*スピササイズ24:「普通は」を手放す | *Blay典子の世界日記*

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四半世紀のリゾート暮らしを卒業後、ディープなフランスで生活しています。父が他界した2004年から始めたスピリチュアルな学びや、浮世離れした日常から見えて来た世界、多文化の中で学んだ事、フランスの田舎暮らしなどなど、私の世界のお話を綴っています。

 ブリーブからごきげんよう、ドゥミ仙人こと☆Blay典子です。

 

ご縁をいただき、ありがとうございます。

 

 さて、早速ですが、今日は毎週土曜日にお贈りする

スピササイズ

 

 

初めての方の為に、スピササイズとは…

 

毎日の暮らしの中で、ひらめきと行動を意識すると共に、スピリチュアリティー(精神性)を高め、見えない世界とのつながりを深めていくエクササイズです。

 

フィットネスエクササイズのようにコツコツ続けていき、人生を思いきり楽しめるようになることが目標です。

 

できれば、1から進めていただくことがお勧めです🔽

スピササイズ24のテーマは

  「普通は」を手放す

 

スピササイズ19より、「手放し」をテーマにお送りしています。

 

 

運気を上げるために、自分の中にあるネガティブなものを「手放すこと」が、とても大事です。

 

この世には「引き寄せの法則」があり、あなたの中にあるものと全く同じものを引き寄せます。

 

ネガティブなものが少しでもあなたの中にあると、それと同じことを引き寄せてしまうので、ラッキーな人になる為に、出来るだけそれを手放していきましょう。

 

ここまでの「手放すシリーズ」で

 

過去

過去の痛み

今の痛み

こだわり

 

を取り上げました。

 

今回、手放したいのは普通はという思いです。

 

イラストACKipさん)

 

日常、多くの場面でよく出てくる言葉だと思います。

 

海外でも、古今東西問わず、よく耳にする言葉です。

 

私もよーく使っていました。

 

でも、親元を離れ、海外を転々として、現実離れした暮らしが普通になり、「普通は」が全然使えなくなりました。

 

結果「普通は」と言う概念が一切無くなり、その考えは、人それぞれの経験値や価値観など、かなりの個人的見解だと感じるようになりました。

 

また「普通」と言う概念が無くなってから、私自身が精神的にとても解放されて楽になったと感じました。

 

 日本を出て、フランス人と結婚し、ここ数年フランスで実際に暮らして思うのは、日本人は「普通は」と言う思いを持ちやすいのではないか?ということです。

 

夫の家族は女2人男4人の6人きょうだいです。

 

親もきょうだいも親戚も、誰一人として同じ身体特徴を持った人はいず、髪の色や直毛/巻毛の髪質、また目の色も少しずつ違います。

 

また、フランスには移民が多く、見た目も文化も違う多人種のいる学校で育ち、多人種が生活圏内にいるので、自然と「普通」の許容範囲が広くなります。

 

反対に日本では、行動範囲によっては、外国人を見かけることさえ、あまりありません。

 

日本人の外見は、そう大きい違いがありません。

 

見かけに大差が無い世界にいると、少しの違いが目について、それを除外したいと感じたり、嫉妬したり、はたまた難癖を付けて、自分の不満を発散させる対象にしてしまったりするのではないか?

 

残念ですが、そんな事が、いじめの一因になってしまっているような気もします。

 

また「出る杭は打たれる」「長い物には巻かれろ」などの諺が邪魔をして、大勢から抜きん出たり、外れたりすることは避けたい、反対に抜け出たり、外れた人は普通の領域から追い出したくなるのかもしれません。

 

自然と「普通」の枠を作りたがる、「普通」の中にまとめたがるような思考になるのでは?と思いました。

 

引っ越しや転職、留学、出張、あるいは旅行などで、今までの枠から出る新しい経験から、もしかして「普通は普通じゃない」と気づく人もいるかもしれません。

 

でも、ずっと同じ環境にいると、「普通は」と言う思いがあるのはごく普通で、なぜそれを手放すべきか、疑問にも思わないでしょう。

 

 「普通は」と言う思いは、実は結構な壁を作っています。

 

自分の中にある「普通は」は、自分の経験値、価値観、社会の常識や流行り、生活環境などにより、人それぞれ大きく違うものであることに気づきましょう。

 

例えば、仲の良い友達同士でも、仕事が違えば忙しい時期が違い、職場の人間関係や、業務内容で大変だと感じることが変わります。

 

同じ職場だとしても、それぞれの家族内でのことや、住んでいる地域や近所との関係性などによって、互いに「普通」とは思えないこともあるのではないでしょうか?

 

「普通は」と思うことが、人を見る目を厳しくして、小さなイライラの原因になっていることにも気づいて下さい。

 

「普通は」と言う思いは、意外と大きいネガティブな思いを、簡単に抱かせます。

 

しかも日常的なワードなので、繰り返し、案外大きなネガティブな波動を発してしまっているところが、気をつけたいところです。

 

大人に会ってから出会う人たちは、よほど親しくならない限り、それぞれの人生経験、家族環境(昔も今も)などを知り得ないので、「普通は」という言葉が通用しないと思っていた方が良いと思います。

 

日常生活の中で、「普通は」と舌打ちしていないか、意識してみてください。

 

少し厳しい目で見ていたことに気づいたら、次からは、少し寛容な心を持って見るように気をつけてみて下さい。

 

もし自分の思う普通とあまりにもかけ離れていたら、

 

私の普通がこんなんじゃなくて良かった

 

大人に見えるけれど、魂の生まれ変わりの少ない人だな

 

など、少し違う見方をしてみましょう。

 

もしかすると、普通じゃないことをしていた人は、ただ単に知らないだけだったと言うこともよくあります。

 

自分の普通を押し付けるのをあきらめましょう。

 

自分の中のえーという感情をポジティブ変化して、「普通は」の呪縛から自分を解放してあげましょうニコニコ

 

 ではまた次回、À la prochaine !(ア・ラ・プろシェンヌ!)