弥山から麓に降りてきた私達が
厳島神社のそばを通ると、
ものすごい行列ができていました
この人達、
いつ神社に入れるんだろうね…
行列の苦手な私は、
つくづく朝ごはんも食べずに
船に乗り込んだ幸運を感じました。
ちょうど潮が引いて鳥居に近づいている人々が見えたので、写真を撮ろうと行列をかいくぐって海側にでると、厳島神社では本殿前で
舞を舞っているのが見えました。
よかった、やり残しはないみたい。
そのまま遅めの昼食もそこそこに船に乗り、
九州まで帰ってきました。
普段、私はお仕事が終わったら
あまり後ろを振り返りません。
言われたことをちゃんと終えたかどうかは
気にしますが、それ以上は
私の頭なんかで考えても
わかるはずがないからです。
でも今回は帰ってきて数日経っても
私の心に残っていることがいくつかありました。
天神社脇の池あたりに降りてきていると感じた宇宙的なエネルギーのこと
小黒神島と大黒神島と厳島神社の関係
同じ宗像三女神が祀られているのに、数ヶ月前に行った宗像大社で感じたエネルギーとは同種ながらも何か違う感じがしたこと
宮島裏側の瀬戸内海一帯に感じた宇宙的な神のエネルギーのこと
お仕事中に感じた「愛されていない」という感情のエネルギーはどこ(何)からきたのか
まず1番の池に降りてきていた
宇宙的なエネルギーですが、
私には弥山・御山神社から
降りてきている様に思えてなりませんでした。
でもなぜ池に?
これは地図をチェックしてみたら
すぐに謎が解けました。
御山神社と本殿を結ぶ一直線ライン上に
その池が位置していたからです。
やはり弥山、御山神社あたりから、厳島神社にエネルギーが降りてきていて、それがこの池で感じたエネルギーだったのだろうと思いました。
次に…
小黒神島と大黒神島と宮島の関係ですが、
これはやはり宗像大社の九州本土、大島、沖ノ島の関係と同じなのではないかと感じました。
地図で確認する限り、
この三つは一直線上に並んでいる様です。
ではなんで同じ御祭神なのに、
宗像大社と厳島神社で、
エネルギーの性質が少し違うと感じたのか?
同じ御祭神の名前が書かれていても、
本当は違うことがよくあることは
私も知っています。
でも全く別物という感じはしなかったのに、
一緒でもないという感覚が不思議でした。
きっとお正月だから神様も忙しく、
普段とは違ったのかもしれない、
と思おうとしましたが、
なにかが腑に落ちません。
同じ性質なのに、
宗像大社で感じたのは、
キリリと凛々しい感じ、
厳島神社で感じたのは、
もっと柔らかな感じ。
なんだろう…?
そうしているうちに、
Fさんというお客様から
メールをいただきました。
そこにはFさん家族がここ数年の間に
弁財天様に呼ばれて行った場所の話などが
書かれていました。
その中で私が気になった部分が
いくつかありました。
A. 私がここ数年で呼ばれた場所とかなり被ること。
(宮島、宗像大社、大山祇神社)
B. 「弁在天=市杵嶋姫=サラスバティ
=瀬織津姫」と書かれていたこと。
C. 古代には宮島周辺で瀬織津姫信仰が盛んだったということ。
弁財天が市杵島姫で、サラスバティというのは
巷ではよく言われていることの様だけど、
「市杵島姫=瀬織津姫」というところに、
何故か違和感を感じました。
その違和感は何故か
宗像大社と厳島神社の御祭神が
イコールとすることへの違和感に似ていました。
その時、
宗像大社はシリウス、
厳島神社はプレアディス
という言葉が湧き上がってきました。
すみません
終わらず、まだ続きます
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