【中野剛志】MMTに突き付けられた不都合な「事実」【銀行貸出】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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 先月10日、私は、MMT(現代貨幣理論)について所見を述べた。

 ここで中野剛志に触れたが、改めて彼に関して記事を書こうと思う。

 

 


 

 

 

 中野剛志は、「TPP亡国論」(集英社、2011年)で有名になった経済産業省の官僚である。

 最近、この中野がMMTを説き、わが国におけるMMTの代表的論客の1人となっている(https://bit.ly/2JfRVnr参照)。

 三橋貴明もMMTを標榜しているが、「TPP亡国論」や「実質賃金ガー」を思い返すに、おそらく中野の影響であろう(三橋メルマガの中野執筆記事と同日に三橋ブログに「実質賃金ガー」が掲載されたが、もともと三橋は実質賃金を重視しておらず、中野の原稿を読んで足並みを揃えたのではないかと私は推測している。https://amba.to/2lZquX9https://amba.to/2AEeEq8)。

 MMTを取り扱っている中野の新著「奇跡の経済教室」はよく売れているのだそうだ。

 しかしまぁ、目次を見たところ、内容、酷そうだな…(https://bit.ly/316jIObhttps://bit.ly/2M70hRe)。

 こんなのを真に受けたら経済がわからなくなりそうだが、中野を信じている人はTPPをどう見ているのだろうか。

 日本は亡国となったのだろうか。

 日本を亡ぼすはずのアメリカの方が「アメリカ・ファースト」のドナルド・トランプ大統領によってTPPから離脱してしまったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 中野は「発言者」「表現者」を主宰した故・西部邁氏の系譜であり、今は藤井聡が主宰する「表現者クライテリオン」の一員に含めてよいと思われるが(京都大学大学院で藤井と中野は「上司と部下の関係」だった。藤井聡・中野剛志「日本破滅論」(文藝春秋、2012年)9ページ)、三橋と同様、「表現者クライテリオン」はMMTの権威のステファニー・ケルトン氏から絶縁宣言を受けている。

 「表現者クライテリオン」に関しては第二次世界大戦に関する歴史観の相違が原因らしいが(三橋に関しては「prior personal history」と書かれており、DV逮捕歴が原因か。https://amba.to/2EYVUpB)。

 

 

 

「Statement on Kelton Visit to Japan」 The Modern Money Networkフェイスブック2019年10月7日※追記があった模様

https://bit.ly/2kwFb3C

 

「Kelton took the following actions:

(中略)

Determined that she would not participate in any future events involving Mitsuhashi, Criterion, or Reiwa Policy Pivot」

 

「In addition, Mitchell wrote to Fujii to request that, as editor of Criterion, he withdraw an article in Criterion published alongside articles about MMT that contains abhorrent and false claims about Nanking and other atrocities committed by Japan in World War II.」

 

 

 

 中野は、MMTについて以下の論説を書いている。

 

 

 

中野剛志 「特別寄稿 中野剛志 消費増税も量的緩和も愚の骨頂! 主流派経済学や政策当局の主張とは正反対のことをやるべき。これが、MMT(現代貨幣理論)から導き出される政策提言だ。」 (ファクタ・オンライン2019年8月号)

https://bit.ly/337xmTw

 

「最近、MMT(現代貨幣理論)なる経済理論が大きな話題となっている。というよりは、大半の主流派経済学者や政策当局者によって「馬鹿げている」「トンデモ理論だ」と激しく攻撃されている。

このMMTなる代物、どうしてこんな大騒動を巻き起こしたのか。

MMTとは、その名のとおり、現代における貨幣についての正確な理解を基礎とする経済理論である。実のところは、その中身は、次のように、あっけないほど簡単である。

今日、「通貨」と呼ばれるものには、「現金」と「銀行預金」がある。「銀行預金」が「通貨」に含まれるのは、我々が給料の支払いや納税などのために銀行預金を利用するなど、日常生活において、事実上「通貨」として使っているからである。ちなみに、「通貨」のうち、そのほとんどを預金通貨が占めており、現金通貨が占める割合は、ごくわずかである。

MMTの基本は単なる「事実」!

問題は、通貨のほとんどを占める「銀行預金」と貸出しとの関係である。

通俗的な見方によれば、銀行は、預金を集めて、それを貸し出しているものと思われている。主流派経済学もまた、そのような見解に立っている。しかし、これは銀行実務の実態とは異なっているのである。

実際には、銀行の預金が貸し出されているのではなく、その反対に、銀行が貸出しを行うことによって預金が生まれているのである。これを「信用創造」と言う。例えば、A銀行がα企業に1千万円を貸し出す場合、A銀行は手元にある1千万円を貸すのではない。単に、α企業の銀行口座に1千万円と記帳するだけである。

銀行は預金を元手に貸出しを行うのではなく、その反対に、銀行による貸出しが預金を生む。したがって、原理的には、銀行は手元資金の制約を受けずに、借り手さえいれば、いくらでも貸出しを行うことができる。驚かれたかもしれないが、これが紛れもない「事実」である。主流派経済学は、信用創造の理解を間違えているのだ。

ただし、銀行は、預金を現金と交換する要求があった場合には、それに応じなければならない。それゆえ、銀行は、そのような預金の引き出しに備えるために、預金の一定割合を中央銀行に「準備預金(日本であれば、日銀当座預金)」として預け入れることを法令で義務付けられている。

では、現金は、なにゆえに通貨としての価値をもち得るのか。それは、政府が価値を与えているからである。

まず、政府は、「通貨」の単位(例えば、円、ドル、ポンドなど)を決める。そして、政府(と中央銀行)は、その決められた単位の通貨を発行する権限をもつ。その上で、政府は、国民に対して、その通貨によって納税する義務を課す。すると、その通貨は、納税手段としての価値をもつので、取引や貯蓄の手段としても使われるようになる。紙切れに過ぎないお札が、おカネとしての価値をもって使われるのは、そのためだ。

MMTの基本は、これだけである。しかも、この説明は、単に、現代の貨幣というものを「事実」に沿って説明したまでのことである。だが、この単なる「事実」が、主流派経済学者や政策当局者を大いに動揺させたのだ。なぜなら、この貨幣の「事実」から導き出される財政金融政策のインプリケーションは、主流派経済学者が主張し、政策当局者が実施してきたものと、180度も異なるものだったからだ。

ハイパーインフレは起こらない

MMTのインプリケーションとは、具体的には、次の通りである。

Ⅰ 日米英のように、政府が通貨発行権を有する国は、自国通貨建てで発行した国債に関して、返済する意志がある限り、返済できなくなるということはない。

例えば、日本は、GDP(国内総生産)比の政府債務残高がおよそ240%であり、先進国中「最悪」の水準にあるとされるが、財政破綻していない。それもそのはず、日本政府には通貨発行権があり、発行する国債はすべて自国通貨建てだからだ。

アルゼンチンやギリシャなど、財政破綻の例としてあがるのは、いずれも、自国通貨建てではない国債が返済不能になったケースである。実際、アルゼンチンもギリシャも、GDP比政府債務残高は日本の半分程度だったのに、財政破綻に陥った。

日本政府は、家計や企業と違って、自国通貨を発行して債務を返済できるのだ。したがって、日本政府は、財源の制約なく、いくらでも支出できるのである。

ただし、政府が支出を野放図に拡大すると、いずれ需要過剰となって、インフレが止まらなくなってしまう。このため、政府は、インフレが行き過ぎないように、財政支出を抑制しなければならない。

言い換えれば、高インフレではない限り、財政支出はいくらでも拡大できるということだ。つまり、政府の財政支出の制約となるのは、政府債務の規模ではなく、「インフレ率」なのである。

さて、日本は、高インフレどころか、長期にわたってデフレである。したがって、日本には、財政支出の制約はない。デフレを脱却するまで、いくらでも財政支出を拡大できるし、すべきだということになる。

これに対して、「政治は、歳出削減や増税のような国民に痛みを強いる政策はできないので、インフレは抑制できない」などと論じる者がいるが、これは暴論としか言いようがない。

そもそも、インフレが制御不能となるハイパーインフレの事例というのは、戦争や内乱で供給能力が破壊された場合、独裁政権がでたらめな経済政策を行った場合、旧社会主義国が資本主義の移行の過程で混乱した場合、あるいは経済制裁により禁輸が行われた場合など、極めて異常なケースに限られる。

先進国の民主国家が、平時において、財政赤字を拡大し過ぎてインフレを止められなくなったなどという事例など、皆無だ。それもそのはず、物価の高騰は、国民の不満を高めるからだ。民主国家が、民意を無視して財政赤字を拡大し続け、ハイパーインフレを起こすのは不可能なのだ。

Ⅱ 国家財政に財源という制約がないということは、課税によって財源を確保する必要はないということを意味する。

もちろん、MMTは、無税国家が可能だと主張しているわけではない。もし一切の課税を廃止したら、通貨の価値が暴落して、それこそハイパーインフレになってしまう。そこで、インフレを抑制するために、課税が必要となる。

つまり、増税は、インフレ抑止の手段なのだ。逆に言えば、減税は、デフレを阻止する手段である。また、格差是正のための累進所得税、あるいは地球温暖化対策のための炭素税など、政策誘導のためにも課税は有効である。

要するに、課税は、財源確保の手段ではなく、物価調整や資源再配分の手段なのである。日本は、長期のデフレ下で、消費増税を行い、今年、再度、消費増税を予定している。これは、MMTからすれば、デフレを悪化させる愚行でしかない。

MMTが突きつける不都合な「事実」

Ⅲ 量的緩和では、貨幣供給量を増やすことはできない。

黒田総裁率いる日本銀行は、2013年から大規模な量的緩和(準備預金の増加)を実施し、貨幣供給量を増やしてデフレを克服しようとしてきたが、結果は、周知のとおり失敗に終わっている。

その理由は、「貸出しが預金(貨幣)を生むのであって、その逆ではない」という信用創造の「事実」を知っていれば、明白である。デフレ下では、企業など借り手に資金需要が乏しい。それゆえ、銀行は貸出しを増やすことができないので、貨幣供給量は増えないのだ。

銀行の貸出しの増加が貨幣供給量を増やし、それに応じて準備預金が増えるのであって、その逆ではない。そうである以上、日銀が量的緩和をやっても、銀行の貸出しは増えるはずがないのだ。

Ⅳ 財政赤字が民間資金を逼迫させ、国債金利を上昇させるというようなことは、あり得ない。

この理由も、貨幣や信用創造の「事実」を理解していれば、容易に分かる。銀行の貸出しは、預金を元手としない。反対に、貸出しが預金を生む。これは、政府の場合も同じである。すなわち、財政赤字は、それと同額の民間貯蓄(預金)を生むのだ。

もう少し説明すると、こうなる。

政府が赤字財政支出をするにあたって国債を発行し、その国債を銀行が購入する場合、銀行は中央銀行に設けられた準備預金を通じて買う。この準備預金は、中央銀行が供給したものであって、銀行が集めた民間預金ではない。そして、政府が財政支出を行うと、支出額と同額の民間預金が生まれる。つまり、財政赤字の拡大に依って、貨幣供給量は増えるのだ。

したがって、「財政赤字によって資金が逼迫して国債金利が上昇する」などということは、起きようがない。実際、日本では、過去20年にわたり、巨額の政府債務を累積し続ける中で、長期金利は世界最低水準で推移してきたのである(図1)。

以上の①から④は、いずれも主流派経済学者や政策当局者が主張してきたことと、ことごとく正反対である。それゆえ、ほとんどの主流派経済学者や政策当局者がMMTを激しく批判するのも当然であろう。

しかし、MMTには、この上なく強力な味方がいる。

それは「事実」である。

そもそも、MMTがその出発点とする貨幣論は、現代の貨幣に関する否定し得ない「事実」を説明したものに過ぎない。

また、日本は、巨額の政府債務残高を抱えながら財政破綻していない。1997年の消費増税以降、デフレに陥り、2014年の消費増税によってデフレ脱却に失敗している。量的緩和が物価上昇に失敗している。そして巨額の財政赤字にもかかわらず、長期金利は世界最低水準で推移している。いずれも否定し得ない「事実」である。

主流派経済学者や政策当局者がMMTをやっきになって批判している理由も、これで分かるだろう。MMTは、彼らに不都合な「事実」を突き付けたからだ。

再度、強調しておこう。

主流派経済学者たちが「馬鹿げている」「トンデモ理論だ」と揶揄している相手は、「事実」なのである。では、MMT(=「事実」)に基づいて考えた場合、今後の日本経済はどうなるのか、そしてどうすべきかを簡単に論じておこう。

行うべきは「減税」と「財政支出拡大」

本稿執筆時点では、急速に景気が悪化しているにもかかわらず、政府は財政健全化の旗を降ろしていないどころか、10月に消費増税を予定している。消費増税による景気の悪化に対しては、政府は景気対策を、そして日銀は量的緩和の追加を行う構えである。

しかし、その結果は火を見るより明らかだ。デフレ不況の深刻化である。

そもそも、主流派経済学者も認めるように、財政赤字の拡大はインフレを招く。ならば、財政赤字の縮小がデフレを招くのは当然であろう。また、消費への課税は、間違いなく消費を抑制する。温室効果ガスへの課税(炭素税)が温室効果ガスの排出を抑制するのと同じ道理である。

消費増税による不況を景気対策で克服すると言うが、それは、増税による税収を上回る規模の財政支出を行うしかない。ならば、なぜ、そもそも消費増税をしなければならないのか。社会保障費の財源として必要だと言うが、既に述べたように、課税は財源確保の手段ではない。自国通貨を発行する政府は、そもそも財源を懸念する必要はないのだ。

そして、量的緩和の追加など、何の意味もない。準備預金(マネタリーベース)をいくら増やしたところで、貸出しが増えない限り、貨幣供給量は増えず、デフレから脱却することはできない。それどころか、量的緩和でこれ以上金利を下げてしまったら、銀行の経営を圧迫し、かえってデフレ圧力を引き起こしかねない。

したがって、日本政府が行うべきは、消費増税の中止(できれば減税)、そして財政支出の拡大である。量的緩和についても、それを終了する「出口戦略」を模索すべきだ。要するに、主流派経済学や政策当局の主張とは正反対のことをやるべきなのだ。

これが、MMTから導き出される政策提言である。それでもなお、MMTの主張を受け入れがたいというのであるならば、再び「事実」を示しておこう。図2である。

この図から明らかなように、GDPと財政支出は、ほぼ相関している。1990年代後半以降、財政支出が抑制され続けているが、同時にGDPも成長を止めている。そして、マネタリーベースがいくら増えても、GDPは増えなくなっているのである。

この「事実」を見てもなお、MMTよりも、主流派経済学や政策当局の方が正しいと言えるのだろうか?」

 

 

 

 中野はMMTを論ずるにあたり「事実」を強調する。

 中野によると、MMTの肝は「信用創造」であり、信用創造とは、銀行貸出が銀行預金(貨幣)を生むことである。

 中野は、主流派経済学は信用創造の理解を間違えているとする。

 そして、量的緩和は「失敗に終わっている」とする。

 中野は「「貸出しが預金(貨幣)を生むのであって、その逆ではない」という信用創造の「事実」を知っていれば、明白である。デフレ下では、企業など借り手に資金需要が乏しい。それゆえ、銀行は貸出しを増やすことができないので、貨幣供給量は増えないのだ。」と言う。

 一見、もっともらしく思える。

 しかし、経済学をよく知らなくても、それこそ「事実」についておかしな記述に気づける。

 

 

 

「さて、日本は、高インフレどころか、長期にわたってデフレである。したがって、日本には、財政支出の制約はない。デフレを脱却するまで、いくらでも財政支出を拡大できるし、すべきだということになる。

 

 

 

 デフレ(デフレーション)は、

「持続的な物価の下落」(https://bit.ly/327TwEe)

「少なくとも2年間の継続的な物価下落」(https://bit.ly/35srV2m)

などと定義される。

 物価の下落が要素である。

 では、物価は下落しているのだろうか。

 確かに、わが国は民主党政権まで「失われた15年(20年)」という長期デフレ不況に苦しみ、安倍政権発足後もしばらくは物価下落は続いた。

 しかし、平成29(2017)年以降、物価の下落は収まり、現在は「デフレではない状況」である(https://s.nikkei.com/2B1IW5R)。

 中野の「日本は、…長期にわたってデフレである」は事実誤認である。

 確かに、「デフレではない」とはいえ、インフレ率は1%にも満たず、いつデフレに逆戻りしてもおかしくなく、インフレ基調にあるとは言いがたい。デフレ脱却を完遂していないのだからデフレだ、と言い得るのかもしれない。

 しかし、中野の書きぶりだと、わが国が相変わらず長期デフレ不況の延長線上にあって財政支出の余地が大幅にあるかのような印象を受けてしまい、現状認識を誤ってしまう。

 既に「デフレではない状況」にまで達している以上、「財政支出の制約はない」は言い過ぎであろう。

 デフレの定義や物価の現状を知らない人を騙すような真似をして、「暴論としか言いようがない」のは中野の方だと私は思う。

 

 

 

「2015年基準 消費者物価指数 全国 2019年(令和元年)8月分 (2019年9月20日公表)」 総務省統計局HP

https://bit.ly/2NvLlhF

 

≪ポイント≫

 (1)  総合指数は2015年を100として101.8
    前年同月比は0.3%の上昇  前月と同水準(季節調整値)
 (2)  生鮮食品を除く総合指数は101.7
    前年同月比は0.5%の上昇  前月比(季節調整値)は0.1%の上昇
 (3)  生鮮食品及びエネルギーを除く総合指数は101.7
    前年同月比は0.6%の上昇  前月比(季節調整値)は0.1%の上昇」

 

「消費者物価指数」 山本博一ブログ

https://bit.ly/35j1z2S

 

「消費者物価指数推移 (月次)

 

「消費者物価指数 前年比(年次)

 

「消費者物価0・9%上昇 4月、伸び率拡大」 産経ニュース2019年5月24日

https://bit.ly/2olXA5b

 

「 総務省が24日発表した4月の全国消費者物価指数(生鮮食品を除く)は、前年同月比0・9%上昇の101・8だった。伸び率は前月の0・8%からわずかながら拡大した。前年実績を上回るのは2年4カ月連続。

 外国パック旅行費が15・1%上昇するなど、教養娯楽サービスが全体を押し上げた。ルームエアコンが9・8%上昇した家庭用耐久財も値上がりが目立った。

 生鮮食品とエネルギーを除いた指数は0・6%上昇し、伸び率は3カ月ぶりの拡大となった。」

 

 

 

 「MMTが突きつける不都合な「事実」」という節に、奇妙な記述がある。

 

 

 

MMTが突きつける不都合な「事実」

Ⅲ 量的緩和では、貨幣供給量を増やすことはできない。

黒田総裁率いる日本銀行は、2013年から大規模な量的緩和(準備預金の増加)を実施し、貨幣供給量を増やしてデフレを克服しようとしてきたが、結果は、周知のとおり失敗に終わっている。

その理由は、「貸出しが預金(貨幣)を生むのであって、その逆ではない」という信用創造の「事実」を知っていれば、明白である。デフレ下では、企業など借り手に資金需要が乏しい。それゆえ、銀行は貸出しを増やすことができないので、貨幣供給量は増えないのだ。

銀行の貸出しの増加が貨幣供給量を増やし、それに応じて準備預金が増えるのであって、その逆ではない。そうである以上、日銀が量的緩和をやっても、銀行の貸出しは増えるはずがないのだ。」

 

 

 

 これが「Ⅲ」の全文で、図も付されていない。

 「銀行の貸出しは増える“はずがない”」?

 中野によれば、銀行貸出こそが、銀行預金・貨幣を生み出す信用創造の要素であり、MMTの肝であり、また、主流派経済学や日本政府の経済政策に対する批判の肝でもある。

 銀行貸出こそが肝要なのに、その現状について「事実」が示されていない。

 銀行貸出は増えていないという「事実」を示し、自らの主張の正当性を示せばよいのに、そうなっておらず、不自然である。

 オチは読めていると思うが、銀行貸出は安倍政権下で増えているのである。

 「日銀が量的緩和をやっても、銀行の貸出しは増えるはずがない」というのは、中野の思い込み、というより、中野は実際のデータを知った上で示していない可能性が高いように思う。

 量的緩和は失敗「していなくてはならない」という結論が先にあって、不都合な事実はなかったことにする有様である。

 普通、現役の経産官僚による経済の統計に関する記述は信じてしまうだろう。

 しかし、中野は、そういう油断を突いてくるのである。

 

 

 

「銀行貸し出し」 山本博一ブログ

https://bit.ly/2m7W0Cq

 

 

「銀行貸出しは増えてるんだけどな・・・」 山本博一ブログ2019年9月11日

https://bit.ly/2m1qUME

 

銀行貸し出しは増えていない?

 

こんなツイートを見かけましたが・・・

 

これはおそらく、いくら量的緩和をして、銀行にお金(日銀当座預金)を積み上げても財政出動しなければ、企業はお金を借りて投資しない。

 

と、いいたいのだと思うんだけど

 

 

 

んー。でもね。

銀行貸出し額は量的緩和以降、増えているんですよね。

 

統計を見ると、この通り。

 

 

70兆円ほど増えていますよね。

 

日銀の短観をみても、

企業の資金繰り、貸し出し態度が改善しておりますので、貸し出しが増えるのは当然かと。はっきりと量的緩和の効果が分かります。

 

 

まあ、400兆円も量的緩和しているのに、貸し出しが70兆円増えただけじゃショボすぎる・・・などと批判する人もいるかも知れませんが、何もしなければこの70兆もなかったわけなんですけど。

 

もしかして、その方が良かったとでも?

 

あと、これも定番といえる批判ですが、貸し出しが上昇し始めたのはアベノミクス前の2012年からだ! とかいうやつ。

 

上昇トレンドが始まったのはアベノミクス前だから、アベノミクスは関係ないと言いたいのでしょうが、

 

  • 2012年の2月に日銀は量的緩和(通称バレンタイン緩和)をやりました。要は量的緩和の効果
  • たかがトレンドだけでリーマンショック前の水準を超えるわけがない。

 

というわけなので、その理屈はかなり無理があろうかと思います。

 

そもそも政府は財政支出を増やしていない?

あちらの界隈では、政府が財政支出を拡大して需要を生み出していないからいつまで経ってもデフレを脱却できない。企業が投資をしないという共通認識を持っているみたいですが、

 

政府が作った需要、いわゆる公需の推移ですが、

このように伸びています。

 

 

2002年のピークを超えて、過去最高額を更新し続けています。

 

で、民間の需要の方はというと、やっぱりこちらも増えていますね。一時期チャイナ・ショックで凹みはしましたけどね。

 

 

でも、消費税が増税されたことを考えるとかなり良い結果だと言えるのではないでしょうか?

 

政府の金融+財政政策が経済を下支えしたものだと思います。

 

 

ま、日本政府は金融緩和すると同時に財政を拡大していることは、データを見れば明らかなのですが、もしアベガーの界隈の主張どおりに、政府は何もしていないのだとしたら、

 

民間投資、需要は消費税増税に関係ないという事になってしまいますがそれで良いのでしょうか。

 

量的緩和で貸し出しが増えるメカニズム

量的緩和して日銀当座預金をいくら積み上げても貸し出しは増えない!

ブタ積みだ!

 

みたいな話はよく聞くんですけども。量的緩和で貸し出しが増えるメカニズムってそんなに難しくはありません。

 

というか、皆難しく考えすぎだと思います。

 

日銀が民間の金融機関から国債を買い上げてしまうと、金融機関にとって今まで稼ぎの柱だった国債が、0.1%程度のショボい利益しか産まない日銀当座預金に変わってしまうワケです。

 

金融機関からすると死活問題です。

 

てなわけで、金融機関は貸出金利を引き下げて、必死に企業に融資しようとするわけです。

ま、それが上で示した貸し出し態度、資金繰りのDIに現れてますね。

 

また、国債金利(長期金利)も量的緩和によってほぼ0%付近で推移しております。

というわけなので、金融機関が国債を買っても儲けにならない。

なら、企業に貸し出そう

 

ということになるわけです。

 

企業側も、銀行の貸し出し態度がよくなり、金利の低下で金利コストが安くなったので、

 

「ちょっと、古くなった設備の更新でもするか」

 

なんて考える経営者が出てきてもおかしくはないと思います。

 

国債でシコシコ稼ぐのが銀行のあるべき姿じゃないと思うので、量的緩和でやっと銀行本来の本分に立ち返れたんじゃないかなと・・・。

なぜ統計データを見ないのだろうか・・・

彼らはおそらくマスコミや共産党などが発信する、自分たちが見たいもの。。。例えば「内部留保ガー」とか「実質賃金ガー」とかを見て、それで満足して、一時データまで見に行ってないのだと思います。

 

だって、一時データ、統計データを見ればそれらが嘘であることは一発でわかると思いますし。

(見ても分からない人はもうどうしようもないですね)

 

そんな彼らと議論しても話は平行線・・・何の得るものもありません。

 

前提条件から狂っているのでそれも仕方のないことでしょう。相手にするだけ無駄ですね。」

 

「4月の銀行貸出残高、前年比2.5%増 都銀の伸び率は拡大」 日本経済新聞2019年5月14日

https://s.nikkei.com/2OKmGWd

 

日銀が14日発表した4月の貸出預金動向(速報)によると、全国の銀行(都市銀行、地方銀行、第二地方銀行)の貸出平均残高は前年同月比2.5%増の468兆1739億円だった。伸び率は3月から横ばいで、91カ月連続で前年実績を上回った。

業態別では都市銀行が同2.2%増の217兆4579億円だった。伸び率は前月(1.8%)から拡大した。企業のM&A(合併・買収)などで資金需要が高まったことなどが寄与した。

地方銀行と第二地方銀行の貸出平均残高は合計で同2.9%増の250兆7160億円。伸び率は前月(3.0%)から縮小した。

手形や小切手を除き、譲渡性預金を含む預金平均残高は都銀、地銀、第二地銀を合わせて前年同月比2.6%増の724兆7530億円だった。

〔日経QUICKニュース(NQN)〕」

 

 

 

 主流派経済学・リフレ派の通り、量的緩和をしたところ、安倍政権下で銀行貸出は増えている。

 また、現状はデフレでもない。

 MMTは無理筋ということになる。

 経済学に詳しい人なら、他にも中野に対するツッコミどころを見つけられるだろう。

 

 

 

 

 

 

 中野は「事実」を強調する。

 しかし、事実はなかなか曲者でもある。

 重要な事実を隠してしまえば、真実を誤認させることもできる。

 中野の経済論に「奇跡」を感じた人もいるだろう。

 しかし、その「奇跡」はペテンではないか。

 「事実」を確認した方がよいと思う。