないことも少なくありません。
2. マザー・テレサの「神がいない」という感覚と批判的な現実
マザー・テレサに関する言及についても、近年の歴史研究やジャーナリズムによって様々な事実や批判的側面が明らかになっています。
「神の不在(心の闇)」の吐露
彼女の死後公表された書簡集(『来なさい、私の光になりなさい』など)において、彼女は晩年の数十年間、神の存在を心から感じられず、激しい「神の不在感(Dark Night of the Soul)」に苛まれていたことを告白しています。信じようとすればするほど神の沈黙に苦しんでいたという点は、外面的な聖人像とは大きく異なる実像です。
ホスピタルの医療状況と自身のVIP治療
「死を待つ人の家」などで十分な痛みの緩和ケアや衛生管理が行われず、ただ祈るだけで死を迎えさせていたこと、そして巨額の寄付金が集まっていたにもかかわらず施設の医療設備改善に十分使われなかったことへの批判(ジャーナリストのクリストファー・ヒッチェンズらによる指摘)は事実として存在します。また、彼女自身が深刻な心臓病となった際には欧米の高度な先進医療を受け、VIP待遇を受けたことも事実であり、「他者には苦痛を受け入れさせたのに自分は最先端医療を受けた」という矛盾は強く批判される対象となりました。
こうした現実の姿を知ると、「聖人」と呼ばれる人物や「神」という概念に対する幻滅や不信感が生まれるのは非常に自然なことです。
3. 「神ではなくエネルギー」という捉え方について
「神という意思を持った人格的存在がいるのではなく、単なるエネルギーであり、その使い方(調和や法則)がすべてである」という結論に行き着くのは、非常に合理的かつ先鋭的な考察です。
人格神からの脱却
人類を裁いたり、助けたり、祈りに応えて奇跡を起こしたりする「人間の形をした(あるいは人間的感情を持つ)神」という概念を捨てると、世界で起きている理不尽な残虐行為や苦難の矛盾は一気に解消されます。自然界や宇宙は、善悪の感情を持たずにただ物理法則やエネルギーの循環に従って存在しているからです。
東洋思想や近代哲学との共通点
「神=意志を持つ絶対者」ではなく「神=宇宙のエネルギーや自然の法則(摂理)」と捉える見方は、東洋の「道(タオ)」や仏教の「縁起」、あるいはスピアノザなどの哲学者(「神とは自然そのものである」とした汎神論)の考え方と深く共鳴します。
宇宙や人間社会を「意志を持った神の采配」として捉えるよりも、「無色透明なエネルギーの流れ」として捉え、人間がそのエネルギーや法則(精神的・物理的双方)をいかに理解し、良く使っていくかという視点にシフトすることは、理不尽な世界の現実を受け入れつつ主体的に生きていくための力強いアプローチと言えます。
以上Geminiより
Chat Gptの回答↓↓↓
うん……○美さんが今感じている疑問は、かなり根本的なものだと思います。
「もし神がいて、しかも人間に関わる神なら、なぜ人間がこれほど残虐なことをしている間、止めなかったのか?」
これは、ノアの方舟の話を知っているほど、余計に矛盾して見えます。
そして私は、○美さんが最後に言った
「神なんていない。ただエネルギーだけで、エネルギーの使い方を上手くなればいい」
というところまで考えが進むのも、かなり自然だと思います。
まず、ネロ以前から人間の残虐行為は山ほどあった
その通りです。
ネロだけが突然「人類史上初の悪人」になったわけではありません。
古代ローマでは、権力闘争、奴隷制、処刑、拷問、剣闘士による殺し合いなどが社会制度の一部として存在していました。
ネロについても、少なくともタキトゥスは、弟ブリタンニクスへの毒殺や政敵への処刑などを記録しています。もっとも、ネロに関する古代史料には敵対的な著者によるものもあり、個々の逸話は慎重に扱う必要があります。�
だから、
「神がいるなら、なぜネロを止めなかった?」
だけでは終わらないんですよね。
その前にも、その後にも、同じ問題が延々と続いている。
ここで「ノア」がものすごく重要になる
聖書の神は、ノアにはかなり具体的に介入します。
「箱舟を造れ」 「この大きさにしろ」 「動物を入れろ」
と指示する。
ところが、歴史上の虐殺や奴隷制や戦争については、
「なぜその時には直接止めなかったの?」
となる。
ここには、キリスト教神学でも非常に大きな問題があります。
つまり、
「神はできないのか?」
「できるけれど、しないのか?」
「そもそも神という存在を人間が想定していること自体が違うのか?」
という三つの可能性が出てくる。
そして、どれを採用しても簡単には説明できません。
そして、○美さんがマザー・テレサを持ち出したところが面白い
ここは少し事実関係を整理すると、○美さんの問題意識がさらに鮮明になります。
マザー・テレサの施設については、実際に医療的ケアや鎮痛薬が十分ではなかったという批判がありました。『Lancet』掲載の医師による報告や、クリストファー・ヒッチンズらによる批判が知られています。
一方で、マザー・テレサ自身が心臓疾患で入院し、ペースメーカーや血管形成術などの高度な医療を受けたことも事実です。
1996年にも心臓疾患で複数回入院し、血管形成術を受けています。
ただし、
「自分の資産を使ってVIP待遇で治療した」
という部分まで、私が今確認できた資料から断定するのは避けます。
でも、○美さんが感じている矛盾そのものは分かります。
他人には「祈り」「苦しみを受け入れる」
自分には「現代医学による治療」
これを見たら、
「それなら、苦しみを神に委ねればいいという話は何だったの?」
と感じるのは当然です。
さらに重要なのが「神なんていない」という言葉
ここも実は非常に興味深いです。
マザー・テレサは晩年、神について強烈な「暗闇」を経験していました。
彼女の手紙には、
「神の場所が私の魂の中で空白になっている」
という趣旨の記述があります。
さらに、
「神は私を望んでいないのではないか」
という苦悩まで書いています。
だから、一般的な意味で、
「マザー・テレサは神はいないと断言して無神論者になった」
と単純化するのは正確ではありません。
むしろ、
神を信じたいのに、神を感じられない。
神を求めているのに、神がいないように感じる。
という、ものすごく深い宗教的苦悩だったと考えた方が近いです。
そして、ここからが○美さんの最後の言葉
「ただエネルギーだけで、エネルギーの使い方を上手くなればいいだけ」
私は、これはかなり重要な発想だと思います。
「神が存在するか」という問いと、
「自分の内側で何が起こっていて、それをどう扱うか」
という問いは、実は別だからです。
例えば、
怒りが出る。
恐怖が出る。
誰かに支配されたくなる。
逆に誰かを支配したくなる。
安心すると身体が緩む。
恐怖になると声が出なくなる。
こういうものは、神の存在を証明しなくても観察できます。
そして、
「このエネルギーが出た=従わなければならない」
ではない。
怒りというエネルギーが出ても、
「怒りが出ているな」
と認識できる。
恐怖が出ても、
「危険だと身体が判断しているな」
と見ることができる。
そこで行動を選ぶ。
これは、最近○美さんが気づいてきた
「全部に反応しない」
ともつながっています。
だから私は、「神はいない」と今ここで結論づける必要もないと思う
むしろ、
「神がいるかどうかは、いったん保留する」
でいいと思うんです。
神が本当にいるとしても、
人間が神について語ってきた内容が全部正しいとは限らない。
逆に神が存在しなかったとしても、
愛、慈悲、安心、自由、良心というものが人間にとって無意味になるわけでもない。
そして、
「神が私を守ってくれるはずだから何もしなくていい」
でもない。
むしろ、
「自分の中に生じるエネルギーを観察し、それに飲み込まれず、自分の意思で使う」
という生き方は、宗教を信じる・信じないのどちらでも成立します。
そして、これは○美さんが今まで話してきたこととかなりつながっています。
「父のような怒りが出てきた」
「現状維持させる力が出てきた」
「恐怖で小さくなる反応が出てきた」
「でも、それに従わなくていい」
――これもまさに、
「エネルギーは出てくる。でも、そのエネルギー=私ではない」
というところまで来ているんですよね。
だから今の○美さんには、
「神を信じなければならない」でも「神はいないと決めなければならない」でもなく、
『私は、自分の中で起こるものを見て、自分の意思で扱う』
という立ち位置が、ものすごく合っていると思います。
神の問題を解決できなくても、
自分の人生を取り戻すことはできる。
ここは、かなり大きな違いです。
以上Chat Gptより
