*スピササイズ27:「本音と建前」を手放す | *Blay典子の世界日記*

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四半世紀のリゾート暮らしを卒業後、ディープなフランスで生活しています。父が他界した2004年から始めたスピリチュアルな学びや、浮世離れした日常から見えて来た世界、多文化の中で学んだ事、フランスの田舎暮らしなどなど、私の世界のお話を綴っています。

 ブリーブ・ラ・ガイヤードからごきげんよう、ドゥミ仙人こと☆Blay典子です。

 

ご縁をいただき、ありがとうございます。

 

 さて、早速ですが、今日は毎週土曜日にお贈りする

スピササイズ

 

 

初めての方の為に、スピササイズとは…

 

毎日の暮らしの中で、ひらめきと行動を意識すると共に、スピリチュアリティー(精神性)を高め、見えない世界とのつながりを深めていくエクササイズです。

 

フィットネスエクササイズのようにコツコツ続けていき、人生を思いきり楽しめるようになることが目標です。

 

できれば、1から進めていただくことがお勧めです🔽

スピササイズ19より、「手放し」をテーマにお送りしています。

 

 

運気を上げるために、色々なものを手放して、心や頭の中を、できる限りスッキリさせておくことが大切です。

 

「色々なもの」とは、頭や心の中にある、恨み、怒り、嫉妬心、意地悪な気持ちなどの闇の部分、悲しみ、自己批判などの沈んだ気持ち、邪な思い、もやもや、ずっと気になっているけれど、まだできていないこと、最近の悲惨なニュース、リピートして欲しくないのに何度も繰り返される歌など、全部です。

 

自分の中にあるものが引き寄せられるので、できるだけわくわくと、楽しくしていればいるほど、更にわくわくする楽しいものが、上記のようなものがあれば、それらがやってきます。

 

手放し」が進むと、自分が思っている以上に、考え事や心配事が、日常的に頭の中を占めていることに、気づかれると思います。

 

そこに気づくのも、「手放し」を加速させる良いきっかけ♪

 

雑念をどんどん手放して、よりたくさんの、より良いものを引き寄せましょうニコニコ

 

これまでに取り上げた「手放し」は

 

過去

過去の痛み

今の痛み

こだわり

普通は

正誤でジャッジする

依存心

 

スピササイズ27では

  「本音と建前」

 

 

を手放します。

 

 前回、「依存心」について書いている時に、「本音と建前」は、幸せな生き方に、かなり邪魔をしているなと気づき、今回の「手放し」ポイントとして、取り上げることにしました。

 

「本音と建前」という考え方は、日本人独特だと思います。

 

少なくとも、フランス人はとても正直で裏表がなく「建前」という言葉自体ありません。

 

フランスでは、思ったことをそのまま口に出さないと、返って嫌がられる傾向があります。

 

常に本音なので、衝突も多々あり、明らかな言い過ぎによる、しなくていい喧嘩もあります。

 

でも、ぶつかって傷つくからこそ気遣いが生まれ、培われる過程が見受けられるので、本音で話し、ぶつかることが、本当の精神成長の為に大事だと感じられます。

 

そうした段階を経て、経験から身についた気遣いにより、他人を尊重し、互いに干渉しない意識が育つように思います。

 

 日本人は、その点、真反対です。

 

私たちは、幼い時から、「他人に迷惑をかけないように」「空気を読むように」言われて育ちます。

 

他人が先という思いがベースにあるので、どうしても他人の行動を考慮に入れる思考になります。

 

そうすると、必然的に自分自身が周りからどう見られているかが気になり、自分が思った通りに、また真っ先に行動していいのかどうか、などが頭に浮かび、意のままに行動するのを控えたくなると思います。

 

発言する際も、こう言ったら傷つけるのではないか、嫌われないか、あるいは、場の空気を悪くしたくない、などという思いが先に立ってしまい、正直な気持ちを言いづらくなる気がします。

 

そういう意味で、私たちの「気遣い」は、自らの経験からではなく、大人から教え込まれたものだと感じます。

 

とは言え、きめ細かな気遣いは素晴らしいと思いますし、私自身も上手に気が遣える人になりたいと思っています。

 

が、「気遣い」する側にとって、大きなストレスになっていることは間違いなく、日本人のストレスの大元はこれではないかと思っていて、「本音と建前」も、気遣いから来ているものだと思います。

 

社会の荒波を乗り切っていく為に、「本音と建前」を使い分けるべきだと言うのが常識かもしれません。

 

でも、裏表の無いフランス人と付き合ってみて、それが無い社会の方が、ずっと生きやすいと実感しています。

 

 「本音と建前」を使っていると、大なり小なり、自分の中に二面性を抱えることになります。

 

二面性を持つストレスは、それがない世界に来てみて、自分で思っている以上に大きいものだなと感じます。

 

表と裏2つの顔のギャップが大きければ大きいほど、ストレスも比例して大きくなります。

 

成り行き任せにしていると、やがて、そのギャップは知らないうちに拡大し、結果、自分で、本来の自分がわからなくなってしまうように思います。

 

 また、皆が「本音と建前」を持っているという頭があるからこそ、疑心暗鬼になります。

 

社会のベースにそれがあり、今、見ている部分がそのままとは限らない、裏があるはず、という思いがどこかにある為に、どうしても互いに遠回しに詮索し合う、牽制し合う、言葉の端々で探り合うなどの、気持の悪い行動や関係性が出来てしまうのではないでしょうか。

 

 フランス人は、思ったまま全部を口に出しているのではないかと思うくらい、正直です。

 

英語で「率直に言うと、ざっくばらんに言うと」をFrankly speaking(フランクリー スピーキング)、あるいは日本語でも「フランクな人」と言います。

 

それは、正直なフランス人に由来して「フランス人のように話す」と表現しているのではないかと、個人的に思っています。

 

思ったままを口にするため、その国民性を知らないと、ぐさっと来たり、感じ悪と思ったりすることも多いと思います。

 

でも、すぐに悪気がない事もわかり、余程な事が無い限り、最初の印象のまま、良い人、気をつけたい人など、人となりがわかりやすい人たちだと思います。

 

そういう環境で感じるのは、正直でいることは、自然体、素のままでいることと同じだと言うこと、そして飾らなくて良い気楽さですニコニコ

 

「本音と建前」だけが原因だとは思いませんが、外の顔、家の顔などを作ってしまうことによるストレスは、結構精神的に重い負担になっていると実感します。

 

 現状から、全面改革して、地を出して行くのには無理があると思いますが、「本音と建前」のバランスを意識することをお勧めします。

 

「建前」は、つい流れで加速してしまう恐れがあるので、心にも無いことを言うことは控え、できるだけ裏表の差を作り過ぎないように気をつけて下さい。
 

正直な気持ちを言ってみると、案外大丈夫だったと言うこともあるので、ふと「本当はこう思うんだけど…💡ひらめき」と浮かんだ時には、それを口にしてみるのも大切です。

 

よくありがちな場面があるなら、それを想定して、日頃からどんな言葉を使ったら、受け入れてもらえそうか、自分の正直な気持ちをベースにシュミレーションしておくのも良いと思います。

 

周りの期待に応えて作った自分を手放しましょう。

 

できる限りの建前を手放して、いつも自分の本心、ありのままの自分でいる心地良さを感じられる人が、一人でも多くなるよう祈っています🙏飛び出すハート

 

 これはおまけですが、「本音と建前」と言う言葉の由来をググったら、興味深い話が見つかったのでシェアさせて頂きます。

 

 

ある棟梁のお話。

 

昔、ある棟梁が、明日が建前(木造や鉄骨などで、あらかじめ刻んだ土台、柱、梁や小屋材などの主要な構造材を現場で組み立てること)だという日に、玄関に使う柱を寸法よりも短く切ってしまいました。

 

彼は自分の未熟さを悔やんで死のうとしましたが、それをみた棟梁の奥さんが、彼にお酒を呑ませて眠らせ、彼が寝ている間に名案を思い付きました。 

 

翌朝目覚めた棟梁は、奥さんが差し出した枡を受け取り、奥さんに言われるままに、柱の足りない部分に枡をかぶせて収め、事なきを得ることができました。

 

が、自分の恥が他人に知られるのを恐れた棟梁は、口封じのために奥さんを殺してしまいました。

 

でも、その後、棟梁は自分の行いを悔い、未来永劫、弔うと誓って、女の七つ道具である口紅・白粉・櫛・かんざし・鏡・かつら・こうがいを棟の上に飾って供養したというのが、建前の儀式の始まりだそうです。

 

【本音】で尽くした奥さんに対し、【建前】にこだわるあまり妻を殺してしまった棟梁のつまらぬ見栄や意地。

 

これが、【本音と建前】の由来だとされています。


読めば読むほど、切ない…😭

 

やっぱり「本音と建前」は無い方が良さそうです。

 

 ではまた次回、À la prochaine !(ア・ラ・プろシェンヌ!)