「寮長は、しばらく同室生はいれないって言ってたけど」
「はー、まぁ、賢明だな」
 ヨウスは首を傾げた。

 なぜ? と問うとする前に、誰かが割ってはいる。
「ソレまじ、クォーズ!?」
 昨日、ティセットの引っ越しを手伝ってくれた学生だ。

「え、何?
 クォーズの同室募集しないの?」
 また一人、話に加わる。
「一人だと寂しくね?」
 また一人。
「新しいヤツでも来るのかなぁ」
 またまた一人……。

 際限なく広がりそうなところで、教師が入ってきた。
「始めますよ!」
 わー、と席につく学生たち。
「それでは、昨日の宿題の答え合わせから……」

 授業中は教師の声と、黒板に刻まれるたくさんの音が教室を占めた。
 だが、ひとたび授業が終わると、教師が退室する前に立ち上がる学生たち。

「なぁ、クォーズ、誰か指名しないのか?」
「こいつまだ上級取ってねぇよ」
 トルクが替わりに答える。

「だったら、なおさらですよ?」
「新入りが上級もって来るわけないんだから、結局どこかと入れ替えるわけだし」
「初等生と合わせるかもしれないだろ」

「いやいやいや。
 だってさ、トルクさん、暖季ですよ?
 新入りは増える一方なのに、いつまでも一人はないでしょ」
「だから、その新入りのために空けてるんだろ?」

「クォーズだって来たばっかりですよ?」
「新入りと新入りはないでしょ」
「だーかーらー」
 トルクは面倒臭くなってきたようだ。
 自分の話題なので自分が言えば良いものの、学生たちの活きの良さにヨウスは引いてしまった。

 そこに助け船が現われた。
「教師方との話し合いで決まったことだ」
「寮長……」
 誰かが呻くように言った。

 東寮長ランス。
 動かない頬は鉄でできていると噂される鉄面皮が、いつの間にか人だかりの中にいた。

 気付けば、教室の中央に十数人も集まっていた。
 教室の端に避ける女生徒のほか、廊下からも何事かと覗く目もある。



「先日、本人にも伝えた」
 気まずい空気をものともせず、寮長が低音を吐き出す。
「クォーズが上級を取るのは時間の問題、との声が多かった。
 よって、クォーズの同室生はその後に決められる」

 がぁーん

 そんな音が聞こえた気がした。
 もちろん、幻聴だ。



 涼しげな瞳が射るように辺りを見渡し、最後にヨウスで止まった。
「クォーズ、謙虚なのはいいが、度が過ぎれば迷惑だ」

 トルクが椅子を蹴立てて立ち上がる。
「寮長、そりゃ言い過ぎだ」
「だが事実です。
 女生徒が遠巻きに、眉をひそめていますよ、カル・フェナッタ様」
「っ……!」
 明日からは一人で起きて行かなければならない。
 もちろん起きれないことはない。
 ただ、誰かが起こしてくれるという安心感が、寝汚さを再発させていた。

(起きて、顔洗って、朝メシ、授業……)
 まだ実感がない。
 隣にいたはずの人がもういない現実を信じられない。
 ちょっと残業になっていて、今にも帰って来るのではと思う。

 けれど、待っても来ないことはわかっている。
 納得できないだけで。

「…………ティス……」
 からっぽの寝台に呼びかける。
 もちろん返事はない。

「うーん…………」
 ヨウスはその夜、なかなか寝付けず、一人でゴロゴロと寝返りを繰り返した。





 翌朝、ぼんやりと制服の胸元を留めていると、トルクが満面の笑みで部屋に入って来た。
「なぁんだ、起きてたのか!」
「雨でも振るかな?」
 ルフェランまで天井を見上げる。

「…………」
 自分はかなりだらしないやつだと思われているのだと知った。



 ルフェランは商学の中級と法学の初級。
 ヨウスとトルクは語学の中級と文学の初級が同じで、あとは算学と武科に分かれる。

「昼から一人になるけど、大丈夫か?」
 父親気分でルフェランが言えば、
「終わったら迎えに来てやるからな」
 トルクまでそんなことを言う。
 まるで初等部の子どもになったようだ。

「なんなら、オレの授業見に来るか?」
「剣術の授業は見ないほうが……」
「なぁんで?」
「見てるだけでキツそうだ」
「ラクな授業なんてあるかよ!」
「毎日吐いてるヤツがいるじゃないか」

 キャンキャンと言い合う二人を引き連れて歩くと非常に目立った。

「だいたい、上級取ってるなら剣術はもう出でなくていいだろ?
 用学に行けよ」
「だぁって、文学一個もないんだぜ?
 受けられねぇよ」
「だったら文学増やせよ」
「えぇえ~!」

「…………」
 もしかして、いつも以上に二人が弾けているのは、ティセットがいないせいだろうか。
 と、思いながら教室に入ったヨウス。

「…………」
 なんだろうか?
 いつも以上に視線が集まる。

 鼻息荒いトルクに隠れてみるが、背中に突き刺さる視線。
「……?」

「どうした、ヨウス?」
 急に背中に回られて、トルクが顔だけ振り返る。
「目立ってる……」
「いつもだろ?」
「いつも以上に」

 ははぁん、とトルクが目を細め、周囲を見回す。
「おまえの次の同室、狙ってるんだろ」
「同室? 次?」

 そういえば昨日、寮長に呼ばれていった時も、次の同室生の話だった。
(人の心配してる場合じゃないか)
 ティセットはため息をついた。

 文官を目指していたティセットだが、夢は断たれて食堂で働いてく。
 主人のニッチは、顔は怖いが腕の良い料理人だ。
 いつかティセットが独り立ちして、店を持つようになれるよう、厳しく指導してくれる。

 今はまだ複雑な気持ちでいる。
 道半ばで諦めたことは一生後悔するだろう。
 それでも、現実を受け止めなければならない。

 自分はもう、学生ではない――



「…………」
 窓枠に乗せた両腕に顔を押しつける。


 現実が痛過ぎた。

 十七歳から入って今までの四年間。
 無意味ではなかったと、せめて誰かに言ってほしい。

 なのに、誰もいない。

 見慣れない窓。
 見慣れない天井。

 振り返ればいたはずの同室生の気配すらない。
 暗闇の中で積み重なる荷物たちが今にも動きだしてくれたほうがまだ良かった。

 胸の奥から冷たいものが込み上げる。
 固く閉じた瞼をこじあける涙が憎たらしい。



 コン、コン、と扉を叩く音がした。
「…………」
 涙を拭ったティセットが扉を開けると、宿屋の大女将がロウソクも持たずそこにいた。

「ごめんなぁ、忘れとったよぉ」
 少ない前歯を覗かせて、大女将は小さな包みを差し出した。
「昼間にぃ、女の子が来てのぉ。
 ティスにぃて、頼まれとったよぉ」

 女の子、と言われて首を傾げる。
 贈り物を貰えるような間柄の人が思い付かない。

 去っていく大女将に礼を言って、しばし寝台の上で贈り物を見つめる。
 何か反応があるわけもなく、思い切って開けてみた。

 包みを開けると、甘い香りが広がった。
「……………………」
 お菓子、だろうか。
 匂いからすると焼菓子かと思う。

「…………あ」
 恐る恐るひと欠け口にして、驚いた。

 ルリだ。

 この苦味。
 無用な固さ。
 教養科を受け直せと何度言いかけたことか!



 がり、と音が響く。
 一人の部屋に、彼女の音がする。
 ごくん、と飲み込むときまで苦い。

「…………」
 ほんのり甘く、苦いはずのお菓子は、いつの間にか塩っぽくなっていた。

 美味しいはずがないのに、美味しいと思った。
(ありがとう、ルリ)

 少しだけ紛れた寂しさ。
 ほんのりと温まった胸を感じて、ティセットは眠りに就いた。


   *  *


 同じ頃。
 一人の夜を過ごす、もう一人。

「…………」
 慣れているはずなのに、隣の寝台に枕も毛布もないのが味気なかった。
 からっぽの寝台の枕元には片付けられた机。
 扉側の壁には、制服が一着。