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監督ブログ  wecker

「時空警察ヴェッカー」シリーズの原作・監督 畑澤和也の個人ブログです。
現在中国広東省で活動中

前回記事にコメントして頂いたので唐突に思い出しました。


「みらい少女シェリーココ」


2003年頃にweb配信ドラマとして撮らせて頂いた、隠れた畑澤作品です。

テレ朝デイレクターもやってて猛烈に忙しかった頃の作品で、僕もすっかり忘れてました(申し訳ない)が、今鮮明に思い出してます。

手元に映像がない(当時発売されたDVDもなぜか持ってない)のが残念ですが…。


当時お世話になっていた制作会社件タレント事務所さんの企画で、同時期

「デモンバスタークラブ~乙女たちの絶対領域~」という作品と「聖少女戦士stヴァルキリー」という、いかにもなタイトル(でいかにもな内容)の作品を撮らせて頂きました。


これはその前か後にほぼ自主制作体制で制作されました。

主演はそこの事務所に所属していた桑原彩美さん。その後改名して活動されていたようですが…。


へタレなおじいちゃんを立ち直らせて史実通りにおばあちゃんと結婚させるべく孫のココちゃんがやってくる…という、いかにも「ドラえもん」な、いやさそのまま「ドラえもんが美少女だったら」という話。


毎回未来の秘密道具を出して、おじいちゃんの恋愛の応援をします。


小うるさいおばあちゃん(若くてキレイな女優さんに老けメイクしてもらってました)が居て、お嬢様(家出中)が毎回冷蔵庫から出てきたり、万年浪人している鈴木さんという怪人(この人は実は時空刑事なのだ(笑))がなぜか居候していたり、主人公くんの家の中での描写がとても気に入っています。この家は当時の畑澤宅(新宿の都庁の隣の高層マンションだった!)を使用して撮影されていたので余計思い出深いです。


畑澤的には80年代のラブコメ風なのものを目指したつもりでした。

隣に住んでいる美少女(おばあちゃんの若い頃)と主人公くんが無事結ばれるか、というのがメインの話なんですが、時間モノならではの最終回など、自分で撮ってて現場で泣けた、いいシナリオでした。

シナリオは「ヴェッカーD‐02」や声優ドラマの脚本をたくさんお願いしていた大久保智巳さんが書いています。


思い返すと、毎週女の子たちが何人もわが家へやって来て、わいわい楽しそうにしてた(散らかすだけ散らかして帰って行った)のがいい思い出。僕にとっては彼女らみんながシェリーココでした。


…まだどっかで見られるのかな?


ご興味があれば捜してみてください。僕も観たくなったなぁ…。



前回記事と一緒に書こうかと思ったけどあえて別記事に。


「キョンシーガールズ」とほぼ同時期に放送された(僕も最近同時に観た)AKBの「こじはる」主演のドラマ(?)「メグたん魔法使えるの?」


人間界に修行に来た魔法少女、オレンジの衣装、パンチラが売り!と、そこはかとなく(もなく)「魔女っ子メグちゃん」な感じがして、これまた俺が好きそうな!…と思われそうな番組。


これもおそるおそる観てみたら…

案の定バラエティぽい展開。

イントロはすべての魔法少女のルーツである「奥様は魔女」っぽく始まるも、あとはほぼワンセットでルーティンギャグがひたすら繰り返されるシュチュエーションコメディ。


ひたすらワンセットなのは、こじはる(をよく知らない)のスケジュールが取れないからなのか、よほど脚本に自信があるのか、。


やはりこれを続けてみるのはネット版仮面ライダー(「スーパーヒーロー大変」とか)を続けて観るのに近い拷問…でした。


魔法をついうっかり使ってしまい、魔法使いだとバレると人間界にいられないから「パンチラを見せて」記憶を飛ばす、というのが毎回のルーティンなので、毎回毎回毎回毎回毎回こじはるのパンチラ(というか、「オー!モーレツ!」的なパンモロ)を見せられる。これも拷問でした。個人的には。

まとめ撮りだとして、1日の撮影で(毎回微妙に違うパンツを)何度も履き替なきゃいけないのが不憫だなぁとも思いつつ。


基本自分オリジナルしかやらない(と思われている)畑澤ですが、「魔女っ子メグちゃん」の実写版リメイクだけは(やらないだろうけど)やりたいと思います。

コレだけは誰よりも巧くやれる自信があります。


…そんな事を思わせてくれた作品?でした。


「アイドル戦国時代」はまだまだ続きそうだし、こういうアイドル主演ドラマがもっともっと出来るといいですね。10年前のグラビアアイドル全盛期みたいに。


俺も!!




今さっき天野メグたん(笑)から写メが届きました。東京は雪景色みたいですね!



話題の(例によって話題よりちょっと遅れてる)川島海荷ちゃんの「好好!キョンシーガール」を観ました。

アイドル・川島海荷が実名で登場、3000年ぶり(いや30年ぶりか)に突如蘇ったキョンシーたちと戦う道士・キョンシーガールとなって活躍するカンフーアクションコメディ。

衣裳がなんとも東映中華魔女っぽい。


なんて俺が好きそうな!

…と(やはり)思われそうな番組。


おそるおそる?観てみたら案の定こういう路線か…というバラエティっぽい展開。

もともと「ヒラメキーノ」(という番組)の1コーナーから始まったというから、むべなるかな。

…そんならそのまま少年少女(子供)たちがキョンシーバスターズになる!という話でいいじゃん?とか思いつつ。


川島海荷ちゃんが実年齢に合わせてか大学生設定…なのにも何故か違和感が。

フツーに制服着せて女子高生キョンシーガールでいいじゃん?とか思いつつ。

9nineの子たちも知らないうちにメンバーが変わりつつ、みんなそれなりの年齢になっていたのね…。


でも我慢して(;^_^A観続けてたら海荷ちゃんがとても可愛く見えてきた(いや、可愛いけど)。

お話も時々シリアスなヒーローもの的テイストが入り、同年代の人らが作ってるんだろうなぁと思しき、コネタのパロディが続出(「アノクタラサンミャクサンボダイ」とか。


最後にカレシが海荷ちゃんに「僕ごと(キョンシーを)刺せ!」というあたりに某総統の「私ごと(ゴルバを)撃て!」を思い出したり…しつつ…

最低限「泣き」のツボは抑えてました。


やっぱりヒロインのカレシは最後に死ななきゃイカンのだ。ねぇ北島隼人くん。

最後まで死んだままなのには結構驚いたけど。


結論…なかなかどうして面白い番組でした。


ところで、中国人にとってはキョンシーは本当に怖い存在で、小さい頃から夜ひとりで歩いているとキョンシーに襲われる!と親子代々語り継がれているそうな。

80年代に「霊幻道士」で一躍日本でも有名になったけど、あれはキョンシーをパロディ化したもので、僕らの思う(「キョンシーガールでも描かれていた)キョンシー像は中国人が思うキョンシー像とはまったく違うようです。


そういえば中国へ来て1年、キョンシーどころかチャイナドレスを着たお姉さんも(そのテのお店でさえ)見たことないぞ。




何より僕が感動したのは反日デモが最高潮の頃にこの番組が放送されていた事。さすがテレ東!


まぁ、こういう間違ったイメージでもいいから、もう一度日本人が中国に興味を持ってくれたら嬉しいですね。

思わぬところで「六神合体ゴッドマーズ」に再会しました。

「ゴッドマーズ」は長い説明は不要だと思いますが、80年代に「女子に」人気を博した正統派ロボットアニメ。今だったら女子の前に「腐」がつくところ。


100%女子のみの署名活動で映画化までこぎ着けた、ファンが作った(作らせた)劇場版。

この劇場版のDVDを発見したのです。


中国の海賊版ショップではないDVDショップで発見。中国語字幕はもちろん、ちゃんと中国語に吹き替えされている。実に珍しい(!)正規品らしい。

聞けば、ごく最近劇場公開もされたそう。


敵味方に引き裂かれた美形の兄弟。兄弟のつかの間の再会(逢瀬と言おうか)、そして死別。

これが20代の本橋秀之さんの美麗な作画と相まって乙女心を萌え上がらせたのもよくわかる。


でも今、中国語で本作を観ていると(けっこうみんな声が似ている)違う感想を抱かせます。


産まれた時に引き裂かれ、敵国に(ブービートラップとして)送り込まれた双子の弟と、母国こそ正義であり皇帝こそ絶対と教え込まれ(洗脳され)て戦わされる兄。

二人の本当の再会(和解)は兄の死をもって果たされる…。


どちらが日本で、どちらが中国かは観手の主観によるとして(;^_^Aこれはぜひ反日デモに参加した若者たちに観てもらいたい作品だと思いました。


それなりに登場人物の葛藤はあるにしろ、物語は勧善懲悪の至ってシンプルなもの。

その中に誰でも理解できるように「反戦」のテーマが込められている(ところが藤川桂介脚本!)。

こういう作品こそ、今の中国に必要なんだと思いました。(富野ガンダムは本当のところ中国人には「わからない」と思う。実は僕らも「わかったふり」してるだけだろうけど。「seed」ぐらいわかり易いと中国で…世界でも人気があります)


もちろん(今見ても全く見劣りしない)美しい作画による手描きアニメーションである、という事も重要なんですが。


中国語で苦悶するマーズとマーグを観て、きっと中国の人も苦悶しているんだと、何故か思いました。

2003年が明けまして

今年は「宇宙刑事シャリバン」の30周年であり、その1983年は僕にとって忘れ難い年です。


何度かココでも書いている最愛の人を亡くした年であり、それを機にアニヲタ(「聖戦士ダンバイン」の年でしたね)から特撮ヲタに転向(?)した年でもあります。


あの事がなかったら、僕は単身シャリバンに会いに撮影所を突撃する事もなかったろうし、今ではたぶん奥さんや子供もいて、アニメ関係の何らかの仕事をしてたんじゃないでしょうか?


1983年までの記憶ははっきりあり、アニメに関しても「ダンバイン」まではいくらでも語れる(し歌える)んですが、1984年から上京する1991年までの記憶がどうも曖昧です。

特撮同人誌に熱を上げ、東映撮影所に(京都から)通い詰めてはいたんですが…


その7年はずっと何かから逃げたい、何をしていいのか分らない、何もできない…そんな鬱屈した日々だった気がします。


上京を機に、その7年間で同人誌や自主制作映画で知り合った友人たちと、意識的に距離を置くようになった気もします。

上京するなり、いきなり疎遠になった畑澤を「裏切り者」と呼ぶ人もいたようです。

今更ながら、もう一度あの頃の友人(とはもう思ってもらえないか)と会いたい気もします。


間違いなく僕の人生の分岐点だった1983年。


「シャリバン」30周年で、渡洋史氏も未だかつてなく燃えています。

もう一度彼が「シャリバン・伊賀電」として僕らの前に登場する事を、友人としてよりファンの一人として心から願っています。


僕にとっても大切な30周年。

何か記録と、皆さんの記憶に残る事をやりたいと思っています。


皆さんは1983年は何をしてましたか?

天野めぐみさんは生まれた年だね。