女講師が固まった二人を交互に見て、不思議そうに声をかける。
「二人とも、どうかしましたか?」
「あー……、リトリス講師。
 いいえ、何でもありません」
 そうですか、と女講師は頷いた。

「寮内と本館の案内は、ティセット、あなたにお任せします」
 はい、と頷くティセット。

「学科の選択は、彼を参考にすると良いでしょう」
「はい。ありがとうございます」
「では、わたしはこれで失礼します。
 良い学生生活が送れますように」



 女講師を見送ると、詰めていた息を吐いた。
 それが二人同時だったものだから、目が合うと笑いだした。

「こんなところで会うなんてね」
 笑いながらティセットが言うと、彼も「信じられない」と笑う。

「足はもう大丈夫なのか?」
「まだちょっと痛むんだ。
 歩くのは問題ないけどね。

 あの時は本当にありがとう。
 助かったよ」
 街道で足を痛め、騎獣に逃げられて途方に暮れていたティセット。
 通り掛かって助けたのが、偶然にも彼だった。

 こんな再会をするなんて予想しなかった。
 笑うしかない。



 そうだ、と何かに気付いてティセットが手を差し出す。
「ありがとうばっかり言って、名前、訊いてなかったよな。
 俺はティセット……ティスって呼ばれてる」

 彼はその手を握った。
「ヨウスだ。
 よろしく、ティス」

 彼らは固く手を握った。


  *  *


 確信犯の顔で老司祭は笑った。

 同室生ティセットは午後から講義があるため、学舎の案内は夕方から予定してもらった。
 時間が空いたので、学費のことで老司祭を訪ねたら、この顔だ。

「非後見人をもつと、それだけで、お勤めを果たしていると思われるのですよ」
 去年、非後見人が独り立ちしてしまい、白い目で見られていたのだと愚痴る、嘘臭い芝居は無視した。

「ア……いえ、ヨウス殿。
 お互いの利害が一致しているのですから、学費のことはお忘れください」
「…………わかりました」
 ただし、とヨウスは付け加える。

「敬称は付けないでいただきたい。
 俺はただの、非後見人です」
 顔を綻ばせた老司祭は二度、頷いた。

「では、今日は失礼します」
 ヨウスが立ち上がると、老司祭は玄関まで見送ってくれた。
 東側に教会。
 北から西側にかけては貴族らの屋敷が建ち並ぶ。

 そのほぼ中央。
 聖学舎―――と呼ばれる大きな施設がある。

 もとは僧侶たちのために造られたものだ。
 それが、商人たちが我が子を通わせるようになり、手狭になって増築された。
 さらに戦争孤児を引き取ったため、増築を繰り返し、皇都の学舎を追い抜くほどになった。

 僧侶見習いを勤めるものには無償だが、その他は貴族子弟、一般市民に関係なく学費がかかる。

 貴族子弟はともかく、自分で稼いだり、あるいは勤め先の支援で学費は払われる。
 少数だが、後見人が一切の面倒を見てくれる場合もある。



 だから良いですか、と女講師が目を光らせた。
「あなたがここで学ぶことができるのは、クワイトル司祭様のお慈悲のおかげ。
 日々感謝しながら学ぶことです」

 そう。
 学費だ。
 気軽に勧められものだから、てっきり無償だと思っていた。
 甘かった。

 これだけの大規模施設を維持するのに、無償でいいなんてあり得ないのだ。



 必要だと知らされたのはつい先ほどのことで、二度驚いた。
 しかも老司祭がすでに手配してくれていたと知ると、謀られた気がしてならない。
 金額によっては返したいが。
(けっこうするんだろうな……)

 ちょっと嫌になった。



「何か?」
「いいえ、何でもありません」
「では、次に学科を説明します」
 女講師の話はそれから、うんざりするほど長く続いた。





 分厚い本がバタンと閉じられた。
「以上で、説明を終ります」
 本当に終ったのかと疑いたくなるくらい長い話が締めくくられた。

「最後に。
 何か質問はありますか?」
 正直、今は無い。
 説明されたことが頭の中からこぼれないように一所懸命だ。

 だいたい、自分に「寂しくなったときの代理親」の説明が必要だろうか?
 そんな歳でもない。
 端よってほしかった。

 それでも彼は手を上げた。
「質問です」
「どうぞ」
「あとでわからないことが出てきたら伺いたいので、名前を教えてください」

 彼女は満足げに頷いた。
「講師のリトリスです。
 あなたがたの学生生活を補佐いたします」
「ありがとうございます、リトリス講師」

「では、あなたの部屋へ案内しましょう」


 本館の東側に一般寮がある。
 西側は貴族子弟のための寮があるらしいが。

「筆頭侯爵のご令息もいらっしゃいます。
 特別なことがないかぎり、本館から西へは立ち入りを禁じます」
 必要もないだろうと、彼は聞き流す。

「さぁ、ここです」
 扉を叩いて、女講師が中へ誘う。
「ティセット。
 今日から彼が、あなたの同室生です」
 一番角の机に座っていた横顔が振り向く。

「あ」
 驚きの声が同時に上がった。
 応接室と思われる部屋は質素で、聖職者の肩書きに頷けるものだった。
 実際、個人宅なら良いだろうと華美な屋敷を持つ者もいる。
 これだけ型に嵌まった人物のほうが珍しいくらいだ。

 長年使われて焼き菓子色に艶めく机。
 上に乗るのも同じ色の菓子。

 老司祭は、菓子を青年に勧めた。
 まだ彼が昔のままのように思えたから、つい、施設の子どもたちと同じ様に接してしまう。

「……あの時いただいたのも、これでした」
 青年は懐かしむようにつぶやく。
 小さく焼上げられ、蜜をかけられた甘菓子。
 一つ口にして、甘さを楽しむ。

「あの時は断られましたので、ロデス様にお渡ししましたな」
「あとで無理矢理、食べさせられました」
 おや、と老司祭は目を丸くする。
「さすがに、ロデス様には敵いませんでしたか」
 二人して笑った。



「いかがですか、見聞の旅は?」
「自分は世間知らずだと思いました。
 思った以上に、世界は広い」
「大陸はすべて行かれましたか?」
 青年は苦笑した。
「まだ周りきれていません」

 老司祭の求めるまま、青年は旅の話をした。
 口下手なりに、老司祭を驚かせ、感心させた。



 日暮れに気付いたのは青年だった。
 高い位置にある窓の向こうが、いつの間にか茜色に染まっていた。

「長くお引き止めしてしまいましたな」
「いいえ。
 兼備所には明日も行けますから」
「傭兵を……?」
 はい、と頷く青年。

 これまで彼は、路銀はほとんど傭兵として稼いだ。
 護衛など時間のかかるものは避け、安いが短期で済む退治ばかりを選んだ。
 贅沢をしなければ充分な額だった。



 ふむ、と老司祭は頷いた。
「もし、お急ぎのご用がなければ、学舎にいかれてはみませんか?」
「学舎……ですか?」

 街の東側は教会、北から西側は貴族の屋敷が占めている。
 その東西のほぼ中央に学舎がある。
 一般市民から貴族子弟までが通う、大規模なものだ。

「これから徐々に暖かなります。
 過ごしやすくなるでしょう。
 暖季の間だけでも、停どまってはいただけませんか?」
「俺には戸籍がありません」
「よろしければ、わたしが後見にお付きします」

 熱心に勧められ、青年は不思議そうな顔をする。
 老司祭は観念して、本音を言う。
「また、旅の話をお聞きしたいのです」
 子どものようなことを言われて、青年は苦笑した。

 大陸北部の人々は、寒季は雪に閉じ込められる。
 屋内だけではいつか飽きが来る。
 だから、遠くから来た旅人を引き止め、集まって話に耳を傾けるのだ。

 老司祭も例に洩れず、退屈をすることもあるらしい。

「学舎に行くのは、仕事をしながらでも可能ですか?」
 老司祭は大きく頷いた。