不正競争防止法2条1項1号の裁判例をよむ

個人的興味からのランダムピックアップ裁判例 その59

 本日も、血族関係や親子関係等が絡む関係解消事例を見ていきます。

 本裁判例は、LEX/DB(文献番号28071584)より引用。形式的な修正追加あり(「」等で明示ない箇所もあります)。

 

  横浜地判平13・ 9・26〔真葛事件・第一審〕〕平11(ワ)4055(東京高判平成14・4・25[同・控訴審〕平13(ネ)5322)

控訴人(原告)有限会社龍村織寶本社(以下「控訴人有限会社」ともいう)

控訴人(原告)株式会社龍村美術織物(以下「控訴人株式会社」ともいう)
被訴控訴人(被告) 被控訴人株式会社龍村織寶(以下「被控訴人会社」ともいう)

 

■事案の概要等 

 本件は、被告が原告の登録商標に類似した標章を表示した商品を販売する等して原告の商標権を侵害したとして、原告が被告に対して、主位的にそれらの差止め及び組成品の廃棄並びに損害の賠償を、予備的に本件標章の使用時に混同を防ぐための表示を付加することを、それぞれ求めた事案です。

 

◆争いのない事実
(1)原告は,下記の2つの商標を登録している(以下,これらの商標をまとめて「本件登録商標」といい,その登録を「本件登録」と,これらに係る商標権を「本件商標権」という。)。
ア 登録番号 第2593798号(詳細は「J-PlatPat」にあり。)
 登録商標  真葛(ただし,縦書き)
 区分・指定商品 旧第19類 台所用品…等
イ 登録番号 第2639377号(詳細は「J-PlatPat」にあり。)
 登録商標  真葛(ただし,縦書き)
 区分・指定商品 旧第20類 家具,畳類,建具,屋内装置品…等
(2)被告による標章使用
 被告は、本件登録以前から、茶器等の陶器を製造・販売し…「真葛」,「真くず」,「真葛焼」若しくは「真くず焼」等の「本件標章」を表示して販売する等して,現在もこれを使用している。

 

■当裁判所の判断

(下線・太字筆者)
Ⅰ.「真葛焼」の発祥と原被告への系譜(争点(1))について
 裁判所は「本件は,直接には,「真葛」という商標権(本件商標権)の侵害訴訟であるが,背景事情として,「真葛焼」という焼き物の発祥の経緯とその原告・被告双方への関わりが,本件標章に周知性があるか否か、それがあるとして誰の商品に係るものとしての周知性か,被告による本件標章の使用に不正競争の目的があるか否か,等の本件各請求に係る主要事実に関する争点…に深く結び付いており,その点が先決の争点であると位置付けられる」とし、以下判断しました。

 

1.「真葛焼」の制作と原被告の家系に関する事実
(1)認定できる事実
ア)「真葛焼」の発祥と江戸時代におけるM家の作陶活動
 「京都・下河原で楽焼を作っていた茶碗屋・MHは,安永2年(1773年)に没したが,その息子である2代目Hは,家業を継ぎ,下河原の真葛ヶ原に陶窯を築いて土焼をした」。「「真葛焼」の名は,代目Hの直系であるGが同所においてさらに家業を継ぎ,真葛と号して陶器を制作したことに由来する。Gは,文化文政時代(1804-1830年)のころには,名石工として知られたIとも親交があって楽Gとも呼ばれたが,妻・Jとの間に幼いK(安政6年(1859年)生まれ)を残して死亡したため,Jは,Kを連れて,Gの弟・C(天保13年(1842年)生まれ)と再婚した。…相前後して,茶碗屋の遠戚である絵師・E赤?βが京都・b東に,その弟・Lが同じくb西において,それぞれ作陶を営んでいた」。
イ)Cの移住と横浜M家
 「Cは,Gの遺志を継いで,真葛αの号をもって作陶活動を続け,真葛焼の名をさらに高め,有栖川宮の勧誘と薩摩藩士・小松帯刀の後援により,明治3年(1870年)に家族を連れて横浜に移住した。Cは,同所の南太田に陶窯を築いて制作に励み,成長したKもこれを手伝った。Cは「舶来α」として,日本のみならず欧米にもその名を知られるようになり,その後帝室技芸員となって,アメリカ合衆国シカゴで開催された万国博覧会にも出品する等の活躍をしたが,大正5年(1916年)に死没し,K及びその嫡子のDが2代目・3代目αとして跡を継ぎ,Dの妻・N並びにKの妹O及びその夫・Pが,これを助けた」。
ウ)京都におけるMβの系譜
 「京都においては,a東のE赤?βを慶応元年ころに家督相続した養子・Q(弘化3年(1846年)生まれ。幼名q)が,Qβを名乗って戸籍上の名も「β」に変更し,Cを手伝っていた」Cの転出後,Qβは,明治42年5月5日に馬町通に分家し,その長男・MR(明治27年2月2日生まれ)がa東の籍を継いだ。大正6年5月4日,Rがβを襲名し,Qβは戸籍名をqqに再び変更した。Rβの弟でQβの次男であるS(明治30年4月23日生まれ)は,それを遡る小学校修了後の明治42年ころから京都市徒弟伝習所において作陶を学び,その後も制作経験を重ねてやがて主に茶道具の芸術活動を志すようになっていた」。「Sは,大正6年秋にはTと結婚し(ただしこの時点では未入籍),Rβが大正8年2月15日に死亡したためこれを家督相続した」。「大正8年7月3日に長女・Uが産まれた後,同月5日にβに戸籍名を変更,同月9日にTと入籍し,その後さらに1女を設けた」。「Sβは,昭和4年には茶道の名門・Vに入門して学ぶとともに,昭和5年の帝展以降,様々な展覧会にも茶器を出品するようになった」。「主に欧米向けに鮮やかな装飾をもって制作され「マクズ・ウェアー」とも称されるようになっていた横浜の真葛焼」とは異なり,「Sβの作品は,真葛Gのころの京焼の作風を志向した」。
 「Sβは,やがて横浜でCαを継いでいたKα(2代目真葛α)らにも認められて,昭和8,9年ころから真葛βを名乗るようになり,前記Vから「真くず焼」の箱書をもらう等して,その後も茶道の宗匠の御好物に指定される作品を作り続ける等の活躍を続け,永誉βとも呼ばれるようになった。Sβは,昭和15年4月5日及び昭和36年4月1日には,陶磁器類等を指定商品とする「真葛」の商標を登録した」。
エ)被告とMβ家との関わり
 「被告は,大正11年3月9日,W1とW2の間に長男として生まれたが,Tと従姉弟の関係にあったため,Sβの家には幼いころから馴染みがあった」。「被告は,第2次世界大戦に出征帰還後の昭和21年4月に国立陶器試験所(訓練校)に入校する」とともに,昭ワ22年6月21日にSβの長女・Uの籍に入って婚姻し,作陶の修業を積んだ」。「被告は,昭和44年3月7日に,Tが死亡した後,同年6月19日にMβ(Sβ)と正式に養子縁組する旨の届出をして,同年7月3日に現在の肩書住所地に転籍し,同年11月6日に昭和36年の登録商標権を,昭和47年の春に家督とβの名跡を,それぞれSから譲り受けて陶芸活動を続け,以後概ね「真葛さん」と呼ばれている」。「Sβは,隠居後,昭和62年5月3日に死亡」。
オ)横浜M家のその後と原告
 「横浜のM家では,Kαが昭和15年4月19日に死亡」。「その後,D及びその妻並びに長男・Z3らも陶芸活動をしていた最中の昭和20年5月29日に,横浜大空襲に被災して死亡し、Dの子らのうちでは,次男及び三男も既に他界していたため,四男である16歳の原告及び姉たちのみが残され」、「原告がDを家督相続したが,未成年であったため、Dの弟・Fが後見人となった」。「Fは,Dの生前は,主に釉薬の調合を行う職人としてDを補助していたにすぎず,被災後,α窯は途絶えていたが1年後,親戚のX1が出資と窯の再興を提案したため,Fはこの話に乗り,製陶を始めて,4代目A4を名乗った」。「しかし,Fの作品は,次第に商業主義的・大衆主義的な傾向を強める等したこともあって,陶芸界から評価されることはないまま,数年して廃業し,Fは昭和34年7月7日に死亡」。「原告は,他人の資本でα窯を再興するのは面白くないと考えていたため,Fのもとを離れて後,陶芸活動に携わることなく,技術系の会社員等として生計を立ててきていたが,子供の手の離れた平成元年ころに,持ち家を改築するのを契機としてα窯を復興することを考え,以後,会社員をしながら陶器を焼き,これに「真葛」の表示をしている」。「原告の制作した陶器は,知己や隣人が分けてほしいと言ってくれば売ることはあるが,未だ陶芸界では全く認められるに至っていない」。


(原告本人,弁論の全趣旨)
2.反対証拠等の評価
 裁判所は、「上記認定に反するいくつかの証拠及び原告の主張があるが,これらについては,以下のように考えられる」としました。
ア)神戸M家作成の家系図について
 「標記の書証中,明治9年1月21日生まれのMQとの表記があるが,これは,戸籍の記載に照らすと明治27年2月2日生まれのMRの誤りではないかと思われる。同家系図はL筋の子孫である神戸M家のX3及びX4の手により昭和2年及び14年に作成されたものであり,傍系の親族であるE赤?β筋の特に古い時分の家系については,信用性がやや落ちると考えられるので,公文書で信用性が高いと考えられる戸籍…及びこれと一致する被告の著した書籍『真葛』上の記載…を真実と認める。なお,同家系図にこのような誤りが一部あるとしても,その全体としての証拠価値が低下するものではない」。


イ)書籍『真葛』…及びM家々誌…に登場する人名について
 「標記の各書証上,戸籍名と異なる表記がされている者が散見されるが,時代背景からして,戸籍名と読みの同じ通称表記を用いる場合も多かったと考えられ,これらは同一人物とみて問題ないと解される(この場合,初出時に,通名(上記各書証上の表記)に続いて,括弧内に戸籍上の本名を併記した。)。ただし,「T」と「t」とは相当に氏名が相違するが,これについても,『真葛』におけるTの死亡日と戸籍上のtの死亡日が一致していること,だいたいの結婚の時期(なお,大正時代当時は結婚と入籍の時期が数年単位で一致しない場合もあったと解される。)及びTが2女を設けてその長女がUであるとの記述もtの戸籍と合致すること,被告本人が養母をTと呼んでおり,名を間違えるとも考えにくく嘘を述べる理由も格別ないことから,同一人物であると認める」。
ウ)永誉βの活動の有無に係る原告の主張について
 「原告は,永誉βの昭和35年ころまでの陶芸活動が不明である旨を主張するが,茶道のZ212代家元・X5宗匠の昭和4年又は9年ころの花押のある真くず焼七宝スカシ水指…,昭和13年真葛β作の「以良保写」の茶碗…及び利休居士350年記念(昭和15年。…)の「利休頭巾」の食籠の真くず焼…並びにこれらについて前記Vの息子・X6の記した文章…,X7(昭和23年)作成の「真くず」の額…,X5の孫でZ213代家元・X8宗匠の昭和25年の花押のある真くずヤキ祥瑞写…等が現存することからすれば,永誉βは昭和の初期から積極的に制作活動に励んでいたと十分に認められる」。
エ)京都M家の活動に対する横浜M家の認識に係る原告の主張について
 「原告は,Kα又はDαは,被告又は永誉βが「真葛」という商標(本件標章)の使用していたことを知らなかったのであり,被告はこれらを勝手に使用している旨を主張する。しかしながら,原告の母であるMNからMβ宛の昭和11年4月23日消印の封書…の存在及び内容,並びに永誉βが横浜にも行ったことがあるという被告本人の具体的な供述からは,横浜M家と京都M家との間には親戚付き合いがあって,また,種々の贈り物もしていたことが明らかである(…封書に貼付された切手の額面額は「参銭」で,その消印も現在と異なり右から「神奈川」となっていて,作成時期が古く,横浜から投函されたことをうかがわせること,封筒と本文の筆跡が同一であると認められることから,その作成は真正であり,被告が真実紛失しているだけであると認めることができる。)。「これらの事実と…既に昭和初期から永誉βが「真葛」を名乗って活動していたこととを併せかんがみれば,KαやDαが永誉βが「真葛」の商標を使用していたことを知らないはずがなく…,同αらは,少なくとも黙示的には,永誉βが「真葛」の商標を使用することを許諾していたというべきである
 「…Dの生前は,原告が未成年であり,かつDは自らの死を予期できないような亡くなり方をしたのであるから,必ずしも近くはない親戚筋の話まで原告に伝え聞かせるとは限らない…原告の姉・Y…の手紙…も,Mβ家と親戚付き合いがあったとは認識していない旨を綴っているが,叔父のF家との親戚付き合いすらしていない者が,それより遠い親戚筋との付き合いについて詳しく知っているとも思われず,その内容的な信憑性は低いといわざるを得ない」。「これらの証拠が,Kαが真葛βの活動を了承していたことを覆すに足りるものであるとはいえない」。
オ)被告提出書証のねつ造等に係る原告の主張について
 「認定の事実は,原告提出の書証であるM家々誌…の内容等に照らしても矛盾するものではない上,被告本人の供述態度及び被告提出書証の原本の状況からしてもねつ造等の事実は認められないというべきであり,他に,これらの証拠の内容が虚偽であると認めるべき点もない。原告の上記主張は,思い込みに基づく面が強く,採用することができない」。
 以上より「認定の事実」が認められる。


(2)原被告又はその先代による「真葛焼」の制作活動の実態
1.被告の家系の制作活動
 「もともとの「真葛焼」の名の由来となった真葛ヶ原の窯は,Cが明治3年に横浜に移転したのに伴ってその後しばらくは使われなくなっていた」が,「Sβが作陶活動に励んで真葛βを名乗ることが世に認められて以来,それとは別の窯で同人又はその婿養子である被告の手により制作された陶器類もまた,「真葛」又は「真葛焼」と呼ばれて,それが次第に定着していったと解される。つまり,京都の真葛焼は,横浜に移転した真葛焼の窯系譜を直接に引き継いだわけではないが,いわば,横浜の「元祖・真葛焼」に対して,京都の「復刻・真葛焼」とも評すべき形でその知名度を上げていったというべきである」
 「特に,第2次世界大戦の戦火により横浜に移転した当初の真葛窯(α窯)が使われなくなり,さらにFが昭和34年7月に死亡して以降は,むしろ陶磁器類の需要者の間では,「真葛」又は「真葛焼」といえば,S永誉β又は被告の手になる陶器類を指すものとして,広く認識されるようになり,その状況が現在にいたるまで続いてきたと解するのが相当である」。


2.原告の制作活動
 「原告は,平成に入ってから窯を新たに造って,初めて本格的に作陶に取組みはじめたもので,「真葛」の商標を付けるものの,その作品は陶磁器類需要者の間には認知されていない」


3.Z1証人の証言について
 「Z1証人は,「真葛」を名乗るのを許されるのは,MG及び歴代α以外に存在しないと供述するが,同証人自身,そのいうところの「真葛焼」を「横浜真葛焼」と呼ぶこともあること自体は認めており,これは横浜以外にも真葛焼が存在することを推認させる事実である。もとより,同証人は,学生時代に世界美術史(日本と欧米間の美術交流)を専攻して,神奈川県立博物館(現・神奈川県立歴史博物館)に就職した者であり,就職後も神奈川県と関係する美術の範囲での研究が主で,茶陶美術には明るくない…というのであるから,茶陶界における京都真葛の地位について詳しくは知らない立場にあるというのが相当である」。
 同証人の掲記の供述は,…相応の裏付けとなる調査をしていない」から「京都真葛焼に関する部分は採用…できない」。
 

Ⅱ.主位的請求の成否(争点(2))について
1.本件標章の被告商品表示としての周知性の有無
 「認定した事実によれば,本件登録商標が登録出願された平成3年12月13日には,本件標章は,既に被告商品を表示するものとして陶磁器類商品の需要者の間に広く認識されていたと認められる」。「原告は,「真葛」又は「真葛焼」といえば,MG及び歴代αの陶器を表す商標として認識されていたと主張し,これに添う証拠‥も存在するが,平成3年12月13日の時点においては,既に歴代αの手になる「真葛焼」が制作されなくなって久しかったから,これらの商標(本件標章)は,むしろ先代の永誉βによる昭和8,9年ころの著名な作陶活動から継続して制作活動に勤しんできた被告の茶陶器類等を示すものとして需要者には認識されているというべきである」。「『広辞苑』…等を援用する原告の上記主張は採用…できない」。


2.不正競争の目的の有無
 「認定した事実によれば,被告は,いわばKαから「真葛」を名乗ることを認められていた永誉βの跡を継ぐ形で真葛βを名乗っていただけで,横浜真葛とは異なる純京焼の制作を志向していたのであって,既に制作されなくなっていた横浜の「真葛」又は「真葛焼」の商標の持つ顧客吸引力にただ乗り(いわゆるフリーライド)しようとか,これを希釈化(いわゆるダイリューション)しようとかいった不正競争の目的のために本件標章を使用したものではない」。
 「原告は,「真葛」又は「真葛焼」の商標を用いることができるのは,Kα及びDαの家督相続人である原告を措いてほかに存在しない旨を主張し,それを根拠として,被告による本件標章の使用が不正競争行為であると主張するようである」。「しかし,そもそも歴代αがこれらの商標を先行して登録していなかった以上,その商標の専用使用権が相続の対象になるものではないし,茶陶界のしきたりとして1つの商標を複数の家系で使うことが許されるか否かという事実上の問題はあるとしても,法律上は,先行の商標使用者(横浜のMα)が後行者(京都のMβ)による商標使用を了承した以上,当該後行者による商標の使用は問題がなく,それを受け継いで当該商標を使用している者にも,原則として不正競争の目的はないと評価せざるを得ないというべきであるから,原告の上記主張は失当である」
 「以上によれば,被告は,本件登録に係る出願(平成3年)前から,日本国内において,不正競争の目的でなく,本件登録商標の指定商品である被告商品について本件標章の使用をしていた結果,本件登録に係る出願の際に,現に本件標章が被告商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されていたというべきであるから,本件登録商標と本件標章とが類似しているとしても,被告は,商標法32条1項に基づき,継続して被告商品について本件標章を使用する権利(いわゆる先使用権)を有するというべきである」。


4.予備的請求の成否
(1)商標法32条2項の趣旨と混同防止表示付加請求権の成否の判断基準

 第一審判断では「「原告の陶芸経験・能力が必ずしも十分でないことからすると,本件登録商標に係る指定商品の取引者及び需要者において普通に注意力を払えば,本件標章を表示した被告商品と原告が本件登録商標を使用・表示した指定商品との間で,商品の出所に誤認混同を生じることは,まずあり得ないというべきである」。「要するに,本件標章と本件登録商標は,その外観,観念,称呼において相当に近似するが,その表示される商品の取引の実情等をも含めて総合的に判断すれば,これらの間に商品の出所の誤認混同を生じるおそれはなく,結局において,本件標章と本件登録商標とはそもそも「類似」していないものといわなければならない」、「もともと本件標章と本件登録商標とは,その商品の出所に誤認混同を生じるおそれはないのであるから,本件標章の使用につき原告に混同防止表示付加請求権は発生しない…これを求める原告の予備的請求は…理由がない」等と判断しました。

 

(2)なお、これに対し控訴審では以下のように判断しています。

 すなわち、控訴審判断は、「商標法32条2項の定める出所混同防止表示の付加を請求する権利は,絶対的なものではなく,先使用者による使用の継続により混同が生じるおそれがあるときであっても,商標登録の前後を通じてみた,先使用者による使用の実態と商標権者による使用の実態との関係に照らして,先使用者に混同を防ぐための表示を行うよう求めることがいかにも不合理であると考えられるときは,先使用者の行うべき「混同を防ぐのに適当な表示」は見いだし難いとして,事実上,否定されることもあり得るものというべきである」とし、「本件標章は,I及び被控訴人の陶芸活動によって生み出された作品に長年使用され,同作品の出所を表示するものとして周知となっており,一方,本件登録商標は,平成元年ころから始まった控訴人の上記認定のささやかな陶芸活動に係る作品について,その出所を表示する機能を有するにすぎないものである,ということができ」、そうすると「本件登録商標が控訴人の陶芸活動に係る作品に使用され,本件標章が被控訴人の陶芸活動に係る作品に使用されることにより,仮に,何らかの混同が生じるとしても,それが控訴人に商標法32条2項が予定しているよう損害を与えるようなものとなるとは考えにくく,上記認定の程度の陶芸活動をしているにすぎない控訴人が,I及び被控訴人の長年にわたる陶芸活動によって周知となっている本件標章に対し,何らかの表示の付加するよう求めることは,いかにも不合理であるということができる。結局,本件においては,「混同を防ぐに適当な表示」は見いだし難く,控訴人には,商標法32条2項の定める出所混同防止表示の付加を請求する権利は認められない,というべきである」としました。

 

■結論

 裁判所は、「 以上によれば,原告の主位的請求及び2つの予備的請求は結局いずれも理由がないからこれらを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法65条1項本文,61条を適用して,主文のとおり判決する。」と結論付けました。

 

■BLM感想等

 本件も、血族関係や親子関係等が絡む事案です。前回見た、東京地判昭34・6・29〔丸美屋食品工業事件〕昭30(ワ)5567は、創業家が戦災によって一時休業している間に、元従業員が再興して周知とした事案でした。また、大阪地判平4・5・28〔田辺屋冬籠事件〕昭62(ワ)10985、昭61(ワ)10261は、もともとは本家筋であったのに、その直系の者が戦争が発端となり、営業を廃止した事案で、のれん分けした弟の営業が「田邊屋」を引き継ぐかたちとなった事案でした。これらを見ていくと、いかに、もともとの創業者(始原)とのつながりに加え、継続していくことが必要であるかがカギとなる点考えさせられます。ブランドというのは継続こそ力なりなのでしょうか。前記丸美屋食品工業事件で、裁判所は「同法第一条第一号は、現に流通過程にある周知性のある商品が同一又は類似の表示をほどこされた他の商品と混同され、取引界に不当な混乱の生ずることを防止することを目的とするものであつて、いわゆる老舗を老舗として保護することを目的とするものではない」と強調しています。しかし、一方で、どちらかと言えば、関係解消した一方よりもう一方の方が周知性を獲得しているのが明らかな場合でも、創業者(始原)から営業を直接引継ぎ、同一人と同一視できるような主体の方が結局正当な周知表示主と判断されるようにも思います。現在の事実状態か、老舗を引き継いでいるものを優先すべきなのか、悩ましところですね。結局、不正競争行為がそこにあるか否かを判断する必要がある、ということでしょうか。

 

By BLM

 

 

 

 

 

 

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