小説キャンディキャンディを読んで その3 | bleu-vert-et-bleuのブログ

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絵を描く、展覧会、漫画、アニメ、ギター、読書、旅行、映画、食べることなどなど

2003-04年に再販されたものは若干の言葉変更などはあったようですが、子供用に書かれた小説を大人が読みやすいように若干修正した程度で、ほぼ1990年の新書と同じもののよう。

1978-79年版(1巻以外)と1990-91年版は比較して読めたので、いくつかの違いを確認しました。(2-3巻のみ、1巻はまだ読めていない真顔 )

かなり昔のものなので、適切でないと思われる表現の修正、誤字修正、加筆された文も以下以外にもありましたが、物語を読むうえで特段ブログ主の考えに影響を与えるだけのものではありませんでした。

気になったものは以下です。 


1)ステアへの手紙の中にあるスザナに対するキャンデイの気持ちの「その気持ちもわかるわたしは・・・」追記 

1990年の段階で上記を追記したことで、キャンディがテリィと別れた理由として、キャンディがスザナの気持ちを慮ったためであったことをより強調したと捉えました。

2)テリィへの手紙の中で語られた「グレアムという名はエレノアベーカーが付けた」ということ

一読後に笑ってしまったゴリラのGですが、冷静になると、子供向けの物語ですしキャンディ「らしさ」を強調するためだったと思えてきました。


それよりGがグレアムのGであることや、名付けが母親であることは、エレノアから聞いたのか真顔

 

キャンディを通して完全に母親と和解でき、テリィがアメリカに渡ったあと母親側について、同じ道を歩んでいったこと、いい関係を継続したであろうことが想像できました。

3)テリィへの手紙の最後にあった「P=S テリィ...好きでした。」の追記

この言葉の追記は、読者にキャンディとテリィの恋愛は過去のものである=続編はないことを1991年の段階で改めて読者に伝えたかったかもしれない 真顔

実際、ブログ主も漫画が終了したとき、再起したテリィがキャンディと再会する続編があるかもしれないと期待していました。

 

でも、過去形のことばをいれることで、より強く関係の終了を強調してると捉えました。

作者が読者から二人を結ばせなかったことを言われ続けているいうことを何度が目にしましたが、少なくとも2004までは変更する予定は本当になかったんだと。

4)最後のアルバートさんへの手紙の中にある下記キャンディの言葉の追記
生まれてきたこと、捨ててくれた両親への感謝、捨てられなかったらアルバートさんと会えなかった・・


この言葉の追記から、作者はキャンディとアルバートさんとの愛は、恋愛などでは計れないキャンディの人生の根幹をなすもの、云わば絆のようなものをもっと強調したかったのではないかと思えました。

アルバートさんはアンソニーやテリィとは違う立ち位置であると。


ただアルバートさんからキャンディへの手紙には恋愛の含みともとれる箇所はあるし、普通に読むと将来的にそうなるのか?となる。

それでもキャンディはこの物語に登場する男性全員から一度は恋愛対象とされる設定ですし、アルバートさんにもその要素を払拭せず、読者それぞれが好きに想像できるようにしたかったのかも?真顔

実際どの男性も素敵だし「あなたはどの男性がすきですか」なんて言葉もある。

1990-91年版の表題にある「永遠のラブストーリー」というキャッチコピー、これをどうとらえるか・・・

 

そして3巻の表紙をめくったところに赤字で「すてきな恋も笑いもなみだも青春の1コマ」とあります。真顔

小説からは1990年代まで(復刊当時の2004年まで)のキャンディの物語はやはり10代のキャンディが愛を通して成長した物語であり、アルバートさんを特別としながらも、その特別度合いは読者に委ねられていて、キャンディはだれともどうにもなっていないんですよね・・・

そして2010年に原作者がこれを最後として書き直した30代のキャンディが語るFinal おねがい

これはキャンディが愛するひとと暮らしながらの人生の振り返りで、同じであって同じでない、それまでのものとは明らかに違うものでした。