不正競争防止法2条1項1号の裁判例をよむ

個人的興味からのランダムピックアップ裁判例 その51

 本日も、血族関係や親子関係等が絡む関係解消事例を見ていきます。

 予めお詫び:本裁判例は、LEX/DB(文献番号27809611)から引用。形式的な修正追加あり(「」等で明示ない箇所もあります)。

 

  大阪地判平1・9・13〔森田ゴルフ事件〕昭61(ワ)3663

原告 森田ゴルフ株式会社
被告 マッシー森田ゴルフ株式会社

 

■事案の概要等 

 本件は、原告の「森田ゴルフ」等の表示が周知性を獲得しているところ、被告において、原告創業者が大正14年に研究所を創設して以来の由来を原告と区別することなく記載したり、被告の営業表示として当時の被告の正式商号である大阪森田ゴルフ株式会社の表示を使用せず、単に「森田ゴルフ」と表記したり、「森田ゴルフ株式会社」の表示を使用したりしたため、原告が被告に対し「森田ゴルフ」等の表示の使用差止等を求める本件仮処分を申請し、その後本件訴訟を提起した事案です。
 

◆争いのない事実

(1)原告:昭和37年4月2日設立。大阪府高槻市大字庄所六八番地(住居表示の変更:同市南庄所町二番五号)。資本金800万円。ゴルフ器具の製造、販売等を目的とする。設立代表取締役は森田M子(以下「M子」)。
(2)原告沿革:昭和の初めに、原告の前代表取締役森田Y実(以下「Y実」)の実父清太郎が兵庫県下で、国産ゴルフクラブヘツドの製造販売開始。当時、国内にゴルフ用品の販売店は五店くらいしかなく、製造業者も、ゴルフクラブヘツドのメーカーは清太郎だけで、この外にはシヤフトメーカーが一社あった。清太郎は、我が国のゴルフクラブヘツド製造、販売業者の先駆者で、清太郎は、義弟(妹婿)松岡B治と共同経営を行い、クラブヘツド等を製造し、卸販売していた。その製造するゴルフクラブヘツド及びゴルフクラブは国産品の90パーセントを占める。
(3)戦時体制で奢侈品製造禁止令の施行で一切のゴルフクラブ製造工場が操業中止の中、清太郎だけは製造を許可されたが、昭和16年には奢侈品の販売禁止令施行で製造中止に至ったが、アイアンヘツドの鍛造技術が評価されて陸軍省指定工場として軍刀等の製造に切り換えて操業していた。
(4)清太郎は、戦後、昭和26年ころから姫路市で「森田ゴルフ器具製作所」の商号でゴルフクラブヘッド等の製造販売を単独経営にて再開。戦後の経済復興に伴いゴルフ人口も増加し、森田ゴルフ器具製作所は順調に業績を伸ばして発展した。
(5)清太郎には、長男K、次男M、三男Y実、四男H志、五男N平、長女Mゑがいた。

 

■当裁判所の判断

(下線・太字筆者)

Ⅰ.旧不正競争防止法1条1項2号に基づく請求について

1.原告の営業表示とその周知性

裁判所は、上記争いのない事実及び以下の事実を認め、判断しました。
(1)「清太郎は、大正14年ころ、兵庫県下において、ゴルフクラブヘツドやゴルフクラブの製造に関する研究所を創設し、昭和3年ころからは「森田ゴルフ器具製作所」等の名称を用いてゴルフクラブヘツド等の製造を開始」。「ゴルフクラブヘツドのメーカーとしては日本で最古参の部類に属する」。「昭和9年ないし10年ころには、国内需要の約90パーセントを賄う」。「第二次大戦中は右製造を一時中断」するも、「清太郎は、戦後昭和26年ころから姫路市において「森田ゴルフ器具製作所」の商号でゴルフクラブヘツドやゴルフクラブの製造を再開」し、「「森田ゴルフ器具製作所」又はその略称である「森田ゴルフ」の表示は、清太郎の営むゴルフクラブ製造販売業の営業表示として遅くとも昭和30年ころには国内の取引業者の間で広く認識されるに至った」。

 

(2)ⅰ)「清太郎は、ゴルフ用品の小売店を大阪市に出店することを計画し」M・Kゑ夫婦が大阪で小売店を開くことになる。
ⅱ)M・Kゑ夫婦の「森田ゴルフ製作所大阪支店」は森田ゴルフ器具製作所の小売部門として発足し、同所製造のゴルフクラブを購入し小売したほか、大阪、奈良などの業者から仕入れたその他のゴルフ用品を販売した。営業はKゑが責任者で経営は独立採算制。同店は森田ゴルフ器具製作所のゴルフクラブを販売することを主たる目的として清太郎の意向を受け始められ、開業資金の銀行からの借入れは同人が保証人となったほか、森田ゴルフ器具製作所への支払を他の仕入れ先への支払の後にしたり…など、同製作所とは密接な関係にあった。
ⅲ)大阪支店は、昭和33年6月30日に大阪市北区神明町一九ー三に土地を購入し移転、「製作所」を省いた「森田ゴルフ」の名称を使用し、店の看板等にも「森田ゴルフ大阪支店」と表示した。ゴルフクラブ以外のゴルフ用品一般を揃えている印象を与え、顧客も「製作所」を省いて「森田ゴルフ」と称呼するようになっていたことによる。さらに、昭和35年7月には隣接の土地を買収して店舗を拡張し、看板の「大阪支店」の記載をやめて単に「森田ゴルフ」とした。ゴルフクラブは森田ゴルフ器具製作所から仕入れ、それ以外のゴルフ用品は仕入れ業者が50社程で、大阪支店は、次第に森田ゴルフ器具製作所とは独立した性格を強めた。
ⅲ)昭和36年1月9日には同所を本店所在地とする「株式会社森田ゴルフ」(神明町森田ゴルフ)が設立され、Kゑがその代表取締役に就任。発起人はM、Kゑ夫婦、Kゑの実父などがなり、資本金等設立費用も同人らが拠出し、清太郎やY実は役員にならず、神明町森田ゴルフは、役員構成の面からも資本関係の面からも清太郎らからは独立。しかし「森田ゴルフ器具製作所」の製品の販売は続けられ、取引上は協力関係にあり、神明町森田ゴルフの設立に当り、清太郎は「株式会社森田ゴルフ」の商号を使用することについて異議を述べなかつた。

ⅳ)清太郎は、昭和30年以降も姫路市で「森田ゴルフ器具製作所」の経営を続け、姫路市神屋町の本店と第一工場、同市土山町の第二工場、広島直売所、福岡直売所を設けるなどして事業を発展させ、三男Y実もその経営に参画し、昭和36年4月には姫路ゴルフ株式会社(姫路ゴルフ)が、同年10月には森田ゴルフ株式会社(姫路森田ゴルフ)が設立。前者は、森田ゴルフ器具製作所の姫路第二工場を独立させ、代表取締役には清太郎の長女Mゑの夫が就任。後者は、森田ゴルフ器具製作所の姫路第二工場以外の部分の営業を承継し、代表取締役にはY実が就任。昭和34年にはM子(原告の現代表取締役)と結婚。Y実は清太郎の後継者となる形で姫路森田ゴルフの代表取締役に就任。

ⅴ)清太郎は、姫路に二つの会社を設立する一方、これまでの鍛造法によるアイアンヘツドの製造に代えて鋳造法による製造を開始することも計画し、神明町森田ゴルフ名義で工場用地を購入。昭和37年4月2日、右土地の所在地を本店所在地とする「森田ゴルフ株式会社」すなわち原告が設立され、その代表取締役には清太郎の長男Kが医師を辞め就任。
ⅵ)右土地が、登記簿上、神明町森田ゴルフ名義で取得されており、取得資金に関連して神明町森田ゴルフが課税され得ることが問題になり、M、Kゑ夫婦は支払を免れるため、神明町森田ゴルフの解散登記をし同じ場所に「大阪森田ゴルフ株式会社」すなわち吸収合併前の被告を設立し従来の営業を実質的に承継させた。

ⅶ)Y実も高槻市に移住してKとともに原告の経営に携わり(昭和46年ころ代表取締役に就任)、昭和45年に清太郎が死亡。その後、新たにゴルフクラブの製造、販売の分野に進出してくる業者も多く、逐次各種新製品が出まわつたりすることもあつて、原告製品の業界における市場占有率は、清太郎の時代のような大きなものでは有りえなくなつていつたが、原告は、清太郎以来の伝統と技術をうたつて営業を続けている。
ⅷ)その間に原告と被告の間の取引は次第に少なくなり、被告自身もゴルフクラブの製造にまで事業を拡大するなどしていくうち、原告と被告の間には昭和59年中の取引を最後に商取引上の関係すならなくなつた。

(上記は筆者にて編集。省略事実あり)

ⅸ)被告の出店したが、そのパンフレツトに清太郎が大正14年に研究所を創設して以来の由来を原告と区別することなく記載したり、被告の営業表示として当時の被告の正式商号である大阪森田ゴルフ株式会社の表示を使用せず、単に「森田ゴルフ」と表記したり、「森田ゴルフ株式会社」の表示を使用し、かかる状況をみた原告は、被告を相手に「森田ゴルフ」等の表示の使用差止等を求める本件仮処分を申請し、その後、本件訴訟を提起した。
Ⅹ)本件仮処分申請中、原告の代表取締役の地位を退いてはいたがなお取締役の地位にあつたKは、Mに被告がマツシー森田ゴルフの表示を使用するのであれば、原告と区別できるので異議はない旨の手紙を書き送つている。

 

(2)判断

 裁判所は、上記のように、「清太郎が戦前に始めたゴルフクラブヘツドやゴルフクラブの製造、販売の営業は、その先駆者的地位と優れた技術のため、早くから取引業者及び需要者に知られ、戦後、清太郎が昭和二六年ころに「森田ゴルフ器具製作所」の名称で右営業を再開すると、昭和30年ころには、ゴルフ器具取引業者の間では、「森田ゴルフ」の表示は、清太郎の右営業を意味するものとして広く知られるようになつた」と認めた上、さらに以下のように、認定事実に基づき判断しました。(附番筆者)

 ①「昭和31年四月にM・Kゑ夫婦が清太郎の意向を受けて大阪で「森田ゴルフ製作所大阪支店」の営業を始め」、

 ②「昭和36年10月に姫路市に「森田ゴルフ株式会社」」が、

 ③「次いで、昭和37年4月に高槻市に「森田ゴルフ株式会社」すなわち原告が設立され」、

それぞれが営業を営んでいた昭和30年代には、「森田ゴルフ」ないし「森田ゴルフ株式会社」の表示は、清太郎の事業を引き継いでいる者又はこれに関連する事業を営む者の営業表示として、取引業者間に広く知られるようになつていた」。

その後、姫路森田ゴルフは、昭和44年ころに事実上閉鎖状態になつたが、原告の右営業と営業表示の使用は継続され、右表示の周知性は、なお維持、承継され」、

一方、M、K夫婦の営業を実質的に承継した神明町森田ゴルフないし被告は、次第に清太郎の事業との関連性を薄めていき、昭和59年を最後に原告との取引も全く無くなり、その営業は、清太郎の事業との関連性を想起させる右表示をそのまま用いるべき実体を失つた」。

現在、右営業表示の主体といえるのは、原告である」。


2.被告表示の使用と使用のおそれについて
 裁判所は認定事実に基づき「各表示は、現在使用中のものはもちろん、その他のものについても使用のおそれ」を認めました。
 

3.原告表示と被告表示の類否について
(1)裁判所は、「森田ゴルフ」を要部として認識できる被告表示について、原告表示と類似とする判断をしました。

(本ブログでは詳細省略。)


(2)「森田ゴルフ」等に「マツシー」(massie)と記載した結合標章について、

 裁判所は、「「マツシー」(massie)とはアイアンクラブの五番手を表す語であると認められるが…アイアンクラブは現在では番号を付して呼ばれるのが通常であり、「マツシー」の語はアイアンクラブの番手を表す語としては、日常頻繁に用いられているものではなく、いわば死語に近いものであると認められる」としつつ、「看者の注意を強く引く部分は「森田ゴルフ」若しくは「モリタゴルフ」の部分」で、要部であるといえる表示については、原告表示と類似すると判断しました。

 一方、「同じ大きさのカタカナで「マツシーモリタゴルフ」と横書きした」表示については、「「マツシー」の部分と「モリタゴルフ」の部分を区別することなく、同じ大きさの同一形態の文字で「マツシーモリタゴルフ」と一体的に表記したものであることからすると、右表示は、看者により全体として一体的に観察され、原告表示とは区別して認識される」とし、「単なる「モリタゴルフ」とは異なることを強調し、それを看者に認識させるものになつているということができ全体として原告表示に類似しない」と判断しました。

4.誤認混同及び営業上の利益を害されるおそれ

 裁判所は、「いずれもゴルフクラブの製造、販売に関する営業を営む者であり、その意味で両者の営業が類似していることは明らかで」、「被告は、原告はゴルフクラブの卸販売をしているだけであり、被告はゴルフクラブ等の小売販売をしているものであるから、業種が異な」るとするが、「一般的にみても、右のように類似した営業において互に類似した営業表示を使用すれば、その間に誤認混同を生じるおそれがあることは、容易に推認できる」とし、「現に、被告で商品を購入した一般需要者が、商品についての苦情を原告に申し述べてきたこと」等の事実が認められ、「原告と被告の営業に誤認混同が生じ原告の営業上の利益を害されるおそれがあることは肯認できるというのが相当である」と判断しました。

 

5.その他

 被告が主張した先使用の抗弁、商標権行使の抗弁も認めませんでした。

 また、権利行使不許の抗弁について、裁判所は「被告ないしその前身たる営業が清太郎ないし原告の営業と互に関連性を有し利害を共通にしうるような関係にあることを前提としたものであり…両者間に商取引上の関係すらなくなり、かえつて、利害相反の関係すら生じるようになつたときのことまでを想定したものではないというべきである」と判断しました。また「被告ないしその前身たる営業の活動が「森田ゴルフ」の周知性を高めるについて何程かの貢献をしたことは事実であるとしても、その後の事情により原告が右表示の主体であると認められる以上、右事実は、原告の権利行使を当然に不当視させる程の理由になるものとは考えられない」と判断しました。さらに「Kが「マツシー森田ゴルフ」の表示使用を承諾したとの点も前示原、被告表示の類否に関する当裁判所の判断と何ら矛盾するものではなく、これによつて、原告が被告表示の使用を承諾したことになるものでもない」と判断しました。
 そして、「森田ゴルフ」の表示は一般需要者の間では、むしろ被告の営業表示として周知であるとの点については、裁判所は「仮に、そうだとしても、取引業者の間ではそれ以前から原告の営業表示として周知となつていたと認められる前示事実関係の下においては、これをもつて権利行使不許の理由とすることはできない」としました。

 

■結論

 裁判所は、被告に対し、ゴルフ用品の製造販売等に、「森田ゴルフ」又はこれを要部とする表示の使用の差止等をほぼ認めました。

 

■BLM感想等

 本件も、他の血族関係や親子関係等が絡む関係解消事例と同様に、問題となっている表示(本件では「森田ゴルフ」又はこれを要部とする表示)が、創業者から、その後親族その他の各主体が一体となって一つの出所を形成していくか、また、そこからどのように離脱するものが現れるかを、順を追って検討しているものと考えます。前回の自由軒事件に関するBLM感想等で書いた内容と同旨になりますが、本件も被告が、原告と仲違いせず、両社が協力していれば、被告は、第三者に対する場合であれば「森田ゴルフ」又は、少なくとも「マツシーモリタゴルフ」と一体的に表記した表示に基づき、「森田ゴルフ」を使用する第三者に対し、類似するとして差止請求権を有した可能性があります。原告が被告と関係解消したため、「マツシーモリタゴルフ」と一体的に表記したもののみ権利があるということになるのかもしれません。その場合でも完全に関係解消しないのではないかと考えます。血族関係や親子関係等が絡む関係解消事例では、関係者が協力している状況では、家制度の下で事業を行っている場合、かかるグループを構成する主要な事業者は第三者に対しては差止請求権が認められる可能性があります。関係解消すると、そのようなグループから離脱する関係にあるのかもしれません。

 一方、丸美屋食品工業事件のように、本件でも、実際に、市場に商品を流通させ、「森田ゴルフ」の表示を広めたのは原告である可能性もありますが、もともとの周知性を獲得した主体が、その使用を途切れることなく継続してきたので、こちらに軍配が上がったのでしょう。結局、丸美屋食品工業事件では、空白の9年間とも呼べるべき期間では、不正競争行為が認められないのに対し、後者(本件)では不正競争行為が認められる点で異なる判断となるのかもしれません。

 なお、血族関係や親子関係等が絡む関係解消事例では、兄弟姉妹間で、一定程度、黙示又は厳密な契約がない使用許諾も認められる場合も散見されます。本件も、「マツシーモリタゴルフ」と一体的に表記した表示であれば、原告による使用を承認した事実が認められ、使用継続も可能な判断でした。

 

By BLM

 

 

 

 

 

 

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