「上級生にあったら、とにかく道を開けること」
 と、ティセット。
「目は合わせない」
 と、ルフェラン。
「捕まったら……オレに呼ばれてるって言え」

 トルクの言葉にヨウスが首を傾げた。
 大きな瞳に見上げられて、しぶしぶ口を開く。
「オレ、西寮が合わなかったんだ」
「……え?」
 ヨウスは察しが良い。
 それだけで気付いたようだ。

 トルクが懐から自分の学生証を取り出して見せる。
 トルディス・カル・フェナッタ―――それがトルクの名前。

「カル……確か、辺境伯」
 ヨウスの呟きに、トルクは無言で頷く。

 そう。
 まるで何でもないかのように接しているが、トルクは貴族令息だ。
 しかも従兄弟が宮廷勤めだというから驚きだ。

 同室ともあって、人懐っこいルフェランはすぐに慣れた。
 が、ティセットはしばらく敬語が抜けなかった。
 見下ろしてくる長身の瞳があまりにも真っ青で、怖かったのだ。



「で、でもオレはっ、いきなり殴ったりしないからな!
 難癖つけたり、足引っ掛けたり、本投げたり、遣いっぱしりとか……」
 トルク、とティセットは必死になった友人を止めてやった。

 大きな声に、周囲の注目が集まっている。
 背の高いトルクはそれだけで目立つ。
 それに、ヨウスは笑っている。

 笑われて、トルクは憮然とした顔になる。

「ごめん。
 あぁ、うん」
 笑いを抑えて、ヨウスはトルクを見上げる。
「そのときは、目一杯、高い声で呼ぶよ」

 トルクは破顔した。


   *   *


 トルクとともに教室にはいると、視線が二人に集まった。
 七割が男だろう。
 女は教養科に多いらしい。

 入った手前の壁に大きな黒板と机。
 向い合う形で二人掛けの席が二十ほどあって、半分は埋まっていた。

 二人は、中ほどの席に座った。
「目立つなぁ」
「新入りは珍しいのか?」
 トルクは広い肩を竦める。
「おまえの顔が目立つんだよ」
「…………」
 何だ、とヨウスはため息。

「オレも最初、チラッと見たとき驚いたぜ。
 ティスの同室生が女かよ!って」
「まだ、女みたいか?」
「見慣れてきたらな、大丈夫だ」

 トルクは大きな手でヨウスの背中を叩いた。
「大丈夫だって。
 そのうちオレみたいに男前になるさ!」
 それは遠慮したい。



 トルクの楽天家な言葉にふと、思い出すことがあった。
「トルク、配達屋はあるか?」
「管理室に預ければ出しといてくれるぜ。
 なんだぁ、里の彼女か?」
「違うよ、男だ」
 なーんだ父親かよ、とトルクが諦める。
 父親ではないが、言い直さずにいた。



 教師が現われると、ざわめきも静まる。
 使い古された教科書を開いて、授業は始まった。
「え?
 ト、トルクと……?」

 語学中級の授業を受けるから、一緒だね。
 と、言ったのはティセットだが、驚いたのはルフェランだった。
 トルク本人ではない。

「そ、そうか、トルクとね……」
 何事だろうかと、ヨウスが視線でティセットに尋ねてくる。
 ティセットは肩を竦めた。
「唸るんだ、トルク。
 授業が難しいらしくて」

 交換生として来たばかりのトルクのために、ルフェランは何度か同じ授業に出たことがある。
 すでに自分は受かった授業で、始終唸られた挙句、質問攻めに。

「どんなに優しく説明してもわかってくれないし」
 最後には泣き出すし……。



 外見からしてわかるが、トルクは武官志望だ。
 正確にいうなら、皇都のジュリオラーザ公爵の親衛騎士になりたいらしい。
 いや成る! と本人は鼻息荒い。

 ティセットは算学の上級。
 ルフェランは商学の中級。
 二人とも順調に進んでいる。

 トルクはというと……。

 交換生に選ばれるくらいだから優秀だ。
 しかし残念ながら、剣術は上級に合格したが、語学が中級を受けている段階なのだ。
 この後に史学か文学の初級も取らなければならないのに……。

「騎士に文学がいるのか!?」
「いや……さぁ……?」
 そんなことヨウスが知るはずもないのに尋ねている。
 もちろんティセットも聞かれたことがあるし、知らない。



 朝食を終えて教室に向かう途中、ヨウスが廊下で呼び止められた。
 管理室の講師から名前が書かれた木札を渡された。
 試験を受ける時に必要なもので、皆持っている。
「無くさないようにしてください。
 身分証と思って、常に持ち歩くように」

 ティセットは、真新しい学生証を覗き込む。
「クォーズっていうんだ」
「え? ……あぁ」
「ご両親は何してんの?」
「あぁ……いや、いないんだ。
 これは母方の名前」
「あー……ごめん」
 ヨウスは苦笑した。

 名前のほかに、学位と寮室、後見人の名前が書かれている。
 まっさらな裏面にはこれから、合格した学科と等級が書き込まれて行くだろう。



 本館の二階に上がると、指差してヨウスに説明する。
「語学と算学は、こっちの廊下のところに中級と上級が集まってる。
 上等生に気を付けろよ」

 上等部は、貴族子弟と上級学科生しか入ることができない。
 貴族なら誰でも上級生になれる。
 対して上級学科生は、死ぬ気でがんばればティセットもなれるかもしれない。

 だが、なれたとしても、西寮には行きたくない。
 きっとトルクのように、窮屈な思いをするだろうから。
「学科、決めた?」
 翌朝、寝間着から着替えながらティセットは尋ねた。
「とりあえず、基礎の語学と算学かな」
 長めの髪を束ねながらヨウスが答える。

「それなら、中級から受けられるよ。
 俺たち中等部は、基礎科は免除してもらえるんだ」
「免除?」

「入舎前に試験、受けただろ?」
 ティセットは自分の寝癖が気になるようだ。
「あの試験受けて中等部に入れたってことは、基礎科……
 基礎科ってわかる?」

「語学、算学、道徳、作法?」
「そう、それ。
 中等部はそれの初級に合格したやつしか入れない」
 ティセットの寝癖は直りそうにない。

「文学は語学の中級以上、商学は算学の中級以上が必要だ。
 史学は文学の初級。
 文官になるなら、語学と算学の上級と、史学か算学の中級。
 武官は語学と算学の中級と、史学の初級と武術の中級以上。
 僧侶なら、まず……」

「ティス」
 ヨウスは同室生の言葉を遮った。
「……覚えきれない」
「まぁ、ね。
 目指すものを決めれば、学科も絞り込めると思うよ」

「ティスは、何か目指してるのか?」
 寝癖は諦めたティスは、まだ眠そうな顔で振り返る。
「文官」
「城勤めか……」

「ヨウスは?」
「俺……は、まだ……」
「まだ?
 って、歳いくつだっけ?」
「十九」
 ということになっている。

「二一まで、もうすぐだぞ?」
「……そうだな」

 この地方の成人は二一歳。
 ヨウスはとりあえず、十九歳としているが、それでもあと二年だ。

「二一歳で上級が一つもなかったら」
「……たら?」
 ティスが顔をグッと近付ける。
「強制退舎」
「……強制……」

 胸元の紐を結びながらティセットはニヤリと笑った。
「その前に、自分から出てくやつが多いけどね」
 ティセットの前の同室生は、それで自主退舎したらしい。

 部屋は入って直ぐに寝台が左右の壁を占領し、その枕元に机がある。
 右がティセット。
 左がヨウス。

 収納は寝台の下に取り付けられた引き出しだけ。
 あとは机の引き出しくらいだ。

 扉側の壁にかかる制服の下は何を着ても良いようだ。
 制服といっても、袖付き外套の胸元を幅広の紐で結ぶだけ。
 靴だけは新調した。



「結び目、曲がってる」
 ティセットが首をかしげて言う。
「……苦手なんだ、こういうの」
 笑いながら、しかたないなぁとティセットが結び直してくれた。

「算学と語学。
 どっちから行く?」
「じゃぁ、語学から」
「それなら、トルクも中級だから、安心だ」

 よし、とティセットが肩を叩く。
「朝は学食に行こう。
 トルクたちも来てるよ」
 頷いて、ヨウスは後を追って部屋を出た。