太い腕が振り回されるのを見て、宿屋の女将がやれやれと嘆息する。
「荷物これだけなんで、大丈夫ですよ。
 俺、行って」
「あー、じゃぁ、俺が行って来るよ」

 仲間の一人が手を挙げると、返事も聞かずに出て行った。
 もちろん、もう一人連れて行くのを忘れない。
「え! お、おれぇ!?」

 巻き添えの叫びをかき消すようにルフェランが手を叩く。
「じゃ、パパっと片付けてくか」
「パンツは自分でやれよ」
「いや、盗るなよ?」
「盗らねぇよ!」

 片付けると言っても、大した量でもない。
 五人もいればあっという間に終って、床に座って話しだした。

 宿屋の大女将が焼菓子を差し入れてくれた。
 固くて、甘さの少ない、懐かしい味。

 買い出し組が戻って来て、夕暮れまで話した。
 これまでの学生生活。
 これからのこと。

 ティセットは先に社会に出た。
 彼らも例外なく、いつか何かの職につく。

 不安と期待。
 理想と現実。

 誰にでも訪れるいつか。



(誰にでも、か……)

 仲間たちが帰ったあと、さっそく仕事に出たティセットを待ち受けていたのは、大根の皮剥きだった。
 それも三十本。
 その後、人参も皮を剥き、大根と一緒に漬物にした。

 漬物作りでその日は終わり、女将の気遣いで早めに上がらせてもらえた。
 明日からは一日中、働くのだ。

 早朝から仕入れに出て、仕込みをして、開店と同時に厨房と客席を走り回る。
 日付が変わる鐘の音で閉店し、後片付けと仕込み。

 雨の日も晴れの日も変わらない。
 毎日働く。
 それで給料を貰って生活していく。
 一部は、今まで支えてくれた叔父に仕送りをすることにしている。



 新居の窓に身を持たせ、真夜中の空を見上げる。
 昨日と変わらない夜空。
 明日も同じであろう空。

 変わったのはティセットの立場。
 ルフェランにもトルクにも、ヨウスにだっていつかは訪れること。

(ヨウスか……)
 ルフェランは商人である父親の跡を継ぐ。
 トルクは女皇帝の叔父、ジュリオラーザ公爵の親衛騎士になる。
 なんて言っているが、辺境伯の道もある。

 わからないのがヨウスだ。
 僧侶を目指しているわけでもないらしく、何かに憬れているということもない。

 頭は良いし、教師にでもなったらどうだと勧めたが……。
 内気なヨウスが果たして、大勢の前で話せるだろうか。

 
「あいつ、今年も寮長に選ばれてクサってるんだ」
 寮長になれば、講師の評判は良くなるし、時間や施設利用も優遇される。
 その分、学生同士の揉め事や苦情、相談に乗ったりと忙しない。

「頭イイのも苦労するなぁ」
 他人事のようにトルクがいうと、ルフェランはまなじりを吊り上げて睨みつけた。
「おまえはもう少し勉強しろっ」
「……!」
 未来の辺境伯は泣き顔になった。

「ヨウスまで笑うな!」
「え? あ、うん」
 緩んだ口元を隠すヨウス。
「おまえが悪いんだ」
 ルフェランはトルクの頭を叩いた。
「だからっ、ヨウス笑うな!」



 いつもと変わらない仲間たち。
 いつもより優しい寮生たち。
 いつもより多い朝食。

 いつも以上に、朝陽が眩しかった。


   *  *


 荷物をまとめるのに、そう時間は掛からなかった。
 寮室は二人部屋で広くないし、ティセットにはこれと言って趣味もないので、私物は少ない。

 数少ない本は、同じ授業に出ていた仲間に贈った。
「次、受かれよ」
 そいつは泣きそうなのぐっと堪えて頷いた。

 ほぼ衣類だけとなった荷物。
 一人ひとつ持って、七人。

 軽い箱を、大事そうに抱えてくれた。



 居候先の宿屋の裏手に周り、裏口の戸を叩く。
 すぐに奥さんがやって来て、学生集団に驚いた。

「お世話になります」
「いいのよぉ。
 屋根裏なんてホント物置で、悪いくらいだわー」

 ふっくらとした腹を押さえながら階段を登る宿の女将。
 もうすぐ子どもが生まれるのだ。

 三階に上る階段を上り終えるとすぐに扉で、鍵を使って中に入る。
「ティスが来るんだからって、おばあちゃんが片付けてくれたの」
「ありがとうございます」

 入って左側の大きな窓は荷物でほとんど隠れ、床の三分の二は荷物で埋まっていた。
 それでも屋根裏は意外と明るく、広かった。

 荷物で埋まった窓の対面にも窓があり、燦々と陽が射している。
 部屋の手前側の空間に寝台と戸棚が据えられている。
 大女将のおかげで、部屋らしい匂いがした。

「お、ティス、ほら!」
 一人が窓辺で手招きした。
「ニッチのお女将さんだ!」
 窓から顔を出すと、隣の家の二階からニッチの女将が手を振っているのが見えた。
「ティース!
 片付けたら、大根五本買って来とくれ!」
「…………」
 さっそく使われるようだ。
 背後で笑い声が上った。

「姉さんたら、せっかちだねー」
 宿屋の女将が窓から身を乗り出す。
「姉さん、急ぐんだったらあたしが行くよー?」
「バカ言うんじゃないよ!
 道端で産む気かい!?」
「一般人は上等生になれないのか?」
「難しいね」
 ヨウスの質問に答えたのはルフェランだった。
「よほどのお利口さんじゃないと、やっていけないよ」

「クラトは一般人だろ?」
 つい先ほどティセットの肩を叩いて行った学生を見て、トルク。
「姉貴がラーネット家の後家になったらしい。
 卵こぼれたよ」
「やべっ。
 あいつも頭いいしな」
「医者かなんか目指してなかったかな。
 服で手を拭くな」
「文官って感じじゃないのになぁ」

「…………」
 ルフェランは相変わらず、トルクのお母さん役をこなしていた。
 トルクが皇都に帰るとき、連れて行かれ兼ねない勢いだ。



「確かにこっちは少ないな」
 ぽつりと、トルクが言った。
「皇都じゃけっこういたけど……。
 やっぱり学費か?」
「それもあるけど、西寮は上下関係が厳しいらしいから。
 そんな感じしなかった?」
「うーんー。
 …………した」

 地方とはいえ、貴族であるはずのトルクが嫌悪した西寮生活。
 あまり想像したくない。

「なぁ、トルク。
 皇都は身分差とか厳しい?」
 卵を突つきながらティセットは尋ねた。
「まぁ、それなりにあるけど」
 大きなパンの塊をごくん、と飲み込むトルク。

「ヒドイやつはヒドイけど、同室生の勉強時間まで削ったりしなかったぜ」
「へー……」
 ということは、西寮では勉強時間さえ奪われることもあるということだ。
「成績落ちたら、そいつが疑われるからな」

 皇都の学寮では、同室生は必ず上下違えて選ばれる。
 下等生は同室生の生活の補佐をする。
 変わりに、上等生は下等生の勉強を見るのだそうだ。



「寮の出入りはここより厳しいけどな」
「皇族もいるからな。
 女帝とは会ったことないのか?」
「遠目にはな。
 陛下とオレは五歳くらい違うから、あんまりかぶらなかったな」

 いや、遠目とはいえ、帝国の花を直に見られるなんて羨ましい限りだ。

 ラディンネル国には王族がなく、自然、五大貴族が最高位となる。
 その子どもたちといえば……。
 まぁ、西寮の批評の種みたいなものだ。



 話している間にも、ティセットに声をかける学生は絶えない。
 ついでか、はたまた本命か、ヨウスも声をかけられる。
 次の同室生に注目が集まっているのだろう。
 遠くの席からも指を指されている。

「クォーズ、ちょっといいか?」
 そう言ったのは、寮長だった。
「食事が終ったら、指導室に来てくれ」
 ヨウスが了承すると、寮長は颯爽と去った。

「相変わらずしかめっ面だな」
「ランスは昔からだよ」
 ルフェランと幼馴染みの寮長。
 ティセットはまだ、一度も彼の笑い声を聞いたことがない。