ジュネーブ半径500Mな毎日 -72ページ目

スイス ルガノのチョコレート工場




ジュネーブから一気にルガノまで来ました。

ジュネーブから近くて遠いティチーノ州。
私たちは、ティチーノ州を囲むアルプスを、北から、もしくは南から迂回せずに、がっつりと超えてやってきました。
このルート、さすがに冬は閉まるそうです。そりゃそうですよね。みんな道路から脱輪しちゃうと思います。
そんな自然の驚異を感じる事が出来る、先進国スイスのアルプス越えをして、イタリア語圏へ。


やっと雨がやんで、薄日が射してきました。

ホテルは前日に予約した駅近くのホテルですが、

その前に、チョコレート工場に向かいます。

子供達はアルプスのフルカ峠を越えられたのもある意味
「今日はチョコレート工場だ~」
という合い言葉があったからこそ。

「チャーリーとチョコレート工場みたいに、チョコレートの池があるかな~」
「うーん、どうかな~(汗)」
子供の期待が大きすぎると親ってつらいですね。

さて、目指したのは
Schololand という名前のチョコレート工場です。
小さな工場の隣に、展示室とチョコレートのお店があります。
「入り口」の標識。
「スイスの公用語」の認識を覆して、イタリア語、フランス語、英語、ドイツ語とドイツ語が一番最後で、英語が3つ目に表記されている。

ジュネーブ半径500Mな毎日



入り口で女性がチョコレートファウンテンからビスケットにチョコレートをつけてくれます。
閉館間際で、早く仕事を終わらせたい感じ
ここの表示は  イタリア語、ドイツ語、フランス語、英語、という順番。
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チョコレート作りにまつわる展示品
ジュネーブ半径500Mな毎日
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これはホットチョコレートを入れたのでしょうか。
不思議な形。洗うのが大変そう。
ジュネーブ半径500Mな毎日
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そして、チョコレートのお店
チョコレート工場の近くに住んでいる人は大変だなと思ってみたり。
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チェックインしたホテルの人に教えてもらったレストランで
マルゲリータを注文。マルゲリータはいわゆる「素うどん」と同じだと思っている私。美味しいか不味いか、お手並み拝見みたいな。
生地が少し厚めかな。でも、モッツアレラはとても美味しい!
「田舎ピザ」っていう名前を付けたい。素朴で、材料新鮮な美味しいピザでした。
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食後のルガノ湖
明日は晴れて欲しい
ヤシの木が生い茂っているあたり、南国っぽい雰囲気ありあり。南国じゃなくて、寒かったけど。
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朝、ルガノ駅へふらりと
駅の規模に比べると、コインロッカーの数が多すぎる気がしないでもないけれど
これだけ並んでいると、なんだか新鮮
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電車が着くと、急ぎ足の通勤客がたくさん降りてくる。
みんなおしゃれ。細い、きれい、洋服も素敵。
タバコ吸っている人もジュネーブより多い感じ。
あとは、平均身長が低いような気がする
みなさん小柄な感じ。やはりラテン系の人々が多いのだと実感する。
そのせいかどうしても、スイスじゃなくてイタリアにいるような気持ちになってしまう。
この地域の人は、
文化はイタリア
政治はスイス
今はユーロが弱くて大変だから、イタリア文化を楽しみつつスイスフランで生活できるって、ある意味美味しいとこ取り?とか思ってみる。
もし、この地域がイタリアに併合される事になったら、みんななんて言うだろう?

標識に、フランス語やドイツ語がなさすぎる。
スイスだけど、イタリア語中心主義なのかな。
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駅から下に降りるとルガノ湖に出られる
教会の時計塔をみながら階段を降りる

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まだ雲が切れない
だんだんと眠りから覚めるように明るくなって行くルガノの街
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山の中腹まではケーブルカーがある。
眺めが良いところに住みたいのはみんな一緒のようだ
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帰り道、もう一度振り返ってみる
ルガノ湖は青さを増している。日が高くなれば、もっときれいになるだろうな。
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次の目的地をロカルノ(ルガノから50キロほど北)と定め
ホテルもhttp://www.booking.com/ で予約して出発することに。



スイス ジュネーブからルガノへ フルカ峠越え

夏休みも始まり

スイス小旅行に出かけました。

ルールは

1、スイス国内を通る(近道として近隣諸国を通らない)
2、目的地は前日に決める
3、泊まるホテルは前日、もしくは当日に決める

というもの。

まさに流浪の民


さて

1日目はジュネーブからルガノまで 380キロを行きました。


View swiss small trip in a larger map


ジュネーブからルガノへは、南下してフランスやイタリアを経由して行くのが楽らしいのですが、
今回はあえて、スイスの道路だけを行きました。

その激しかった事。

この日は、朝から大前だった上に
2450メートルもあるフルカ峠(Furkapass)を超えなければなりませんでした。富士山5合目よりも高い峠です。
大雨で視界3メートルという中、フルカ峠を越えるのはとても大変でした。
しかし、この峠を越えるか、ルツエルンを経由して、20キロのトンネルをくぐるかしなければ、山に囲まれたスイス・イタリア語圏には行けないのでした。

峠越えが始まる前から、麓の街はなんだか暗い雰囲気でした。魔の山に向かうような、そんな雰囲気。
悪魔に招かれるように、麓の町を後にして、細い山道を登って行きます。だんだん増えてくるエアピンカーブ。ヘアピンカーブなのに、それでも急な坂道が延々と続きます。

切り立った岩肌を大雨が滝となって落下してきます。

その滝が水しぶきを上げて、別の岩にぶつかっています。

きれいなのですが、そこを自分たちが走らないと行けないっていうのはちょっと。

谷側にはガードレールはないし
山側は落石が怖いし

相当に怖い道でしたが、

こんな大雨でも
ツーリングバイク集団はいるし
観光バスも走るし
路線バスも走るし
そもそも停留所で土砂降りに降られながらバスを待っている人もいるし(雷にあたったらどうすんの?)

運転技術が高いのか、自己責任だから勝手にやって良いのか、
なんだか分からないけれど、スイスってすごい、と底力を感じました。

そもそもこのフルカ峠は、トンネルが出来るまでは、イタリアから物資を北に(スイスとかドイツとか)運ぶためには必須の峠でしたから、いや、本当に、昔の人は大変だったんだな~と思います。

フルカ峠の写真は、あまりに悪天候のためありませんが、

ご参考までにお借りした写真で。
晴れているとこんな感じの峠です。


$ジュネーブ半径500Mな毎日



私は足が地に着いていても高所恐怖症かも。


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ヘアピンカーブもきついです。
ある意味、視界3メートルで、周りが見えなくて良かったかも・・・・・・。


そんなこんなで、この日はやっとの思いでスイス イタリア語圏 ルガノへ抜けました。

帰りは同じ峠を通りたくなかったので、北か南に逃げなければジュネーブには帰れない。

いっその事、ミラノまで南下して、フランス経由で帰ろうかな~と、最初の決意をあっけなく揺るがしながら峠を越えたのでした。





この服はなんでこんなデザイン?歴史ネタ


先日図書館に置いてあったお薦め本。

それはなんと

ペスト(黒死病)の歴史の本です。

どこがお薦めなのか分かりませんが、分からないので借りてみました。

表紙がこんななのですが、そもそも、この鳥?みたいな服装、どういう意味だか分かりますか?


ジュネーブ半径500Mな毎日


この服?は
ルイ13世の医師、Charles Delormeによって1619年に考案されたものだそうです。

これはペストが伝染しないための防護服?みたいなものだったそうですが、それにしてもなんとも不気味なスタイルです。

フランス・ルヴァント地方の皮を使い
目には水晶をはめ
長いくちばしには香水を入れていたそうです。


ローマ帝国時代に流行った入浴の習慣は、その後、ヨーロッパ中世時代までには全くなくなっていて、むしろ

入浴すると毛穴から雑菌が入るとまで言われていて、

人々は、ノミなどの寄生虫がいて当たり前という時代だったそうです。

(イギリスやフランスの詩人がよく恋人の事を「私のノミ」って愛情を込めて詠んでいるのは、きっとここら辺にも起源があるのでしょうか)


ジュネーブ半径500Mな毎日
(子供達はシャボン玉で遊んでいます)


まあ、そんなこんなでペストが流行りだしてからは、なぜか強い匂いを身につけているとペストにならないという迷信まで生まれて、

香水のような(消毒作用がある薬草などの抽出液などを入れていたかもしれない)自然の香りの物から、洗濯していない靴下まで、とにかく強い匂いであれば、ペストを遠ざける事が出来たと信じる人も多かったようです。

上の防護服のくちばしも、いわゆる防護マスクと迷信を掛け合わせたようなものだったのでしょうか。


ジュネーブ半径500Mな毎日
(次女のお絵描き 虹の橋を渡ってきた妖精)



まだ、ペストが皮膚感染と空気感染、両方で感染する事が分かっていなかったと思うのですが(違ったらすみません)

この防護服は、皮膚感染も空気感染も遮断するので、ある意味正解ってことなのでしょうか。

ちなみに、この防護服はあっという間に有名になり、ローマにまで伝わり、100年程使われたスタイルなのだそうですから、やはり効力があったようです。

読めば読む程、中世に生まれなくて良かった~って思います。


以上、どこにも誰にも特に役に立たない豆知識でした。