元気な障害者

元気な障害者

2004年発症。当初はうつ病の診断。転院を繰り返し、発症から10年目で初めて双極性障害という言葉を知りました。休職、復職後、2016年3月に定年退職。2017年7月から障害者枠のパート勤務。
2024年には顔面神経麻痺を発症。苦しんでいます。

私が最近テレビも新聞も見なくなったからか、福祉に関する言葉を見聞きすることが減ったように思います。

自然に耳に入ってくるのは、頭のおかしい世界の指導者たちが世界を混乱に陥れているということくらいでしょうか。

 

こうなる前に耳にした言葉の一つに「インクルーシブ(包括的)」があります。

例えば「インクルーシブ教育」。

障害がある子もない子も一緒に「教育」を受ける。

いろんな子供たちが分け隔てなく一つの教室で学ぶ。

それを実践できている国があるとも聞きました。

 

私は介助員という仕事をしていた時期があります。

普通学校に通う知的障害児の生活支援をするのが役目です。

私が主についたのは小学3年生の男の子で最重度の知的障害児です。

普通級の教室の出口に近い一番後ろがこの子の席です。

 

何故その子が普通級にいるかというと、その母親が「インクルーシブ教育」を実践すべきである、と強硬に市の教育委員会にねじ込んだからです。

障害を理由に学校に入れないのは差別であり、入れないのなら裁判を起こす、と。

周囲が助ければ普通級で生活できるはずだと言います。

しかし、その子が他の児童と同じ授業についていけるわけはなく、毎日好きな電車の本をパラパラと見たり、奇声を上げて走り回り、寝転がり。

担任の先生がときに声を荒げ、ときにやさしくその子に声をかけますが、それでおとなしくなるわけはありません。

その度に授業が中断します。

どうしてもおとなしくしないときのために教材置き場として使っている部屋を利用した別室が用意されており、そこに連れてゆくこともありました。

なんの教育の資格を持っていない私たちが見よう見真似で作った絵あわせや紐通しなどの教材をやらせることもありました。

母親はひらがなや数字を覚えさせて欲しいとも要求していました。

「文字や数字を読めた方がいいに決まっている」と。

 

母親は電車を見るのが好きなこの子を週末によく近くの駅に連れてゆきます。

何度も連れて行っているうちに電車の行先表示版の文字を見て、その子がそれらしき言葉を言ったそうです。

「漢字を読めた!」と大喜びの母親。

「形」を認識することはその子にとって良いことだと思います。

しかし、この場合、この子はその文字が何を意味するのかを理解しているのでしょうか?

 

その子はオムツをしています。

私たち介助員は定期的にトイレに連れて行ってトイレで排泄をするようにします。

また給食は他の子と同じものを食べますが、家から持参しているハサミで私たちが細かく切り、その子に握らせたスプーンなどで食べ物を口に運ばなくてはなりません。

 

ときどき周囲の子が来て一緒に遊んでくれることがあります。

その様子をスマートフォンで動画に撮り、母親にそれを見せると大喜び。

「こういうことをもっと増やして欲しいです」

 

周囲の援助が十分でないと感じると、その地域で障害者関係についての発言力を持つ支援者とともに学校を訪れ、校長、副校長、担任との「会議」を強要します。

「学校がもっと援助すべきだ」と。

 

果たしてこれを「インクルーシブ教育」と言えるのでしょうか?

毎日ゴロゴロしていることがこの子のためになるのでしょうか?

障害児の教育機関「特別支援学校」に行けば、トイレをはじめとする生活に必要なことの訓練をしたり、その子に必要な教育をしたりしてくれるのではないかと思います。

 

私が知っている「インクルーシブ教育」の現場では、確かにさまざまな子供が一つの教室で勉強しています。

そこには教師が何人かいて、それぞれの子供に必要な勉強をしています。

他にもいろいろな形の「インクルーシブ教育」があるでしょう。

残念ながら、日本ではまだこういう教育をする環境にはありませんし、それを考え、推進しようとする政治家はいなさそうです。

 

あの子はもう中学生か、そろそろ卒業する年齢になっているはずです。

今でもオムツをしているのだろうか。