不正競争防止法2条1項1号の裁判例をよむ

個人的興味からのランダムピックアップ裁判例 その60

 本日も、血族関係や親子関係等が絡む関係解消事例を見ていきます。

 本裁判例は、LEX/DB(文献番号28072125)より引用。形式的な修正追加あり(「」等で明示ない箇所もあります)。

 

  大阪高判平14・7・5〔歌川豊国事件〕平12(ネ)3933(大阪地判平12・10・26〔同〕平9(ワ)9661、最二小判平15・1・17〔同〕平14(オ)1556

亡歌川豊國訴訟承継人
控訴人(1審原告) A

被控訴人(1審被告) B

 

■事案の概要等 

 本件は、亡歌川豊國が控訴当時の控訴人として,同控訴人の死亡に伴い相続人の<A>が訴訟承継人として,被控訴人に対し,第1に,主位的に,「六代歌川豊国」との表示でした歌川派の家元としての作画活動,写楽に関する同控訴人に伝わる家伝を基にした研究活動,執筆活動,浮世絵・特に「歌川派」に関係する講演活動,「歌川」姓の画姓を弟子に与える歌川派「家元」としての名取り活動,浮世絵の鑑定活動,「歌川会派」・「歌川派門人会」・「歌川豊国興隆会」にみられる弟子や支援者を組織する活動等により,「歌川」姓の雅号又は「歌川」派という浮世絵の流派の名称が同控訴人自身の「営業表示」として周知性を獲得し,これと類似する被控訴人の「歌川正国」等の雅号並びに原判決添付別紙目録記載の系図(以下「本件系図」という。)及び歌川豊春(TOYOHARU)を創始者とする浮世絵流派である歌川派の系譜をひく二代国鶴(KUNITSURU〈2〉)その他の歌川姓の浮世絵師と師弟関係があるかのように表示する系図を使用・表示する行為が同控訴人の営業と混同を生じさせる行為である(不正競争防止法2条1項1号に該当)として,また,承継後当審で追加的予備的に,「六代歌川豊国」との表示でした歌川派の家元としての作画活動,写楽に関する同控訴人に伝わる家伝を基にした研究活動、執筆活動,浮世絵・特に「歌川派」に関係する講演活動,「歌川」姓の画姓を弟子に与える歌川派「家元」としての名取り活動,浮世絵の鑑定活動・「歌川会派」・「歌川派門人会」・「歌川豊国興隆会」にみられる弟子や支援者を組織する活動等により,「歌川」姓の雅号若しくは「歌川」派という浮世絵の流派の名称が同控訴人自身の「営業表示」として,江戸時代から綿々と引き継がれた著名性を獲得し,これと類似する被控訴人の「歌川正国」等の雅号並びに本件系図及び歌川豊春(TOYOHARU)を創始者とする浮世絵流派である歌川派の系譜をひく二代国鶴(KUNITSURU〈2〉)その他の歌川姓の浮世絵師と師弟関係があるかのように表示する系図を使用・表示する行為が同控訴人の営業と混同を生じさせる行為である(不正競争防止法2条1項2号該当)として,「歌川正国」等の雅号並びに原判決添付別紙目録記載の系図及び歌川豊春(TOYOHARU)を創始者とする浮世絵流派である歌川派の系譜をひく二代国鶴(KUNITSURU〈2〉)その他の歌川姓の浮世絵師と師弟関係があるかのように表示する系図の使用・表示の差止め及び損害賠償を求め,さらに,同様に当審で追加的予備的に,被控訴人の本件系図及び歌川豊春(TOYOHARU)を創始者とする浮世絵流派である歌川派の系譜をひく二代国鶴(KUNITSURU〈2〉)その他の歌川姓の浮世絵師と師弟関係があるかのように表示する系図の使用・表示が不法行為に該当するとして損害賠償を求め,第2に,選択的に,旧控訴人,被控訴人間の支援協力契約に付随する義務違反行為があったとして,「歌川正国」等の雅号並びに本件系図及び歌川豊春(TOYOHARU)を創始者とする浮世絵流派である歌川派の系譜をひく二代国鶴(KUNITSURU〈2〉)その他の歌川姓の浮世絵師と師弟関係があるかのように表示する系図の使用・表示の差止め及び損害賠償を求め,第3に,絵画売買代金の残額の支払を求めている事案です(以下,亡歌川豊國を「旧控訴人」といい,<A>を「控訴承継人」といい,両者をまとめて「控訴人」ということがある。)。

(筆者コメント:以上は判決文よりそのまま引用。)

 

◆基本的事実関係(証拠の掲記のない事実は争いがない。)
(1)「旧控訴人は,明治36年2月3日,父歌川国鶴,母<C>の二男として出生し,「国春」と命名されたが,昭和51年11月19日,名を「豊国」と変更し…平成3年1月30日、名を「豊國」と変更し、平成12年11月11日死亡し、控訴承継人が遺産分割協議により旧控訴人の被控訴人に対する一切の請求権を相続した(甲2,弁論の全趣旨。死亡の事実は争いがない。)。 
(2)歌川派は、歌川豊春を祖とし、幕末には、実力と人気において、役者絵,美人画,武者絵,風景画などの浮世絵の代表的な分野を独占した浮世絵の一流派として周知である。初代歌川豊国(1769~1825)は,歌川派の創始者歌川豊春の門人で,歌川派隆盛の端緒を開き,門人から優秀な画家を輩出させた人物である。門弟に豊重(二代豊国),初代国貞(三代豊国),国芳,国政,国虎らがいる。二代歌川豊国(豊重)(1802~35)は,初代豊国の門人であり,初め豊重と称し,師の養子となり,1825年,師の没後,二代豊国を襲名した。三代歌川豊国(初代国貞)(1786~1864)は,初代豊国の門人で,国貞(初代国貞)と称し,二代豊国存命中に二世豊国を名乗り,1844年に三代豊国を襲名した。四代歌川豊国(三代国政,二代国貞)(1823~80)は,三代歌川豊国の門人で,師の長女の婿であり,三代国政を称し,1846年に二代国貞を,明治3年ころには四代豊国(当時は三世と称す)を名乗った(正式に襲名したか否かについては争いがある。)。なお,初代歌川豊国の門弟には,豊重(二代豊国)と初代国貞(三代豊国)とがいたが,右両名は,当時,それぞれ二代豊国を名乗っていた。現在では,講学上,豊重を二代豊国,国貞を三代豊国といっている。
(3)被控訴人は…歌川派の家系とは関係がなく,雅号として「歌川正国」を名乗り,旧控訴人が…内容証明郵便(甲63の1)において、「歌川正国」その他「歌川」姓を冠した氏名の使用及び表示を中止するよう求めたのに対し」、「回答において,上記求めに応じない意思を明らかにしている。」

 

■当裁判所の判断

(下線・太字筆者)
1 争点1(本案前の主張)
 「旧控訴人歌川豊國は…死亡し,控訴承継人が遺産分割協議により旧控訴人の被控訴人に対する一切の請求権を相続したところ,控訴の趣旨のうち1000万円に関する請求は,一身専属上の権利に基づく請求でなく,通常の請求権であるから,相続の対象となり,同請求にかかる訴訟は,控訴承継人がこれを承継している」。


2 争点2(周知性)
 裁判所は認定事実により以下のように判断しました。
 「上記事実によると,旧控訴人は,自ら「六代豊国」を名乗り,昭和47年の日本画「牡丹」以降,昭和48年,昭和49年,昭和55年~昭和62年,平成4年,平成5年,平成7年,平成9年と「六代豊国」として作画活動をし,写楽に関する家伝を基にした研究により「歌川家の伝承が明かす『写楽の実像』六代・豊国が検証した」を執筆・出版し,昭和58年頃,浮世絵の鑑定書を書き」、「昭和61年,平成8年に各講演をし,平成2年11月3日ころから,被控訴人の要請を受け,同人の推薦する者に対し,「歌川派門人」として遇する旨の許状を発行し,また,「歌川」姓の雅号を授与する旨の命名書を発行したところ,「歌川派」は,江戸時代後期から続く浮世絵の一流派であり,江戸期ではその呼び名を「歌川一門」やその系統ごとに「歌川○○社中」といい,幕末において,実力と人気において著名・周知であったといえるところ,豊春―豊広―広重の系列は,四代広重(大正14年没)でほぼ活動が終わったといえ,豊春―豊国―豊重・国貞・国芳の系列は,国峰が国貞派の「最後の浮世絵師」といわれて昭和18年2月15日に死亡した」後,「昭和19年,豊重派の国松が歌川豊國に連なる「最後の浮世絵師」といわれて死亡したことにより途絶え,現在,国貞派三代豊國の系統の歌川家,豊重派の旧控訴人方の歌川家の系統があり,そのほか,国貞派で国貞系と拮抗した国芳系の芳年に連なる水野年方,鏑木清方,伊東深水らの流れがあるということができる」。


 「しかしながら,控訴人主張の「歌川会派」(甲235)の存在は,これに沿うが如き甲231の4,235,335~339も実体のある組織の存在を認めさせるものでなく,同会の存在を認めさせるに足りず,「歌川派門人会」は,被控訴人が会長であった前記内容の組織であって,同会が旧控訴人の主催する組織であるとの主張事実に沿うが如き甲222も同主張事実を認めさせるものでなく,同主張を認めることができず,「歌川豊国興隆会」は,平成11年7月以降に設立され,平成14年3月21日,7代目歌川豊國襲名披露と個展を行い,これが国際浮世絵学会会報第23号に掲載され,これに,同学会の会長・理事・事務局員等,日本画家,三代歌川豊国家の現在の当主e(「歌川豊国興隆会」の名誉顧問),四代歌川豊国の生家のg家の当主g(「歌川豊国興隆会」の名誉会員),衆議院議員,元弁護士会長,新聞社営業推進本部長,芸術誌代表者など22名のほか,一般人37名が出席し,上記学会の理事長・理事等,大阪市長,府会議員,新聞社編集局長・記者,美術誌編集部員など27名,一般人45名が欠席したものの会に賛同する趣旨のメッセージを寄せ,図録『歌川派二百年と七代目豊國』を発行し,また,承継人が校長を務める浮世絵教室が企画・設立されるとの案内書その他の書類が作成されたことが認められる」が、「それ以外に具体的活動がされたことを認めるに足りる証拠はない」。
 「そうすると,「歌川派」が同時代に著名・周知であったのは幕末であり,少なくとも,昭和19年には歌川姓を名乗る浮世絵師の活動はなくなり,「歌川派」の同時代における著名・周知性は消滅し単に歴史的に著名・周知となったというべきところ旧控訴人は,昭和47年9月以来,自ら「六代歌川豊国」を名乗り,昭和47年「牡丹」,昭和48年「舞妓」,昭和49年「菖蒲」の歌川豊国としての各日本画の作画,出品を皮切りに,昭和50年以降「美術家名鑑」や「美術年鑑」などの年鑑誌に六代目歌川豊国として掲載されるようになったほか,日本浮世絵協会の会誌「浮世絵芸術」に六代目歌川豊国として寄稿する等し,昭和51年11月25日には大阪市長より浮世絵芸術の理解と普及に寄与したことに対する表彰を受け,昭和53年2月以降,各地で展覧会や講習会を開催し,昭和63年3月には「歌川家の伝承が明かす『写楽の実像』を六代豊国が検証した」と題する書籍(以下,「写楽の実像」という。)を出版して六代目歌川豊国として知名度を高めていたことが窺えるが,昭和62年以降平成4年の間,めぼしい作画活動が見あたらず,展覧会が昭和62年以降平成7年の映画館布施東劇ロビーにおいて開催された「六代歌川豊国浮世絵展」まで開催されず,新聞の報道も平成元年以降平成6年の読売新聞の報道まで途絶え,雑誌等でも,昭和63年,「歌川家の伝承が明かす『写楽の実像』を六代豊国が検証した」と題する書籍が出版され,「関西文学」11月号に,「六代歌川豊國」の名で,旧控訴人が自著を紹介する記事が掲載された後,平成7年3月18日付「サタデースペシャル」に,旧控訴人が,「浮世絵師」と紹介されるまで記事が掲載されず,講演等も昭和61年以降平成8年までなく,平成2年の時点前後にホームページに掲載されていないのであって,画家としての六代目歌川豊国の知名度は,前記活動とあいまち継続して展覧会が行われた昭和62年までの時点で高かったとしても,平成2年の時点で高かったとは断定できず,なお,美術年鑑誌には多数の画家の氏名が記載されているから,平成2年の時点前後で旧控訴人の氏名が記載されている美術年鑑誌のあったことを考慮しても,知名度が高かったとは認められず,事実審口頭弁論終結時に最も近い旧控訴人が死亡した平成12年の時点を考えても,平成4年,平成5年,平成9年以外めぼしい作画活動が見あたらず,展覧会が平成9年に開催された以後,平成12年10月11日から17日に大丸心斎橋店において開催された「歌川豊国展」も具体的内容が明らかでなくて旧控訴人の作品が展示されたのか不明であって展覧会の開催がなく,新聞の報道も平成8年3月から6月に集中的に定時制高校に合格した93歳の浮世絵師という点にニュース性を認めこれに重点を置いたといえる内容の記事が掲載されたほか,平成9年に1回,平成11年2月と5月に各2回記事が掲載されたのみであり,講演等も平成8年以降なく,雑誌でも,平成8年に3回,平成9年に2回,平成10年に3回,平成11年に5回,平成11年に6回記事が掲載されたものの,平成8年の週刊読売と週刊現代,平成11年の週刊女性と潮,平成12年の経済界,正論,週刊女性自身以外,発行部数が多いとは断定できない雑誌を含め,数誌に単発的に,しかも,96歳の高齢で大学に入学した向学心に燃えた老人という点にスポットライトを当てた記事が掲載されたにすぎず,平成8年,11年,13年に数回,上記雑誌での内容と同様がホームページに掲載されたにすぎなかったのであって,画家としての六代目歌川豊国の知名度は,平成12年の時点で高かったとは断定できず,なお,美術年鑑誌には多数の画家の氏名が記載されているから,平成12年の時点前後で旧控訴人の氏名が記載されている美術年鑑誌のあったことを考慮しても,知名度が高かったとは認められないから,平成2年,平成12年の時点で六代目歌川豊国という表示が同控訴人の主宰する浮世絵の流派又は同控訴人の活動を表示する営業表示として周知であったとまでは認められず,また,同各時点で「歌川」姓の雅号若しくは「歌川」派という浮世絵の流派としての名称が同控訴人の主宰する浮世絵の流派又は同控訴人の活動を表示する営業表示として周知であったとまでは認められない」。…等
 よって,控訴人の不正競争防止法2条1項1号及び同法3条に基づく差止請求権及びこれを前提とする損害賠償請求権は,いずれも,認められない。


3 争点3(著名性)
 (省略)


4 争点4(系図についての不法行為)
 裁判所は、「同系図の上記記載は,これにより被控訴人が二代歌川国鶴の門人であるかのように誤解を受ける余地もあるといえるものの,被控訴人が歌川派の系譜をひく二代国鶴その他の歌川姓の浮世絵師と師弟関係があるかのように表示するものとは断定できず,違法とまでいえないから,控訴人の主張は認められ」ず、「控訴人の上記主張の不法行為に基づく損害賠償請求権は認められない」と判断しました。
 

5 争点5(支援協力契約に付随する義務違反)
 裁判所は、「平成2年10月28日頃,旧控訴人に被控訴人を紹介し,その際,「歌川派」復興の話が出,被控訴人の推薦により門人となった者が構成員となって,歌川派を復興することを目的とした「歌川派門人会」が発足し,平成3年に事務局ができ,平成5~6年に規約ができ,被控訴人が平成8年まで会長をし,展覧会の費用や旧控訴人の旅費・講演料などを負担したことが認められるが…,旧控訴人・被控訴人間には,被控訴人が旧控訴人を家元として入門者を迎えたり,門人の中からさらに歌川姓の雅号を授与するなどの活動をしている歌川派を支援し,旧控訴人の活動に協力するという支援協力契約が成立したとの主張事実については,上記証拠中にこれに一部沿う部分があるものの,同主張事実全てを認めさせるには十分でなく,上記認定事実を併せ考慮しても同主張事実全てを認めることはできない」と判断しました。


6 争点6(絵画代金)
 (省略)

 

■結論

 裁判所は、「原判決は正当であり、本件控訴は理由がな」いなどとし、控訴人の請求をいずれも棄却しました。

 

■BLM感想等

 本件も、血族関係や親子関係等が絡む事案です。前回見た、真葛事件よりもさらに、創業者やその承継人たちと、控訴人とのつながりが希薄な事例でした。とはいえ、一時は、個展等も行い、雑誌等にも取り上げられていた時期もあるようで、控訴人(亡歌川豊國氏)が存命中に、自身の表現物だけでなく、例えば、教室のようなものを主催したり、先祖代々の独自の有形・無形の資産を展示等する施設を設けるなどして、自身の承継者としての正当性をカタチにして残していくと、江戸時代から承継される歌川派というグループの存在までは立証できない場合であっても、「歌川豊國」のみの周知性は立証できた可能性があります。

 東京地判昭34・6・29〔丸美屋食品工業事件〕昭30(ワ)5567は、裁判所は「同法第一条第一号は、現に流通過程にある周知性のある商品が同一又は類似の表示をほどこされた他の商品と混同され、取引界に不当な混乱の生ずることを防止することを目的とするものであつて、いわゆる老舗を老舗として保護することを目的とするものではない」と強調しています。しかし、一方で、どちらかと言えば、関係解消した一方よりもう一方の方が周知性を獲得しているのが明らかな場合でも、創業者(始原)から営業を直接引継ぎ、同一人と同一視できるような主体の方が結局正当な周知表示主と判断されるようにも思います。

 本件は、関係解消事例と呼べるか、やや悩ましいところですが、もはや歌川派という周知・著名な表示主体の存在は認められないわけなので、江戸時代に栄えた歌川派というグループとの関係解消事例といえるかもしれません。そうすると、かかる状況ではお家再興のように歌川派を再興した者が「歌川派」の表示主体となり得るわけで、そのような存在が出てくれば、歌川派が表示として、その出所識別性も出てくるということでしょうか。

 

By BLM

 

 

 

 

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