本当にやりたいことはすでにやっていること | 夢はなくとも 希望はなくとも 

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「根本のところはずっと変わっていない」

 

 

数年前に

こんな記事を書いたんですけども

メモ「やりたいこと」はあなたが思っている以上に手前にあります

 

自分のやりたいことがわからない人は、

そもそも

「ない」ところを探しているから

見つからないという話で。

 

 

例えば、

「職業」であったり

「ライフワーク」的なことであったり

「世の中に貢献できること」の中から

自分のやりたいことは何かを

探そうとするんですけど、

それらはすべて

ただの「手段」であって

「枝葉」に過ぎないんですよね。

 

 

にもかかわらず、

たくさんの「枝葉」を見つけてきては

それをやってみて

目指してみて

 

「なんか違う……」

 

っていうのを

繰り返してしまうんだと思います。

 

 

まあ

僕がそうでしたからね。

 

「オレのやりたいことって何だろう?」

「オレの使命は? 天命は?」

 

みたいな感じで

ずっと

「やりたいこと」迷子でした。

 

 

でも

僕が本当にやりたいことは

 

「人を笑わせたい」

であり

「アホなことを言って(やって)爆笑していたい」

だったんですよね。

 

まあ

そこから色々と

時間をかけて育ってはきてるんですけど。

 

 

僕にとってのやりたいことは

 

「職業」の中にはなかったし

「ライフワーク」とか、

「世の中に貢献できること」や

「誰かに認められること」の中には

 

ありませんでした。

 

 

むしろ

 

「そんなこと?」

 

みたいな。

 

「もうやってますけど?」

 

ってことでした。

でも

その方が

僕的には

めちゃくちゃ

「しっくり」きたんですよね。

 

「あ、そっか、オレはこれがしたいんだ」

 

っていう風に。

 

 

そして

そこがはっきりすると、

極論を言うと、

 

何やっててもいいんですよ。

 

「やること」は「手段」で

「笑わせること」が「目的」で

僕のやりたいことだったんで、

「手段」は何でもいいんです。

 

 

そこに至るまでのプロセスも

どんな形でもかまわない。

いい意味で

こだわりがなくなるんですよね。

 

 

そうすると

人って

何でも

自由にできるようになるのかもしれません。

 

 

ウエダミツトシです

こんにちは

 

 

とはいえ、

「手段」は何でもいいとはいえ、

やっぱり

その「手段」の中でも、

「よりやってみたいこと」

「より自分に向いているもの」

を探してしまうとは思います。

 

 

それはそれで楽しいんだと思うんですけど、

なかなか見つからないと

ちょっとイライラしてしまったり、

焦ってしまったり

逆に

行動に移せなくなってしまうのかもしれませんよね。

 

 

そういう時は、

「手段」の方ではなく、

「枝葉」を探すのではなく、

そもそもの「目的」とか

「初期衝動」「動機」の方に

意識を向け直せるといいんですけどね。

 

 

時々、

それすらも忘れてしまうのが

悩ましいところでして。

 

「で、結局のところ、何をしたいんだろう……?」

 

ってなってしまうと思います。

 

 

人って難しい……

 

 

 

 

客観視できると(メタ認知)、

 

「なんだ、もうやってるじゃねえか!」

 

ってなることもあるんですけど、

自分のこととなると

その現象の中に埋没してしまうので、

わからなくなるんでしょうね。

 

 

僕もそうですし。

 

 

自分のことは

ほんとにわからないですよね。

 

 

ずっと

「しっくり」くる感じがなくて、

 

「なんか違う……」

 

を繰り返し

 

「どうやればいいんだろう?」

 

と考え続ける。

 

 

い、いや、もうやってますけど……?

 

 

 

image

(迷子中の人)

 

 

こういうパターンって

けっこう多いんですけど、

自分の中で

 

「こういうことをしてみたい」

っていう思いと

「あんなことはしない方がいい」

っていう風に感じることって

もとを辿れば

実は

同じ思いから発せられていることって

多いんですよね。

 

 

自分を守るためとか

成長したい思いからとか

 

 

でも、

「枝葉」として

表に出て来た時に、

時として

真反対の事柄となってしまう場合が

あったりするんです。

 

 

「目的」は同じでも

「手段」が真反対の場合ですね。

 

 

こうなると、

わからなくなるんですよ。

迷子になる。

葛藤も生じますから

人によっては

苦しくなる場合もあると思います。

 

 

そういう時に、

そもそも自分で

こういうことをやってたんだって

気付けると

「しっくり」くるというか、

ストンと腑に落ちるようになれるかもしれません。

 

 

 

普段やってる事

 

これからやってみたい事

 

その根っこは同じって

 

気付くから

 

じゃあ難しく考えないで

 

普段通りにやればいいだけやん♪

 

になりました

 

本体の根っこは同じだから

 

何くっつけても

 

どんな変体にも成れるんやわ

 

 

「なんだ、これでいいのか……」

「やってること一緒だった」

 

一見、

真反対に見えるようなことでも

実は

根っこは同じだった。

そう気付けるといいですよね。

 

そこを言語化するコンサルをやっています。

メモ人のことはよくわかっても、自分のこととなると途端にわからなくなる本当の理由

 

 

さとっちさん

ありがとうございました!

 

 

《終わり》

 

image

 

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