(人の心配してる場合じゃないか)
 ティセットはため息をついた。

 文官を目指していたティセットだが、夢は断たれて食堂で働いてく。
 主人のニッチは、顔は怖いが腕の良い料理人だ。
 いつかティセットが独り立ちして、店を持つようになれるよう、厳しく指導してくれる。

 今はまだ複雑な気持ちでいる。
 道半ばで諦めたことは一生後悔するだろう。
 それでも、現実を受け止めなければならない。

 自分はもう、学生ではない――



「…………」
 窓枠に乗せた両腕に顔を押しつける。


 現実が痛過ぎた。

 十七歳から入って今までの四年間。
 無意味ではなかったと、せめて誰かに言ってほしい。

 なのに、誰もいない。

 見慣れない窓。
 見慣れない天井。

 振り返ればいたはずの同室生の気配すらない。
 暗闇の中で積み重なる荷物たちが今にも動きだしてくれたほうがまだ良かった。

 胸の奥から冷たいものが込み上げる。
 固く閉じた瞼をこじあける涙が憎たらしい。



 コン、コン、と扉を叩く音がした。
「…………」
 涙を拭ったティセットが扉を開けると、宿屋の大女将がロウソクも持たずそこにいた。

「ごめんなぁ、忘れとったよぉ」
 少ない前歯を覗かせて、大女将は小さな包みを差し出した。
「昼間にぃ、女の子が来てのぉ。
 ティスにぃて、頼まれとったよぉ」

 女の子、と言われて首を傾げる。
 贈り物を貰えるような間柄の人が思い付かない。

 去っていく大女将に礼を言って、しばし寝台の上で贈り物を見つめる。
 何か反応があるわけもなく、思い切って開けてみた。

 包みを開けると、甘い香りが広がった。
「……………………」
 お菓子、だろうか。
 匂いからすると焼菓子かと思う。

「…………あ」
 恐る恐るひと欠け口にして、驚いた。

 ルリだ。

 この苦味。
 無用な固さ。
 教養科を受け直せと何度言いかけたことか!



 がり、と音が響く。
 一人の部屋に、彼女の音がする。
 ごくん、と飲み込むときまで苦い。

「…………」
 ほんのり甘く、苦いはずのお菓子は、いつの間にか塩っぽくなっていた。

 美味しいはずがないのに、美味しいと思った。
(ありがとう、ルリ)

 少しだけ紛れた寂しさ。
 ほんのりと温まった胸を感じて、ティセットは眠りに就いた。


   *  *


 同じ頃。
 一人の夜を過ごす、もう一人。

「…………」
 慣れているはずなのに、隣の寝台に枕も毛布もないのが味気なかった。
 からっぽの寝台の枕元には片付けられた机。
 扉側の壁には、制服が一着。