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bleu-vert-et-bleuのブログ

好きなもの、マイブームなどを思いつくまま綴るブログ
今の一番のマイブームはキャンディキャンディ!

好きなことは
絵を描く、展覧会、漫画、アニメ、ギター、読書、旅行、映画、食べることなどなど

5年位前の今日のように湿度が高く風もある日、職場に着いた時にはスタイリングした髪もその時間が無駄であったと思わせるほどまとまりがなくなっていた。

それでも近くにいた20代の彼女の髪は綺麗にストレートをキープしている。


縮毛矯正かストレートパーマか、はたまた、アイロンで仕上げているのか思わず聞いてみた。


流行に敏感な若者の情報はなんだかんだで聞いて損はない 真顔


「〇〇さんは何を使ってるんですか?」と聞かれ、

 

「え?くるくるだけど」と答える。

「え?くるくる?? くるくるってなんですか?」滝汗 

「え?くるくるしらないの? え?これだけど、と画像をみせれば、

 

普通に売り場はあるけれど若者の目に入らないのか?

 

「えー知らない、これくるくるって言うんだ」とツボに入ったようで涙を流して大爆笑 している

・・・滝汗滝汗(お母さんから聞いたことない?)

 

あまりにも笑うものだから、ジェネレーションギャップを見せつけられた羞恥心から、しばらく誰にも言えずにいた。

 

まずい、くるくるドライヤーは死語だったのか・・・?滝汗

それから少し経って美容院に行き馴染みの美容師さんにその出来事を話した。

彼女によれば、くるくるドライヤーはいまも一般的に使用されていて(そりゃ売り場もあるからねえ)、一定層に支持され続けているという。

今はストレートに髪をスタイリングする場合、アイロンを使用している層のほうが多いけれど、結局のところ湿度の高い日のキープ度合いはあまり変わらない、要はスタイリングのしやすさ、慣れの問題だという。(ほっデレデレ)

それでも少し高いけどいいのがあると、あるメーカーのアイロンを紹介してくれた。


帰宅後に調べれば価格が使用中のくるくるの8-10倍もしていてポーン その価格であれば今のくるくるが故障して買い換えたとしても、あと8-10個買える。

 

3年は持つとして25-30年も買い替えできる、その時何歳だ???滝汗 などと、つまらない損得計算がぐるぐると頭を駆け巡って結局買わなかった。

ヘアアイロンは90年代の後半あたりから一気に普及したようで、きっとその頃に年頃を迎えた中学生くらいから下の年代はほどんどがアイロンを使用するのが一般的になったのだと思う。

数か月前に思い出したように、再度くるくるについて30代40代前半の女性数名に聞いてみたら、やはり誰もその存在を知らなかった。

 

「くるくるってなんですか?」ニヤニヤ

 

ああ、もうそういうものなんだと冷めたように納得した。

先日久しぶりにいった温泉で、静かにそして器用にアイロンを使いこなす方々の姿を見て、5年前のあのタイミングでアイロンを買うべきだったかもしれないと少し後悔した。

でももうここまできたら時代遅れでもくるくるヘビーユーザーを豪語!はしないけれど 真顔 使い続けていくと思う。

梅雨が近づいている・・・



 

FinalStoryを読む前の昨年の今頃は、キャンディの誕生日を気に留めることを考えてみなかったけれど、偶然にも姪と同じ誕生日だったから ニコニコ 恐らくこの日は今後忘れることはないだろうと思う。

GWの最後の休日が雨で一日家にいたものだから、断捨離やら片付けやら放置していたことなどやったり、キャンディ誕生日よねえ・・と思いながら色々調べたりしていたら、結局あのNYでの別れについてたどり着いてしまった 真顔

これはこの物語を語る時に避けて通れないことなんだけれど、昔と違ってSNSで色々なことが語られるようになったから、沢山の人の意見を知ることができる。


そして時代だからかもしれないけれど、あの事件の対応とか今なら「コンプライアンス的にどうか」という、意見もあったりする 真顔

恋愛がうまくいかない理由として、すれ違ったり略奪されたり、はたまた、事故だったり、戦争だったり色々な理由があるし、この年齢まで生きてくれば、一番好きだった人と結ばれにくいということも知っている。

でも理屈を超えた恋愛に「コンプライアンス」を持ち出してこないと納得させることができないのは、それだけ納得できない別れだったんだろう. …などと思い返した昨日。


雨のせいかもしれない・・・真顔

さて、キャンディって誕生日にあのひとからなにをもらうのだろうとふと思った。

 

というか何を贈る?はてなマーク

物語では誕生日にプレゼントを渡すというシーンは一度もなかったように思う。

かれらには「もの」は必要ないのかもしれないけれど、普通に暮らす世界線ならきっと用意するはず、あのひとは 真顔

30代のキャンディにあのひとが贈るもの、それはやはりバラの花束か・・・赤薔薇

 

戦争が迫っている状況下でモノがどのくらい供給されていたのかわからないけど、冬だったら暖かいショールとかバックハグしながら包むとか・・・って考えてみたけど5月だし・・・シルクのストールでやるか 真顔


キャンディ、普段はジュエリーはつけないような気がするから、小ぶりの誕生石がついたネックレスとか・・・これもバックハグしながらつけるとか・・・(妙にこれにこだわる 滝汗)

筆まめだから万年筆とか??・・・ああ、実用的過ぎてつまらないなあ・・・真顔

 

まさか「俺」とか言ったり、猿のぬいぐるみとか投げ縄とか30過ぎてもやるか・・・ないない。

まあ、あのひとはおしゃれさんだからきっと素敵なものを用意するでしょう。

 

でも長いこと一緒にいられなかったので、一緒にすごすことが幸せなんでしょう、きっと照れ

 

Bon anniversaire, Candy !

子供が持ち込んだラティス、高価な代物でないから解体して捨てようか考えたけれど、何とも気が引けて柿渋と蜜蝋を塗って仕上げたのは3年前。

雨に打たれても、腐ることはなかったけれど、そろそろメンテナンスが必要で梅雨に入る前に塗りなおさないといけない。

 

GWが天気だったら取り掛かろうと決めていた。

取り外したラティス、裏側の色が薄くなり腐食がある。

 

刷毛で丁寧に柿渋を塗って乾燥させてから薄く蜜蝋を塗る。

 

蜜蝋は室内の木材用だけれど、自然材料で仕上げたいから前回同様に仕上げる。

 

つやが出ていい感じに仕上がった!

あと3年はもってくれることを期待したい。

 

安物でもメンテナンス次第で長く利用できるんだと実感できた ウインク

 
柿渋というと薬屋のひとりごとを思い出す。(いきなり薬屋ネタ ニヤニヤ

第2期、目が離せないほどに盛り上がってきたこの物語 真顔

 

進展が遅くどうなることかと思ったけれどいい感じで早まって今期原作小説4巻最後まで進みそうだ。

 

壬氏と猫猫の恋愛、ミステリーだけでなく誰もにも馴染み深いものや体験がエピソードの中に取り入れられているから親近感がわく(ブログ主だけか 真顔?)

柿渋は壬氏様の侍女の水連が、子供の時からの玩具や行李に柿渋を定期的に塗って保管しているシーンがあった。

 

古来から防水や耐久のために使用されてきた柿渋(コロナにも効く新たな発見 真顔 )

 

 

それ以外に先週は昭和世代ならだれもが子供の頃にやった紙のあぶり出しや、木天蓼の効用についても語られていた。

木天蓼は疲労回復の効用より猫が酔っぱらうようになるということだけは、子供の頃に猫好きの父が実家にやってくる猫たちにこの木天蓼をあげていたからよく覚えている。

人の家の猫、野良猫に木天蓼・・・ (ダメじゃん父 滝汗) なぜ木天蓼が実家にあったのか今思うと謎でしかない。


実家を出てこの方木天蓼を買ったことがないからだ。薬として使用していたのか・・・ 真顔

 

そういえば富山の置き薬も実家にはあった。

それより来週以降に頻出するであろうイナゴだ。


イナゴは母親が育った地方でよく食されていたもので、子供の頃定期的に食卓にのぼっていた。

美味しいから、栄養があるからと半ば強制で食べさせられたイナゴは決してまずいものではない。


要は普通の佃煮でその地方の重要なたんぱく源であった食材。

 

でも物語にある串に刺して焼き鳥のような食べ方はドン引きで、虫の形体をまるまる残したものはできるなら避けて通りたい。

また34話の怪談のなかにあった消えかけた火鉢でおこる一酸化炭素中毒。

薬屋では猫猫が息苦しさに気づいて窓を全開にすることで全員助かったわけだけれど、子供のころ消えかけの火鉢があった部屋で一人寝ていて、目覚めたときに吐き気を覚え部屋から出たところで失神した経験・・・ 滝汗


かけつけた家族の処置が適切だったから死なずに済んだわけだけど、正直危なかったと今でも思う。

そんなわけでこの回をを読んだときは正直笑えなかったわけで・・・


薬屋の物語にはそんな身近にあった子供の頃のあんなこと、こんなことが結構あって思い出が蘇ってきて妙に懐かしく思う。

ラティスは90×150を2枚、両面の仕上げ作業、久々の日曜大工で結構疲れたけれどいい汗かきましたニコニコ


追記ですが今思い出した、母の実家でへびも食べたことあった、ゲテモノ食いか…




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ローマ教皇がご逝去されたこのタイミングでこの映画・・・

 

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

木曜日、仕事の帰りに行ったけれど、混んでいた。月初に行くべきだった。


この映画、観ると決めているなら、絶対に調べたり、レビューを読んだりしないほうがいい。

結論を知ってしまうと半分以上、いやそれ以上損した気になる類のもの。

と、いうわけで教皇選挙コンクラーベが行われるわけね、だけの情報で非常に楽しめた映画でした。

何ということでしょう・・・

 

ビフォーアフターではありません 真顔 が感想。


ネタバレしたくないので詳細語らず。

 

個人的にはとても面白い映画だった。

一方のヒルマ・アフ・クリント展、こちらはあまりに知見が浅いため芸術新潮読んで参加。

アジア初の大回顧展だっていうし次見れるかわからない。

この展覧会、前回行った士郎正宗と同様で、全作品の撮影が許可されていた。

許可、禁止のルールは作品を傷つけないためと著作権関連と思っていたのですが、全部Okayと言われると、どうも行くことの価値が損なわれてしまうように感じてしまうのはなぜだろう。

でもまあ行ってよかったんですが・・・すごく斬新でブログ主には新しかった 真顔

見せ場の巨大絵画、展示がとてもいい。

抽象画だと特にインスピレーションを感じるか感じないかになるから、混んでいない時がいい。

竹橋までの帰り道、すぐ後ろを歩く男女の会話が聞こえてくる。

👩「なんで目に見えないものを描こうとしたんだろう・・・」

 

👨「うーん・・・そこになにかがあると思ったからじやないかな・・・」

なに、その会話・・・真顔 

 

続きを聞こうとペースを合わせて歩くもその先の会話がうまく聞き取れない。

まずい、完全にやばい人だ 滝汗

見えないものを一生表現し続ける。

彼女は芸術家であり研究者であり、その仕事は体系化されていて凡人とは色々な意味でかけ離れていた。

GWが始まった?ブログ主にはいつも通りの週末です ニコニコ

 

夜の竹橋の景色。毎日新聞社ビルがいいなあと毎度思う

国立近代美術館、中から隣接する皇居が眺められて落ち着く

10の最大物。人の一生を色調で分けているそうな・・・幼年期

青年期

成人期

老年期
image

すべてヒルマ・アフ・クリント展よりお借りしました。

3度目のup、ジョハンナ・バスフォード ねむれる森 塗り絵ブック

これは本当におすすめです。デザインがとにかくいいおねがい


絵も時間があれば描いたりします。

展覧会に行くことが多かったこの1か月。

 

インプットすれば刺激を受けてアウトプットしたくなるもの。

年齢関係なく好きなことを少しづつでも続ける、このことを大事にしています照れ


許可を得てこのブログ内でのみ使用しています。

昨日から始まった士郎正宗の世界展に行った。




士郎正宗とはあの有名な攻殻機動隊を描いた方。

押尾守氏監督のGHOST IN THE SHELL、90年代にみました。

 

見たは見た、でも正直頭が悪いのか、そこまで興味があるジャンルでないからか、当時はその複雑な設定が理解できず、よくわからなかった~ で終わらせた作品 ニヤニヤ

 

昨年思い出したようにもう一度見たときは、時代が追いついてきたからか、そんな未来があるかもしれないとは想像できたかな。

 

SF好きにはたまらない類の作品のようで、ハリウッドで実写化されているし、アニメもシリーズ化されている。どうも来年新作がでるよう。

ある一定の方々にすごく人気のある漫画家でイラストレーターですが、作品はもとより、その仕事ぶりを、この方の原画を直に見たい、せっかく東京に来るのであれば見ておこうということで週末に出かけたのでした。

とにもかくにも、人混みに行くことが嫌いなブログ主は、週末に展覧会に行くということはあまりないのですが、静かな住宅街にあるあまり広くない場所での開催ということで出かけて行ったバスのが甘かった。


やはり熱狂的なファンが多数いるようで初日と今日はゆっくり鑑賞するには混み過ぎていた・・・失敗ガーン

海外の方もいらしてましたね。皆さんよく調べているなあと感心します。

それでも緻密に描きこまれた原画を近くで見るのはまたとない機会なので、行ったからにはまじまじと見る真顔

 

原画を見るのが好きな人やイラスト好きには、手書きで創作する際のこだわりの道具の展示や、アイデアのもととなる書籍の展示など興味深い展示会となっていました。


展示期間が長いので、時間があれば平日にいけばゆっくり楽しめると思います。

しかし、昨今は何処に行っても混んでいる。コロナ以降週末は近所で過ごすことが多くなってしまった。

 

雨の日曜、近所の桜もすっかり葉桜です。

 

 

 

フィルムを重ねている?

 

ドクタースランプみたい。背景が緻密・・・

原画、結構沢山ある

 

 

2003-04年に再販されたものは若干の言葉変更などはあったようですが、子供用に書かれた小説を大人が読みやすいように若干修正した程度で、ほぼ1990年の新書と同じもののよう。

1978-79年版(1巻以外)と1990-91年版は比較して読めたので、いくつかの違いを確認しました。(2-3巻のみ、1巻はまだ読めていない真顔 )

かなり昔のものなので、適切でないと思われる表現の修正、誤字修正、加筆された文も以下以外にもありましたが、物語を読むうえで特段ブログ主の考えに影響を与えるだけのものではありませんでした。

気になったものは以下です。 


1)ステアへの手紙の中にあるスザナに対するキャンデイの気持ちの「その気持ちもわかるわたしは・・・」追記 

1990年の段階で上記を追記したことで、キャンディがテリィと別れた理由として、キャンディがスザナの気持ちを慮ったためであったことをより強調したと捉えました。

2)テリィへの手紙の中で語られた「グレアムという名はエレノアベーカーが付けた」ということ

一読後に笑ってしまったゴリラのGですが、冷静になると、子供向けの物語ですしキャンディ「らしさ」を強調するためだったと思えてきました。


それよりGがグレアムのGであることや、名付けが母親であることは、エレノアから聞いたのか真顔

 

キャンディを通して完全に母親と和解でき、テリィがアメリカに渡ったあと母親側について、同じ道を歩んでいったこと、いい関係を継続したであろうことが想像できました。

3)テリィへの手紙の最後にあった「P=S テリィ...好きでした。」の追記

この言葉の追記は、読者にキャンディとテリィの恋愛は過去のものである=続編はないことを1991年の段階で改めて読者に伝えたかったかもしれない 真顔

実際、ブログ主も漫画が終了したとき、再起したテリィがキャンディと再会する続編があるかもしれないと期待していました。

 

でも、過去形のことばをいれることで、より強く関係の終了を強調してると捉えました。

作者が読者から二人を結ばせなかったことを言われ続けているいうことを何度が目にしましたが、少なくとも2004までは変更する予定は本当になかったんだと。

4)最後のアルバートさんへの手紙の中にある下記キャンディの言葉の追記
生まれてきたこと、捨ててくれた両親への感謝、捨てられなかったらアルバートさんと会えなかった・・


この言葉の追記から、作者はキャンディとアルバートさんとの愛は、恋愛などでは計れないキャンディの人生の根幹をなすもの、云わば絆のようなものをもっと強調したかったのではないかと思えました。

アルバートさんはアンソニーやテリィとは違う立ち位置であると。


ただアルバートさんからキャンディへの手紙には恋愛の含みともとれる箇所はあるし、普通に読むと将来的にそうなるのか?となる。

それでもキャンディはこの物語に登場する男性全員から一度は恋愛対象とされる設定ですし、アルバートさんにもその要素を払拭せず、読者それぞれが好きに想像できるようにしたかったのかも?真顔

実際どの男性も素敵だし「あなたはどの男性がすきですか」なんて言葉もある。

1990-91年版の表題にある「永遠のラブストーリー」というキャッチコピー、これをどうとらえるか・・・

 

そして3巻の表紙をめくったところに赤字で「すてきな恋も笑いもなみだも青春の1コマ」とあります。真顔

小説からは1990年代まで(復刊当時の2004年まで)のキャンディの物語はやはり10代のキャンディが愛を通して成長した物語であり、アルバートさんを特別としながらも、その特別度合いは読者に委ねられていて、キャンディはだれともどうにもなっていないんですよね・・・

そして2010年に原作者がこれを最後として書き直した30代のキャンディが語るFinal おねがい

これはキャンディが愛するひとと暮らしながらの人生の振り返りで、同じであって同じでない、それまでのものとは明らかに違うものでした。

 

ブログ主の個人的なキャン活(キャンディ補完計画 真顔 )の備忘記録です。


長年のファンの方々には今更な内容かもしれません。

 

3週間ほど前に図書館で借りた小説キャンディキャンディ2冊は、ブッキングから2003年9月に再販されたハードカバーの一冊と2004年8月にそのソフトカバーの再販で全く同じものでした。

小説の冒頭には原作者の直筆でのことばがありました。

いまだになぜテリィとキャンディを結ばせなかったのか、というファンからのことばを受けること、時が経過してもなお作品を覚えていてくれ、愛情をもって作品に接してくれている読者への感謝が綴られていました。

そのことばの中に「また修正した」、といったような言葉があったことが読後にずっと気になっていました。


借りた小説には変更された点があるのか・・・

それがどうしても知りたい、そして当初の小説に書かれた原作者のことば(想い)が読みたいという気持ちに駆られ、再度図書館にそれ以前のVer.の取り寄せを依頼。

ブログ主の地元図書館、実に真摯に対応してくれて、1978-79年に出版されたものはデータではでてくるが、他の自治体の何処の図書館にあるかわからないため、取り寄せできるかわからないと言われていました。

それでも丁寧に調べてくださり、1990-91年の新書版に少し遅れて1979年のハードカバー版も別の自治体から取り寄せしてくださった。えーん


取り寄せできたと電話をいただいたとときはとても驚いたのでした。

正直高額で取引して購入する以外、50年も前のその小説が読めると思っていなかったもので、手に取った時は非常に感動しまして、その場で図書館にお礼申し上げました。えーん

ブログ主がこの物語を読んだ順は下記になります。

漫画→Final→旧小説FukkanVer.→旧小説新書Ver.(1990-91)→旧小説ハードカバー(1978-79)Ver.

Back to the future ならぬ Back to the past 真顔

この作業は自分が子供の頃に戻っていくような不思議な感覚で、1990-91,1978-79の作品はいずれもいがらし先生のイラスト入りのため、漫画のシーンと重なり漫画を読んでいた時の気持ちが蘇ってくるようでした。

そしてこの小説は同じ構成を保ったまま、若干の変更を加えながら進化していったことを今更ながら現物で確認しました。


1巻がアンソニーが亡くなりポニーの家に帰るまで

2巻が英国で学園を出るところまで

3巻が書簡形式で語られるその後について

作者のことばはどれも同じではなく、当時の気持ちやキャンディから読者への言葉、ご自身のことなど色々と書かれていました。

1978-1979年版
1-2巻 あとがき
3巻 冒頭にキャンディから原作者へのことば+あとがき
※1巻のみまだ借りられてないため後日修正予定 

1990-91年版 
1-2巻 あとがき 
3巻 冒頭にキャンディからの読者への言葉

漫画で描かれなかったアーチーとアニーの婚約、テリィがハーモニカがピアノへ変更されたことやテリィのタイのことなど、Finalで描かれていたことはすでに漫画終了後の1979年にはあった事実で、漫画で描けなかったことを原作者が小説で書いたことでした。


アルバートさんのなぞを3巻目に入れたこと、漫画終了当時からこれをちゃんと公開していたんですね。

もっと早くに小説の存在を知っていればよかったのにと、過去を振り返るも漫画を封印したブログ主にはどうすることもできなかったわけで。


寧ろ、自分の人生の中でこの有名な物語について、深くかかわろうとした人が周りにいなかったことを知ったというか。

 

作夏以降会う人に聞いてみても漫画、アニメ止まりだったのです。

 


WIKIより

 

つづく

 

 

ジョアン・ミロ、世界的に著名なスペインの芸術家ですが案外知らない人もおおいかも。

 


シュルレアリズムに傾倒しながらも、独自の画風を追求した芸術家で簡単にいってしまえば、20世紀を代表する抽象画家。

2024年が、アンドレブルトンのシュルレアリズム宣言から100年ということで、ここ数年関連する他の芸術家の展覧会もちらほらやっているようです。

今回のミロ展はご本人が来日時に協力した1966以来の大回顧展ということで、有名な作品も結構来ています。


作品はどれも大きく見やすい。

代表作の〈星座〉シリーズのうち3点展示してある部屋だけ、夜をイメージした凝った演出となっていて絵の魅力をうまく引き出していました。


つい係員の方に照明がどうなっているのか尋ねてしまう。

 

 

 

 

 

夜の東京都美術館は照明がいいのですおねがい

 

上野の美術館へ行くときは、金曜の仕事後のことが多い。


夜の上野公園は駅前の喧騒が嘘のようにひっそりとしていて、ひとり公園内を歩いていると気持ちが鎮まるのです。(気をつけています)

前回行った時は濡れる霧雨が降っていて、音もなく、遠くに見える提灯が別の世界につながっているかのように幻想的だった。

本日はというと・・・桜が満開ではないですかラブ


夕方でも人、人、人・・・真顔 音楽フェスもやっていて屋台もでていた。一年で一番の賑わいかもしれない。

桜に近づけば一番いい夜桜をカメラにおさめようと必死の人たち、その声は日本語よりも外国語のほうが多い。

 

今週末が見頃ですね、来週には散ってしまいそうです。

 

幻想的な世界というよりむしろ祭りに近いけど遠くからみると悪くない。

 


夜桜もいいかも

 

え?!そこで終わりかいっっっ・・・滝汗

 

以上・・・なんて爆  笑

漫画や小説を事前に読んでだ人たちは、このエピソードを楽しみにしてたはず ウインク


楽しみ楽しみ~🎵と書かれたコメントを沢山見かけた。

今回は今シーズンの一番のみせ場。


壬氏はこれまで見せ場は少なく、登場回数もそこそこだったところに、いきなり二人を急接近させるんだから、後半は見てるほうも瞬き回数少なくなり息を止めてガン見です。


何だか壬氏、今回特に作画が美しく、動く壬氏は何というか・・・
 

目の保養 ニヤニヤ そして目が乾きました。

この薬屋の物語は推理や謎解きを主としていながら、発展しそうでなかなか発展しない二人の関係がバックにあるけれど、今回のようにさらっと強烈なものをいれてくるからくせになる ニヤニヤ

 

反則でしょう。

というわけで、今朝起きて見て、そのまま戻ってもう一回 ニヤニヤ


まったく困ったおばさんだ。

中華風のリー国の北部の風景、背景がとても素晴らしく、写真でみる中国の山々と重なって美しい。

 

すっぽん料理を堪能する猫猫をよこに、高順と馬閃のひそひそ話。


漫画と小説ではその内容は書かれておらず、アニメにだけセリフがあった。

このセリフ、ブログ主はどうも勘違いしていたようで、猫猫が壬氏の正体を知らないことはあっていたけれど、猫猫が羅漢の娘であること、壬氏が猫猫に好意があることなどを告げたのかと思っていた。

 

また猫猫の花街でのすっぽん経験談がなかった。

 

下品といえば下品だし、さほど重要な話ではないのですが、個人的には面白かったので 描いてほしかったかな にやり

 

以前にも書いたのですが、とにかく美しいアニメーションで光の使い方が実に秀逸。

 

二人だけの隔離された空間の中、滝つぼで零れる自然光と織りなす影に水分が加わって、心も体も距離を縮める描写に、神聖さや瑞々しさが感じられ、このシーンはアニメが一番よかったかな。

 

期待以上でした ラブ
 

ほほえましいというか、いやらしくなく、それでいてちょっとエッチでドキドキさせる。


こんなの金曜の夜に見たら寝られなくなりますので、やはり翌日にさらっと見るのがよい。
風変りな猫猫の周りにいる男性たちは全員優しくて、それぞれが魅力的という設定。


壬氏がイケメンであることは言わずもがなですが、壬氏だけでなく、高順、馬閃、李白と実に誠実な男性たちなので女性は安心して見ていられる。

これが女性が望む設定であるとするのなら、男性は好きな女性だけに積極的になり、それでいて理性的でスマートに紳士的でなければならない。


そんな男性いるのか・・・いないからいいんだけど ウインク

今の時代、男性は大変だなあ・・・女性も大変だけどね。


そういえば先日Youtube 村上隆ラヂオで薬屋のひとりごとの魅力について語っていたのがとても興味深かった。


女子が欲しいものを全部満たした作品らしいです。