*スピササイズ28: 「無駄な気遣い」を手放す | *Blay典子の世界日記*

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四半世紀のリゾート暮らしを卒業後、ディープなフランスで生活しています。父が他界した2004年から始めたスピリチュアルな学びや、浮世離れした日常から見えて来た世界、多文化の中で学んだ事、フランスの田舎暮らしなどなど、私の世界のお話を綴っています。

 ブリーブ・ラ・ガイヤードからごきげんよう、ドゥミ仙人こと☆Blay典子です。

 

ご縁をいただき、ありがとうございます。

 

 さて、早速ですが、今日は毎週土曜日にお贈りする

スピササイズ

 

 

初めての方の為に、スピササイズとは…

 

毎日の暮らしの中で、ひらめきと行動を意識すると共に、スピリチュアリティー(精神性)を高め、見えない世界とのつながりを深めていくエクササイズです。

 

フィットネスエクササイズのようにコツコツ続けていき、人生を思いきり楽しめるようになることが目標です。

 

できれば、1から進めていただくことがお勧めです🔽

スピササイズ19より、「手放し」をテーマにお送りしています。

 

 

 

私は、2004年に父の介護から他界を経験しました。

 

最も身近な人との死別を経験して初めて「人は死してどうなるのか」「なぜ生まれ、そして死ぬのか」に興味が湧き、精神世界の本を読むようになりました。

 

当初、「死」について知ることが、運気を上げるコツに繋がっているとは思いもしませんでしたが、結果として、そうなっていました。

 

人生は自分次第で、良くも悪くもできますビックリマーク

 

「運気を上げる」ためには、「引き寄せの法則」を理解し、実践するのが、一番確実かつ楽しい方法です。

 

自分と全く同じものが引き寄せられるので、自分が良い状態でいることが大事です。

 

ネガティブな思いやモヤモヤがあると、どんなに小さくてもそれらが引き寄せられてしまうため、ここしばらく、色々なものの「手放し」をスピササイズのメインとして、お伝えしています。

 

これまでに取り上げた「手放し」は

 

過去

過去の痛み

今の痛み

こだわり

普通は

正誤でジャッジする

依存心

本音と建前

 

 

スピササイズ28

  「無駄な気遣い」を手放す

 

 

 

私が「無駄な気遣い」と感じるのは、気遣い過ぎて、言葉の足りないコミュニケーションです。

 

前回の「本音と建前を手放す」にも書きましたが、日本人は小さい頃から「他人に迷惑をかけないように」「空気を読むように」言われて育ちます。

 

が、実はこれ、コミュニケーションを取る上で、とても高い能力を求められていると思います。

 

言葉を交わさず、自分の頭で相手が何を言おうとしているのか、この場はどうすべきかなどを考えて、「気」を読み取り、その全てを瞬時に行い、乗り越えようとしているのですから、それはなかなか難易度の高い作業だと思います。

 

フランス人の中にも気を遣う人はいますが、いわゆる日本人的な「空気を読む」という感覚はなく、フランス語にもぴったり当てはまる単語がありません。

 

思っていること全てを話しているのでは?と感じるフランス人は、よく会話するため、空気を読む必要がありません。

 

フランスにいて、本当に楽だなぁと感じる、一番好きな所です。

 

 一説には、狩猟民族である欧米人は、狩りに出ると様々な部族と遭遇するので、笑顔と会話で敵意がないことを示すことが、身の安全につながり、それが現代まで習慣として残った。

 

一方、農耕民族であった日本人は、農作業中、身内同士は「阿吽の呼吸」で、意思疎通を図ることが多かった。

 

また、初対面の人に遭遇する機会があまりなかった為、表情が乏しくなったのではないかとのこと。

 

表情については、感情を表に出さないことを美徳とする文化もあり、「気を読む」同様に、教育されてきたことだと思います。

 

「気」を読む上で、大事な手掛かりとなる表情さえ乏しいのですから、日本で当たり前に求められている「空気を読む」ことは、かなりレベルの高い感知能力が求められていると思います。

 

 古代、農耕をしていた時代には、狭い社会で一定の場所にいて、長い時間を共に過ごすうちに、「阿吽の呼吸」で通じ合えるようになっていったのではないかと想像します。

 

でも、現代は皆、忙しく、大量の人が行き交い、日常が騒がしく、社会通念や生活環境も大きく変化しました。

 

そんな中で、子どものうちから「空気を読む」ことを求められるのは酷だと思います。

 

「阿吽の呼吸」も、じっくり時間を費やして、互いの理解を深めて築いた、信頼関係という下地があってこそ為せる技。

 

何の関係性もないまま、「気」を読むのは不可能で、「言わなくてもわかるはず」は、はっきり言って幻想、思い込みです。

 

 気を遣い過ぎるあまり、言葉が足りず、いざこざやもやもやの原因になっているのを、ドラマでもよく見かけます。

 

特に恋愛ドラマは、昔から「どれだけ、すれ違わせるか」にポイントがあったと思います。

 

携帯電話の登場で、だいぶ作りづらくなったと聞きますが、今だに、ある人が言った一言に「あれは一体どういう意味?」と、あれこれ気を巡らして、モヤモヤする場面をよく見かけます。

 

自分一人で、あるいは本人以外に相談して、ああでもないこうでもないと散々モヤモヤした挙句、本人に聞いて「なーんだ爆  笑」とホッとする・・・

 

私はその悶々とする時間が苦手で、面倒臭ーいと感じてしまいます。

 

その場で解決することが出来た可能性もあったのに、良くも悪くもあらゆる可能性に妄想を巡らせ、モヤモヤする時間が無駄に思えてなりません。

 

日常的にも「私と同じ考えだと思っていた」「言ってくれたら良かったのに」など、会話をしてさえいれば、避けられるトラブルが少なくないと思います。

 

 無駄な気遣いを手放すには、何と言っても、会話を増やして、明確にわかるコミュニケーションを取っていくことです。

 

人の気持ちは、はっきりしたコミュニケーション無しには、知り得ることはできません。

 

会話が足りなければ、必ずモヤモヤするし、モヤモヤすればするほど、あなたにはモヤモヤが引き寄せられてしまいます。

 

良い関係を築きたい人とは、出来るだけ実際に会って、出来るだけ正直な気持ちで大いに会話して、一緒に過ごす時間を重ね、関係性を築いていくことが大切です。

 

家族内でも同じこと。

 

そっとしておく為に話しかけないのではなく、出来るだけ会話することが大事です。

 

両親を亡くして、既に10年以上になりますが、もっと会話しておけば良かったなと思います。

 

生きているうちにしか、出来ないことを大切にドキドキ

 

まともに話せる時間も大切にドキドキ

 

無駄な気遣いを手放して、明確な形で、より良い関係性を築いていきましょう。

 

無駄な気遣いを手放すと、あなたの心は何倍も軽くなると感じられるでしょうドキドキお願いドキドキ

 

 ではまた次回、À la prochaine !(ア・ラ・プろシェンヌ!)