今日の夕食時のこと。
長男のRと色々話をしていました。
Rは子供らしいところが
表面に出ているのですが、
奥の部分がやたら冷静というか
熟しているような感じがします。
その部分は、勿論よい部分ですが、
小学生社会の中では
必ずしもよいことばかりではなさそうです。
今日も話していてその感じが
沢山垣間見えたので、
この子の見方や感性は、
私が思っているよりもっと
鋭く繊細で、
そして芯がかなり強いのかもしれない
と感じました。
そこでふと、以前彼と
龍の話をした時のことを思い出しました。
詳しくは別の機会にしますが、
簡単に言うと、
R は龍のエネルギーを
肉眼で認識しているようでした。
私は何気なく聞きました。
「ねぇ、R、オーラってみえる?」
「ああ、うん、あのもやもやってしたやつやろ?」
「じゃあ、大きさわかる?
ママのオーラ、どこまで?」
(R、手で指し示す)
「じゃあ植物のオーラってみえる?」
「ん? 植物の?」
「うん、そこにある観葉植物のやつ、みえる?」
「ああ、うん、みえる。」
「じゃあ、色もわかる?」
「色⁈ え、色あるん?」
(そこでR、その植物の上あたりに焦点をずらしてじっと見つめ出す)
「あ、なんかしゅわしゅわ~って細かい泡みたいなのもみえたわ。おもしろっ。」
それを聞いて私は
もう20年以上前に読んだ「聖なる予言」の
印象的な場面を思い出しました。
それは主人公が植物のエネルギーの場をみる
練習をしている場面なのですが、
オーラがみえた後にもっとよく見ると、
植物の周りに「白い光の泡」が
見えて驚いているのです。
Rは、もちろん
その本のことなどしりません。
私は、オーラを手で感じたりはしますが、
肉眼で見えるのは、
誰もが見える白っぽいもやと、
条件があった時だけ
少し色が見える程度ですので、
Rにはもっと細かい部分まで
見えてるのだろうと思いました。
すると、他の観葉植物に目をうつしたRが
言いました。
「あ、さっきのは色無かったのに、
こっちのは黄色い!」
「へー!じゃあこっちは?」
「これは、こっち側(根元側)が黄色で、こっち側(若葉側)が青い」
また違う植物を見に行くR。
(うちには沢山観葉植物があります)
「うわっ!なんかあれだけすごく強く茶色いんだけど!」
Rが指差したのは、
私が先日取ってきて、
捨てなきゃなと思いながらも
訳あってとっていたススキでした。
「なんであれだけ、
あんなにくっきり茶色いのかな?」
と聞くRに、
「枯れたものや病気の場合は、茶色っぽかったり、黒っぽくなるみたいよ」
枯れたエネルギーは良くないと思いつつも、
訳あって捨てずにいたのですが、
それを聞いてやっぱり捨てようと、
ススキにお礼をいってその場で処分しました。
すると、次の植物を見に行ったRが、
また声をあげました。
「なんでかわからんけど、この植物と、あの植物のオーラは繋がってる!」
Rが指差したのは、
最初に買ったモンステラの鉢と、
そこから育ち過ぎた分を株分けした
モンステラの鉢。
お互いの距離は3mぐらいあると思います。
そのことをRに説明しながら、
面白いなぁと思っていました。
もともと同じ個体だから
オーラがつながっているのか、
同じ種だからモンステラネットワークで
つながっているのか、
どちらかは分かりませんが、
おそらく両方なのではないかな?
そしてひとしきり観察して満足したRは、
もとの場所に戻って来ながらいいました。
「あ、ママ、その植物(青と黄色のオーラと言っていたやつ)は、この葉っぱの周りだけ(オーラが)茶色いよ」
近づいてみると、
その葉っぱは、
すす病にかかっていた葉っぱを
私が先日抜いた時に
一つだけ取り忘れていたものでした。
Rは、物静かなわけではないのですが、
たまに深く話すと
9年付き合って来た私でも
まだ知らなかったような面を
みせてくれるから面白いです。
私は、忙しさのあまりに
邪気の処理にちょっと失敗して
手こずっていたところだったので、
この話を聞いて、
なおさらエネルギーを整えておくことの
大切さをかみしめたのでした。