「けっこうヨウスも言うんだね。
 それで僕、おもわず言ったんだ。
 ティスからすれば、ヨウスだって恵まれてる。
 辞めなくちゃならなかった人の分まで、僕らは諦めちゃダメだ……ってさ」
「…………」
「あとから、後悔した。
 ヨウス、少し変わったんだ。

 相変わらず口数少ないし、前髪下ろしたままだし。
 でも、一人で図書室に行くようになったんだ。
 コクってくる女の子も、自分で断るようになった。
 もしかしたら、ヤーフェ講師の依頼もそうかもしれない。
 あれができたら飛び級しそう。

 僕らといるときはまだそれくらいかな。
 でも、一人でいることが多くなったから、もしかしたら、まだ何かあってるかもしれない」
 言葉を切ったルフェラン。
 チラリとティセットを見る。
「ちょっと、笑顔も減った、かな……」
「…………」
 言葉を選ぶのに、少し時間がかかった。

 ヨウスは滅多に自分を語らない。
 語らないから、ティセットだって知らないことのほうが多いだろう。
 でも、それは悪いことではないと思う。
 たぶん。

「……ティセット?」
 ルフェランの顔が不安げに曇る。
 言いにくい言葉を出す時に限って、唾が切れる。
「ヨウスは……がんばってると思う」

 何て言えばいいのだろう。
 来たばかりの頃に比べて、確かにヨウスは話すようになった。
 笑いもする。
 けれど、やっぱりどこかで無理をしているような気もする。

「ヨウスは、まだ俺」
「ティース!
 酒樽もっといで!」
 ティセットの言葉を引き裂いて、本日最初の客がやって来た。
 それも、呑んべのサラさんだ。

「げっ!」
 ルフェランが飛び上がる。
「あーら坊やぁ。
 あたしを待ってたのかぁい?」
 お気に入りのルフェランを見つけて、サラさんは体をくねらせる。
 残念ながら熊が踊っているようにしかみえない。

「ちっ、違います!」
 激しく首を振り、後退するルフェラン。
「遠慮する子だねー」
「してません!」

 太い指をにぎにぎと動かし、にじり寄るサラさん。
「ホント久しぶりだねー。
 会いたかっただろう?」
「っ……!」
 ルフェランは声を喉に詰まらせた。

「うっふふふ」
「…………」

 睨みあって数分。
 ティセットが転がして来た酒樽にサラさんが気を取られた隙に、ルフェランは窓から逃げた。
「ちぃっ」
 サラさんの悔しそうな舌打ち。

 獲物を逃した悔しさを酒樽にぶつけ、拳は見事にフタをかち割る。
「さあ野郎ども!
 呑みやがれ!」

 今日は大いに盛り上がりそうだ。



『ヨウスは、まだ俺』
 ルフェランに伝え損なった言葉。
 けれど、続きを口にしなくて良かったのかもしれない。

 まだ俺たちを、信用してくれてない――

 たぶんそれは子どもじみた感情だ。
 自分だけ知らないのは嫌で、知らないことは知りたい。
 相手の感情を無視したわがままだ。

 ティセットだって言わないでおくことがある。
 誰にだってあるはずだ。
 言いたくない、知られたくない感情は、いたずら好きな子供にだってある。
 自分たちの年齢なら、尚更だろう。

 だから、ヨウスから何かを聞き出そうとしなかった。
 ティセットもしてほしくないから、無理強いはしたくなかった。

 なのに……。

 なのに、今になって知りたくなった。
 ヨウスの本心を。

 聞きたいと、思ってしまった。
 どう思う? と最後は尋ねられた。

 自分はいつの間に相談屋になったのだろうか。
 しかもみんな仕込みの時間を狙って来て、喋りながら手伝ってくれる。
 ありがたいような気もする。

 先日は、同じ授業を受けていたラングがやって来て、
「スッゴイよ俺!
 クォーズと喋っちゃったよ!?」
 興奮のあまり一人で酒樽を五つも運んでくれたのは助かったが、ヨウスと会話したくらいで何だと言うのだ。
 同室生だったティセットには、驚くところがわからなかった。



「ヨウスが頭イイのはわかってただろ?」
「でも五十問だよ?」
 信じられないとルフェラン。
「ティスだってさすがに覚えきれなかっただろ?」
「何度かあるよ」
「そうだろ? 覚えたよね?
 だから僕が驚く…………え?」
 ルフェランの動きが止まった。

 人形のように目を開いたまま固まった姿は、羨ましいくらい長身だ。
 ヨウスは美人だが、ルフェランはかっこいいと思う。
 悔しいので、絶対口に出して言わないが。

「…………覚え……?」
「文学の中級のとき、読んだことある本から出された問題だったから、覚えられたんだ。
 語学も初級は覚えてたかな」
「うそ…………」
「ウソだと思う?」

 これでも最速昇級をした男だ。
 上級のときはさすがに緊張と難度の高さに覚えられなかったが、他でも半分は記憶していた。
 記憶できたのは二・三日間のことだが、復習するには充分だった。

「じゃぁ何?
 ティスは僕があれ間違ったかも、あれ何だったっけとか悩んでるとき、悠々と復習してたわけ!?」
「だって、ランは試験の翌日は寝て過ごすだろ?」
「起こそうとか思わなかったわけ!?」
「起こしちゃかわいそうだと思って」

 何だよもうティスのバカー、と顔を覆って泣き出したルフェラン。
 泣き所がわからない。



 グチグチと言い出したルフェランは放っておき、ティセットは仕込みを急いだ。
 数種類の串を作ったあと、店内の椅子を机から降ろし、机を拭く。
 夜の営業前の準備で、任されたのはこれだけだ。
 厨房はニッチの親父が良いと言うまで入ってはいけない。

 串以外の仕込みはまだ教えてもらっていない。
 肉や野菜の漬物はお女将さんが教えてくれるが、まだ半人前のティセットができることは限られていた。



 机を拭き終わって、ふと気付く。
 入り口近くの席に座って、ルフェランがじっとこちらを見ていた。
「何?」
 物言いたげな目に尋ねてみる。

「僕は何もできないね」
「……急に…………どうした?」
 ルフェランは溜め息をついた。
「学費も借りれなかったし、今度の試験は落ちてそう」
「学費のことは良いって。
 試験だって、また次があるさ」

「僕には次があるのに、どうしてティスにはないんだろう?」
 もう一度振り返ったとき、ルフェランは机に突っ伏していた。
 表情は見えないが、声音で悔しさが伝わった。
「ラン……」

「ヨウスに言われたよ。
 どうして身内じゃないといけないんだって。
 身内じゃないから、無償では何もできないのか……ってね」
「いつ?」
「春来祭の日。
 ティスが辞めるって言った夜」

 ツキン、と胸が痛んだ。

 悔しかったのは自分だけではない。
 この痛みは、友人たちも共用していた。
 そう思うと、何も言えなかった。
 まだ学生でいられて羨ましいなんて、絶対に口にできない。
 そして試験は終わり、東庭には生徒たちが集まっていた。
 落ち込んだ様子の者もいれば、安堵の表情を浮かべる者もいる。
 空元気に振る舞う誰かの高笑いが虚しい。

「…………」
「…………」
「…………」
「……どうだった?」
 堪らず訊いたのはルフェランだった。

「ぼ、僕は大丈夫だと思……わないんだよね」
 商学中級のルフェラン。
 トルクの宿題に付き合っていたせいもあり、自信はない。

「俺は……まぁ、たぶん」
 うん、と頷くヨウスは語学中級。
 余裕顔が羨ましい。

 三人の視線は自然、ヨウスと同じ語学中級を受けたトルクに移動する。

 そのトルクは放心状態だった。
 薄く開いた口から涎が出てきそうなくらい、意識がない。

「……ムリそうだな」
 ランスが呟く。
「ま、まだ続くのか……!」
 一番の被害者が頭を抱える。

「……トルク」
 ヨウスが肩を叩きながら呼ぶと、虚ろな目が移動する。
「答え合わせをしよう」
 トルクの手に黒板と白石を握らせるヨウス。
 何事だろうかと見守る二人も、おもわず黒板と白石を手に取った。

「一問目、『ぎろん』」
 ランスが書き終わるのと同時に、ルフェランの黒板にも同じものが書き出される。
 トルクの手はまだ動いている。

「……次、二問目、『すうこう』」
 今度はルフェランのほうが早かった。
 やはりトルクは遅い。
 それでも辛抱強くヨウスは待ち、三問目を口にした。



 徐々に問題は難しくなる。
「十八問目、『ぎょうこう』」
 一旦、トルクの手が止まる。

 死んだモグラの目のようだったものが、いつの間にか必死になっていた。
 唇を舐めて、ゆっくりと書く。

「十九問目、『せいかいかいせんぼうえき』。
 二十問目、『せいさんみゃくりゅうずぶ』。
 二一問目、『へいこうれきかいていきねん』……」

 半分を終ったところで、今度は読み問題になる。
 ヨウスは自分の黒板に問題を書き、トルクに見せる。
「お、へ、こんらんねんれき。
 えー……か、るおねこっきょう、もんだい。
 こるでくと、だ、だ、だい、こと?」

 詰まりながらも、何とかできていそうな気配。

 五十問すべてが終わると、ヨウスは口元に笑みを浮かべた。
「間違いは十三問。
 合格点だ」
 ぱーっとトルクの顔が明るくなる。
 ヨウスの袖を掴んで口をパクパクと動かす。
 嬉しさのあまり声がでないらしい。

「ま、ま、まままマジ!?」
 やっと出た声は歓喜していた。

 ルフェランは安堵した。
 今晩はゆっくり眠れそうだ。



 ふと、隣りのランスが難しい顔をさらに複雑にしているのに気付いた。
「どうした?」
「…………うん…………」
 うんと言ったものの、ランスの口は開かない。
 トルクにしがみつかれて腰の引けたヨウスをじっと見ている。

 何かあるのかと同じようにヨウスを見ていたルフェランは、気付いた。
「…………あ」
 恐ろしいことに気付いて、ランスをまた見る。
 目が合った。
 ランスの頷きで、同じことに気付いたのだと知った。

「まさか…………」
 そんなまさか。
 つい先ほどとはいえ、ヨウスは五十問すべて覚をえていたというのだろうか……?