ブリーブからごきげんよう、ドゥミ仙人こと☆Blay典子です。
ご縁をいただき、ありがとうございます。
さて、早速ですが、今日は毎週土曜日にお贈りする
スピササイズ
初めての方の為に、スピササイズとは…
毎日の暮らしの中で、ひらめきと行動を意識すると共に、スピリチュアリティー(精神性)を高め、見えない世界とのつながりを深めていくエクササイズです。
フィットネスエクササイズのようにコツコツ続けていき、人生を思いきり楽しめるようになることが目標です。
できれば、1から進めていただくことがお勧めです🔽
スピササイズ24のテーマは
「普通は」を手放す
スピササイズ19より、「手放し」をテーマにお送りしています。
運気を上げるために、自分の中にあるネガティブなものを「手放すこと」が、とても大事です。
この世には「引き寄せの法則」があり、あなたの中にあるものと全く同じものを引き寄せます。
ネガティブなものが少しでもあなたの中にあると、それと同じことを引き寄せてしまうので、ラッキーな人になる為に、出来るだけそれを手放していきましょう。
ここまでの「手放すシリーズ」で
を取り上げました。
今回、手放したいのは「普通は」という思いです。
日常、多くの場面でよく出てくる言葉だと思います。
海外でも、古今東西問わず、よく耳にする言葉です。
私もよーく使っていました。
でも、親元を離れ、海外を転々として、現実離れした暮らしが普通になり、「普通は」が全然使えなくなりました。
結果「普通は」と言う概念が一切無くなり、その考えは、人それぞれの経験値や価値観など、かなりの個人的見解だと感じるようになりました。
また「普通」と言う概念が無くなってから、私自身が精神的にとても解放されて楽になったと感じました。
日本を出て、フランス人と結婚し、ここ数年フランスで実際に暮らして思うのは、日本人は「普通は」と言う思いを持ちやすいのではないか?ということです。
夫の家族は女2人男4人の6人きょうだいです。
親もきょうだいも親戚も、誰一人として同じ身体特徴を持った人はいず、髪の色や直毛/巻毛の髪質、また目の色も少しずつ違います。
また、フランスには移民が多く、見た目も文化も違う多人種のいる学校で育ち、多人種が生活圏内にいるので、自然と「普通」の許容範囲が広くなります。
反対に日本では、行動範囲によっては、外国人を見かけることさえ、あまりありません。
日本人の外見は、そう大きい違いがありません。
見かけに大差が無い世界にいると、少しの違いが目について、それを除外したいと感じたり、嫉妬したり、はたまた難癖を付けて、自分の不満を発散させる対象にしてしまったりするのではないか?
残念ですが、そんな事が、いじめの一因になってしまっているような気もします。
また「出る杭は打たれる」「長い物には巻かれろ」などの諺が邪魔をして、大勢から抜きん出たり、外れたりすることは避けたい、反対に抜け出たり、外れた人は普通の領域から追い出したくなるのかもしれません。
自然と「普通」の枠を作りたがる、「普通」の中にまとめたがるような思考になるのでは?と思いました。
引っ越しや転職、留学、出張、あるいは旅行などで、今までの枠から出る新しい経験から、もしかして「普通は普通じゃない」と気づく人もいるかもしれません。
でも、ずっと同じ環境にいると、「普通は」と言う思いがあるのはごく普通で、なぜそれを手放すべきか、疑問にも思わないでしょう。
「普通は」と言う思いは、実は結構な壁を作っています。
自分の中にある「普通は」は、自分の経験値、価値観、社会の常識や流行り、生活環境などにより、人それぞれ大きく違うものであることに気づきましょう。
例えば、仲の良い友達同士でも、仕事が違えば忙しい時期が違い、職場の人間関係や、業務内容で大変だと感じることが変わります。
同じ職場だとしても、それぞれの家族内でのことや、住んでいる地域や近所との関係性などによって、互いに「普通」とは思えないこともあるのではないでしょうか?
「普通は」と思うことが、人を見る目を厳しくして、小さなイライラの原因になっていることにも気づいて下さい。
「普通は」と言う思いは、意外と大きいネガティブな思いを、簡単に抱かせます。
しかも日常的なワードなので、繰り返し、案外大きなネガティブな波動を発してしまっているところが、気をつけたいところです。
大人に会ってから出会う人たちは、よほど親しくならない限り、それぞれの人生経験、家族環境(昔も今も)などを知り得ないので、「普通は」という言葉が通用しないと思っていた方が良いと思います。
日常生活の中で、「普通は」と舌打ちしていないか、意識してみてください。
少し厳しい目で見ていたことに気づいたら、次からは、少し寛容な心を持って見るように気をつけてみて下さい。
もし自分の思う普通とあまりにもかけ離れていたら、
私の普通がこんなんじゃなくて良かった
大人に見えるけれど、魂の生まれ変わりの少ない人だな
など、少し違う見方をしてみましょう。
もしかすると、普通じゃないことをしていた人は、ただ単に知らないだけだったと言うこともよくあります。
自分の普通を押し付けるのをあきらめましょう。
自分の中のという感情をポジティブ変化して、「普通は」の呪縛から自分を解放してあげましょう
ではまた次回、À la prochaine !(ア・ラ・プろシェンヌ!)