現実の厳しさ
つい先日、夫との思い出と共に生きていくとブログを書いたばかりだけど…
今日は全く逆のことを考えていた。
夫がいなくて私は大丈夫なのか…
どういう思考に切り替えたとしても毎日しんどい事には変わりない。
この辛さを我慢しながら、これが日々積み重なったら、そのうち私は頭がおかしくなっちゃうんじゃないか…
辛くなって、頑張ってまた思考を切り替えて、何とか…何とか生きていこうとしているけれども、かなりの負担がかかって私もそのうちどうにかなっちゃうんじゃないか…
そんな事を考えていた。
夫が急にこんな事になって、これ以上また娘か私に何か起きたらどうしよう…
という漠然とした不安が襲う。
考えすぎだと思いながらも、実際うちは万が一の状況が既に起こっていて、絶対にありえない、想像した事もないような状況に現実に今なっているわけで。
全てにおいて思わぬ時期に思わぬ形でやってくると考え出したら怖くなってしまった。
夫がいなくなったこの現実が本当の私の現実なんだと思うと辛すぎる。
今までの人生の一つ一つの選択が最終的にこういう結果になっているとしたら、本当に些細な、それは自分が思いもしない様な過去の出来事の選択が一つでも違っていたら、今も家族3人元気に暮らしていたのだろうか…
せっかく出来た私の家族…
私の大切な仲間…
大事な仲間が1人減ってしまって本当に無念だ。
思い出と共に生きていく
またずっと考えていた。
夫の事。
会いたいなぁ。
声が聞きたいなぁ。
もし、もしだけど、会うことが出来たら、まず一番最初に夫はなんて声をかけてくれるかな…
昨日、夫の準確定申告をしに税務署に行ってきた。
夫は前年度の分は、全て作成済みだった。
救急車で運ばれたのが2月26日の金曜日だったから、土日を挟んで翌週提出しに行く予定だった。
夫が作成した申告書。
あとは提出するだけだった申告書。
こんな事になるはずじゃなかったから、準備万端で全ての必要書類がクリップで止めてあった。
今年の1月から亡くなる3月までの分を私が作成して、夫が作成した前年度の分とまとめて提出した。
夫がめんどくせぇなと言いながら毎年提出していた申告書。
夫が自分で提出するはずだった申告書。
当たり前の様にやってくるはずだった明日。
夫にはそんな明日が来なかった。
必死で涙を堪えながら提出した後、家に帰ってからも落ち込んでいて、夫との出来事を思い出していた。
もう忘れかけていた昔のことも色々思い出した。
自然と涙が溢れて苦しかった。
それでも、たくさんの出来事を思い出す事が出来た。
私には数え切れない程たくさんの夫との思い出がある。
もちろん本当は会いたいけど…
会って声が聞きたいし、こんな現実受け止めたくないけど…
夫の事を思い出にして進む勇気なんてないけど…
それでも夫との事を思い出している間は、悲しみの中にも少し温かい気持ちがあった。
思い出と共に生きていくって、よく歌の歌詞とか小説とかで見る言葉だけど、こういう事なのかなと思った。
夫の事、忘れない。
絶対に。
それでも現実は、夫との新しい出来事がこの先もう増える事はない。
私は夫とのたくさんの思い出と共に生きていく。
楽しかった思い出がいっぱい。
辛かった時も、歯を食いしばって一緒に頑張ってきたよね。
もう一緒に思い出は作れないけど、それでも過去の思い出が私をこの先支えてくれる。
いつまでも共にいようね。

