「ちゃんと練習しなさい!」
(2018年6月30日 過去記事より)
ウエダミツトシです
こんにちは
何度言ったことだろう。
何度同じことを言わせれば気が済むのだろう。
同じことを繰り返し言い続けることに、僕はほとほと嫌気が差していた。
それは僕だけではない。
おそらく、僕よりも妻の方が強くそう思っていたに違いない。
僕は疲れていた。
妻も疲れていたことだろう。
子どもが親の言うことを聞かないということは、当然といえば当然の結果なのかもしれない。
しかしである。
それにしてもである。
何故、この子は僕の話しを聞いてくれないのか?
何故、こんなに同じことを何度も何度も言われ続けているのに、僕たちの話しを聞こうとすらしないのか?
そんなにやりたくないのなら、「やりたくない」とはっきり言ってくれればいいのに……。
そうすれば、僕や妻だって、こんなに同じことを言い続けなくてもいいし、こんなに疲れ果てることもなかっただろうに……。
君は一体何を考えているんだ?
君はどうしたいんだ?
本当はどう思っているんだ?
「本番は次の日曜日だよ! ほんとに大丈夫なの?」
その日まで、残り一週間と迫っていた。
あと一週間しかない。
しかも、それは今日昨日に決まった話しではない。
もう2ヶ月以上も前に、ちゃんと話しはしてあったし、本人の意思も確認していた。
2ヶ月前から、その日のために準備をしてきたはずだった。
それなのに、その有り様は一体なんだ?
その状態で本番に臨むつもりか?
それで、ちゃんと弾けるのか?
ピアノの発表会まで、残り一週間しかないんだぞ。
そう。
一週間後の次の日曜日。
その日は、長女のピアノの発表会がある日なのだ。
長女がピアノを習いはじめて、今年で3年目になる。
今まで、ピアノ教室での授業参観のような演奏会は何度かあった。
その当時はまだ幼児科で、それほど難しい曲を演奏するわけではなかったし、子どもたちがピアノを弾いている姿を見るのは、その子どもたちの親だけしかいなかった。
そこでは、ところどころでうまく弾けずに躓いてしまうのも、ある程度までは許容範囲内だった。
うまく弾けなかったところは、後からでも練習をすればいずれは弾けるようになるだろうし、今はピアノをうまく弾くことよりも楽しんで弾くことの方が大切だというような雰囲気があった。
そこは、子どもたちがピアノを頑張って弾いている姿を見る場所だったのだ。
しかし、今度の発表会は違っていた。
長女は、もう幼児科ではない。
小学二年生なのだ。
ただ頑張って弾いてさえいればいいという場所ではない。
200人近くは収容できるホールで、ちゃんと審査員もいる発表会なのだ。
出場するからには、それなりの演奏技術が必要になる。
各教室の先生たちから見て、この子だったら出場してもいいというある一定レベル以上の演奏技術を要求されるのだ。
それで、2ヶ月ほど前に、ピアノ教室の先生から妻にこう打診があったのだ。
「今度の発表会に出てみませんか?」
それからは、ひたすら課題曲の練習だった。
長女は、ピアノ教室の中ではうまく弾ける方だったのだが、それでも発表会に出るからには、当日しっかりと弾けるように仕上げていかなければならない。
毎週の先生のレッスンにも力が入るし、家でも練習を欠かさないよう妻にも熱が入った。
はじめはうまく弾けずに、練習を途中で止めてしまうということもあったが、少しずつでも練習を続けていくうちに、徐々に弾けるようになってきた。
そうなってくると、長女も練習をするのが楽しくなってきたようで、毎日のように課題曲を弾いた。
何度も弾いた。
引き続けた。
すると、はじめはあれほど弾けなかった課題曲が、ほぼ躓くことなく弾けるようになっていた。
あとは、音の強弱やリズム、タッチのなめらかさを本番までに仕上げていけばいいという状態にまでなっていた。
しかし、そこである一つの問題が生じた。
どうやら、飽きてしまったようなのだ。
今の状態でもう満足してしまったといってもいいのかもしれない。
それ以降、長女はピアノの練習を全くしなくなってしまったのだ。
元々、そつなく何でもできるタイプの子どもで、何をさせても他の子どもよりも上達は早かった。
だからだろうか。
何をさせても、飽きるのも早かった。
すぐに次のこと、他のことに気が移っていってしまう。
ひとつのことに集中できない。
それが悪いと言うつもりはない。
それも一つの個性だとは思っている。
子どもなのだから仕方がないと言ってしまえば、それまでの話しかもしれない。
ただ、今回に限って言えば、それは裏目に出たと言わざるを得なかった。
小学校から帰ってきても、ピアノに触ろうとしない。
ピアノの前に座ったとしても、課題曲は一切弾こうとはしなかった。
そうなると、当然といえば当然の話しなのだが、課題曲を弾いてみたとしてもミスが目立つようになってきた。
そこで、すぐに修正できればよかったのかもしれないが、相変わらず長女はそれ以上うまく弾けるようになろうとはしなかった。
「ちゃんと練習しなさい!」
そう何度言ったことだろう。
何度言っても耳を貸さず、長女がテレビを見ている姿を見るたびに、おもちゃで遊んでいる姿を見るたびに、何もせずにぼーっといている姿を見るたびに、僕はイライラした。
発表会までに、すでに3週間を切っている。
一度はちゃんと課題曲を弾けるようになっていたのだから、今までどおり毎日練習をすれば、ノーミスで弾くことも十分に可能なはすだ。
できるのに。
何故やらない?
何故練習しようとしない?
僕はイライラしていた。
練習をしようとしないことに。
話しを聞こうとすらしないことに。
僕のイライラは募っていった。
「本番は次の日曜日だよ! ほんとにそれで大丈夫なの?」
ピアノの発表会は、一週間後だ。
相変わらず、長女は練習をしようとはしない。
ほんの少しでも弾いてくれれば、あるいは違う結果になるかもしれないというのに。
妻が何度言ったとしても、言うことは聞くことはなかった。
このまま行けば、おそらく発表会ではミスを連発してピアノの演奏どころの話しではないだろう。
僕に至ってはその頃には、イライラを通り越して、ほとんど諦めの境地に達していた。
もうこれ以上、同じことを何度言ったとしても長女は変わらない。
言えば言うほど、ますます弾かなくなってしまうことだろう。
だとしたら、しばらく長女には僕から何も言わないほうがいいのかもしれない。
長女に練習をするように言ったとしても、僕のイライラが増幅するだけだし、何一つ言うことを聞かないことに対して無力感が増すばかりだ。
僕の精神衛生上もよくない。
発表会当日まで、この状況は変わることなく、本番を迎えることになるのだろう。
ピアノの発表会に出場するだなんて、はじめから受けない方がよかったのか……。
長女には、まだ早かったかな……。
「もうすぐだよ……」
長女の出番は19番目だった。
10番目の子の演奏が終わったあとくらいに、長女を舞台袖まで連れて行くことになっていた。
それまでは、僕たちと一緒に観客席で他の子たちの演奏を聞いていた。
緊張しているのかしていないのか。
見た目からは判断できなかった。
長女は、普段どおりの姿のようにも見えた。
真剣に他の子たちの演奏に聞き入っている。
どう思っているんだろう?
素人の僕にはよくわからないが、それでも舞台上でピアノを演奏している子どもたちは、少なくともミスはしていないように思われた。
もし、ミスをしていたとしても、それをミスと感じさせない演奏をしているに違いない。
やっぱりだ。
練習をしなくなって、たまに弾いてみたとしても、何度も躓いてミスばかりが目立つようになってしまった長女とは訳が違う。
舞台上でピアノを演奏している子どもたちは、今日という本番当日までにちゃんと仕上げてきていたのだ。
当然だ。
発表会なのだから。
人前でピアノを演奏するのだから。
弾けて当然。
ミスをしないのが標準レベル。
そのために、今日までちゃんと練習してきたのだろう。
弾けるようになった姿を、親や先生、そしてこの会場にいる観客席の人たちに見てもらうために。
「次だよ」
とうとうその時が来てしまった。
長女が演奏する番がやって来たのだ。
おそらく、この会場にいる人たちの中で、僕が一番緊張していたかもしれない。
しかも、その緊張感はうまく弾いてほしいという前向きな期待によるものではなく、どれだけミスを連発してしまうのだろうか、できればミスは少なければ少ないほうがいいという、非常に後ろ向きな期待からくるものだった。
長女が舞台上に姿を現す。
観客席に向かって礼をする。
淡いブルーのノースリーブのドレスに、白い花をモチーフにした髪飾り。
一瞬、長女がこちらを見て僕と目が合ったような気がした。
しかし、長女はすぐにピアノに向き直り、係の人に椅子の高さを調整してもらってから椅子に腰掛けた。
拍手も鳴り止んで、会場全体に静寂が訪れる。
僕の心臓の鼓動音までもが、会場に漏れ出てしまうのではないかと感じられるほどの沈黙がそこにはあった。
「永遠とは一瞬である」
そんなフレーズが僕の頭の中を駆け抜けていった次の瞬間、長女はピアノを演奏し始めた。
軽やかな、それでいて小気味良いリズムを刻む鍵盤の振動が会場に響き渡る。
弾けている。
長女はピアノを弾けていた。
昨日までの、あのワンフレーズ毎に何度も躓いている長女の姿とはまるで違っていた。
音の強弱やリズム、なめらかなタッチ共に、他の子たちにも決して引けを取らない演奏をしていたのだ。
驚いた。
僕は正直信じられなかった。
あれは一体何だったんだ?
「ちゃんと練習しなさい!」
そう何度も言い続けたこの数週間は一体何だったんだろか?
二曲目の自由曲を演奏し始めても、その姿に変わりはなかった。
とてもなめらかに弾いている。
一音一音にストレスを感じない。
伸び伸びとしたピアノの演奏を、舞台上にいるにもかかわらずそれを楽しんでいるかのように弾き続けていたのだ。
演奏が終わった。
長女は立ち上がる。
正面を向いて、まっすぐに観客席を見つめていた。
そこにはやりきったという満足感も、一度もミスをすることなく弾ききったという自信に満ち溢れた姿もなかった。
いつも通り、普段どおりの長女の姿がそこにはあった。
その時、僕は、長女がピアノの練習を全くしなかった本当の理由がわかったような気がした。
長女は、ミスをする自分を何一つダメだとは思っていなかったのだ。
ピアノをミスをすることなく弾ける自分も、何度も躓いてミスをしてしまう自分も、どちらも同じで、どっちが良くてどっちが悪いとは全く考えていなかったのだ。
どっちの自分も、自分は自分だと。
だから、ピアノを弾きたい時には弾くし、弾きたくない時には弾かない。
ただそれだけのことだったのだ。
その長女の姿を見て、僕は勝手にイライラしていただけだった。
もしかしたら、ミスをするんじゃないだろうか?
何度も躓いて、恥ずかしい思いをしてしまうんじゃないだろうか?
そう思っていたけれど、本当は自分が不安を感じたくないだけだった。
長女が恥ずかしい思いをしないようにではなく、父親の僕が恥ずかしい思いをしたくなかっただけなのだ。
その不安を払拭したいがために、長女に対して、何度も何度も練習するように感情をぶつけてしまっていたのだ。
なんでわかってくれないんだ?
なんで話しを聞いてくれないんだ?
そう思って、自分が大事に扱われていないような気がして、勝手に悲しくなっていただけだった。
独りよがりな自作自演。
その僕の自作自演劇に、長女を巻き込んでしまっていた。
必要なのは、心配することではなかった。
結果がどうあれ、長女のことをもっと信頼してあげることだった。
そして、その姿を受け入れてあげればよかったのだ。
長女が自分に対して普段からそうしていたように。
「ちゃんと弾けてたね。昨日まで、あんなに躓いていたのに、なんで今日に限ってノーミスで弾けたの?」
演奏が終わって、観客席に戻ってきた長女に僕はそう聞いてみた。
すると、長女はこう答えた。
「わかんない。でも、もう弾くしかないと思ったからただ弾いただけ」
そして、その日の夜、長女が通っているピアノ教室の先生からこんな連絡が入った。
「おめでとうございます! 今日のピアノ発表会で審査員特別賞に選ばれましたよ」
……えっ? ウソだろ? ホントかよ?
(全て実話です)
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