足早に教室を出るティセットを呼び止める声が止まない。
 同じ教室を出て行く生徒たちの笑い声も気に止めない。
「ティス、悪かったよ」
「機嫌治せって!」

 二人とも、同時期に入舎した友人だ。
 だからって、二人のせいでティセットが教師から注意を受けるはめになっていいわけではない。

「晩メシおごるよ!」
「俺は犬か!」
「ティーセーットー!」

 二人が言いたいことはわかる。
 気になるのもわかる。
 でも、ティセットだって、まだ大して同室生のことを知らないのだ。

 一度顔を合わせてあいさつしただけ。
 ティセットには午後の授業があったので、話は夕方に約束した。
 本当に、まだその程度。

「わかったよ。
 じゃぁ、おまえらのおごりで晩メシな。
 二人分」
 友人たちは二度、頷いた。



「ごめん。
 ってなわけでさ……」
 後ろに立つ笑顔の二人を指差すティセット。
 彼は苦笑した。
「俺はかまわないよ」
 ティセットの後ろで拳が握られた。

 安くて量も多い食堂は、いつも学生たちの賑やかな声で埋まっている。
 四人分の席を確保し、適当に料理を頼む。

「僕はルフェラン。
 父はシドル商会を経営している」
 金髪に色白。
 じっくり焼いたパンと同じ目の色。
 ランって呼んで、と片目を瞑ってみせる。

「オレはトルク。
 皇都からの交換生だ」
 背の高い、鼻の突き出た青年だ。

「交換生?」
「皇都とこっちの学舎で、学生を交換するんだ。
 優秀な生徒の更なる向上心を磨くためっ、てね」
 トルクはおどけながら答えた。

 俺はいいよね、とティセットは省略して、彼を即す。
「ヨウスだ。
 ……南のカザーカ国から来た」
 と言うことにしてある。

 二人が身を乗り出した。
「公国カザーカか。
 国王と皇女が従兄妹なんだっけ?」
「あ?
 ジュリオラーザ公爵とだよ」
 皇都については、さすがにトルクが詳しいようだ。

「かっこいいんだぜ、公爵は!」
 また始まった、とティセットとルフェランが顔を合わせる。

「こいつ、公爵の親衛隊にはいるにつもりなんだ」
 と、ヨウスを見てルフェラン。
「頭が足りないって何度言われたんだか」
 辛辣にティセット。

「おまえらに閣下のすばらしさがわかってたまるか!」
「おまえのこと言ってんの!」
「ヨウス、気にせず食おう」
 ちょうど運ばれて来た料理に、ティセットがさっそく手を付ける。

 騒いでいた二人も腹の虫に敵わず、できたての料理に手を出した。
 大陸北部の大国、ラディンネル。
 王のいない国。

 過去、最後の王の遺言により、次代の王家は法皇に委ねられた。
 しかし、不幸なことに、時を同じくして法皇も身罷る。

 時代は混乱期を迎え、神殿には正当なる御使いを据えられないまま時が過ぎる。
 よって、新王家も得られないまま。

 以来、代理としていた五大貴族たちがそのまま空の王座を奉り、新法皇の誕生、新王家の誕生まで政を引き受けることになった。

 ―――五百年が経とうとしている。



 王都。
 主を待つ王宮はやや北よりの中央。
 東から流れて来る川の水を受け止め、三本の川にして西と北、南へと送る。

 王宮の北東に教会、北西に貴族邸。
 一般民は王宮を中心に、南に居を構える。
 商店街は街の中心を貫く大通りに軒を連ね、朝早くから深夜まで賑わう。

 街の治安維持を努める兼備所は東西の二か所に分かれていた。
 街の地図を思い描けば、東に一般層、西に裕福層と分かれているからだろう。

 何でも二つに分けたがるなぁ、と思いながら向かったのは、東の兼備所。
 ……近いから。



 黒い石造りの建物に入れば、大声が耳を貫く。
 入口付近で迷子が二名、酔っ払いが五名、スリが一名叫んだり泣いたりしていた。

 おっかなびっくり、専用の受付にたどり着く。
「賑やかだな」
 受付の兵士に訪ねれば、疲れた顔で返事が返る。
「暖かくなったからなぁ」
 長い寒気が明け、短い暖気に誰もが浮かれているのだ。

「初顔かい?」
「あぁ。
 登録したい」
「名前は? 顔見せて」

 頭巾を取りながら彼は答えた。
「ジェイ」


   *  *


 脇の辺りがくすぐったい。
 モゾモゾと身を揺らしてやり過ごす。

 今度は背中に何かが当たる。
 肩を掻くふりをして払う。

 今度は足を蹴られた。
(何なんだよ!)

 彼らの言いたいことはわかっていた。
 説明してやるのはいい。
 でも今は……。

「ティセット」
「はい!」
 教師の呼び声に、飛び跳ねて立ち上がるティセット。
 周囲から忍び笑いが聞こえた。

「授業は退屈ですか、ティセット?」
「い、いえ。
 とても有意義です」
「よろしい。
 では前に出て、この問題を解いてください」
「……はい、先生」
 どこかで話したかも知れない。

 どうでもいいことだが、わたしは髪が長い。

 最近では、迂闊に座るとお尻に敷いてしまうほどです。



 ある晩。
 お風呂に入っているときでした。

 塵も積もれば山となる。
 細い髪も伸びれば重くなる。

 湯船に髪を浮かべると頭が軽くなり、とても気持ちが良いのです。

 その晩も、浮かべてまったりしていました。



 その時です。
 湯船で漂う髪の長さに、ハッとしました。

 こ、これは…!

 も、もしや!!



 わたしの震える右手は恥じらいの胸に。

 左手は髪を巻き込んで、慎むように股間に!



 見よ!

 リアル「ヴィーナスの誕生」

 西風よ吹け!
 外套持って来い!





 …………。



 ………………。



 ………………………………。





 ごめんなさい、ボッティチェリ先生。

 ちょっと思い付いちゃったんだヾ(;゜ロ゜)ノハワワ