【書籍紹介】増税と政局【ジーク木下】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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倉山満「増税と政局・暗闘50年史」(イースト・プレス、2014年)


増税と政局・暗闘50年史 (イースト新書)/イースト・プレス
¥980
Amazon.co.jp


◆◆◆ 出版社による紹介 ◆◆◆

http://www.eastpress.co.jp/shosai.php?serial=2050

<著者>

倉山満
1973年、香川県生まれ。憲政史研究者。1996年、中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程を修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤研究員を務め、同大学で日本国憲法を教え、現在に至る。日本近現代史の泰斗でもある鳥海靖教授に師事し、同教授の退任に伴って同大学院を退学。2012年、希望日本研究所所長を務める。

<内容>

●財務省 vs. 歴代総理 「権力構造」のカラクリ
安倍総理は、なぜ「消費増税」に追い込まれたか? 

●平成二五年一〇月一日、安倍晋三総理は「予定どおりの消費増税」を発表した。消費増税は、なぜ「予定どおり」に行われたのか。そもそも、なぜ消費税とその増税が大蔵省で伝統となり、財務省に引き継がれたのか。田中角栄の時代から連綿と続く大蔵省・財務省と歴代総理の権力闘争の歴史を、気鋭の憲政史家が検証する。



◆◆◆ 著者による紹介 ◆◆◆



「倉山満の直球勝負 『増税と政局・暗闘50年史』のご紹介 ゲスト 上念司 【チャンネルくらら】」YouTube2014年4月5日
https://www.youtube.com/watch?v=IX9mElV31G8


「増税と政局、話題沸騰!」倉山満ブログ2014年4月13日
http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=1216



◆◆◆ 私の感想等 ◆◆◆



 「検証 財務省の近現代史」(光文社、2012年)の趣旨は、「白川を討て!」だった(http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=812)。
 本書の趣旨は、「ジーク木下!」である(http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=1216)。
 つまり、安倍総理に消費税増税を押しつけた木下康司(きのしたやすし)財務事務次官が、歴代次官の中でいかに強いかを物語るものである。
 なお、本書は「木下を討て!」ではない。
 日本銀行総裁人事は国会同意事項だが、財務事務次官人事はそうではないからだと解される。
 チャンネル桜の水島総社長は、「安倍は木下を辞めさせられる。でも辞めさせない。木下が増税を推進したとしても安倍増税だ。」などと言うが(http://youtu.be/UzSF9UUt4bU?t=8m50s)、人事を急変させるのは非常に難しい(http://www.kurayama.jp/modules/wordpress/index.php?p=1151)。常識的に考えて、最終的な責任者が安倍総理だとしても(77ページ)、その意思決定に深く関与していないわけがない財務事務次官の責任を問わなくてよいというのはおかしな話で、木下次官を批判してはいけないという結論先にありきという感じがする。犯罪を教唆した人は犯罪を実行したわけではないから責任を問わなくてよい、というのと大差ない。第一次安倍内閣で増税なしにプライマリーバランスを大きく改善したことを誇る安倍総理が消費税増税推進派だとは到底考えられず(http://www.youtube.com/watch?v=2prqmI_r6rQhttp://ameblo.jp/bj24649/entry-11622188641.html)、財務省の圧力に屈したと考えるのが自然なのではないか(安倍総理は、2012年11月25日の「報道ステーション SUNDAY」で、「我々は真面目に考えるんであれば、やはり2年後には基本的に消費税を上げるべきだ。」と言う。2013年10月1日はまだ1年も経っていない。)。

 また、本書は、麻生太郎財務大臣および彼の支持者に対する批判も厳しく行っている。
 本書では、もともと消費税増税に反対していたのに翻意した自民党議員である山本幸三衆議院議員と西田昌司参議院議員が厳しく批判されている(85ページ以下)。他にも、保守派の有名議員が批判されている。
 「異端の罪は異教の罪より重い」という感覚だ。
 いわば増税異端審問だ(https://www.facebook.com/kurayamajuku/posts/677326028944781参照)。
 そして、本書は、基本的に”検察官”側の立場から書かれたものである。
 本書が行う糾弾には違和感をおぼえる者もあろう。
 宮崎正弘先生は、「倉山氏に拠れば、麻生財務相は「ニセ高橋是清」で、増税反対といいつつ、途中から「増税は国際公約」と言い出してカメレオンのごとく立場を変えた「国賊」だと激しい批判の形容がつく。これには異論を抱く読者のほうが多いだろう。」と言う(http://melma.com/backnumber_45206_6012985/)。

 保守論壇の派閥はおもしろい指摘だ(112ページ以下)。
 現在、自民党で総理候補を擁しているのは、安倍派・麻生派・石破派である。
 この派閥に従って、保守論壇にも派閥があるというのである。
 「○○総理大臣待望論」というのは聞かれるところであり、言われてみればその通りなのだが、コロンブスの卵である。
 この保守論壇の派閥の見方で重要なのは、安倍派に見えつつ、実質的にやっていることは反安倍派という言論人がいるということである。
 櫻井よしこ先生は石破派である(116ページ以下)。石破派は、一見すると保守に見えるが、戦後レジームからの脱却を望んでいない。まぁ、櫻井氏はチャンネル桜に「戦後保守」のレッテルを貼られているので、違和感を持つ人は少ないのではないかと思う。
 保守系国民が知っておくべきなのは、青山繁晴先生が安倍派ではないということである(124ページ以下)。青山先生は、財務省見解に立ち、消費税増税を後押しした。倉山先生は、青山先生の言論は麻生大臣・木下次官に都合がよいことを指摘する。
 チャンネル桜の主流も麻生派である(116ページ以下)。
 民主党政権と自民党叩きに狂奔するマスメディアがひどすぎて、逆に、麻生大臣が美化されすぎている感はある。倉山先生の評価では、鳩山・菅総理以前は、麻生総理が最悪の総理大臣とのことである(304ページ)。日本銀行に味方し、金融政策を軽視するのが大きな理由だ(292ページ以下)。麻生大臣に「平成の高橋是清」を期待する三橋貴明先生が、金融政策無効論を唱え、日本銀行と立場を同じくしていることが指摘されているのは知っておいてよいと思う(http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20120802http://ameblo.jp/typexr/entry-11825699755.html)。

 木下次官の歳出削減原理主義・財政均衡主義はすさまじい(77ページ以下)。予算削減のためなら国が滅んでも構わないという勢いだ。
 その木下次官に、吉野良彦大蔵元老が消費税増税のために後押しをした。
 こうなってくると、財務省全体が、消費税増税推進のために動く。
 日銀総裁、内閣官房参与、国会議員が、次々と消費税増税を容認していく。
 増税推進という結論ありきの有識者会議が開催された。
 マスメディアは、安倍総理が消費税増税を決断したという記事を何度も書いた(「記者クラブ」問題を予備知識として持っているとわかりやすいと思う。)。菅義偉官房長官が決断していないと述べているにもかかわらず。
 消費税増税翼賛会状態だった。
 財務省が何もせず、自然発生的にこういう状態が生まれたとは考え難い。
 そして、安倍総理は、消費税増税を決断したと表明することになってしまった。
 安倍総理はデフレ脱却前の消費税増税に反対していたのに、いわゆる附則18条があったのに、消費税増税を先送りできなかった。
 木下次官の勝利である。安倍総理に「予定通り」消費税増税を決断させた。
 国民にとっては迷惑だが、財務省にとっては偉業である。



 現在進行形の政治の正しい姿など誰にもわからない。
 正しい姿を捉えようとすれば、多角的に見てみることである。
 本書は、消費税増税政局を見る1つの角度を与えてくれるものである。
 今後、”弁護側”からの言い分が出てくることによって、よりよく真実が明らかになるだろう。

 とはいえ、正直、我々国民がこんなに詳しく消費税増税をめぐる政治の動きを知る必要があるのかとは思う。
 他にもっと知るべきことは山ほどある(倉山先生の近著で言えば、「歴史問題は解決しない」(PHP研究所、2014年)を読んだ方がいい)。
 とりあえず、国民としては、
・消費税増税は木下康司財務事務次官の賜物(○木下増税 ×安倍増税)
・麻生太郎財務大臣は金融政策を軽視し(リーマン・ショック後に金融政策を検討しない)、増税を好む(与謝野馨の重用に顕著)
・チャンネル桜は麻生色が強い。青山繁晴を盲信するな
・田中角栄が社会保障を充実させすぎたため、社会保障費を賄うための増税が必要になってくる
・小泉純一郎元総理と福田康夫元総理は安倍総理の味方
・第一次安倍内閣は財務省を敵に回したところから崩壊した
くらいのことを押さえておけば足りるのではないか。