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bleu-vert-et-bleuのブログ

好きなもの、マイブームなどを思いつくまま綴るブログ
今の一番のマイブームはキャンディキャンディ!

好きなことは
絵を描く、展覧会、漫画、アニメ、ギター、読書、旅行、映画、食べることなどなど

フォロワーさんのブログを読んで蘇ったリカちゃん人形との想い出


リカちゃん電話!! あったあった!懐かしすぎる・・・えーん

 

子供のころのことは普段忘れていても、ちょっとしたことがきっかけでこんなにも鮮明に蘇ってくるから不思議なものだ。

遊んでいるとふと電話してみたくなる時があり、親がいない時にこっそりかけていた。

 

友達と一緒にかけたこともある。


電話口でリカちゃんが一方的にお話をして、最後に「ばいばーい」と言って終わるものだった。


確かいくつかパターンがあり、違う話が聞きたいがために1日2,3回、日を変えてかけていたと思う。

そしてそのうち新しい内容の電話に遭遇できないとわかると自然と飽きてかけなくなっていった。

ググってみれば今もりかちゃん電話が存在しているではないですか 真顔 さすがタカラトミー。

 

 

 


そうとわかれば懐かしいというより好奇心でかけたくなるというもの。

夜にかけたからか「こんばんはー」ではじまり、昔と同じで一方的に話している 真顔 ​

 

変わったのはその声のトーンだった。令和のリカちゃんの声は、ブログ主が子供の頃に聞いた声とは違うイメージのものだった。


何というかもっと幼く、それでいてもっと元気いっぱいでイマドキな感じ 真顔

もう一度かけるも内容は同じだった。ただ、「こんばんはー」と言ったのだから「こんにちは」か「おはよう」バージョンがあるに違いない 真顔

 

明日かけるか・・・いや、止めておこう。

ところでブログ主、リカちゃん人形には苦い思い出が二つある。

一つは美容院ごっこの延長で頭部だけをお風呂に持ち込んでシャンプーをしてあげたときのことだ。

 

「かゆいところはありませんか?」をリカちゃんで練習していた ニヤニヤ

そのあと濡れた髪がタオルでなかなか乾かなったことから、ドライヤーをもちだしてきて(いやな予感 真顔) ナイロン製のその髪に近距離であててしまったのだ 滝汗

当然髪は溶けて首のあたりで無惨にも塊のようになった。

あまりの驚きで慌てふためくも溶けた髪がもとに戻るわけがない。

 

そしてとっさに親の顔が浮かんだブログ主は、はさみでその髪を切ってしまえばよいと思いついた。

 

そうそう髪型変更よ!ウインク

が、そううまくいくわけがない。溶けてからまった部分は首のあたりだったから、その上でカットするしかなく、想像以上に短くせざるえなかったのだ。

 

そう、結果 禿げ頭になってしまった。チーン

人形の髪は束で頭部に縫い付けられているが、髪がない部分があり、切ったことでその部分がむき出しになってしまったのだ。

最初から母親に事情を説明していれば、切らずに解決できる方法があったかもしれない。

 

見るのが辛く怒られるのも嫌で、何事もなかったかのように隠して忘れようと努め、だんだんその人形で遊ばなくなってしまった。

しばらくしてから人形を見つけた母親は、なんと可哀想なことをするのかと心底嘆いていた。

もう一つは、我が家に唯一あった、確かリカちゃんのボーイフレンドという設定の男の子の人形のこと。

この人形はいとこのお下がりでしたが、当時男の子の人形は珍しかったこともあり、物語をつくるのに実に役に立っていたのです。

一人の時はデートごっこ、人形と人形をこっそりキスさせ間近で眺めていたり、テリィとキャンディのような世界を3Dでやってしまっていたり・・・ デレデレ


ある日一緒に遊んでいた兄姉がその子を男らしくしようと言い出し、あろうことか母親の白髪染めのスプレーを上半身に吹きかけた。

「ワキ毛を生やして男らしくしよう!」 

 

・・・・滝汗

 

・・・・滝汗

彼の上半身は、2/3くらいがこげ茶でそまり、一瞬でみるも無残な姿になった。


洗っても洗っても落ちなかった某メーカーの白髪染め。

 

商品としてはすばらしい、効果絶大だ 真顔 

 

そこじゃない!

 

ショックで泣きわめいて親に訴えるも、その行動に母親も半ば呆れはて、服を着せればわからないということで済まされてしまった。


可哀そうすぎると兄姉を恨んではみたものの、リカちゃんを禿げ頭にしたことと、白髪染めまみれにしたこと、どちらも人形からしたら災難以外のなにものでもない。

ブログ主の成長には一役かってはくれたけれど、本当にひどいことをしたとつくづく思う。


リカちゃんに電話をして謝りたいけれど、一方的に話しててこちらの謝罪は一生聞いてくれそうにない。









 

 住所のある自治体以外からの書籍を借りられるとフォロワーさんに教えていただき、いつも利用する図書館で聞いてみたところ早速取り寄せしてくださった。

 

読むことは叶わないかと半分諦めていたその本「小説キャンディキャンディ」を2週間待っただけで借りることができたのです照れ


その自治体には初版と新装版の2種類があるというので、では両方ともお願いしますとしていたところ、2部同時に手元にやってきた。滝汗(装丁の違う同じ本を同時に借りてしまったわけです)


注意書きがカバーに書かれていて、そのカバーも2重になっている。


他の自治体が所有する本なので、返却も必ず窓口で返却すること、1日でも過ぎたら今後しばらく貸出ができないことなど厳しく注意を受けました。

というわけで、さすがにカフェなどで読むのも気が引けるなあと、腫物扱いで自宅で読んだのでした。

さて、一読した感想を取り急ぎ、ざざざと記しますが一言でいうと、


 

なるほど・・滝汗



ブログ主は漫画から40年近く経過してFinalを読み、戻ってこの小説を読んだ経緯。

気になった点は下記2点です (※あくまで個人的意見であることご了承ください)

1)キャンディの前向きさ/気持ちの切り替えの早さ

 

漫画のキャンディのほうがもうすこしナイーブに描かれていたように感じました。

この物語は「少女の成長の物語」というのが主題ということで、その点においてはキャンディの体験はすべて成長の糧となるため、過去の2つの恋愛もそういう意味合い、つまり青春の1ページになるのですが、

子供向けに書かれた小説を大人向けに書き直したからか、キャンディの言葉からあまり悲壮感のようなものは伝わってこなかったです。

2つの恋愛の幕引きはどれも普通では体験することが少ない死を含めた重いもの、アンソニーは目の前で死んでしまいましたし、テリィに関してはスザナの自〇未遂等を含めた設定でした。


アンソニーもテリィも若いなりに相当の覚悟をもって愛していたはずなので、彼らの気持ちを考えると、どうもキャンディの苦難や彼らに対する愛情の深さが掴みづらかったです。

また出せなかったスザナへの手紙にあった「負けたと思った」という表現。

 

これもキャンディらしからぬ言葉とも思えました。スザナのほうが自分より上であるということを伝える励ましの言葉と思います。ただ、高潔なキャンディとテリィの選択の重さが霞んでしまったような…


そして、漫画のダメ出しのようでテリィが気の毒に感じました。


2)アルバートさんとの関係性は漫画エンドと変わりない。むしろもっと匂わせていた。


ブログ主はマンガの結末は、キャンディがアルバートさんとの恋を予感させて終わったと捉えていました。


この小説では、漫画よりアルバートさんを養父であるとしながらも、親子の愛だけでなく、恋愛要素の含みが増えていました。

それは別の言い方をするなら、書いた時点では、ストーリーエンドでアルバートさんとの恋愛要素を無くしてしまいたくないということ、アルバートさんが特別だということです。

養父でありながら親子愛と性愛の両方を持たせるほうが物語として深みが増すからということもありますし、アルバートさんのような男性が少女にとっては理想の男性像であるとしたかったのかなと。

アルバートさんに恋愛要素を持たせるための工夫が所々されていました。


その一つとしてアンソニーへの手紙の中で、アルバートさんに「親類」という言葉を使っていることも気になりました。

初恋であるアンソニーに叔父様という表現を使用しなかったのは、アルバートさんを恋愛対象から外さないためと感じられました。(Finalでは「叔父上」となっていました真顔

親類ってステアやアーチー、ニールと同列です。

 

全員恋愛対象ではないですか。真顔

 

叔父様だからアンソニーに似ていたわけですし、初恋のひとの叔父様ですから、叔父上として書いてしまうと急に家族の含みが強くでてくる。

ブログ主にとっては、アルバートさんは素敵なのですが、養父であり初恋の人の叔父様であるという設定が子供のときからどうしても引っかかるところでした。

でもそこをどのように捉えて読むかは読者に委ねられていますので、コメントは控えたいと思います。

二人の書簡のやり取りからは、キャンディよりもむしろアルバートさんからのキャンディに対する愛情が親子愛と性愛の両方を含んでいると感じられました。

特にアルバートさんの最後の言葉は、将来自分がアードレー家の当主として役目を果たせるようになった時は、色々と自由にできるようになると思う、その時キャンディどうする?という含みを持たせていると受けとりました。

アルバートさんはハイジのおんじや赤毛のアンのマシューのように、高齢でどこまでも包み込む父性の要素だけでなく、あしながおじさんの妙齢で恋愛対象となりえる設定だからなんですよね。

いずれにせよ、過去の先生のエッセイや作品などを色々と読んだ後にこの小説を読んだからか、アルバートさんとの恋愛の可能性を払拭したくなかったのかと思ったのかも。

こうしてみてみると、Finalが書かれたことはすごく意味があることだったと今更ながら感じます。


漫画になかった加筆部分も沢山ありました。

 

テリュース•G•グランチェスターのGをゴリラのGと想像したキャンディに夜中読んでいて声出して笑ったのでした。


ゴリラって何よ(笑)

 

 

 

三菱一号館美術館で開催中のビアズリー展に行きました。



彼の25年の人生から考えるともっと少ないかと思っていたけれど、展示物は想像していたより沢山あった。

 

精力的に仕事をされていたのがよくわかるえーん

 

モノトーンが織りなす独特な世界観は斬新で、様々なイラストレーターや漫画家に影響を与えた人だ。

彼のアールヌーボー様式のイラスト、好きな人は割といるから、今日も場所柄もあってか、仕事帰りの金曜に寄って帰ろうという同じ考えの方がいたかも。

販売されていた関連商品はセンスがよいものが沢山あったので、飛ぶように売れていた。

しかし、図録もお値段上がったなーとしみじみと思う。

 

以前は殆どが2000円代だったけれど、最近は4000-5000円近くするものもあり買うのを躊躇する。

チケット代も数年前より1000円位高くなっているけれど、こればかりは仕方ない…・えーん

 

趣味の一つ 展覧会。


ただ、この冬はあまり興味をそそられるものがなく実は半年振りだった。

今年はすでに予定しているものがいくつかあり結構楽しみにしている ニコ

最後に、アールヌーヴォーというと、ゴテゴテと装飾された建築がたまらなくすきでして、特にアイアン調の装飾のされた扉や手すりなど感性を刺激されます照れ

 

ブダペストはアールヌーヴォー建築が一番多い都市。

 

以前に行ったブダペストの写真からニコニコ

きれい・・・

美しい・・・

凝ってる・・・

 

これは苦しいでしょう・・・

 

 

 

 


 曲と共に流れてくるライブコメント、器(うつわ)~器(うつわ)鬱話~滝汗 鬱話~滝汗

 

毒を吐きながら楽しんでらした方が多いようで、ふっと笑ってしまった ほっこり

どうやって終わらせるのかが気になっていたけれど、いわゆる昭和ヒューマンドラマの結末といった最後だった。

 

どこかの国の大々的な社交界のいざこざかと思いきや、ソロリティ?ただの高校の社交クラブの話。


でもまあいろいろ起こる事件、ってすべて蕗子さまのせいではありませんかええ...ゲッソリ

 

蕗子さまが怖かったです、途中... でも後半はソロリティの話もなくなり、込み入った人間関係の話で確かに鬱話展開ではあったかも?

にしても、蕗子さま、あなたは一体何歳でございましょう。

女性は全員大学生以上に見えたし、武彦さんも大学生??いやいや、30歳くらいではないですか?

 

大人すぎる昭和アニメの登場人物たち 真顔

 

そういえば宗像コーチも20代だった 真顔

2話づつの放送だったので、最後の回が3話だったことに気づかず、慌てて最終回のみを昨日になってみたけれど、着物を着た父と高校生の娘の会話で

 

「Are you ready?」「 Sure, everything is okay」というのがあって、親子でこれ...ニヤニヤ

 

また、物語後半でサンジュストさまに(さすがのネーミング)ヴェルレーヌの詩 「巷に雨の降るごとく」を言わせていたりで少女漫画なのに高尚です、池田先生。

 

気づけばあの強いアクがちょっとした日常のスパイスだったので終わってしまった寂しさよ・・・チーン 

 

漫画と結末が違うようなので時間があれば読んでみたいと思っています おねがい


ところで、久しぶりに聞いたこのヴェルレーヌの詩なのですが、ヴェルレーヌといえばランボー。

 

そう、ブログ主の中ではBLというと、この二人や風と木の詩を真っ先に思い出します。


Update されてないからねえ…


風と木の詩は我が家にもあるのですが、子供が成長するにあたり、これはR指定なのか?という疑問が沸き上がり、本棚に並べておくことができず長いこと奥の奥にしまっていた。

大人になったある時、整理していて出てきたその漫画が、隠してあったのを知っていたか聞いてみると当然のように知っていると答えた 滝汗

 

読んだかどうか尋ねると、少し読んでまずいと思いとどまり、その後読んでないという。

 

いや、もう隠さなくてよいから、読んだでしょう?と突っ込むも興味ないジャンルと言って否定された 真顔 

嘘か真言か・・・小学生で読んでいたならかなりの刺激だったかも?

昨今のBLというのは「今夜なに食べる?」みたいなやわらかい感じのものが多いのだろうか。

BLというと耽美的で破壊的な肉体と精神のぶつかり合いのようなものを思い浮かべる。

 

そんなわけでまたレオさまがランボーを演じる「太陽と月に背いて」を見たくなってきたのですが、この作品は絶版で高額払って購入するしかない、残念、見ておけばよかったえーん


仕方ないので小説で我慢することにした週末でございました。



「薬屋のひとりごと」、先週金曜の放送「選択の廟」について

この回、非常に興味深く、とても記憶に残っていたので、小説、漫画(ガンガン版)とアニメで比較。

その前にちょっと余談として、皇帝のご自分の呼び方として、小説では「余」と呼び、漫画とアニメでは「朕」となっている。

この詳細な違いがブログ主にはわからずAIで調べた 真顔

古代中国では、皇帝は自らを「朕」と呼び、絶対的権威と唯一無二の地位を強調するために使用、「余」は皇帝以外も一般的に使用される。


古代日本は、古代中国におなじ。「余」は古文、古典文学で使用されるが、天皇様が公式に使用することはない一人称代名詞。

なるほど・・・真顔 なので、漫画とアニメは「朕」に修正されていました。

 

勉強になりました!(一人納得ニヤリ

薬屋のひとりごとは中華ファンタジーということで、中国を想像させる大陸の架空の国を設定していると思われる。

「選択の廟」というのは猫猫たちがいる国が建国される前からその土地に伝承されてきた、皇帝となる権力者を選択する際の方法や背景を、扉の色からひも解いていく謎解きの回、ということなのですが、とてもよくできた設定で好きです。ニコニコ

ネタバレになるので詳細は割愛しますが、遺伝学を絡めて、他所から来たものがどのようにその国の権力の掌握に食い込んでいったかという話。

そして猫猫の謎解きと共に壬氏の浮かない表情・・・真顔

壬氏への老宦官からの忠告は、壬氏の立場からくる将来の憂いと、彼の猫猫への気持ちを絡めたものであり、今後この物語がどのように展開するかの予兆で、一気に話が深くなったような気がした。

ブログ主はこの1,2年気になる漫画やアニメの原作小説を読むことで作品を深堀りすることを楽しんでいる。

この回に関して、小説、漫画、アニメを比較してみると、原作小説が状況を一番詳細に説明していることは間違いない。


廟の選択は最終的に10回あるので、正解を選び続ける確率の低さを2の乗数で説明したり、細かい表現の文を目で追って読むことはやはり情景を想像しやすい。


漫画に関しては、実は先に漫画を読んだからか、言葉と絵の両方、壬氏、老宦官の表情から心情や場の雰囲気がわかりやすく、物語の裏にあるものを推測しやすい。

アニメの場合は、今回のように色を題材した場合、扉の色が可視化されているので、場面の状況が一番わかりやすい。


音楽も加わって最後の選択をした場面がドラマチックに仕上がっていた。


一方、どうしても猫猫ひとりが説明する展開となるため、推理ものにありがちな、この廟の謎解きがよく把握できていないと、説明が流れていってしまうという難点もある。

結論としては、それぞれに一長一短があるけれど、どれもよかったと思ったので、好きなものを楽しめばよいかなと。

 

ブログ主のようなオタクな方は全部楽しむのもありです滝汗

物語を鑑賞するとき、その作品に入り込んで俯瞰している場合と、登場人物になりきる場合の二パターンの方法で楽しむ場合が殆どなのですが、子供のころ、キャンディキャンディを読むときは自分がキャンディになったつもりで読んでいた。


だからスィートキャンディごっこなどを一人でやってみたり、公園で拾った似ても似つかない光るエンブレムらしきものを王子様の落していったバッジだと思いこみ、宝物箱に大切にしまっていたりニコニコ

なりきると言えば、「エースをねらえ」の岡ひろみにもなりきっていた。

 

当時はテニスに硬式と軟式があることも知らず、実家にあった軟式のラケットを持ち出すも、重くて振れず、仕方なくバドミントンのラケットにH・Oとマジックで書き、振り回してるうちに壁に激突、ラケットは折れて叱られるといった具合だった 滝汗

他にも沢山好きな作品はあるけれど、この二作品については、主人公と一緒に成長するということを体現していたからか、いわゆる苦難に果敢に挑む主人公の設定が好きだったからか、

 

その精神性といえば聞こえがよい、昭和ガッツというか忍耐?真顔 みたいなものだけが今でも自分の中に残っている。

別に主人公でなくてもいい。ただ、キャンディキャンディの場合、自分がどのキャラに近いのか考えても、そもそも登場人物が少ないから、アニーか、パティかあとはイライザとフラニー位しかいなかったわけで、消去法でどうしてもキャンディになってしまう。

ちょっと元気な子供だったら全員キャンディだったのではないかと思えなくもない。

キャンディのことは大好きだし可愛いけれど、それでもこの年齢になってみると、アニーのように素直に甘えることができる女性はやはり愛らしいし、パティもそうだけれど、自分もそんなふわっとしたところがあったらよかったのにと改めて読んで思ったりした。

先日も単行本4巻を読んでいて、アニーの出生がイライザたちにばれるメイフェスティバルあとの事件後、病室からでてきたアーチーがキャンディに、


「ねむるまでそばにいてっていうんで」
「てれくさかったよ、シスターも変な目で見るしさ」

シスターがいてもこの言葉が言えるアニー。

 

年をとったからかこの状況は気恥ずかしい真顔


二人だったら言えるかな・・・でも今となっては自分の性格ではできそうにない。

キャンディを想うアーチーも、押し付けられた感は否めないではないけれど、無下にはできない、こんなこと言われたら。


男性だったらこんな風に言われたい人のほうが多い気がする。


そして最終的には結婚するのだから二人はご縁があったということか...(おばさん目線 真顔

ところで、現実問題としてキャンディのような女性は男性からみたときどうなのだろう。


男性に聞いたことがないことなのだが昔から時々思っていたことだ。


キャンディはこの物語ですべての男性に好かれている不思議な状況。

 

ブログ主の場合、彼女になりきったことで、苦難を乗り切る精神や笑顔を忘れないことは学べたけれど残念ながらモテモテからは遠かったことは確かだった。



表紙: エースをねらえ、キャンディキャンディからお借りしました。




下手の横好きのブログ主の趣味の一つ、ギター🎸

ジャンル問わず色々好きな曲を弾きたいと細々と続けていますが、このところはソロギター曲を中心にやっている。


1ヵ月前位に先生からこの曲どうですか、と勧められた曲が、映画/本で話題となった平野啓一郎氏の「マチネの終わりに」の主題曲 幸福の硬貨



ちなみに先生は、プロのRockerですグラサン


そのうちブログ主もエレキでチェリーブラッサムとか弾きたい。


で、この曲、何気にじゃなくて、難しい。

 

綺麗に弾くのがすごく難しいのですが、何とか持ち曲の一つとしたいと思って地道に練習している。

弾いていれば、自然と映画や本も気になり、ベルばらでフランス愛も再燃中で、パリが舞台の一つとなっているしで、週末に鑑賞。

福山雅治さんと石田ゆり子さんの大人のラブストーリーでご存じの方は多いはずですし、ここでネタバレすることはしないのですが、

 

恋愛展開が「本気で人を愛したら綺麗な心のままでいられない」という、あの一文が頭に蘇り、途中何とも言えない気持ちとなった悲しい
 

どうもこの類の恋愛に拒否感があるこの頃・・・

 

そもそも恋愛ってこういうものだったのか?と考えてみたり、


携帯が普及した世界での恋愛のすれ違いを描くとこうなるかと・・・不安


とりあえず気を取り直してと、


随分前に描いたモンサンミッシェルのデッサン画を貼りましたニコニコ
 

ずっと前からアマゾンプライムでおすすめアニメに上がっていたけれど、どうももう一押しの動機が見つからずそのままにしていた作品、おにいさまへ...

ベルばら映画公開で池田先生の過去作品公開?少し前から始まったおにいさまへ...の期間限定無料配信。覗いてみることにした。

見始めていきなり・・・ポーン なんですか、このアクの強さ、クセの強さは滝汗・・・何?

久しくお目にかかっていなかった類のもので、毎週水曜日にUPされるハーロックが霞むほどの威力。ニヤニヤ

この作品、漫画は70年代半ばのものなのに、アニメ化されたのが90年代に入ってから。

ブログ主より上の世代の方に愛された漫画、残念ながら漫画はまだ読めていない。

一方アニメは監督が出崎統氏のもので、出崎兄弟作品で青春を過ごしたブログ主も見ておくべき作品だったわけなのですが放置していまして・・・


とにかく突っ込みどころ満載すぎて何を書いたらいいかわからないほどの強烈なインパクト真顔

昭和を過ごした世代には今なら絶対にありえないこの設定がどこか懐かしいし、NHKで放送されていたことにも驚きです。

曲も小椋佳/原田真二という組み合わせで何とも味わい深い。これこそThe 昭和真顔

蕗子という宮様と呼ばれるアントワネットにも竜崎 麗香にもみえるお嬢様。

純日本風の名前なのに、なぜか金髪縦ロールでお屋敷に住み車で通学ニヤニヤ 高校生なのに一人だけロングドレス。

アントワネットか竜崎 麗香(お蝶夫人)って別の原作者の作品だしニヤニヤ

 

第1話にでてくる「みさき」という女性がエースをねらえの音羽さんに似ている(昭和世代の方々覚えていますか音羽さん真顔

またこれがポジション競争で負ける同設定。海上を飛ぶカモメ、これも新エースをねらえを思い出させる。(こちら監督は哲氏です)

音楽はベルばらアニメのを使用してる?妙に感傷的になります。

劇画調の停止絵と、学校のチャイムやステンドガラスが場面の切り替えが効果的ですごく記憶に残るさすがの演出。

監督が同じだと原作者が違くても似たような演出になるものなんだと、この作品をみて改めて気づいたのでした。

主人公は岡ひろみ?ロザリー?

 

おにいさまも30すぎイケオジ風で渋すぎるんだけどニヤニヤ、いいなーなんかこの感じ、くせになります。

 

このくらいのクセがあっていいと思うのはブログ主だけか・・・

いつもは隙間時間に少しづつ見ていたのに、金曜の昨日は初めてライブ配信で20時からみた。

画面の右にあるライブコメントで、

 

「蕗子怖い」真顔

 

「こわすぎる」ニヤニヤ

 

「ホラーか」滝汗

 

等の連発コメントが流れてきて、もうこれだけで十分だった昨日。

 

池田先生、出崎監督有難うございますニコニコ

 

貴重な作品 だと思いました。

しばらく楽しめそうな作品、おすすめです。

 

番宣か?ニヤニヤ




 

ベルばら 映画 初日の昨日、早速仕事帰りに観てきました~照れ

入口でもらった封筒。なにをくれるねん?と帰ってから調べてみれば、初日には漫画の原画がもらえるという特典があったのでした~照れ

そんなことも知らず豪快にはさみで切って開封してしまった。ニヤニヤ



中にはオスカルさま(そう「さま」とつけないといけないニヤニヤ)のドレス姿の原画がありました。

 

何ともなつかしい・・・早速自宅に飾ることにしました。

ベルばら映画 先入観なく鑑賞したいという気持ちが強かったこともあり今回は事前にあまり調べずに観ました。

 

初日に観てここで感想を公開するのは躊躇われるので、参考として少しだけ記します。

時間の関係上、エピソードに改変があったところもありましたが、概ね原作に沿った展開となっていました。

50周年記念、それは漫画の50周年記念ということなので、昭和アニメの要素は全くなかったです。

出崎演出アニメと比較して観ないことをお勧めします。

 

あれはあれで別物ということで・・・真顔

池田先生の原作をリスペクトして制作されており、演出も漫画にあったものを映像化して取りこんで綺麗に作られていました。

 

制作側の池田先生への愛を感じましたおねがい

誰もが知るこの壮大な歴史物語を2時間にまとめるのは相当難しかったと思います。

限られた時間なので物語が散漫にならないよう、オスカルがどう生きたかに焦点を絞ってあります。

映像が大変美しいので、ベルサイユ宮殿の内部や、衣装などを大画面でみるのは価値があります。

語り出すとやはり・・・おばさんは余計な主観をああだこうだと述べてしまいそう・・・滝汗 

 

なので、またの機会に語りたいと思います!

ご興味のある方は是非!ウインク

色々な方々のブログや情報からテリィの誕生日が1月28日であることを知りました。

キャンディは5月7日生まれ。7日という日付までは記憶していなかったけれど、彼女が5月生まれであることは覚えていました。

テリィ、1月生まれなんだ・・・とぼんやり考えていたのも、ブログ主にも1月生まれの子供がいるからです。

それで今日、自分が妊娠していた時のことを思い起こすと同時に、Finalstoryでのキャンディは妊娠しているか否かについて考えていました。

 

すみません、以下勝手な妄想なので不快と思われる方がいらしたら読まないようにお願いいたします。

事実としてだけ考えてみると、1月出産ということは、前の年の5月前後に愛し合ったということになります。

リチャードグランチェスターとエレノアベーカーは5月頃に愛しあったんだなーと。(余計なお世話ですが滝汗)


アメリカだったかもしれないけれど、新緑の5月のロンドンでの出来事であったなら、テリィとキャンディが愛情を深めた同じ5月で、ドラマチックだなーと。

そして、漫画単行本6,7巻をぱらぱらとめくっていたとき、ふとスザナって何月生まれなんだろうと疑問に思い調べてみたけれどわからなかった。(もしご存じの方がいたら教えてください)

季節からスザナに注目して漫画を読んだところ、少ない情報ながらも、この女性には春から夏にかけての明るい季節を想像させる要素が全くないんです。悲しい

 

新緑や青空といった自然や光などの生気を想像させるものがない。悲しい

 

スザナは冬のイメージだ。

 

心に熱い情熱を秘めている女性であることは想像できるけれど、太陽をイメージさせるものがない。

 

キャンディもスザナも冬にテリィと出会っている。

 

キャンディが彼の心の雪を解かし、季節と共に二人で自然の息吹を感じながら過ごしたのと対照的に、スザナは一緒に冬を過ごしたとも言える。


冬には冬の魅力があるように、スザナにはスザナの魅力がある。

 

彼女も春を待っていたのだろう。

 

でも、スザナでは彼に新緑の間から差し込む柔らかな光や優しい風は届けられなかったのかもしれない。

 

そして、彼女は春を待たず冬に亡くなってしまったんだなと。

 

そこから1年半後の5月頃にテリィはキャンディに手紙を書いた。

再会は春から夏。

FinalStoryの中で一番心に残った「私は別れを怖れない」というキャンディのことば。


凄く強いことばで、彼女の揺るぎない信念を感じます。

 

前文からの流れで、生きていれば会えるという想いが、信念に変わったことを表現しているだけなのだと思うのですが、そのことだけではないようにも思えるのです。

この言葉を彼女に言わせているのはなにか。真顔


運命の人との再会、そして、そのひとの間に子供がいるのであればその強さに納得がいくんです。

春浅いイギリス

 

家に一人でいるのもたまたまなのかもしれないし、テリィの束縛によるものかもしれないけれど、働けない状況なんじゃないかなって。

 

何だかすごくしんみりしてる彼女の回想。悲しい

 

ちょっとマタニティブルーで感傷的?悲しい

 

キャンディっていつも泣いていてこんな感じだったのかな?

5月頃に子供を出産する予定なんじゃないかと仮定すると、前年の夏、想い出のスコットランドで二人が一緒に時を過ごし・・・の流れだったらロマンチックなんだけどなと、時系列とかそういうの無視して妄想しました。

 

読めば読むほど、噛めば噛むほど味がでるするめのような本、Finalstory 真顔

 

復刊しないだろうか・・・真顔

 

テリィ何歳??おめでとうございますニコニコ